サガフロンティア アセルス編   作:おめかけ

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第二十八幕 春が巡る

 ようやく目を覚ましたアセルスは、きょとんとした表情であたりを見回すと、隣に腰かけていたイルドゥンに気づいて困惑したように眉を寄せた。

「私の勝ち……ということでいいのかな、これは?」

「何がだ」

 仏頂面で答えるイルドゥン。

「だからさ」アセルスはのんびりと尋ねた。「力を貸してくれ、と私は言って……それからのことはあんまりよく覚えていないけど、こうして生きてるってことは、あなたの魅了に成功したってことでいいのかな?」

「馬鹿か、お前は」

 うんざりしたように吐き捨てるイルドゥンにアセルスは首を傾げる。

「違うの?」

「俺がお前ごときに魅了されるわけがあるまい」

「でも、ほら、ちゃんと吸血もしたじゃない」

「吸血? ああ……確かに血を舐めはしたな。だがあの程度で格下に魅了なぞされるものか」

「じゃあ、なんで私は生きているの?」

「……」

「あ……そ、そうか。もしかして、そういうことなの……? 困ったな……」

 何やら照れたように頭を掻くアセルスにイルドゥンは胡乱気な視線を向ける。

「お前が何を考えたのかは知らないが、確実に間違っている」

「いや、だからさ。魅了できていないのにこうして生かされているってことは、魅了するまでもなくあなたが私のことを」

「違う」

 イルドウンはアセルスの言葉を冷たく遮った。するとアセルスは不意に真顔になり、「──なら、どうして私は生きているの」と穏やかにイルドゥンを見つめる。

「そうだな」

 答え、しかしイルドゥンは面倒くさそうにため息をつく。

「お前を生かしたわけじゃない。……ただ、まだお前に尋ねることがあった。それだけだ。返答によってはお前を殺す」

「懲りないね……」

 呆れたように肩をすくめてアセルスは再び倒れ込む。

「それで? あなたの聞きたいことっていうのはいったいなんなのかな」

「ファシナトゥールに帰り、白薔薇姫を取り戻す……お前はそう言ったが、あてはあるのか」

「あて?」

「お前にオルロワージュが倒せるのか。……それとも、妖魔の君を前にしてお前はあの甘ったれた戯言をほざくつもりでいるのか」

「……」

「答えろ、アセルス」

「……別に、あの人に勝てるだなんて思いあがっているわけじゃあないよ。そんな力はない。だいいち、そんなことをするつもりはないんだ。私はオルロワージュを滅ぼしたいわけじゃない。あの人のところから白薔薇姫を連れだしたのは私だもの。私に正義はないんだよ。……でも、それでも彼女を闇の迷宮に閉じ込めておくのは違うって思うし、なんとかして出してあげたいとも思う。……でも、だからといって、話せば分かり合えると言って、あの人のところへ行って、そんなことは間違っているから出してあげてくださいと言ったって、そうそううまくは行かないんだろうなってことくらいは、私にもわかるよ」

「なら、お前はどうする気だ」

「さぁ……どうしようね。あの人の悩みや苦しみは気の遠くなるほど長い年月を重ねてできたものでしょう。そんなあの人のところへたかだか三十年かそこら生きただけの私がしゃしゃり出て言ってさ、猪口才な説教をかましてめでたしめでたし、って、そんな話でもないでしょう? あなたなら、どうする? 私はあのひとのことをそんなには知らないんだ。オルロワージュのことを教えてよ」

「俺も大して知らん。興味もないのでな。……だが、まあ、そうだな。強いて言えば、奴は『寂しい』と言っていた」

「寂しい? オルロワージュが?」

「ああ、そうだ。何百年も生きていれば飽きが来る。来る日も来る日も同じようなことを繰り返していれば、その内に寂しいと思う日もやって来る……、そんなことを言っていた」

「オルロワージュが……。そういえば、あの人は、『手に入れる』ということの意味がわからなくなったと言っていた。手に入れた筈のものは、手に入れたいと思った時のものとは決定的に何かが違ってしまっているって。……そうか。あのひとはやっぱり、何かを求めているのかな。手に入れたかったはずの何か。ずっとずっと昔のうちに無くしてしまった何か。……そういうものをさ」

「何か……か。そういえば……ある女がこんなことを言っていたな。オルロワージュは『永遠』を求めていると」

「永遠……て、具体的には?」

「俺が知るか」

「……ごめん。まぁそうだよね」

「オルロワージュが求める永遠が一体何なのか……そんなことはわからん。永遠に変わらぬもの。永遠に失われることのないもの………」

「……そんなもの、本当にあるのかな」

「さあな。あるといえばあるらしいが」

「ええ? どこにあるの?」

「そんなことは知らん。だがこの世に永遠は存在する、と言い切った奴はいたな」

「誰?」

 尋ねると、イルドゥンは眉間に皺を寄せて不愉快そうに顔を歪めた。その名を口にするだけでも煩わしいとでも言いたげに。

 

「──奴の名は零姫という」

 

 

 

 

 いいか、とイルドゥンは言った。零姫という女はとにかく口の悪い妖魔だ。おそろしく性格が悪く、また性根が腐っている。お前がオルロワージュの話を聞き出したいというのなら案内してやらんでもないが、まあせいぜい覚悟しておくのだな。

 あのイルドゥンがそう言うのだから、それはもう本当に性格が悪いのだろう、とアセルスは思った。

 

 『……ドゥヴァン、というその星は俗に気狂いたちの住みかとして知られている。ドゥヴァンの住民たちはみな世捨て人であり放浪者である。彼らは冒険者であり魔術師であり、また審判者であり道化師である。彼らは法を持たず、道徳を持たない。彼らが信じているのはただ神のみである。しかしそれは唯一神ではないし多神教の神々とも違う。彼らが信じる神とは掌の中の札であり、賽である。神は乱数によって記述される。星間船発着場を出て、ドゥヴァンへと一歩踏み出せばその途端、世界は神秘に象られていく。ポータブル・ナビや小型デバイスなどで目的地を探そうなどという魂胆でいるものは、どんな方法をとるにせよけしてドゥヴァンには辿り着けない。そこに住む者たちは骨牌を投げて行き先を決め、ダイスを振って生き方を選ぶのだから。

 あなたがもし『何か』を知りたいと思うのなら駅を出てぐるりあたりを見回せば良い。そこかしこにぐるりと巡る色とりどりの占い屋が見える筈だ。遊牧民めいた原色のテントに蛇腹楽器を切り分けたような洋館、あるいはコーヒーカップや酒樽を刳り貫いた形の家々。館ばかりではない。そこらを歩く人とという人はみな占い師だ。右を向けば三針羅盤を構えた双子の道士がいて左を向けば筮竹を鳴らす易者がいてさてどちらへ行くかと首を捻ればふよふよと飛んできた魚型のモンスターが『骨占いはいかが』とこちらの瞳を覗き込んでくる。

 あなたはどこへ行っても良い。行きたいところへいけばいい。正解などはどこにもない。この星で信頼性や信憑性を求めるのは見当違いもいいところだ。たとえば植物占いを頼み、その答えが『青紫の芳香、スミレの香り』と言われたとする。あなたは『なるほど。つまり私は王になる男だということですね』と一人ほくそ笑んで邪悪な儀式の結構日を少し早めてみてもいいし、あるいは『やはりそうだったのか。しかし、だとしても私はこの宝物をあの場所へ届けなくては』と呟いてだいたい単行本14巻ほどになるストーリーのオープニングを演じ始めても構わない。しかしけして『どういう意味ですか?』と尋ねてはいけない。その言葉を口にしたその瞬間にドゥヴァンの魔法は解け、その星は蜃気楼となって消えてしまう。

 忘れてはいけない。あなたは結末を見届けに来たのではない。物語を語るために来たのだ。

 魔法は語るものではない。魔法は物語を語るためのツールに過ぎない。いにしえの詩人も言うではないか。女の喉の狭窄部こそ気紛れな必然と組織だった神秘とが始まる境目だと。

 さぁ、今こそ。神秘と神秘の渦巻くドゥヴァンに身を委ね、謎めく航海を始めたまえ』…………星間ガイドブック142925047年度版別冊ドゥヴァンの歩き方より抜粋             

 

 

「アルカナ・パレスへようこそ。ご用件は?」

 彼女は開口一番そう言った。血の気のない青白い顔をしたアルカナ・パレスの女主人は先刻から表情を何一つ変えることなく手元の札を混ぜている。

「この星に神社があると聞いてきたんですが、どちらにあるのか教えていただけますか?」

 アセルスは興味深そうにあたりを見回しながら尋ねた。周囲には様々な細密画が飾られており、不思議な文様が幾重にも描かれている。

「秘術の資質を求めるなら4つのカードを集めなさい。盾・金・杯・剣。この四つのカードを集めた時、あなたは自ずと秘術の素質を手にしているでしょう」

「え? ええと……?」

アセルスが求めていたのは占いではなくただの道案内だったのだが、女主人の返答はそのどちらとも異なっていた。

「あの、私は別に術を覚えたいというわけではなくて」

「あなたにカードを渡しましょう。四つのカード全てがアルカナ・タローへと変わるとき、あなたの運命に神秘が降り注ぎます」

「だから」

秘して秘すべき神秘の法(アル・アルカ・アルカナム)。四つの神秘を束ね、愚者から世界へと寓意を旅する時、あなたは大いなる理を手にするでしょう。それはArcanaTangle(アルカナタングル)です」

「はあ……」

 長々としゃべり続ける女主人を前に、半目のアセルスはため息をついた。

「人の話を聞かない……あなたは妖魔ですね?」

「いいえ、違います」

 即答した女主人にアセルスはややたじろぐ。

「普通に会話できるのなら最初からそうしてくださいよ……」

「普通に会話していたら面白くない。そうは思いませんか」

 女主人は真顔で答えた。

「別に面白さを求めてここへ来たわけではないので」

「では求めましょう。ここはドゥヴァンです」

「あなた……本当に妖魔じゃないんですか?」

「ですから、違います。もし私が妖魔なら、あなたの血には逆らえずきっとこんな会話はできないでしょう」

さらりと言ってのけた女主人にアセルスは警戒に表情を変える。

「……なぜ、私の血のことを?」

「なぜだと思いますか」

 これまた表情を変えずに首だけを傾げる女主人をじろじろと見回した結果、信じがたい、という表情のままアセルスは口を開いた。

「占い師……だから、ですか?」

「占い師だからです」

 やはり即答だった。

「じゃあ、もう……それでいいです。針の城の追っ手ではないんですよね」

「ええ」

「……そうですか。神社へ行くにはどちらへいけばいいですか?」

「あなたが手に入れなければいけないのは四つのカードです。金とは技巧であり取引です。贈り物であり完全な満足です。剣とは条件付きの調和でありあるいは力による勝利、正義であり激怒であり悲しみです。杯は喜びを意味し、過去を振り返ること、またその幻想を示します。盾は庇護するもの、多すぎる財産、出発と交易を結ぶカードです」

「そろそろ腹が立ってきたんですが」

「カードとは」

 女主人は穏やかに微笑む。

「この世界を読み解く翻訳機のようなもの。けれども異なる言語が必ずしも一対一対応ではないように、翻訳する人間によって文章は姿を変えるもの。あなたは自分の好きなように札を切ることができます。あなたは剣で闘うことも杯を交わすこともできます。しかし私たちはただカードをめくり、そうして得た天啓を繋いで物語を語るしもべに過ぎません」

「……帰りますね」

「どうかカードはそのままお持ちになって下さい。あなたの幸運を祈ります」

「……どうも」

 渋い顔をしてアセルスはアルカナパレスを辞した。扉を閉めたそのあとで深くため息をつき、「なんだこの星は」と盛大に呻く。どこもかしこも意味ありげなことを囁く占い師ばかりだ。

 零姫はドゥヴァンにいる、と教えてくれたのはイルドゥンだったが、イルドゥン自身はついて来なかった。『会いたくない』というのがその理由だったが、しかし零姫はどれほど性格が悪いのだろう。この星の住人といい零姫の評といい気の重くなることばかりで憂鬱なアセルスは足取りも重くとぼとぼと神社を捜し歩いた。しかし会う人間はといえばこちらを揶揄うような迂遠な物言いをするものばかりで何の手掛かりにもなりはせず、やがて疲れ切ったアセルスは静寂を求めてひとけのない場所へと向かう。

 ドゥヴァンの外れには人の往来を頑なに拒むような長い長い階段があった。針葉樹の生い茂る山をその頂まで石造りの階段が貫いており、その途中には漆塗りの木で組まれた門がいくつも並んでいる。

 ようやく階段を上り終えたアセルスは振り向き、来た道を振り向いた。眼下に遥か遠く、ドゥヴァンの駅が豆粒ほどに見える。見晴らす景色の清々しさにやっと満足げな息をついて顔を上げると、そこにもやはり朱木の門が待ち構えている。門をくぐり足を進めるとそこは石畳の庭だ。庭の奥には格子状の蓋がついた木箱があり、その横で小さな女の子が巫女服で竹箒で掃いている。

 なんだか変なところへ来てしまった、とアセルスは思ったが、そこでようやく記憶が蘇ってきた。来る途中で何度も門を潜ったがよくよく考えてみればあれは烈人から聞いたことがある『鳥居』というもののように思えるし、とすればあの木箱は賽銭箱であり、この場所こそが自分の探していた神社であるのかもしれない。

「こんにちは」

 と試しにアセルスは庭掃除をしている子供に話しかけてみた。振り返った子供はといえば桜花の唇に黒絹の髪をして、澄み切った瞳に蠱惑的な光を宿している。人形のように整った顔をした少女はしかし振り返るや否や老婆のようにふてぶてしく顔を歪めた。

「何じゃ。嫌なにおいのする娘じゃな」

「……私は神社に行きたいのだけれど、ここが神社でいいのかな? 教えてちょうだい。お嬢さん」

 いきなりの言われように怯みながら尋ねると、少女は「いかにも」と短く答え、後は見向きもしない。

「あの」

「ここは神を祀る神聖な場所じゃ。用がないのならはよう帰れ」

 取り付く島もない少女の態度には閉口したが、幼い少女と年よりじみたその口調から生まれるギャップにはえも知れぬ魅力があり、興味をひかれたアセルスはなおも言葉を重ねる。

「あの門は鳥居、でいいの? 私は鳥居というのは一つの神社に一つだけだと思っていたんだけど、どうしてあんなにたくさんあるの?」

「……あれは結界じゃ。余計なものがこの地へと寄り付かんようにするためのな」

「余計なもの?」

「さて、な。どのみちそなたには関係のないことじゃ。妾はいま忙しい。邪魔をするでない」

「ごめんなさい。でも最後に一つだけ。……零姫、という妖魔がここにいると聞いたんだけど、知らない?」

 その言葉に少女はふと箒の動きを止めた。

「……そなた、名は?」

「アセルス」

「ふむ……」

 しみじみと、呟いて少女は静かに瞳を閉じた。

「時は、流れたか……。赤かぶには会ったのか?」

「赤カブ? 闇の迷宮にいたあいつのこと?」

「……そうか」少女はむなしそうに微笑んだ。「いや……今の言葉は忘れてよい」

「え?」

「そなたがなぜ会いに来たのかは知らぬが正直に答えよう。……いかにも、妾がその零姫じゃ」

「あなたが!?」

 アセルスは驚いて少女の全身を今一度眺める。

「でも、その姿は」

「聞いておらぬのか? 針の城から逃げるため、妾は幾度となく転生を繰り返す身。時が経つ程に魔力は増し、その力ゆえオルロワージュに居場所を悟られてしまう。そのたびに妾は転生し力を失わなくてはならぬのじゃ」

「そうだったんですか……」

「この居場所は誰から聞いた?」

「イルドゥンからです。安心してください。このことはファシナトゥールには伝えていません」

「イルドゥンじゃと? あの偏屈者が協力するとはのう……」

 零姫は感慨深そうに考え込んでいたが、やがて『まぁ、あの馬鹿のことはどうでも良いわ』と呟いて顔を上げた。

「それであせるすよ。そなたはなぜ、妾に会いに来た? そなたたちが針の城を逃げ出し、闇の迷宮に白薔薇姫が囚われたことは妾の耳にも届いておる。お前がこのような運命に巻き込まれたのには妾にも少しばかり責任がある。どのような形で決着をつけるのかはそなたの問題じゃが、妾も力を貸そう」

「……ありがとうございます。私はあなたに、零姫様にオルロワージュのことを教えてもらうために来ました。あなたは最初の寵姫であるとイルドゥンから聞きました。最も長い時をオルロワージュと過ごした女性だと。……あの人はなぜ、あんな風になってしまったんでしょう。あの人の過去に一体なにがあったんですか? そしてなぜ、あなたはオルロワージュの元を離れたんですか?」

 静かに尋ねたアセルスに、零姫は遠い眼をして口を噤んだ。

 

 

 やつは。

 オルロワージュは出会った時から何かを探し求めていた。それが何なのかは妾にもわからん。妾と出会う前のオルロワージュに何があったのか、それすらもあやつは忘れてしまったのじゃろう。

 長い長い時を生きて、妖魔の君オルロワージュは多くのものを手に入れ、支配した。ファシナトゥールを、多くの妖魔達を、そして九十九の寵姫たちを。

 けれども妾はこう思う。たくさんのものを手に入れながら、しかしそれ以上にあやつは失いすぎたのだと。針の城に眠るのは九十九の寵姫。──じゃが、その誰とも違う乙女とオルロワージュは出会った筈で、彼女たちは寵姫となることなく死んでいった。

 いつかオルロワージュは妾に言った。百万回の春を愛せば、いつか妾はまた来る春を憎むようになる、と。その言葉の意味が、かつての妾にはわからなんだ。今となっても、それが本当に理解できておるかはわからぬ。

 しだいにあやつの心が滅んでいくのがわかった。何一つ心の動くことのない生き物は、もはや機械と変わらぬ。──しょせん、オルロワージュも並の男と変わらぬ。あやつは永遠に負けた。時の流れの波濤に心を飲み込まれてしまった。

 何かを探し求めているのは、過去に何かを失ったからじゃ。しかしあやつは自分が何を失ったのかも忘れたまま、盲目の旅路を朦朧と続けている。

 馬鹿馬鹿しい、と思ったよ。そんな男に抱かれていたことが途端に忌々しく思えてきた。あやつが求めているのは畢竟、妾ではない。『永遠』などという夢物語を追って干乾びていく男に付き合うには、妾はちと美しすぎる。

 それゆえ、あの夜──妾はオルロワージュを吸血した。虜化を破ったその途端、多くのものが見えてきたよ。自由意思を奪われていた哀れな人形としての自分。また永遠という虚しい闘争を繰り広げるオルロワージュの愚かさ。

 妾はオルロワージュを傷つけ、そして叱咤した。永遠と闘うのならばそれなりの気概を持て、と。強くあれ、と妾は言った。奴は応えなかった。じゃから妾はあやつでなく、あやつの寵姫たちを否定することにした。こんな愚かな男に従う女もまた、救いようのない愚か者じゃと。……ふ、ふ、あやつめ、途端に気色ばみ、斬りかかってきよったわ。ほんに、女のことしか考えられぬ軟弱な男のやることよ。

 それから……次に妾はこう言った。弱くてもいいではないか、と。強くあることが出来ないのなら、自らの弱さを認め妥協して生きるしかないではないか、と。それはせめてもの慰めのつもりじゃったが、あやつめ、せっかくの餞別さえ受け入れぬ。性懲りもなく妾を捕らえると宣言して、ハ、妖魔の君オルロワージュといえども結局は凡百の男と変わらぬ。

のう、あせるすよ。妾も長いこと追い掛け回され、うんざりしておるのじゃ。そなたが望むならあやつを滅ぼすのに力を貸してやらんでもないぞ。

 

 

 どこかぼんやりと、熱に浮かされたようにして零姫は語った。

 口を挟まずに聞いていたアセルスは、ゆっくりと首を傾げて言う。

「──でも、それは嘘ですよね」

「ほう?」と零姫は口元を緩める。「どうしてそう思う?」

「この世に永遠は存在する。そう、あなたは言ったはずです。あなたは永遠の在り処を知っている。あなたはかつて、確かに存在する『永遠』というものを感じたことがあったんです。教えてください。零姫様。いつまでもいつまでも失った過去に縛られたオルロワージュを見て並の男と変わらぬとあなたは評しました。それであなたは、そんなオルロワージュのことをどう思ったんですか?」

「は……」

 楽しそうに、零姫は笑った。そして感嘆の吐息をもらしながら、ゆっくりと縁側に腰を下ろす。

「そうか……これが、あせるすか……。仕方がない、正直に答えよう……。下らん過去に囚われ、いつまでも在りもせぬ夢ばかり見ている男、そこらの男たちと何一つ変わらぬ女々しくも弱々しいオルロワージュを見て、妾は──」

 仄かに頬を紅潮させ、零姫はどこか恥ずかしそうにその言葉を唱えた。

 

「──いとおしい、と、そう思ったよ……」

 

「零姫様……」

「のう、あせるすよ。オルロワージュの心は日に日に摩滅していく。何年も何年も変わらぬ男を前にして、愛し続けることはもはや妾にはできぬ。じゃから、妾は虜化を破らねばならなかった。虜化を破れば、自分の本当の心が──気持ちがわかる筈。妾はこの牙をオルロワージュに突き立て、その血を吸った。妾は自分が忘れていたことを思い出した……。もはやあやつと共に生きることはできなかった。

 強くあればそれで良い、と思った。もしオルロワージュが『永遠』を手に入れられずとも、過去を捨て、今また朽ち果てた心に活力を取り戻すことができるならと。

 弱くあることが叶うのならそれも構わぬと思った。たとえそれがどれほど無様でも、己の弱さを周囲と分かち合うことがオルロワージュの安らぎに繋がるのなら、と。

 あやつはそのどちらにも頷きはしない代わりに、いつものように言った。余は余の永遠を手に入れる。この世に永遠はあるのだと証明してみせる、と。

 永遠とは、時の中で生きながらけして失われぬこと。時を止めて生きるのでもなければ、命を捨てて死に続けるのでもない。流動と変節の中で、しかし不変である存在のこと。

 あやつは変わらぬ。出会った時から、何一つとして。

 ……ただ、それが嬉しかった。

 あの日、あの夜、誰かを愛したことは嘘ではなかった。

 妾にはもう、あやつを愛することはできぬ。しかし、たとえそれが追うものと追われるものとの関係であったとしても、それが互いに互いを殺しあうような関係であったとしても、奴と繋がり合うことができるのならそれで良いのじゃ。

 この世に永遠は存在する。あせるすよ。妾は誓うぞ。この世に、永遠は存在するのじゃ」

 深く、静かに呟かれた零姫の声色は悠久の吐息を伴って弱々しく震えた。倦怠と放埓を超え、数多の夜を飲み干してこの地へと辿り着いた零姫の言葉は、まだ若いアセルスの心にも深く染み入っていく。

「あやつを滅ぼすと言ったことに嘘はない」零姫は言う。「それはそれで正しい、とそう思う。そうしてやることが情けであるとも」

 零姫はアセルスの手首を握り、うっすらと浮かび上がる静脈に視線を落とす。

「オルロワージュほどではないとはいえ、妾もまた途方もなく長い時を生きた。妾にはもはや見つけられぬ言葉がある。あせるすよ。妾がそなたに期待しているのはそれじゃ。年寄りが忘却の中に埋没させてしまった言葉。節度と分別の中に失ってしまった無謀。老いた者たちの物語は若者が引継ぐものじゃ。そなたになら、あるいはまた別の結末を見いだせるのかもしれぬ」

「そうしたいと思っています」

 アセルスは神妙に頷く。

「できるかどうかはまだわかりませんが、私にはまだ、オルロワージュに伝える言葉が残っていると思います。……でも、どうして私なんでしょう。どうして、あなたは私にそこまで教えてくださるんですか?」

「そんなことを考えて何になる? 自分が勇者であると神のお告げでも受けねば世界を救ってはならぬのか。そんなものありはせぬ。あるのは目の前の状況と自らの心だけじゃ。──それにのう、あせるす。そなたとは、それほど初対面という気もせぬ。白薔薇姫やイルドゥン、それに……。この世のどこかにそなたのことを助けようと考える者がいた。それがそなたの力。そして何よりもそなたは妖魔の君オルロワージュの血を享けた娘。そなたの父がオルロワージュであるのなら、あるいは妾がその母ということになる」

「お母さん……零姫様が、ですか?」

「不服か? ……まぁ、さすがにこの外見ではな。妾がそなたの孫である方がまだしも自然というものか」

 零姫はアセルスの頬に手を当て、その表情を覗き込む。

「しかしこの年になって娘ができるとは思いもよらなんだ。どれ、その顔をよく見せておくれ。……ふ、ふ、なかなか見目好い子じゃ。妾ほどではないが」

「それはどうも」

 静かに微笑み、アセルスは自分の顔を覗き込む零姫の瞳を見つめ返した。皺ひとつないその顔は老いなどまったく感じさせない瑞々しさを保っている。当たり前だ。彼女の肉体年齢はアセルスの半分にも満たないのだから。この幼く稚い少女が何千年という時を生き、転生を繰り返す妖魔の姫だと誰が信じるだろう。アセルスは零姫の肩にそっと触れた。熱のない体がそっと手のひらを押し返してくる。あまりにもか細く、弱々しい子供の体。こんな子供が、とも思う。

 けれども間近に見る瞳のその奥では、草臥れた廃熱が延々と燻っている。疲弊した女の魂がいつか己の死を願いながら、それでもなお捨てきれぬ執念にしがみつく。そんな目をしている。

 それは自分にはまだ理解できないものだ、とアセルスは思った。オルロワージュの話を聞いて、少しではあるが彼のことを理解できたように思う。しかしまだ十分ではない。オルロワージュに立ち向かうには、あまりにも足りなすぎる。

 かつて何かがあったのだ。戦いがあり、誰かが敗北した。

 妖魔の君オルロワージュと第一の寵姫、零姫の物語。そして──オルロワージュがまだ妖魔の君ではなかった頃の物語。

 アセルスは瞳を閉じた。

 幻聴が聞こえる。

 心のどこかで、時計塔の鐘が鳴る。何度となく経験したあの鐘の音。時を刻み、過去を象るあの遠く儚い音。

 何気ない気持ちでアセルスは零姫の体を抱きしめる。すると零姫は不思議そうな顔して、しかしおずおずとアセルスを抱き返す。

「何じゃ、これは? 我々は一体なにをしておるのじゃ? ──しかし何やら悪い気はせぬ」

「私にもよくわかりません。でも……なんだか急に、あなたのことを抱きしめたい、そんな気持ちになったんです。零姫様。もっとオルロワージュのことを教えてください。あの人のことを、私たちはもっと話し合うべきなんです。きっと

「そうか……そんなものか。こんなことは妾も生まれて初めてで、よくよく勝手がわからぬ。面白いものじゃな。“親”になるというのは」

 ふふ、と微笑を零した零姫を見て、こみ上げる感情にアセルスは困惑する。

 この感情は誰のものなのだろう、と思いながら。

 

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