「はい、お茶」
「ん、悪いね」
「お弁当代よ。唯でさえ残り少なくなった茶葉使ってやってんだからまずかったら承知しないから」
「それはまぁ、その、今度本人に言って飲んだ分持ってこさせるよ」
「そうして頂戴。というかそうしなさい」
台所で湯呑にお茶を入れてきてくれた博麗霊夢が既に座っていた僕の隣に腰を下ろす。
辛辣な物言いでありながらちゃんとこうしてお茶をくれる辺りやはり紫の言う通り性根の優しい娘なのだろう。
きっと本人はそんな事を言ったら怒り出すんだろうけど。
特に紫の言う通りってあたりは特に否定するんだろうなぁ。
突き抜けるように晴れた空にじゃれ合いながら飛んでいく鳥達を眺めて一服。
少しだけ舌に刺激の残る熱さのお茶が口の中を満たすと、風味が鼻から抜けていく。
ごくり、と飲み下せば熱を持った息を吐き出そうと自然と溜息が出た。
ふむふむ、これはなかなか美味しいな。
まろやかで心落ち着く味だ。
「君は優しいね」
「はぁ?今までの流れでどうしてそうなるわけ?それとも主がイカれてるとその下もおかしくなるのかしら。一応奥底に残った微かな記憶じゃ狐の式はある程度まともだったと思ったけど」
「心外だな。家で頭のおかしいのは紫だけだ。僕が言いたいのは君が今まで僕が会ったことがある博麗の巫女と比べてって意味だよ」
博麗の巫女、という単語に隣で同じくお茶を啜っていた博麗霊夢がピクリと眉を震わせる。
彼女は体の向きはそのままで、視線だけこちらに寄越す。
どうやら彼女の琴線に触れる話題だったらしい。
「私以外の博麗の巫女ねぇ。アンタは母さんとかとも知り合いだったわけ」
「母さん、というと君の一つ前の代の博麗の巫女だね。先代とは特にこれと言って関係は無かったかな。紫や藍は僕と違って必ず各代の博麗の巫女と面通しをしているらしいけどね」
僕自身幻想郷設立に立ち会った身ではあるが、博麗の巫女との面識なんて初代とその次、それからその次の次の次の……いつだったかは忘れたが、合計しても三、四人ぐらいしかない。
どいつもこいつも性格、霊力、キャラ、どれをとっても強者だった。それこそ忘れたくても忘れられないくらいには記憶に残っている。
しかし先代については紫から話は聞きこそすれど、実際に会うことは最後まで無かった。
先代に限らず、実際に会ったことのない他の巫女達のことは紫の話を通してしか知らない。紫はどの巫女の話をしていても楽しそうだが。
「ふぅん。そうなんだ」
「昔話の一つや二つ聞かせてやれればよかったんだけどね」
「別に良いわよ、知らないなら知らないで。元からそこまで期待してなかったし」
「もし御母上の話が聞きたいなら紫か藍辺りに聞いて見ると良いさ。きっともうお腹いっぱいってくらい話してくれるよ。特に君にベッタリな紫はね」
「狐の方はまだしもスキマの方は嫌よ。弱みを見せたみたいでムカムカするわ」
「そこまでか……」
博麗霊夢のあまりにも酷い紫への評価に内心苦笑いしつつも、普段と変わらない無表情で再度お茶を啜る。
うん、やっぱり美味しい。
「それじゃあアンタは私や母さんよりももっと前の博麗の巫女と知り合いってことよね」
「ん、そうだね」
「てことはアンタも他の妖怪と同じで見た目よりよっぽと年寄りなのね。外見は人里にいるガキンチョ共とか妖精なんかとそう変わらないのに」
「ここにはそういう輩は吐いて捨てるほど居るじゃないか。ほら、山に住んでる鬼の萃香とか、常闇の奴も昔はでかかったけど今は僕と同じくらいじゃなかったか?」
「は?山?常闇?誰のことよ」
「いや、だから鬼の萃香と常闇の妖怪だよ。まさかもう死んでるとかじゃないだろうね。だとしたら紫が一言ぐらい言ってくると思うんだけど……」
常闇は何やら一時期大きな騒動を起こしたせいで紫が手を回してたから知らなくとも仕方ないかも知れないが、萃香の方は人里ですらそれなりに知名度が会ったはずだ。
小さな体に似つかわしくない怪力。
密と疎を操る程度の能力を司る鬼の四天王が一角。
萃まる夢、幻、そして百鬼夜行。
その名は方々まで轟渡り、他の名高い大妖怪達と肩を並べる幻想郷に置いて間違いなく素の戦闘能力で最強の一人だ。
それがどこぞで野垂れ死になんてそう考えられないが、妖怪退治の専門家である今代の博麗の巫女の博麗霊夢が知らないとなると、マジでいつの間にか天に召されていたのだろうか。
だがしかし、まだ隠居という可能性も……否、あの萃香だぞ?
出会い頭に問答無用で『灰香ァァアアア!!!!』とバーサーカーが如く殴りかかってくるあの萃香が……。あれ程隠居という言葉の似合わない奴もそう居まい。見てくれ的にも性格的にも。
いやはやこれも時の流れというやつなのだろうか。
そういえば前回マヨイガから外出したのはいつのことだっただろう。
ついこの間、と思っていたけれど、もしかしたら結構時間が経ってしまっているのかもしれない。
百年は、経ってないといいなぁ。
「ちょっと、急に遠い目になってどうしたのよ」
「なんでもないんだ。ちょっと、その、僕も歳をとったなって……」
「ガキの見た目で何言ってんのよ。紅魔館の吸血鬼みたいにこれから伸びるんじゃないの?」
「いや、僕の外見はこの状態で
「え、そうなの?」
「うん。だからずっと万年このちんちくりんのままさ」
今朝だって紫にコンパクトでいいわねって煽られてきたよ、と付け足しながら、若干冷めて温くなったお茶を自棄酒のように一気に飲み干した。
勢い余って唇の周りに付いたお茶を舌を出してぺろりと舐め取り、ごちそうさまでしたと縁側に置く。
なかなか美味しいお茶だったな。後で銘柄を聞いて帰りに人里で買って帰るのも悪くない。
――随分と久しぶりになってしまっているみたいだし。
「それって、アンタの表情がさっきから声音と連動してないのもそのせいなの?」
「こっちはただの体質。元から表情が真顔でガチガチに固まってるだけ」
「若干心配して損したわ」
「それはありがとう」
「うっさい」
照れ隠しなのか、博麗霊夢に肩を軽くこづかれた。
やっぱりこの娘は優しい娘だ。今日あったばかりの、それも得体の知れないスキマババァの式である僕に心配なんて。
もしかしたら紫が目指した人妖が手を取り合う幸せな世界というのが実現してきているのかも知れない。
昔は妖怪のよの字でも出ようものなら祓い屋が総出で出張ってきたものだけれど。
これも時代の流れと言うやつか。
本当に歳をとってしまった気分だ。幻想郷が出来て、それまで随分と忙しかったから少しのんびり過ごそうと思って、それから表のことは皆紫に任せきりにしてきた。
そりゃあ大きな異変や事件の時は戦力として手を貸してきたけれど、情勢や政なんかはまったくノータッチだ。
出動した例を挙げるとすれば月面での大戦や大地震か。
最近の一番大きなニュースは吸血鬼共が幻想郷に押しかけてきた異変だろう。
あの時だって戦いに参加した後は疲れて直ぐにマヨイガに帰ったものだから、どんな風に影響を与えたかなんて全く知らないし、そもそも僕がよく顔を出して居た頃の人里に住んでいた人間は皆寿命で死んでしまったからそう気に留めなかった。
きっと今の人里は僕が知っている頃とは随分変わっているのだろう。
人里だけじゃない。
それ以外の幻想郷のあちこち。
きっと昔とは、この地が幻想郷と呼ばれ始めた頃とは違う景色が見られるはずだ。
もしかしたら紫はこの事を伝えたくて今日ここへ僕を送り出したんだろうか。
頭の中がスッキリしたような、モヤモヤしたようなよくわからない感じ。
普段使うことのない頭を酷使する苦痛から逃れるように、こづかれた勢いに逆らわずパタリと縁側に倒れ込む。
少しだけひんやりとした木の冷たさを頬に感じる。
それと同時に顔に陽の光があたった。
ああ、やっぱり今日は太陽が気持ちいいな。日差しが暑すぎることもなく、かと言って空気が冷い訳でもない。
このまま瞼を下ろせば昼食まで良い日向ぼっこに――
「さっきの話の続きだけど、常闇とかいうのは聞いたことないけど鬼の方なら知ってるわよ」
「え、本当かい?」
沈みかけていた意識を唐突に引き上げられ、その勢いで体も元の位置まで起き上がる。
博麗霊夢はこちらを一瞥すると、小さく頷いてお茶を啜った。
そのまま残り少なかった湯呑の中身を飲み終えて、縁側に置く。
「割と最近の話よ。その鬼の萃香が異変を起こしたの」
「え、異変?どこで?」
「あの鬼性懲りもなくこの神社で異変起こしやがったのよ」
「え、は、こ、ここで!?」
博麗霊夢の言葉に驚きながらも辺りを見回すが、どこも陥没してないし地面が割れている訳でもなければ土砂が堆積した様子もない。
立ち上がって少し離れた位置から博麗神社を見るが、記憶より少し古臭くなっているくらいでどこかが破損しただとか最近建て直したような真新しい箇所も見当たらない。
さっきここに来るのに登ってきた石段や途中に会った鳥居だって別段大きく破損した痕跡は見られなかったと思うんだが、本当にあの萃香がこの場所で異変を起こしたというのだろうか。
というかそれを紫が許したのか?
もはや幻想郷の結界の起点、要石とも言えるこの神社で鬼が暴れるなんて謀反というか反逆もいいところじゃないか。
うちの主は基本的にちゃらんぽらんだがこと幻想郷に仇なす者が現れた時は誰よりも非情な判断を下す奴だと認識していたんだけれど、霊夢の口ぶりからして処刑された訳でもなさそうだ。
ついに紫も手心を加える程には寛容になったということだろうか。
それともついにボケたか、あのスキマババァめ。
「そういえば、その時萃香を止めたのは誰なんだい?一度暴れだしたあれを宥めるのは随分手がかかっただろう」
「誰も何も私がしばいたわよ」
「え?」
「ん?」
ま、待て待て。
今この娘は自分が萃香を退治したと言ったのだろうか。
否、聞き間違いという線も無きにしもあらず――
「君が」
「ええ」
「萃香を」
「ん」
「退治した」
「だからそうだって言ってんでしょうが」
何をそう疑う、とでも言いたげに眉を吊り上げてこちらを訝しむ博麗霊夢。
しつこいのは重々自覚しているが、疑うなというのが無理なのだ。
相手は鬼。それもその頂点に立つ四天王のうちの一人だ。
それに対するこちらは人間。
それもまだ比較的最近博麗の巫女になったばかりの少女だ。
こう言っちゃ何だがこの娘はたかだか十数年生きただけの小娘でしかない。それなのにその何倍も長い時を生きる大妖怪を殺さないにせよ退けるなんてのはあまりにも難易度がルナティックすぎる。
かと言って萃香が手を抜いたとも考えにくい。
ああでも僕以外と、というか人間となにかする時は昔から割と抜いていたかもしれない。
とはいえこの娘に負ける程手を抜くなんてことがあるだろうか。それはもうほぼ勝負の放棄と違いないような気がするんだが。
不意打ち、とか?
確か昔まだあいつが人間から酒呑童子と呼ばれていた頃に毒の入った酒を自分からがぶ飲みして死に目にあったとか聞いた気がするし、その手の類で攻めて行ったんだろうか。
ともすれば見かけによらずえげつない事を考える少女である。
それとも紫に魔改造されてえげつない強さになってるとか……??
ハッ!さっきの『こっちのほうが早いでしょうが』っていうのはそういう――
と、随分長いこと迷走している間に向こうのイライラゲージが天井突破したのか、勢いよく立ち上がってこちらにずんずんと歩み寄ってきた。
「そこまで疑うなら証明してやろうじゃない」
「証明だって?どうやって?」
「もちろんこれよ!」
ずいっと目の前に突き出されたのは三枚のカード。何やら綺麗なデザインの施された上質な物のようだが、最近の若い娘の間ではこういうのが流行りなのだろうか。
悲しいことに僕の持ってるアクセサリー類は刀の鍔に括り付けた藍の手作りスキマストラップだけなんだ。
僕がその行為の意味を理解できずに首をかしげて居ると、先程までとは違う意味で博麗霊夢の表情が曇っていく。
「もしかしてあんた、スペルカード知らないの?」
「は、すぺ、何だって?」
聞いたことのない単語を耳が捉え、何のことかと再度博麗霊夢に問い直そうとした時。
首筋を冷えた刃物の腹で舐られたような気色の悪い感覚が襲った。
瞬時に博麗霊夢をこちらに抱き寄せ、背後に向けて人差し指を立てた右手を一閃。
それとほぼ同時に凄まじい轟音が鳴り響く。
土煙を巻き上げ、正しく"破壊"が周囲を襲った。
「おいおい、加減ってものを知らないのか」
「ちょ、ちょっと!?いきなり何なのよ!!?」
僕と博麗霊夢の居る位置から真後ろ約一メートル以外全てが吹き飛んでいく。
文字通り全て。
地面も、草木も、石も、そして神社も。
土煙が晴れた時、今自分達が立っている位置からすぐ後ろ以外の地面が全て抉り飛ばされていた。
背後を見るも、そこには残骸すら残らず小高い丘からの景色が見えるばかり。
その日、博麗神社は幻想郷の地図から消えた。