冬樹イヴへの遺言   作:屍野郎

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約束の理

 もう、全てが終わる。

 

 彼を血眼になって探していたあの時間が終わる。

 彼を心の底から愛していた私自身が終わる。

 私の物語は、ここで閉幕。

 この時ほど自分の無力を呪ったことは無かった。

 それでも一切合切は後の祭り。

 

 強く目を瞑って、目の前にぶちまけられた死を視界に入れないようにした。

 どれだけ覚悟をしても。仕方のない事だと理解していても。

 やっぱり死ぬのは怖いし、冷たい。

 

 腕に歯が突き立てられる。鋭い痛み。ああ……──酷い。

 意識が朦朧としてきた。

 私はこのまま跡形もなく殺されてしまう。せめて何か残せるものがあれば……。

 しかし、その刹那。

 

 ──視界を豪速で掠める雷斬。

 少しの衝撃の後、足からずるりと何かが抜け落ちる感覚。身体は宙を舞い、肌を突き刺す冷気の存在に気付いた瞬間私は背中から地面に強く叩きつけられた。

 チカチカと明滅する視界の中に私が捉えたのは、呆気なく宙を舞う魔物の両触手だった。

 苦しみ悶える魔物の背後に佇むは、一人の剣士。

 

 ──どれだけ視界が利かなくても。

 喩え月が沈み常闇のヴェールが視界を覆っても。

 喩え、五感の全てを失って世界に捨てられても。

 

 ──彼は。

 満身創痍で戦場を駆け抜ける彼は。

 紫紺の妖光が月光に揺らめく刀を構える彼は。

 

 誰よりも強く、優しくて。

 頭が良くて、人付き合いも良くて。

 その癖どこかドジで馬鹿で、鈍感で。

 困った人を見れば自分の事を後回しにする。

 そうして出来た皺寄せを私に持ち掛ける、どうしようもない男。

 それでも私が生涯で唯一人だけ心を開き、愛の種を植え付けた張本人。

 

 ──彼は、そこにいる。

 幻想などではない。確かに、今度は触れ合える距離に愛する人がいる。

 

「ふんっ」

 

 彼は刀を軽く横に薙いだ。

 軽く。しかしそれによる斬撃はどこまでも荒々しく研ぎ澄まされている。

 木々は軋み、斬撃の延長線上に立つ魔物は反撃を与える猶予すら齎されない。身体の先端が触れた瞬間、まるで予め爆弾を食わせていたかのように魔物の身体は跡形もなく──爆散した。

 

「あ……貴方……」

「よく頑張った。よく生きていたな。本当に、良かった」

 

 彼は刀を鞘に納めて私の元へ駆け寄り左足に触れた。

 叫び出したくなる激痛が走るけれど、止血の為ならどうしようもない。

 

「……」

「……」

 

 彼が包帯を巻いている間、私達はお互いに無口だった。勿論再開が好ましくなかった訳では無い。

 むしろ可能な事なら今すぐにでも彼をこの腕で抱きしめて存在をこの身で確認したいほどだった。

 けれども今この場を支配するのはそんな甘ったるい空気ではなく、戦場独特の緊張。

 要するに私は再開に際してどんな言葉を掛ければ良いのかさっぱり分からなかった。

 

「よし、包帯は巻けた。あとはお前を安全な場所に──」

「ねえ」

 

 割り込む形で私は声を被せた。

 彼の表情に若干焦りが浮かんだように感じた。

 

「なんだ」

「……その」

「……」

「ええっと、その……」

「……」

「…………おかえりなさい」

「……ああ、ただいま」

 

 私の言葉を聞けば、表情を一気に緩めていつものように優しく微笑んだ。

 木に靠れて座り込んでいる私の身体をそっと覆う硬い身体。人生で嗅いだことの無い臭いの代わりに、煙草の臭いは消え失せていた。

 それでも私はその奇妙な臭いの中から彼自身の臭い──匂いを見つける事が出来た。

 力の入らない手をゆっくりと彼の背中へと回す。

 

「死んじゃったかと思いました」

「うん」

「もう二度と会えないんじゃないかって」

「うん」

「……心配、したんですよ」

「……うん」

「本当に、本当に……生きてて、良かった」

 

 気づけば彼の顔が目の前にあった。しかしなかなかに焦点が合わない。

 目に指を持っていくと、なるほど私は涙を流しているようだ。

 水面の向こうの彼は困ったように微笑む。私の気も知らないで、よく笑う。

 

 彼の顔は傷だらけだった。いつもならここまでの傷を負ったことは無かった。それほど私と再開するまでに辛く厳しい道を辿ったのだろうと、勝手に推測する。

 しかしそんな傷よりも一際目を惹くのは、彼の瞳──出会った頃は綺麗な群青色だったのが、今は狩人(ハンター)のような紅に染めている。

 

 まるで返り血を浴び続けた代償のようなその瞳に、私はあの日生徒会室で東雲アイラが打ち明けた一つの真実を思い出した。

 きっとこれは彼にとって痛いに違いない。

 それを理解して尚、私は自分で口を閉じる事が出来なかった。

 

「霧を、吸ったんですか」

 

 風が山の木々を鳴らす。さわさわ、さわさわ。彼のコートが揺れる。ぱたぱた、ぱたぱた。

 二人だけの沈黙。そうして風に乗って聞こえてきた梟の声。

 彼がひゅっと息を呑む音。暫く後、諦めたように溜め息を吐く音。

 

「吸った」

「どれくらいですか」

「たくさん」

「たくさん吸えば、どうなるんですか」

 

 そこまで疑問を露わにして漸くはっと口を閉じた。

 分かっていたけれど、これは彼に対してあまりにも残酷な質問ではないか。

 それでも彼は一切嫌な顔を見せない。

 

「分からん。でも、頑張るよ」

「なにをですか」

「死なないように。お前といつまでもいられるように」

「あ……」

 

 ──いつまでも、彼と共に。

 

「あの、言い忘れてたことがありました」

「ん、言ってみろ」

 

 どんな言葉を彼に掛けるべきなのか。

 そんなことは、彼が私へ言葉を残したあの時から決まっていた。

 それは誓いであって、彼を縛り付けるある種の呪いでもある。

 だから今までは心の檻に閉じ込めて、何重にも鍵を掛けて封印していた魔法の言葉(・・・・・)

 

「……好きです。愛しています。ずっとずっと前から──貴方を愛しています」

「冬樹」

「あ、貴方はどうなんですかっ。まだ心変わりはしてませんよね?」

「冬樹、顔赤いぞ」

「っ!」

 

 咄嗟に顔を手で覆う。既に彼に心の内を曝け出してしまったのだから今更顔を赤くしたところでなんともないのだけれど、それを彼に指摘されるのが酷く私の羞恥心を煽った。

 今、彼の顔を直視できない。それでも私の告白を受けてどんな表情をしているのかが気になるから、指の隙間からちらちらと彼を伺う。

 ──それはまるで熟れたトマトのように。

 

「俺も冬樹のことを愛してる……この気持ちは未来永劫、死んでも変わらない」

「……ふふっ」

「なにがおかしいんだよ……!」

「いえ、別に……ふふ」

「なんなんだよ……」

 

 彼は頬をポリポリと指で掻いた。ああ、心が満たされる。

 この仕草は困った時によくする。私の知る彼を見つける度に心が跳ね上がる。

 

 ──いつのまにか頬をとめどなく流れていた涙の川は枯れていた。

 今ははっきりと見える、彼の男らしい顔。右手をそっと彼の頬に添える。

 

「もう、どこにも行かないでくださいね」

「……魔法使いはいつだって命がけだ。その約束はできない」

「それなら、私も一緒に連れて行ってください。

 私の知らない場所へ貴方が一人で行くのは嫌です」

 

 ピクリと、頬が一瞬痙攣する。

 

「……分かった、約束する。冬樹を置いてはどこにも行かない」

「はい……」

「霧の体質もどうにかする。死ぬかもしれないし、最悪魔物化するかもしれない。

 だけど俺はそんなことは絶対に許さない。冬樹をずっと先まで愛すつもりだからな」

 

 どうして、そんな恥ずかしいことを本人に向かって言えるのだろう。

 ……いや、こんな状況だからこそ。大規模侵攻が終わって、学園で再び顔を合わせた時の彼の羞恥に満ちた表情が目に浮かぶようだ。

 

 先程まで私達を明るく照らしていた月光が黒雲によって遮られる。森を闇が包み込む。

 その直後、聞いた事も無いほどの女性の金切声が山を木霊した。

 

「──マズいな」

 

 彼は私からさっと離れて木に登り辺りを見回した。暫くして私の元へ帰って来た彼の顔には、さっきまでの綻びが消え失せた代わりに真剣な表情が浮かんでいる。

 

「救難信号が出てる。とにかく、急いでお前を拠点まで連れて行かなくちゃな」

「ま、待ってください。その必要はありません」

「必要あるに決まってるだろ。包帯はただの応急処置だぞ。すぐに手当てしないと──」

「水無月委員長が増援を呼んでくれたんですっ。ですから、もうすぐで生徒会の人達が来ます」

「だが……」

「大丈夫です、ここに置いて行かれても直に生徒会が私を回収してくれます。ですから貴方は、救難信号を出した人の元へ急いであげてください」

 

 そこまで言って漸く腹を括ったのか、彼は瞼を閉じて深呼吸をした後にすっと私へ顔を寄せる。

 ──彼の瞳が間近に見える。顔が近い。

 ……指を唇に添える。こんな状況なのに、私の頬は意図せずに緩む。

 

「必ず帰る。だから……──生きてくれ」

 

 彼の背中は大きい。再びの別れ……でも、今の私はそれを怖いとは思わない。

 大きな背中を見てしまえば、そんな気持ちなどどこかに吹き飛んでしまった。

 

「貴方こそ。どうか無事に帰ってきてください」

 

 そうして今度こそ、彼は森の影へと姿を消した。

 暫くしてから複数人の足音が聞こえ、視線を音のした方へ映すと案の定委員長が生徒会のメンバーを数人引き連れて来ていた。

 

「冬樹、よく頑張った。もう大丈夫だからな」

 

 虎田生徒会長はそう言って頭を乱暴に撫でた後、私を簡単に担いで山を下り始めた。あまり会長が学園から離れる事は好ましくない。あの場は委員長と他の生徒会メンバーが引き継いでくれるようだった。

 道中で会話が生まれることは無い。

 私は意を決した。

 

「見つけました、彼を」

 

 独り言のような囁き。もしかするとそれは会長の足音で掻き消えてしまったかもしれない。

 それほど小さな声だった。

 

「侵攻が終わったら、皆で生還祝いだな」

 

 それが彼に対してのものなのか、私には判断がつかない。

 それでも会長の背中は、小さな癖して彼と同じくらいに頼りがいのあるものだった。

 

ーーー

 

 霧は身体を蝕む。

 生物を構成する細胞一つ一つへ入念に入り込み、それら全てをゆっくりと時間を掛けながら細胞ではない何かへと変化させる。自分の細胞が全て消滅したとき、それが人から魔物へと堕ちる瞬間だ。

 

 俺は霧との相性が良かった。

 霧の秘める摩訶不思議な恩恵を好みに宿すことが出来て、

 そしてそれによる悪影響もかなり少ない。

 だが特筆すべきはそれだけだ。

 どれだけ霧に親和していようとも、魔物化の過程を辿らないわけではない。

 

 果たして俺の身体はどの段階まで細胞の置換が終了しているのか──それは神のみぞ知る。

 残された時間も、力も、今や限られているかもしれない。

 

「爆ぜろ」

 

 たった一言。

 その言葉に続いて指を鳴らすと、目前まで襲い掛かってきていた狼の様な魔物は俺の身体に牙を立てる前に爆散し霧散する。まるで月に吸い寄せられるように夜空へと昇っていく。

 しかし油断してはならない。

 ここは防衛線が破れ魔物の侵攻を許してしまった危険地帯なのだから。

 

「まだだ……」

 

 振り向きざまに抜刀し腕が引き千切れるくらい勢いよく横薙ぎに振るう。

 背後に音も無く近づいてきていた気配の頭が傷口から霧を勢いよく噴出させながら吹き飛ぶ。

 首を斬られても尚俺を殺そうと腕を伸ばした魔物を袈裟斬りにして重く蹴り飛ばした。

 普通、今の低度の攻撃では再び魔物は起き上がるだろう。

 しかし、俺は魔物の急所を心得ていた。

 故にたったの軽い二撃を喰らっただけでも呆気なく消滅する。

 

 辺りに魔物が一体も存在しない事を確認すると、改めて救難信号のあった方角へと木々の間を縫うように駆け抜ける。それほど時間は経っていないから、惨事にはなっていないはずだ。

 数分間地面の枯葉の音を聞きながら走っていると、前方に光が見えてきた。

 目を凝らすと、女子生徒が一人と光の中に蠢く巨体が二つ。まずは左側から。

 

「──おらッ!」

 

 女子生徒にとって突然茂みの中から男が出てきたことには酷く驚くことだろう。だから出来るだけ動揺させないために速やかに魔物を兜割りにして身体を縦に両断する。

 勢い余った刀を山中に凄まじい轟音と衝撃波を走らせて地面がしっかりと受け取った。

 

「大丈夫か、怪我は?」

「……えっ、あ、私は大丈夫です。でも、南が……」

 

 彼女の視線を追うと、目立った傷は少ないものの虚ろな目をして木に靠れ掛かっている茶髪の少女が目に入った。近くに駆け寄り声を掛けると反応してくれたから、とりあえず安心して良いだろう。

 救難信号を出した少女の方へ向き直り、出来るだけ柔らかい養生を作るよう努める。

 

「君、名前は」

岸田夏美(きしだ なつみ)です」

「そっか。じゃあ岸田ちゃんはその負傷した子を連れて拠点に戻って。ここは俺に任せて」

「え、でもそれじゃあんたが」

携帯端末(デバイス)でもう聞いたと思うけど、さっき軍が敷いていた防衛線が一部破られた。これからこの辺りは魔物で溢れ返ることになるよ」

「…………」

 

 肩を落として地面を見つめる岸田。

 表情を伺うことは出来ないが、漂う雰囲気から大体の事情を察した。

 まあ、若い年頃だったら誰にでも現れるもので、成人するまでの一種の通過儀礼のようなものだ。

 俺もこんな時期が昔にはあったな、と心からの笑みが少し零れる。

 

「人の命を救う事は、並の魔法使いには出来ない事だぞ」

「え……?」

「岸田ちゃんは魔法使いの事について何か勘違いしてるよ。魔法使いはいつも魔物に勇敢に立ち向かわなくてはならない──けどそれは、人類の為に死ねって意味じゃない」

 

 岸田は顔を上げた。

 瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「その子を救ってあげて。

 魔法使いは魔物を退治することが本質じゃない……無辜な命を救う事が大儀だと、

 俺はそう信じてる」

「……わかりました」

 

 岸田は負傷した少女の肩を持って下山するその前に、俺の方へ振り返る。

 

「この侵攻が終わったら、絶対にお礼します」

「……分かった」

 

 流石にその申し出を断るにはあまりに忍びなかった。

 彼女達の背中を見送る。遠ざかる光の残滓──闇夜に巻く光の尻尾が木の裏に消えたのを確認すると、俺は静かに刀を抜いて正面に構えた。

 

 ──何かが、来る。

 これまでにない激しい警鐘が脳を爆発させてしまうと錯覚するほどに鳴り響いている。

 魔物は人類の物差しを軽々と超えていく超常的存在である──その事実を差し引いても、この肌をピリピリと電気が流れるような濃厚な死を振り撒くのはそれさえも超越するモノ──大いなる存在に他ならない。

 

 耳には絶えず魔法の発動する音と地面の抉れる音が混ざり合い、凡そ常人の精神を破壊するには十分な不快音が流れ込んでくる。気を研ぎ澄ませる、空気と同化するように心を安らかに。

 俺は風だ、木だ、そうして無だ。この場に俺は存在しない。

 だから大いなる存在よ、気兼ねなく俺の前にその姿を現せ──。

 

 ……何分が過ぎ去っただろうか。

 時間間隔が狂い始めた頃、俺の弱り切った耳は雑音の中に何かが地面を力強く踏みしめながら近づいてくる音を確かに拾った。かっと目を見開いた。辺りを見回すが、それらしき姿は未だ──

 

 

 

 

 

 ──しゃがめ!

 

「っ!?」

 

 突然心を満たした本能の声に従い、自身の可能な限りの速さで前に倒れ込んだ。

 ひゅっと、一瞬の風を切る音。

 ドゴッ。

 続いて聞こえたのは、大きな何かがハンマーによって破壊されているような重苦しい音だった。

 

 恐る恐る顔を上げて音のした方向へ目を向ける。

 ──刀だ。大太刀と形容できる刃渡りの刀が地面に突き刺さっている。

 途中で木に直撃したのだろうか、大太刀の軌道にあるはずの太幹の木は大部分が抉れてしまい、最早それはかつての形を留めてはいなかった。

 恐るべき力、恐るべき能力。俺は大太刀が飛来してきた方向へ目を向ける。

 ゆらり、ゆらりと草陰から現れた大男──否、魔物。

 人の身体を保ちながら、顔面に縦に裂けた大口を絶えず開閉する一匹の剣士。

 弾かれたように大太刀へ振り返り。

 ──赫く脈動する燕子花の紋に視線が吸い込まれる。

 

「自殺したって聞いたんだがな」

 

 斯くして俺は、あったかもしれない未来の、もう一人の俺と出会った。

 

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