冬樹イヴへの遺言   作:屍野郎

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待たせたな!
だけど文字数は最低です。本当にすみません。なんでもします。


思推

 うっすらと映るのは、瞼を流れる真っ赤な血。

 鼻孔を擽るのは、慣れ親しんだ湿った土の香り。

 小鳥の囀りと木々の騒めきが俺の耳をさらりと撫でた。

 

「ここは……」

 

 背中から伝わる地面の冷たい感触を受け止めながら、俺は手探りで辺りを調べる。

 程なくして、右手の指先に固い何かがぶつかった。

 それは刀だった。両手で形状を把握していると、鞘の部分に燕子花の紋が刻まれているのが分かった。

 つまりこの刀は俺の物だ。

 

 暗闇に慣れた目を日光に慣れさせると、ゆっくりと恐る恐る瞼を開ける。

 視界に入ったのは、風に靡く木々の葉、そしてその隙間から覗く澄み渡った青空と太陽だった。

 空気が純粋で太陽から降り注ぐ光はこれまでにないほど澄んでいるように感じる。

 今全身で感じている環境は全て……あの世界では二度と味わうことの出来ない代物だった。

 

「転移、できたのか」

 

 状況を鑑みるに、俺は裏世界から表世界へと転移することが出来た様だ。

 突発的に空間の裂け目が出現し、そこから溢れ出た霧に巻き込まれて別世界へと転移した際は、お互いの時間軸が同じであるとは限らない。

 今回俺が転移した裏世界は、俺が自殺し魔物の侵攻を食い止める事が出来なかった、言わば表世界の未来に値する時間軸であったことがその最たる例だろう。

 

「……さて。行くか」

 

 立ち上がり、コートに付いた土を払って緩んでいた左腕の包帯を巻き直す。

 刀を腰に差してステップを踏むように木の枝を飛び回り、木の頂点に立った。

 目を凝らして辺りを見回すと、気が遠くなるような遠さの所に一際目立つ大都市が形成されてるのが見えた。

 どうやら霧は俺の味方をしてくれたようで、その特徴的な外観のビル群は風飛市に他ならなかった。

 

 破裂しそうなほどに激しく脈打つ心臓を抑えながら木を降りる。

 あの時俺が身代わりとなった友人達は無事だろうか、あのタイコンデロガ級の大群は街へ向かっていないだろうか……そんな心配よりも、俺の脳裏に浮かぶのはただ一人の少女だ。

 誰もいない図書館、沈黙が鎮座し見上げる程に高い本棚が荘厳な雰囲気を醸す中、それらの中心に君臨し過去の偉人たちの智慧と意志の込められた一騎当千の本達を一斉に従える図書室の女王。

 

 ──冬樹イヴ。

 あいつは、イヴは。突然遺言を残していなくなった俺の事をどう思っているだろうか。

 今すぐにでもイヴに会いたい。沢山話して、沢山謝って、そして沢山笑って泣きたい。

 

「……」

 

 だが、まだその時ではない。

 俺はイヴを愛している。そしてイヴも俺を愛していると言ってくれた。

 だがイヴに会う前に、俺はやらなければならないことがある。

 ──第七次侵攻。

 恐らく、今回の大規模侵攻は歴代の中でも指折りのレベルで危険なものとなるだろう。

 それが意味することは、つまり戦死者が出やすくなるということに他ならない。

 それは俺かもしれないし、そうでないかもしれない。

 だからこそ俺はイヴに会う事が出来ないし、何よりそれは俺が許さない。

 

 絶体絶命の窮地から生き残った愛する者が、自分の手の届く所で死ぬことほど絶望的で厭世的になることはないからだ。

 

 

 

 

 山を下りて街を抜けるのにそう苦労はなかった。

 ただ服装があまりに乱れていたから、多少人目をひいてしまった自覚はある。

 しかし次の大規模侵攻まで俺の身が割れなければ良いだけの話。気にするだけ無駄だろう。

 

 

 

 

 端末で確認した日程と時間帯を照らし合わせ、現時点で風紀委員による見回りの行われていない裏山を通って学園内へと侵入する。一応学園生ではあるから侵入というのもおかしいが。

 道中、闘技場の横を通り過ぎる際に多数の生徒による大声が聞こえてきた。恐らくなにかのイベントでもやっているのだろうか、それなら俺としては好都合だ。目的地に行くまでに目撃される可能性が減る。

 とはいっても完全に気を緩めるわけにはいかない。時折数人の見回りが巡回している姿を見かけた。

 その中に水無月委員長の姿もあり、しかし学園入学時に精鋭部隊に仕込まれた隠密行動の前に鬼の風紀委員長という異名を持つ彼女も無力であった。

 

 俺は通り過ぎていく見回りを横目に見ながら、そうして目の前の巨大な建造物へ目を向けた。

 なんてことはないただの授業棟である。しかしその屋上──大空にて無限に光を生成し続ける太陽を背景に佇む少女を俺は確りと認めた。

 霧の恩恵を受けた眼は、遠く離れた少女の髪が風に揺らぐのさえも僅かな隙も無く視えた。

 真銀を梳いたような美しい銀髪は人々を悉く魅了し、ぱきっと折れてしまいそうな華奢な身体は、彼女の身体の何倍もの大きさの象をも踏み潰してしまえる様な圧倒的存在感を秘めている。

 血渦の瞳が映すは、諸人の知られざる悲愴の真実。

 

 少女──東雲アイラは、俺の瞳を覗き返すと可愛らしく微笑んだ。

 

ーーー

 

 屋上の扉を勢いよく開けると、壁にもたれ掛ったアイラと目が合った。彼女と俺の間を骨に染みる冷たい風が横切った。

 

「長い裏世界旅行はどうじゃったかえ?」

「人類の敗北は御伽噺であったとしても最悪だ。ましてそれを目の当たりにするのはいつになっても慣れない」

「そうか……辛かったじゃろう、あとで妾の部屋に来い。温かい紅茶を淹れてやろう」

 

 そう言って東雲は俺から視線を外し、そそくさと扉へ向かって歩き始めた。

 太陽は俺達を暖かく照らしているが、それにしてはこの場が寒すぎる気がした。

 あの微笑みは、瞳は。ただ俺が帰って来たのを祝福してくれているだけでは無かった。

 隠されたもう一つの感情は、怒り。

 

「待て」

 

 呼び止める。アイラは足を止める。

 鉛のように冷たく重い沈黙、風に流れていく生徒達の遠い歓声。

 

「……何回使ったんじゃ」

「……」

「お主は何度、あの魔法を使ったんじゃ」

「……何度も。数える事すら馬鹿らしかった」

 

 アイラは深く溜め息を吐いて、ゆっくりと俺に振り返る。

 ──深紅の瞳を僅かに潤わせて。

 

「言ったであろう? あれは……連続で使う事を想定していない。それによる危険性も重々説明したはずじゃ。忘れている訳ではあるまい?」

「ああ。忘れるはずが無い」

「じゃったら何故……」

「見捨てる事が出来なかった。住んでいる世界が違うとはいえ、来るかも分からない明日の為に必死に抗う同胞を見殺しにするぐらいなら、死んだ方がマシに思えた」

 

 あの時の水無月の笑顔は、きっと俺なんかでは真似する事なんて叶わない。

 きっとこの思いは、入学当初の俺なんかでは手に入れる事はできなかっただろう。

 絶望に打ちひしがれながらもひたすらに使命をこなし続ける事の苦しさを、真から理解できる人間なんてそうはいないのだから。

 花畑に咲く花は綺麗だが、荒野に咲く一輪の花は溜め息が出るほどに強く美しい。

 

「魔法使いの使命は、人類を魔物から救い出すこと。だが魔法使いだって同じ人間だ。だから助けた。俺の身がどうなろうとも、彼女だけは救い出してみせようと、そう思った」

「お主は己を軽視しすぎなんじゃ……この馬鹿……っ」

 

 拳を強く握りしめて下を向くアイラに俺は近付き、そっと抱きしめた。そうしてアイラは俺の胸の内でひそひそと必死に声を堪えながら静かに泣いた。

 俺はそんなアイラに、ただただ謝罪を壊れたラジオのように繰り返す事しか出来なかった。

 

 しばらくしてひと段落着いた後、俺達はアイラの部屋に移動してゆっくりと紅茶で五臓六腑を温める。時計の針はチクタクと規則正しく鳴いている。

 泣き疲れたのか、アイラの小さな寝息が耳の間近で囁く。

 

「馬鹿、か」

 

 あの時に言われた言葉を脳の中で反芻する。いつもなら気にも留めない言葉が、今では痛く心に刺さってそれでいて未だに抜けないでいる。

 俺は魔法使いだ。強大な力を持っているし、魔物と真面に渡り合える人類の希望に含まれる一人だ。

 魔法使いの大義は人類を導く事だ。救う事だ。だが俺はその本質を見誤っていた。

 彼等には、俺が彼等と同じ人間に見えている。それは俺の身体の異常性を知っているアイラも例外では無かった。

 他でもない自分自身も、この大義の対象に含まれていた。

 他人を救い導いたとしても己を疎かにするようでは、真の魔法使いとは到底言えないだろう。

 

「ありがとうな、アイラ」

 

 こたつに突っ伏すアイラの頭を撫でる。

 少しだけ、アイラの頬が緩んだ気がした。

 

ーーー

 

 昼に行われた競技祭の余熱が残るその日の夜。

 今日は久しぶりに早いうちに布団に潜ってしまおうと思っていた私を呼び止めたのは、驚くべきことに武田会長本人だった。彼女に連れられて生徒会室へ入ると、そこには精鋭部隊の面々と宍戸結希、そして水無月風紀委員長が既に集まっていた。

 

「これでひとまずは揃ったな」

 

 会長は部屋を見渡して私達の顔を確認すると、まるで大いなる決断を迫られたように深く目を瞑り、そして開眼する。

 

「始まるぞ……──第七次侵攻が」

「っ!」

 

 第七次侵攻。

 かつて地球を6度襲った大規模侵攻は、例外なくどれもが人類へ多大な損害を与え、霧はそうして人類の生存圏をじわじわとゆっくり、しかし着実に覆って行った。

 前回の第六次侵攻では北海道が魔物によって占領され、今では北海道は人の立ち入ることの出来ない魔物にとっての桃源郷と化している。

 そんな侵攻が再びやってくる。命の保証は、無い。

 

「正確な場所と日時は」

「まだ分からないわ。ただ、発生状況からして人里では発生しにくいと考えられるわ。日時は……今すぐにではないけれど、あまり猶予は残されていないわ」

「そうか、情報提供感謝する。それで、私達の配置は」

「精鋭部隊の皆には前線近くで戦ってもらう。基本は国軍の討ち漏らした魔物を掃討してもらうことになるが……」

「今回の侵攻は今までと比べて更に大規模になると見てるから、事実上国軍と一緒に戦ってもらうことになると思うわ」

 

 一般生徒が大規模侵攻の中心で戦闘に参加すれば、あまりに強くそして多い魔物の群れに圧倒されて、あっという間に跡形もなく消されてしまうだろう。精鋭部隊は、そんな生徒達とは一線を画す戦闘力をその身に秘めたエリート集団。

 彼女達はさも当然といったように返事をすると、武田会長は今度は私達に視線を向けてきた。

 

「それで、私等はどーすればいーんですかね」

「風紀委員は学園内に残り、万が一に備えて常に戦闘態勢を整えて貰いたい。魔物が発生するのは何も侵攻の中心地だけだいうわけではないだろう」

「つまり会長は、学園内に魔物が発生する可能性もあると?」

「そうだ。これまでにない規模の侵攻……なにが起きてもおかしくはない」

 

 会長は棚に入れてあったファイルから学園の構内地図を取り出して机に広げる。

 

「これが私達で考えた当日の人員配置位置だ。何か不都合があれば変えてもいいが、その際は生徒会に報告するようにしてくれ」

「わかりました。風紀委員にはそれだけですか?」

「いや……冬樹」

 

 地図に目を配って私の配置位置を確認していたところ、急に名前を呼ばれて強く胸を殴られたような思いがした。咄嗟に視線を上げて会長の目を見た。

 ──強い目。まるで周囲の明かりにさえ一緒になるのを拒むような、そんな際立ち。

 この人は、一体何を言おうとしているんだろう。そんな物々しい雰囲気で、私をどうしようというのだろうか。

 

「……はい」

「お前には……──水無月と共に()の捜索を行って欲しい」

「……え? 今、なんて──」

「今回の侵攻、ただ自然の成り行きでそこまで大規模になるとは考えられないの。東雲アイラから聞いた話だと、あの魔法を使って霧を濃縮し、空間を歪ませて裏世界に行く際に多量の霧がその歪みを通過する、とのことよ」

「つ、つまり彼は──」

「もう既に帰って来ているかもしれない。もしこれが事実だとしたら、彼が必ず姿を現す場所は……貴女なら分かるでしょう?」

 

 ──私は、彼が自分の問題に他人を巻き込んだことを一度たりとも見た事が無かった。

 

 それを初めて目の当たりにしたのはあの遺言だけれど、でもそれは、魔物との共生という夢物語の為に犠牲になった罪無き人々への鎮魂とも言える数多の情報群が過去の遺物となる事は望んでも、歴史の外へ連れて行かれることは許さないという彼なりの抵抗だったのだと思う。

 その愚かなまでに研ぎ澄まされた天をも貫く信念を、私は迷惑だとは思わない。

 

 彼は、自分の蒔いた種は自分で刈り取る。

 これまでもそうだったし、生きているとするならきっとこれからもその姿勢は変わらない。

 私は少しぐらい頼ってくれてもいいと思うけれど、私がどれだけ言ったところで彼は永遠にそれを拒み続けるだろう。

 でも。私はそれでも、彼の傍を二度と離れはしない。

 喩え身を引き千切るような辛いことがあっても、地面に沈んでいくように苦しいことがあっても……。

 すぐに……彼を慰められるように。

 

「当日の風紀委員の指示は生徒会に任せてくれ。水無月には捜索に専念してもらいたい」

「……本当にいーんですか?」

「構わない。お前がどれだけあいつの捜索に心を燃やしていたかは私が知っている」

「……分かりました。ありがとーございます」

 

 水無月委員長に倣って私も武田会長へ頭を下げた。その後暫く当日の動きについて話し合った後、私達は漸く生徒会室から解放されることになった。

 肌を突き刺すような寒風が枯葉を巻き上げ、竜巻のように渦を描くそれらは月の輝く夜空へと打ちあげられる。

 月を背景に空を舞う枯葉は、まるで私と月を隔てたガラスが音を立てて割れ散ったような錯覚に陥った。

 今なら月にさえも手が届くかもしれない──なんて。

 

 私は誰もいない中央広場で、闇夜に浮かぶ月へと手を伸ばした。

 月を握る事は出来ない。けれど、その月光は確りと右手の平に閉じ込められたような気がした。

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