冬樹イヴへの遺言 作:屍野郎
遅かれ早かれ、この世界は全てが終わる。
目の前の惨状を目の当たりにすると、『形あるものは必ずいつかは壊れてしまう』と誰かが言っていたのを思い出したが、本当にその通りだなと他人事ながら思ってしまった。
この世界の皆はそれを理解している。そして大規模侵攻に敗れたあの日、彼等は来る終焉へ覚悟を決めた。
ただこんな、誰も救われることの無い終わりを望んでいる者が果たしているのか。
よっぽどの気狂いならまだしも、誰一人としてそんな奴はいないはずだ。
そして俺は魔法使いである。
人々の望む未来を率先して切り開いて行き、道標となる義務がある。
だからこそ。
もう無意味なことだと知っていても、俺達魔法使いはこの世界で魔物に抗い続ける。
「魔物が2体そっちに行きました!」
「任せろ」
喉が潰れ、嗄れ声は迫り来る魔物達の轟音に捻り潰される。
包帯を巻いた頭が痛い。視界がぼやける。喉が焼けるように熱い。
身体は既に悲鳴を上げている。……だが、一体それがどうしたというのか。
命のやり取りをする場で、そんな事に頭を使っている暇はない。
ただ単純に、どうすれば魔物を効率良く殺す事が出来るか──ただそれだけに思考を費やす。
腰に携えた使い込まれていない刀に手を重ね、ゆっくりと瞼を閉じて意識の海へ沈む。
ふっと耳を塞がれたかのように外界の一切合切の音が消え、ただ残ったのは己の存在証明たる鼓動と冴え渡る思考のみ。
焦ることは無い。
この世界で一睡もせずに戦いへ身を投じ続け数日。
たかがタイコンデロガの2体程度、取るに足らない。
──瞼越しにでも伝わる、猛烈な速さで迫り来る魔物共の気配。
まだ、まだだ。まだ刀を振るうに絶好ではない。少し待ち、そして──
「──うらああぁぁぁぁっ……!!」
俺は瞼を開けて鞘から刀を引き抜き、思い切り横薙ぎに振り払った。
──それはかつて、盟友であった少女が雷光の一閃と評した剣技。
刀に這わせた魔力は振り払った際の衝撃波を増幅させて青白く発光し、稲妻のように光線を描く美しい色彩でありながら、それは例外なく魔物の命を刈り取っていく。
その一撃を受けた魔物達は悉く霧散した。いや、この表現は間違いか。
散ってはいない、消えた。
身体の維持が不可能になった魔物達は、霧へ戻ること無く空間の彼方へと消え去る。
俺は、魔物の
ただその方法を誰かに伝える事はついぞ叶わず。
結局はこうして、一人でちまちまと一体ずつ魔物を殺していくほかに霧を消す方法はない。
「グガアァアアァァ──ッッ!!」
後ろからの咆哮が鼓膜を突き破らんと暴れまわる。
見なくても分かる。距離は約2メートル。猛スピードで俺に突進してきているのだろうか。
並の人間ならこの時点でどうしようもない現実を前に死を覚悟する。
これに対処できるのはせいぜい戦いに身を投じ続けた戦闘狂ぐらいだろう。俺は戦闘狂でこそ無かったが、同時に魔物の殺し方を知るために生憎人間でも無かった。
「遅い」
刀の切っ先を真後ろへ向ける。
身体をぎしぎしと軋ませる重圧と衝撃が刀を伝って手首に流れた瞬間、背負い投げの要領で刀に刺さったままの魔物を俺の目の前に叩きつけた。そうして狼狽している内にショルダー内のナイフを握って首を掻き切り止めを刺す。
これは作業であり、ただの一方的虐殺に過ぎない。
本来魔物討伐はこうあるべきだ。魔物という畜生を殺す為にわざわざ人様の命を要求するのもおかしな話だろう。……でも、この考えこそが俺がどう頑張っても人たらないことの表れであり。
何度破壊しても、溶かしても、焼き尽くしても。
しばらくすればまた心の中に舞い戻って来るこれは、まさしく呪いに他ならなかった。
──前方の遥か彼方。
大きな魔物群が俺の方へ向かって駆けている。
瞼を閉じた。視えるのは、慌ただしく走る魔物の黒い影。
目測、約560メートル。規模は数十体程度。全て、タイコンデロガ級。
奴らが来る事は、既に予測していた。
俺は、右手で持っていた刀の柄を両手で強く握り直す。
刀が震えている。どうしたのかと視線を腕に落とすと、ああ、なるほどとすぐに納得した。
ボロボロの袖の中から赤く粘着性のある鮮血が滴り落ちている。まるで、あの時のように。
多分、どこかのタイミングで魔物から受けた攻撃を掠り傷と判断して放置していたからだと思う──ぼたぼたという音が聞こえるくらいの出血量は、明らかに戦闘が続行できるそれを超えていた。
さて、どうしたものか。
目の前には本能のままに俺を殺そうと向かってきている強力な魔物達。
後ろには何も無いし、逃げようと思えば逃げられるが、そうなった場合どこかで逃げ延びた誰かに甚大な被害を及ぼすことになるかもしれない。
なら、戦うしかない。魔法使いの本懐は人類の希望だ。
──俺は。
刀を下げて、一度深く深呼吸をする。
左手を落ちてきそうな暗雲立ち込める虚空へ向け、大地を風のように砂埃が駆けた。
なんてことはない。これも、ただ魔法使いとして魔物を殺すことに他ならない。
「《霧よ》……」
──瞬間。
俺の周りから、一切の動きが遮断される。
音、風、臭い、振動、そして果てには時間さえも。
全ての動きを止められた魔物達は、まるで置物のようにその場で立ち尽くしている。
「《集えよ集え・虚無より帰還し終焉の鐘を鳴らせ》」
その詩は魂の叫びであり、そして神への冒涜でもあった。
突き出した左腕を中心に鼠色をした靄がかかる。それは辺りに散漫していた霧を磁石のように寄せ付け、比例して身体がどんどん軽くなってゆく。
出血も既に止まっていた。左腕に纏わりついていた霧も全て消えている。
いや、これは消えたんじゃない。
まるで血管を湧水が通っているかのような感覚が、それを証明づけている。
詠唱を終えたその時、ここに全ての英霊達への叛逆は完成する。
「《
刹那。
身体中を巡る血が。大気から吸い込む酸素が。涙が。まるで熱く煮え滾る溶岩のように身体の内側から殴りつけてくる。
熱い。痛い。神経が焼き切れてしまいそうな耐え難い苦痛。
同時に足の指先から頭の旋毛に至るまで全ての感覚が精細に澄み渡り、自分の鼓動がいつもよりも近く聞こえる。
これまで経験した中で二度と味わうことは無いと思っていた生き地獄にいながら、身体は天使の羽に包まれたかのように軽やかで、そしてどうしようもなく湧き上がる剛力は──まさしく俺が人足りえない何よりもの証だった。
「あ、ぁ……だから、これは嫌なんだよ……っ!」
ドンッ! 後方から突如砂嵐が巻き起こり、足元の瓦礫が炸裂した爆音と共に黒雲へと吸い込まれて行く。
視界を様々な遺物が凄まじい速度で駆け抜けていく。一つ地面を蹴っただけで、身体はまるで弾かれたように魔物達へと豪速で発射した。
──空中で刀を振りかぶる俺と、先頭を進んでいた魔物の目が合ったのは一瞬の後だった。
一つ。目の前の魔物の頸へ切先を突き立て、一切の猶予無しに切り裂く。
この衝撃波で、後ろにいた二体が千切れながら後方へ吹き飛ぶ。
二つ。切り裂いた魔物の身体を蹴り付け跳躍し、一体へ兜割りを喰らわし体を縦に両断する。
刀を左右に薙ぎ視界を晴らすと、奥から更に大軍勢が押し寄せているのが見えた。
あいつらとの距離はまだ十分にある。──なら、あれでいいだろう。
腰を落とし、空気の流れに身体を任せて肩の力を抜く。
目標はただ一点、地平線の遥か彼方へ向けて。
右足で地面がめり込むほど強く踏み込み、腰を捻らせて全身の骨を軋ませながら刀を思い切り横薙ぎに斬った。
──その刃風は、後方から前方へと駆け抜ける一吹きの烈風だった。
先程のものとは比べ物にはならない絶技。一人としてこの技を見た人がいないから客観的な私見は得られないが、少なくともこれを喰らって真面に生きていける人間がいるとは思わない。
ましてや、魔物など──。
迫る異変に気付いた時には、既に彼等はそれの中に身を呑み込まれていた。
彼等を中心にして、同心円状に広がる球体の絶風。
辺り一帯の地面を抉り、遥か上空へ舞い上がった石は降り注ぐ弾丸のように固い地面へめり込んでいく。
当然その渦中にいる魔物共が無事であるはずが無い。
一定範囲内で様々なベクトルを秘めた幾つもの風が、まるで意思を持ったように白い光線をなぞりながら飛び交い、そうして気まぐれに魔物の身体へ体当たりをすると、その細い線に合わない程の巨大な範囲を抉り取り、通り過ぎた後、その部位からは気味の悪い霧が立ち上るばかりで何も残ってはいなかった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!────」
最早絶叫に近いそれは、遠くにいる俺の鼓膜を槍のように何度も突き刺す。
だがそれも、やがてこの位置からも土を吸い上げていた暴風は鳴りを潜めて絶風の層が一際大きく縮小し爆発すると同時に、暗雲立ち込める空へと消えていった。
辺りを見回す。
何もない。ただ、倒壊したビル群がやけに大きく視界に入った。
それだけだ。まるで先程までの乱戦が一夜の夢であったかのように、常に吹き続ける埃っぽい悪風が肌を撫でるばかりだ。
「終わりましたか」
「……ああ。全滅だ」
「ウチも殲滅かんりょーです」
声のした方向へ振り返ると、まるで土を頭から被ったように土塗れの水無月が無傷で立っていた。いくら相手取った数が少なかったとはいえ、あれは見ただけでもタイコンデロガ級に近い、もしくはそれに匹敵するほどの強さを有していたことに間違いはない。
その上で彼女が今、肩で息をしている程度で大した疲労も見せず、負傷を負わずに撃退してみせたのは流石と言わざるをえないだろう。
裏世界と表世界では、事情が違うのだから。
「アンタさんは、つえーですね」
「それは……能力を使ったからだ」
「ちげーます。能力を使っていなくても、です」
「それは知らん。適当に刀振ってたら学園4位になってた」
「アンタさん以上が残り3人もいるんですか……」
水無月は苦そうな表情をして頬を掻いた。それは、入学したての新入生へ案内役の俺が同じ事実を突きつけた時の表情ととても似ていた。
己惚れるつもりはないが、確かに俺以上の実力者が3人もいる、そして世界規模で見ればもっといるとなると、流石に魔物側でも嫌気が差すだろう。
「新入生、ですか」
「ああ。学園上位者で一番取っ付きやすい俺によく魔導書の質問をしてきてたやつだ」
「そんなにべんきょーが好きな人なんですか?」
「あいつは勉強が好きというよりかは、何よりも負けず嫌いなんだ」
確かにあいつは覚えも良いし何より努力家だが、その分自己分析へかける時間が極端に少ないのも事実だった。
最初は『家族に負担をかけさせない』為に優等生として生活していたが、いつの間にかそれが『他の人に負けない』為に優等生として生活するという、目的が全く違う物へとすり替わっていたのだった。
一番初めにそれに気づいたのが俺で彼女にそれを指摘したが、当の本人はそれをきっぱり否定し挙句の果てには俺を奇人扱いしてきた。
「あいつは、自分が負けず嫌いだっていう自覚が無いんだ。可愛いだろ?」
「可愛いってことは、女の子です?」
「ああ。どこに出しても恥ずかしくない、自慢の後輩だ──」
俺はその後、数十分間に渡ってその後輩との出来事を水無月へ語った。
学園を揺るがした大功績を収めた話に始まり、ある初夏に起きた制服の悲劇『チョコアイスの乱』、図らずも読書好きのみが同じ時間に図書館へ集ってしまった『魔導書討論会』、何が原因なのか未だに判明していない『歯ブラシ取り違え事件』、『黄リンジュース事件』等、全て挙げようと思えば何度日が暮れるかも分からないそれらを、出来る限り美味しい所を摘みとって話す。
それを水無月は、頷き、時折相槌を打ちながら笑顔で聞いていた。
全てを話し終わった頃には、南向きに吹いていた風が北向きに振り返っていた。
「……すまん。つい話し込んでしまった」
「いや、いーんです。どうせこの後もすることは特にありませんし」
そうは言うが、思い返してみれば話している最中にどこか上の空で、なにか思考の海に仰向けで漂っているように虚ろな目をすることが一度だけあった。
力なく空を見上げていたその瞳は、しかし蓋を開けてみると膨大な情報と、それらを統合しようとする大渦が渦巻いているのかもしれなかった。
「それに……」
「……?」
「久しぶりに楽しー話が聞けて、ウチもうれしーですから」
そうして水無月は、顎を撫でられる猫のように目を細めてふわりと微笑んだ。
俺と彼女の間に風が吹く。それはこの世界では珍しく精神を犯すような鬱屈とする淀みが感じられず、一体今まで世界のどこを巡っていたのか不思議に思うくらいに清純で、爽やかな涼風。
思わず風の後を目で追った。風は、まるで俺達の居場所もただの通過点に過ぎないと主張するように、どこに向かうかも知らないが振り向きもせずに颯爽と駆け抜けていった。
「……すげーですね。この世界にも、まだあんなに綺麗なモノが残ってたなんて」
「ああ。案外この世界もまだ生きているのかもしれないな」
水無月は、ふっと感情の消えた表情で空を見上げた。
「霧はじゅーぶん足りてますか」
「ああ、問題ない。これだけあれば、どこにだって行ける」
眼下には、若干黒がかった白い霧が車一台ぐらいは入る巨大な円の中で蠢いている。
その濃さは外から円の中の地面を見透かすことが出来ないほどで、少なくとも水無月のような人間があの中に入れば霧に侵されてしまう事は必然だ。
だが、俺は今その毒を欲している。
絶えず増幅し、そして収縮する霧を睨む。
「協力、助かった」
「れーには及びません。困った時はお互いさまです」
水無月がそう言ったのを確り聞いてから、俺は円の中へと足を踏み入れる。
中心に立つと、足元で蠢く霧が歓迎の宴を披露しているように見えた。
靴の隙間から入り込み、靴下の繊維の間を潜り抜けて地肌に纏わり付いてくる。
水無月は俺を少し離れた位置から眺めていた。
霧の加護を得ていない今では、表情を見ることさえ叶わないが。
「水無月」
「はい……っと」
ポケットから取り出した物を円の外へ放り投げると、丁度水無月の掌に着地した。
水無月は数度掌の物と俺の方を交互に見た後口を開いた。
「これ、いーんですか?」
「ああ。俺からのちょっとした贈り物だ」
霧に少し意識を割いて念ずると、周囲の霧はもくもくと波を形成しながら中心へと集まって来る。
「魔法使いは、決して人を見捨てない。それは同胞であっても違わない」
やがて霧は更に濃度を増し、内部で何かが紫色にパチパチと雷のごとく縦横無尽に駆けている。
「すぐに向こうの世界で事を終わらせてこっちに戻る。困った時はお互いさまだ」
「あ……」
「希望を捨てるな。いいか、お前は……お前等は絶対に俺が救い出す。
いなくなるのはほんの少しの時間だ。だから、待っててくれないか」
これが、俺が裏世界で出した答え。
この世界が、生命が過ごせるような大地であったことは未だ人々の記憶に強く刻まれているが、それは今や果てしなく遠いものとなってしまった。
地上を我が物顔で闊歩する憎しき魔物達、大都市を一瞬にして木端微塵にしてみせた超大型の魔物、そうしてそれらに抵抗する術もなく、ただ強大な力の嵐に晒されるだけの日々。
そんな、絶望という概念が姿を変えたような世界であっても俺は──
「……待ってますね」
刹那、視界が何も見えない真っ白な空間へとシフトした。
去り際に聞いた水無月の声は、今まで聞いた中で一番穏やかで安らぎのあるものだった。
ーーー
ある日の夜半、生徒達は全員寮へと帰り各々の生活に戻っており、校舎内を歩くには窓から射す月明りのみが頼りだった。
そんな中、学園内でただ一室。
生徒会室のみが、カーテン越しに窓から外の石畳を明るく照らしていた。
蛍光灯の下、たった二人が椅子に座って机越しに向かい合っている。
片や学園最強にして生徒の長たる武田虎千代、そしてもう一人はこの学園と魔法の最先端を征く『魔法科学研究所』とパイプを持つ天才少女、
二人の間には、まるで深海の冷たい水の入った暗い色の大水槽があるようだった。
この状況を外から見れたなら、たとえ誰であっても今の生徒会室に入りたいとは思わないだろう。
「……最近、魔物達に異常な動きがあった事を考慮すると十分に考えられるな」
重々しく口を開いた虎千代が話した以上とは、ここ最近魔物が市内、それもほぼ中心地に近い辺りに出没し始めていたことだ。
それだけでなく、出没頻度が増えた上に普通個体よりも強力な魔物──タイコンデロガ級が顔を見せていたことが、日々魔物に対抗する為の知識を身に付けている魔法使いたちのフィルターにかかった。
それらを総合的に分析しデータを統合した結果──。
「状況は、この結論に至った判断材料のどれをとっても以前発生した第六次侵攻の直前と酷似しているわ」
「それでは……」
「ええ。第七次侵攻が始まるわ」