冬樹イヴへの遺言   作:屍野郎

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忘れた頃に投稿します。


信用の天才

 遥か遠き記憶の夢。

 遠くの山々が霞み、やけに周囲が白くぼやけた学園の屋上で。

 

 昨夜には安らかに眠ることさえ出来ないほどに激しく雨が降っていたが、今の空はそんなことなどとうに忘れてしまったかのように青く晴れ渡っている。

 その燦々と降り注ぐ灼熱の太陽光の中に、私の探し人はいた。

 

「……朝から何やってるんですか、貴方は」

 

 フェンスに寄り掛かっている白いワイシャツを着た彼は、後ろ姿でもはっきり分かるぐらいに遠くを見つめていた。

 こんな暑い屋上で、だくだくと汗を垂れ流しながら、──白の細長い棒を持って。

 

「別に。ちょっと涼みに来ただけだよ」

「涼めるほどの風なんか吹いてませんが。あと、未成年の喫煙は禁止されています」

「ああ、これか? よく間違われるが、ココアシガレットなんだよなこれ」

「臭いし、先から煙が出ていますが」

「……」

 

 それで本気で私を騙せられると思ったのかどうかは分からないが、その時の彼は明らかに戸惑っているように感じられた。

 

 ほんとにこの人は何を考えているのだか。

 彼は先週からグリモワール学園の使者として海外の魔法学園へ赴いていたそうで、つい数時間前にここへ帰って来ることが出来たそうだ。

 服装が学園指定の制服でないのはきっとそのためだ。

 

 とても疲れているだろう、生徒会へ報告しなければならない事もたくさんあるだろう。

 そんな彼がどうしてこんな所で煙草なんかをふかしているのか。

 ……まあ、どうせ彼の事だから──

 

「なにか、嫌な事でもありましたか?」

「……どうしてお前はそこまで鋭いのかねえ」

 

 彼は一度ピクッと肩を跳ねさせた後、やれやれと観念するように振り返った。

 目の下に大きな隈が出来ている。

 その表情はどこかいつも以上に気怠そうで、憂鬱気で……生気がとても感じられない。

 もしかしたらこんな彼を見たのは初めてかもしれないと思うぐらいには、おかしな状態だった。

 

「こんな所で、ウジウジしててもどうしようもないことぐらい分かるんだがな……」

「そんなに酷いことなんですか」

「さあ、どうだろうな。酷いと言えばそうかもしれないが、俺の実力不足とも言える」

 

 ……珍しい。

 いつもは過剰なほどの確かな事実を好む彼であったが、今日はなんだか曖昧な物言いだ。

 いや、そもそも朝からこんな所で煙草をふかしている時点で、珍しいと言えば珍しかったのだ。

 

 普段見る限りは規則正しい生活を送っている彼にここまでさせる出来事──想像することもできないが、きっと日常で経験するようなちょっとやそっとの事でないのは分かった。

 

「私で良ければ、相談に乗りますが」

「……え?」

 

 自然と口を突いて出た言葉。

 

 しかしそれは、後で恥ずかしくなって枕に顔を埋めるような、そんな失言ではない。

 普段はこんなことを一切言わないから彼は驚いているのだろうが、私とて人間である。

 人の喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、そして悩みを解する心は持ち合わせている。

 

 それに彼は同じ委員会のメンバーで、曲りなりにも一応仕事仲間なのだ。

 いつまでもこんな調子でいられるのでは、私の方も気が滅入ってしまう。

 

 ……でも、なんだかそれ以上に。

 今まで以上に悩みに暮れている彼を放っておくことは、私の心が許さなかった。

 

「貴方がそこまで落ち込むのは、きっとよっぽどの事があったんでしょう。

 ちょっとでも良いですから、私に話してみたらどうですか?」

「でも、お前は無関係だし──」

「都合の悪い時に貴方はよく『無関係』という言葉を使います。

 ……頼れる人は全員頼れって教えてくれたのは、他でもない貴方じゃないですか」

「……いや、これは俺だけの問題でだな」

 

 まだ引き下がらないのか。

 そんな曖昧な受け答えしかしないで、しかもそれで人の好意を無下にしているのだから、なんだかこれで私の方が折れるというのも癪だ。

 

 それに、一度くらい。

 彼が私にやってみせたように、彼の心にかかった靄を私が払って見せたい。

 

「お願いですから、一人で悩みを背負い込まないでください。

 ……もっと私を頼ってくださいよ」

 

 そう、これは本心からの言葉。

 だから私は深く、曇りない目を彼に向ける事が出来る。

 そしてこの状態なら、最近教えて貰った必殺技(?)を使うことが出来る。

 

 ……ええと、確か若干顔を俯き加減にして、視線だけを上に向けるのだったか。

 

『あの人ならイヴ先輩の上目遣いでイチコロッス! ……え? 上目遣いのやり方知らないんスか。

 じゃあ、今から完璧に伝授するッス!』

 

 確か同じ風紀委員の服部梓がそう言っていた。

 彼女に教えられた事が本当だったなら、彼はどんな表情をするだろうか。

 気になった私は、彼相手にこんな色恋染みたことをする羞恥心と好奇心の葛藤に苛まされながら。

 ゆっくりと、鉄の様に重く感じる瞳をゆっくりと上へ向ける──

 

「……」

「……な、なんか言ってくださいよ」

「いや、なにが?」

「──っ! もういいです!」

「あっ、ちょ、冬樹!?」

 

 羞恥心が大勝利し、顔が夏の暑さに負けないぐらい熱くなったところで私はその場から駆け出した。

 後ろから彼の呼び止める声が聞こえてくるけど、正直今はそれどころではない。

 なんとしても逃げ出さなくては……これ以上あの場にいれば心臓が張り裂けてしまいそうだった。

 私は部屋に戻って落ち着きを取り戻す為に、全速力で階段を下りていく。

 

 ……と、そういえば忘れていた。

 

 彼は煙草を吸っていたのだった。

 身体をくるりと反転させて、進むことを躊躇する足を無理矢理動かしてまた来た道を戻っていく。

 

「……あ、あれ。どうした冬樹──」

 

 なんだか元気のない表情をしていた彼は、私が戻ってきたことに驚き目を剥いた。

 そんな油断だらけの彼の胸ポケットから私は素早く黄緑色の煙草ケースを抜き取る。

 ポケットに入っていた小さな筆箱からペンを取り出し、表紙に大きなバツ印を書いた。

 

「なにやってんの!?」

「これ以上もう吸わないでってことです。つまり禁煙してください」

「そんないきなりは無茶だよ!」

「……風紀委員の貴方なら、素行不良の生徒が一体どこに送られるかぐらい、分かるでしょう」

 

 ──素行不良な生徒が行き着く場所。

 

 魔法使いは見た目こそ普通の人達と同じ姿かたちをしているが、その本質は生まれながらにして特別な力を持つ異常な存在であると言っても過言ではない。

 魔法と言う強大な力に耐える為に身体はかなり丈夫だし、その分素手で振るう力は一般人のそれよりもかなり強い。

 

 そのような存在が正当な道を踏み外し、不良になったまま学園を卒業してしまったらどうなるか。

 そんな、火を見るより明らかなことが起こるのを防ぐために。

 彼の様な、未成年喫煙をするような人たちは例外なく矯正施設へと送られている。

 

 矯正施設……いや、あれはもう刑務所と呼んだ方が正しいのかもしれない。

 

「私は、貴方がそんなところに行くのは嫌です。

 今からでも遅くは無いはずです。絶対にそれで最後ですからね」

「……別に新しく買って、それにバツ印を付ければ良いだけなんだが」

「……私は信じてますから」

「──っ!」

 

 彼が息を呑むのが聞こえた途端、私は今度こそこの場の空気に耐えられなくなって脱兎のごとく階段へ逃げ出した。

 ……私は、勢いに任せてとんでもないことを言ってしまったようだ。

 嘘……ではない。本心なのだけれど、彼には絶対直接伝えないように心していた言葉の一つ。

 これを伝えてしまえば多分……次の日から顔を合わせずらくなるのは目に見えて分かっていたから。

 

「バカ……」

 

 結局相談に乗ってあげられず、挙句逃げ出してしまった私に対して呟いた一言。

 それは誰に聞かれるまでも無く、鬱陶しく建物内に反響する蝉の鳴き声に掻き回されて消えていった。

 

ーーー

 

 瞼越しに伝わる眩しい太陽光。

 いつの間にかそれに気が付いた私は、ゆっくりと重い目を開けてぐっと背伸びをする。

 目の前の机には空のマグカップとチョコレートの袋、そして起動しっぱなしのノートパソコンが置いてあった。

 

「……寝落ち、しちゃった」

 

 壁に掛けてある時計を見ると、今の時刻は朝の10時ちょっと。

 今日は休日で偶然委員会の仕事も無かったから良かったものの、平日だったなら大遅刻だ。

 

 ……遅刻

 そう言えば、私って今までに遅刻なんてしたこと無かったな。遅刻って、どんな感じなんだ──

 

「……違う」

 

 頬をぺちん、と叩いて変なことを考えている寝ぼけた頭を叩き起こす。

 そんなことを考えている暇はないのだ、私には。

 

 目をごしごしと擦って、傍らに置いてあった書類を手に取って目を通す。

 内容は先日学園内への侵入を試みていた共生派から得た情報である。

 ちなみに、彼のような大したことはしていないけれど、尋問官は私が担当した。

 

 尋問官、である。拷問官ではないのでここはしっかり区別しておかなくてはならない。

 

「でも、目立つ情報はあまりなかったなぁ……」

 

 得られた情報は、学園へ侵入しようとした目的、他の末端構成員数名の名前と本人の家族構成だけだ。

 構成員が少しでも分かれば、そこから芋づる式で無理矢理聞き出していけばいいと思うかもしれない。

 確かに、そう考えると私の抜き出した情報は結構大切だろう。

 だけど……私の目の前にあるパソコンが、それを知らないとでも言うだろうか。

 

「知らないわけ、ないよなぁ……」

 

 カタカタと名前を打ち込んで検索をかける。

 すると、案の定それに関連したファイルが当然のようにいくつも出てくる。

 どうやら彼は、私が抜き出した以上に彼等の情報を持っているらしかった。

 

「……はあ」

 

 なんだかひとりでにいたたまれない気分になって、思わず溜め息を吐いた。

 

 私は無気力なままに、ポスンと後ろのクッションへ倒れ込む。

 程よく使い慣らされた柔らかい感触。

 そして、クッションから放たれた彼の少し苦い臭いが私を優しく包み込む。

 良い匂いでは勿論ない。ないのだけれど……嫌、というわけでもなかった。

 

「また、このまま寝ちゃおうかな……」

 

 不思議と安心感が沸いてきたのだった。

 それがこのクッションからする臭いのせいであるという事に気付くのは簡単なことで、その事実だけで少しでも顔が熱くなった自分の浅ましさに呆れさえ感じる。

 身体の奥底で深く脈打つ鼓動とそれを阻止しようとする理性の狭間で、私は腕を投げ出してゆっくりと瞼を閉じる。

 

 私は想像以上に無力だったらしい。

 

 彼が消えてから数日経った今、私は彼から引き継いだ仕事と勉強の両立で日々を過ごしている。

 学業面に関してはこれまで通りの学習方法を続けていけば取り敢えずは大丈夫だろう。

 しかし問題は共生派に関する仕事だ。

 

 主な仕事内容は共生派の情報をかき集め、偶に学園へ侵入してくるテロリストから情報を吐き出させること、そしてそれらを厳重なロックを施したデータへ書き留めることだ。

 たったそれだけのこと。

 しかし私にとってはこれがとても厄介で、意図的に隠された情報をノーヒントでピンポイントに発掘することはとても難しかった。

 たとえば私が彼や双美さんのようにコンピューターに明るかったなら、この問題は簡単に解決できたのかもしれないけれど、現実はそうではない。

 

 結局のところ、私はこの仕事を受け持ってから何一つ新しい情報を迎える事が出来ていない。

 見つけられたとしても、それは既にデータに記録されたことのある既存の情報に過ぎなくて、それは私がこの件で何の力にもなれていないという事を思い知るには十分すぎるほどの冷たい事実だった。

 

「ほんと、嫌になっちゃうなぁ……」

 

 この仕事はあまりにも重すぎる。

 

 彼は私の事を信じてると言ってくれたけれど、それだけで任せていいような仕事では無かったのかもしれない。

 もっと個人の能力を見るべきだった。

 ただ信頼に値するというだけで私を選んだのは間違いだったのだ……。

 

 ……なんだか喉が渇いた。

 ずっと狭い部屋に籠っていても気分が窮屈になるだけだから、今日は少しお出掛けでもしてみよう。

 

ーーー

 

 今にも落ちてきそうな雲空の下、私の足は普段なら考えもしないような場所に向かっていた。

 

 考えもしないこと──つまりそれは、私とは直接的な関係が一切ないもので、こうしてわざわざそこへ行こうとしているのは、時間の無駄遣いが一番嫌いな私にしてはかなり異例な事だと思う。

 そうなのだろうけど、今の状態ではきっと真面に勉強することも出来ないだろうし、昼寝をしようにも先の無力感が尾を引いて眠らせてはくれないだろう。

 かといって休憩時間をずっと無気力に過ごすのは言語道断、私が許さない。

 

『気分が落ち着かない時は……』

 

 かつて彼が言った言葉を思い出した時、私の足はある部屋の前で止まった。

 中世ヨーロッパのようなスタイルの校舎が建っているこの魔法学園では、一際異色を放っているたった一つの部屋──作法室。

 

 気分が落ちぶれている時、また戦闘で血の滾りが収まらない時は茶の湯で冷ますに限る。

 私にはその感覚が分からないけれど、彼はクエストが終了する度にこの作法室へと足繁く通っていたらしい。

 なんの前触れもなく突然、ある日を境にしてそうなったそうだ。

 

 入り口は二層構造になってあって、格子の入った引き分け戸の先に松が描かれた襖が閉じている。

 格子の隙間から中を覗いてみると、既に靴が一足だけ置かれていた。

 私は吸い込まれるように戸を引き靴を脱いで襖の前に立つと、私は少し躊躇いがちに襖を開く。

 

 その先には、畳の上で凛とした表情で正座をしている白藤(しらふじ)香ノ葉(このは)がいた。

 その姿の遜色ない美しさに、私は思わず目を奪われて息を忘れてしまう。

 悠遠を偲ばせる数秒の後、先に口を開いたのは白藤の方だった。

 

「……やっぱり。来はると思うとったよ」

「何故、私が来ると」

「曇天やと良い気にはなれんからね。それにほら、今の時期イヴちゃんは余計に」

「……」

「まっ、細かい事は気にせんで。早うそこに座りんさい」

 

 まったく、彼と同じような会話に少し鬱陶しさを感じながら言われた通りに炉の脇へ腰を下ろす。

 穏やかに明るい部屋で、庭の池に弾かれた光が真っ白な障子にゆらぎ、桜木の影がまるで私達を呑み込もうとしているかのように映っている。

 視線を下ろすと、炉に丸い釜が置かれてあり、こつこつと心地よい音を立てながら湯を沸かしている。

 

 白藤が一礼し、点前は始まった。

 仕覆から茶入れを取り出し、茶入れと茶杓を帛紗で清める。

 釜の蓋を取ると控え目な湯気がふっくらと立ち上がった。

 柄杓で湯を抄い、茶碗に注いで茶筅を通す。

 湯を建水に戻して茶巾で茶碗を拭い、茶入れの茶を茶杓で抄い入れる。

 

 湯を注いで茶筅を振って濃茶を丁度良く練り上げた。

 満足したように少し口元を綻ばせた白藤は、炉の脇に正座していた私の前に茶碗を差し出してにこりと微笑む。

 本当に、この人の考えている事は掴み辛い。

 

 掴み辛いからこそ、掴んでみせたいと楽しくなれるのだが。

 

 両手に収まりきるほどの黒い茶碗を取り、中を覗くと新葉のように美しい緑色の茶が完成されていた。

 私はそれをゆっくりと口へ含む。

 

「……おいしい」

「おおきに。ウチも茶道始めて結構経つからね」

 

 茶の味にうっとりしていた私は、白藤の声で現実に引き戻されたかのような錯覚に陥った。

 見上げると、彼女はふわりと笑っている。

 

「それで。わざわざここまで来やはったって事は、何や話したいことがあるんやろ?」

「……はい。彼のことで、少し」

 

 まるで全てを見通しているかのような白藤を前に、私は頷く事しか出来なかった。

 それに、不覚にも彼女になら悩みを相談してしまってもいいかもしれないと思ってしまった。

 だから私は、他言無用を言い渡されていた事以外を包み隠さず話した。

 彼がいなくなってからあまり眠れなくなったこと。

 そして、彼から任されたとある仕事がなかなかうまくいかないこと。

 

「なるほどね……。でも、あの人はずっとイヴちゃんの傍におったんやろ? やったら、イヴちゃんに出来んような仕事を任せるやろうか?」

「……あの人は私の事を高く見過ぎてたんです。背後に浮かぶ大きな虚像を見て、それを私だと錯覚しているだけなんです」

「ウチはそう思えんけどなあ」

 

 余裕そうな笑顔でそう言う白藤の目を見て、思わず苛立った。

 この人が、一体彼の何を知っているというのだろう──。

 

「……そないに睨みつけへんで。ウチかておんなじ学園生やし、あの人とはちびっとだけ交流があるんよ」

「……すみません」

「気にせんで。それに、どうせこれはただの勘やから」

 

 どうやら気持ちが外に出てしまっていたらしかった。

 いけない……彼のことになると、いつもは出来ていたことが途端にできなくなってしまう。

 相変わらずの依存具合に、複雑な気分ではあるけれど思わず苦笑いしてしまう。

 

 ──そういえば、とやけに冴えた思考が一つの情報をはじき出した。

 彼は確か頻繁に作法室へ通っていたのだ。

 だったら彼とこの白藤香ノ葉と仲がよくても、何もおかしくはないではないか。

 まったく、私としたことが不覚だった。

 こんな簡単なことにもっと早く気付いてさえいれば、人を睨みつけるなんてことはしなかったのに。

 

 ……どうして気付けなかったかは、言うまでもない。

 

「彼がいなくなってから、私は想像以上に彼の事を好きだったんだと気付きました。だからその分依存してしまっていた……」

「……」

「どうして彼なんでしょう。どうして彼が、犠牲にならなくてはいけなかったんでしょう。もっと世界は広いのに、標的はたくさんいるのに……どうして寄りにも依って彼が──」

 

 そこまで言いかけて。

 私は咄嗟に口を閉じて、その生まれかけた恐ろしい思考を外に漏らさないよう努めた。

 

 ──彼は世界を救う魔法使いになることを夢見ていた。

 過去の私からすればそれが如何に子供らしく、実現するにはどれだけ大変かを考えるといつも馬鹿らしかったが、今考えればそれはとても愚かだった。

 彼は、自らの命を犠牲にして世界を救おうとしていたのだから。

 命を投げ捨てる事をも厭わない私ではないから、彼の夢をどうこう言う資格は微塵も無いのだ。

 だから私は、彼に文句を言うのではなく限りなく近い理解者であろうと決意した。

 

 そんな私が、彼ではなく他の人が犠牲になれば良かった──そんな事を言うのは彼の夢、つまり人生を否定する最悪な裏切り行為に他ならない。

 だから私は全力で吐きかけた呪詛を腹の底へ押し込んだ。

 

「イヴちゃん……」

「わ、私は……私は……」

「ううん、なんも言わんでいい。イヴちゃんはもうなんも気にせんでいい。

 ──だからこれから話すのは、ただのウチの独り言」

 

 そう前置きして。

 白藤が改めて背筋を伸ばし、蕩けた笑顔を整える。

 

「……あの人からは言うなて厳重注意されとったんやけど、実はある秘密を持っとんよ。

 ウチには分からんけど……でも、知っとる人は分かる」

 

 そう、これは独り言。

 だから私は、こうして目の前で彼との約束を破ろうとしている人がいても注意することは出来ないし、仕方がない。

 彼から厳重注意される程の秘密──それを間接的にだが暴露してもらおうとする罪悪感をひしひしと感じる中、私は期待の織り交じった視線を白藤へ送る。

 

「その人の名前は──」

 

 訪れる静寂、緊張、そして恐怖。

 全ての時が止まったような空間に私と白藤のただ二人。

 存在を共有しているような感覚の中、白藤は重そうに口を開く。

 

「……アイラ。東雲アイラ。彼女なら、あの人の秘密を知っとる」

 

 予想通り──しかし、そうであってほしくなかった人の名前が挙がった。

 東雲アイラ……彼女が握る秘密に、碌なことは無いと決まっているからだ。

 

 私は悩みを打ち明けて心が透き通るような感覚を覚えながらも、同時に新たな問題に頭を悩ませながら作法室を後にした。


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