土煙が晴れきるよりも早くソレは僕達の方へ音速に迫る速度で突っ込んできた。
動体視力ギリギリの速度で肉薄してくるソレは眼の前の
結晶体同士が衝突したような独特の甲高い音と共に
今はまだ視界不良で見えないが、きっと透明な
僕がさっき登ってきた階段も、その先にあった鳥居も。
それはもうグシャグシャのメッタメタになっているに違いない。そしてもう少し
未だ砂埃の晴れきらない向こう側に居て、唯一目視出来る相手。
胸の中に抱いた博麗霊夢は完全に本物の妖気に気圧されていた。可哀想に体が拒絶反応を起こしている。顔色は青を有に通り越して土気色だ。しかし、この状況において子鹿のように振るえながらもちゃんと最低限自分の体重を支えているというのはむしろ褒めるべきだ。
辛く、キツイ修行を経てきたとはいえいまだ子供の域を抜けきらない少女。きっと僕の知る歴代の巫女の中でも同じ歳でこの禍々しさを耐えられるのは初代くらいじゃないだろうか。
ほか二人は発狂または失神の後に失禁して最悪呼吸困難で泡を吹くまであるな。
そう考えるとこの娘は大変逸材じゃないか。その上さっきのやり取りでわかるようにとても心の優しい娘だ。紫がよく気にかけるのもわかる気がする。
では、そんな良い子を未だ怖がらせ続けている悪い大人にはそろそろ事情くらいは説明してもらおうじゃないか。
少しでも恐怖を取り除くために、博麗霊夢を抱く力を強めながら口を開く。
「久方ぶりの再会だって言うのに随分とアグレッシブな挨拶じゃないか。――萃香」
眼の前の相手に非難の視線をぶつけながら言葉を投げかけ、向こうの出方を探る。
「クカッ、クカカッ、クヒヒュッ、ックアァハハハハハハ!!!ああ、ああ、ああ、間違いない。これは間違いない。間違いようがない。久しぶりだなぁ、
三日月型に歪ませた口元から溢れることを我慢しきれなかったような歪な笑いが耳に届く。
何がどうかは分からないが、今の笑い方だけでだいぶ脳みそがイカれているというのは良く分かった。
萃香は未だ
「ずっと、ずっとずっと、ずぅっと探してたよ。あの日から、あの満月の夜から。私は一日たりともお前のことを忘ことなんてなかった」
「それは光栄だな。けれど僕は普通に忘れてたよ。ごめんね」
「クハハッ!あんまり連れないこと言うなよ。寂しくて涙が出ちゃうだろ」
フーッ、フーッと獣のように息荒く、瞳孔の開ききったは完全に理性を失っているように見える。
歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべる様は正しく『鬼』。
どうしてこんなにも僕に執着心を向けているのかは全く分からないが、取り敢えずこれ以上この一帯を破壊されるのはよろしくない。
この場所は博麗大結界の要所。この場所の存在が揺らげば最悪結界の方も崩壊しかねない。
それはこの幻想郷崩壊への明確な大打撃だ。
博麗大結界が完全に崩壊した時点ではまだ大丈夫なように構築されてはいるものの、かと言ってそれは再度博麗大結界が、またはそれと同等以上の幻想郷を覆う守りを展開するまでのその場凌ぎ。言わば繋ぎの為のシステムなのだ。
現在この幻想郷を囲い、守っている力は全部で
そのうちの一つが駄目になってももう二つが一時的に出力を上げて騙し騙し時間を稼ぐ作りになっている。
その3つの力というのが、現在進行形で危機に瀕している真最中の博麗大結界。八雲紫の境界を操る程度の能力。そしてもう一つは――――
「本当にアンタは変わらないね。その飄々とした態度も、私と変わらない背丈も、膝裏まで伸びるくすみ掛かった長い髪も、その眠そうな瞳も、表情も、雰囲気も妖力も神力も空気も匂いも立ち振舞も――――そしてこの忌々しい能力も」
「キミは知ってるだろう。それが僕だ。変わらないんじゃなくて変われないんだよ。というか、そういう君だって変わらないじゃないか。僕と同じちんちくりんのままだし。
その言葉を聞いて萃香は一瞬理性ある顔つきになり、少し寂しそうに目を伏せる。
「いいやそれは違う。私は変わった。変わってしまった。お前さんとは違ってね」
「君は変わりたくなかったのかい?」
「ああ。私は変わりたくなんて無かった」
「そんなに昔の自分が好きだったのか。別に変わってしまったならもう一度戻ることもできるだろう」
「そう簡単に言わないでおくれよ。これが意外と難しいんだ」
「だからって僕に八つ当たりはしないで欲しいんだけれど」
「いや、これは八つ当たりってよりも、変わらない、あの頃と同じお前さんとあの頃と同じ事をすることで私は――――」
そこまで言って口を噤む萃香。
昔から僕と違って表現豊かな彼女からは、その表情で色々な感情を読み取れた。そして今の表情から読み取れる感情は、苦痛、妬み、罪悪感、そして少しの喜び。
これらの感情が一体何を根源として湧き出ているのか僕には理解できない。
僕は彼女が一体何を思って今日まで過ごしてきたのかを知らない。
僕がここで彼女と戦う必要性はない。きっと既に紫は動き出していて、幻想郷の実力者達に助力を願っている所だろう。
確実に萃香を無力化するにはそれぐらいの準備は必要だ。萃香を生かして捕まえるなら。
だから僕は防御に徹して博麗霊夢を守っていればいい。それが八雲紫の式として当然の判断であり、幻想郷を守護する一柱としての役割であり、この幻想郷に暮らす住人としての責任なんだろう。
けれど。
けれど、これでも萃香とは旧知の仲だ。
今その相手が目の前でこんなにも苦しんでいる。嘆いている。
ならば。
溜まりに溜まったストレスの発散くらい………付き合ってやるのが優しさってものだろう。
「博麗霊夢」
急に名前を呼ばれた博麗霊夢がビクリと体を震わせる。
そんな彼女の背を出来るだけ優しく、ゆっくりと、まるで幼子を宥めるようにさすった。
「怖い思いをさせてごめんね。あの鬼は僕の友達なんだ。そしてその友達の鬼は今とっても苦しんでいる。だからその苦しみを少しでも和らげられるように相手をして来るよ」
博麗霊夢は不安そうな顔のままだが、彼女を抱いていた左腕を解いて一歩離れた。
博麗霊夢の周囲を囲うように
先程と萃香の攻撃を止めた
これで博麗霊夢の安全は確保された。
「待たせたね」
「このぐらい今日までの数百年に比べればあっという間さ。私だって関係ないやつを巻き込みたくない」
「ここまで徹底的に地形破壊しておいてよく言う」
「それは仕方ないじゃないか。衝動が抑えられなかったんだよ。大目に見てくれ」
「駄目だね。後で紫にしこたま怒られろ」
軽口を叩き会いながら互いに戦意を高ぶらせていく。
相手の空きを伺いながら、どう攻めるべきか、どう守るべきかという思考で脳を満たしていく。
戦いの緊張が脳を、体を、空間を満たしていった。
瞬間、どちらともなく僕と萃香は勢いよく踏み込んだ。
まずはこちらから先制。突っ込んで来る萃香に向けて縦に
その正面を塞ぐように
こちらへ向かってくる勢いは殆ど落ちていない。このままだと後数秒も持たないな。
となれば少し方向性を変えてみるか。
霧状になった萃香を囲むように
しかし、これもまたかわされてしまう。
さっきからまるでこっちの動きがわかってるみたいに軽々避けられる。この所吸血鬼の引っ越し騒動で出張った以外寝て過ごしてたせいで鈍ってるのだろうか。
うーん、こっちの攻撃がろくに当たらない。
こっちが元より駄目になってるなら向こうの力を多少削ぐくらいじゃ対して効かんか。
そもそも萃香相手に紫の到着までの時間稼ぎとはいえ獲物もなしにっていうのが無茶な話だったのだ。
強度より範囲を重視した
さっきの衝撃で随分遠くまで飛ばされてしまっていた僕の
行動に移って直ぐに風を切る音と共に軽い衝撃が左手に伝わった。
良く手に馴染む慣れ親しんだ感触。それと同時に力が全身に循環していく。
柄に右手を掛け、引き抜きながら左手の親指で鍔を押してやれば何の抵抗も無く刀身を顕にした。
その刃はお世辞にも鋭いとは言えず、刀身は所々歪んでいる。
一般的に刀と言われて万人が想像するような美しい波紋は見る影もなく、全体的にどんよりとした灰色で構成されていた。
こちらがようやく抜刀したというのに、萃香は元の人形になって
今更ながら出鱈目な力だ。あれでも一応紫の本気ビームにもそこそこ耐えられる強度はあるはずなんだが。
ならば、と正面に萃香を捉えた状態で能力を行使しながら右手に持つ刀を型もなくただ上から下へ振り下ろす。
萃香は直ぐにこちらから見て左側へ避け、新たに生成された縦の上下に伸びる
しかし、その結果未だ正面の巨大な壁は健在だ。
ここから更に追い詰めていこう。
後退以外の選択肢を取れない用に左右、そして時偶フェイントとして空中に向けて横一文字に
徐々に萃香が行動できる範囲は狭まり、萃香はついに堪らず大きく後方へ跳躍した。
頭上にも
ふと、この光景に違和感を覚えた。
あの萃香が過去ここまで追い詰められた事があっただろうか。
いつだってあの馬鹿みたいな力と能力で僕の線達を掻い潜り、叩き割り、体を切り落とされようが食らいついてくるような狂気的な戦いへの執着。
はじめ見た時は昔と変わらない、と思っていたが、この違和感が萃香の言っていた変わってしまったというやつにつながるんだろうか。
というかちょっと休憩したい……。
熱を持ち始めた体から熱を排出するように深く息を吐き、刀を構えなおそうとしたその時、未だ地面に着地していなかった萃香の周囲を囲むようにスキマが開かれた。
能力を使って逃げる暇も無く、あっという間に萃香の体は全てスキマに飲み込まれていった。
どうやらタイムリミットまで持ちこたえたらしい。
「つ、疲れた……」
呻くように口から言葉を零して、そのまま地面に大の字になるように倒れ込む。
汗ばんだ体のあちこちに無駄に長い髪の毛が張り付くのが気持ち悪い。
「あら、貴女は別に怠けていたからと言って体力が落ちるわけじゃないんでしょう?」
「体力が落ちなくたって実戦から離れてれたのに急にこんな全力戦闘を不意打ちで初めたら精神的に疲れるんだよ。てか遅いよ、紫」
「ごめんなさいねぇ。思いの外善戦していたものですから。おほほほほ」
「何がおほほだ妖怪スキマババぁあいひゃいいひゃい」
「ババァなんて悪い言葉を言う口はこの口ね!?このっ、このぅ!」
ぐにぐにと頬をめちゃくちゃに揉まれ、つねられて視界がぐわんぐわんと揺れる。お返しにこちらも顔をもみクシャにしてババアらしくシワまみれな顔面にしてやろうと必死に手を伸ばすが、腕が短くて紫の顔まで届かない。
というか自称少女(中身ババァ)と神代から見た目の変わらない幼女(中身ババァ)の揉み合いなんて一体どこに需要があるんだ。
半ば冷静になった頭がこの光景の痛々しさを告げるも、抗議の声は言葉にならずにむぐぅやらむへぇと呻き声で止まってしまう。
ああ、本当に……どうしてこんなことになってしまったのか。ちょっとした散歩くらいに考えていたのに。
今日外出することとなった原因の未だに僕の頬肉で遊んでいるババアへの抵抗を諦め、ぐったりと体の力を抜いて五体を放り出した。
ああ……本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。