12月24日 晴れ ☆☆☆☆☆
今日の出来事。
先輩は朝早くにバイトにでかけました。
昼過ぎには帰ってくると言ったのに、夕方まで帰ってきませんでした。
「先輩、遅いですね」
「ほんとねー。士郎ったらどこで道草食ってるのかしら」
「……ナイショ」
「特に秘密にしろというわけではないでしょう」
「シロウは来るわ」
「家主が不在ってどういうことよ」
時刻は4時近く。
昼過ぎには帰れると言った士郎のあまりの帰りの遅さに、桜たちは不満をこぼしていた。
冬真っ盛りになり、日の沈みがとても早くなってきた今日このごろ。
夕日はもう地平線まで降りてきて、家の影に隠れてしまっている。
せっかく料理もたくさん作ったのにと、桜は台所や冷蔵庫にしまった品を見つめながら、いまだ帰ってこない先輩に思いを馳せていた。
――そういえば先輩のことを初めて知ったときもこんな日だったような。
その日は季節は真逆と言っていい初夏のある日のこと。
いつも何かしらと悪態をつく慎二の機嫌が本格的に悪かった日のことだ。
夕方頃に帰ってきた慎二は乱暴に家のドアを開けたかと思えば、いつも帰りをリビングで待っている桜を無視して自室へと向かっていく。
ダンッダンッと階段を強く踏みながら登る足音を聞いて、桜は何があったのだろうかと足音の鳴る方向を見上げていた。
そして慎二はバタンッとひときわ大きなドアを閉める音を立て、自室へと引きこもったのだった。
夕食はどうしようかと、桜はテーブルへとすでに用意した二人分のご飯やみそ汁、それと白身のムニエルを見る。
この時の桜は半年近くたった今の桜と比べても、さらに口数が少ない。
ましてや機嫌が悪そうに物にあたるときの慎二に対しては、何か言えるような性格では当然なかった。
そしてひとりで食べることもせず、待ったら降りてきてくれないかなと何分間か、天井越しにある慎二の部屋を見上げながら桜は冷えてきたお茶を飲む。
バッタンバッタンガッシャンと慎二の部屋から音が聞こえてくる。
一体何を投げつけているのか、何に気を立てているのだろうかと、桜はイスに座りながら考えていた。
鳴り響いていた慎二の部屋が静かになってからしばらくたち、彼が一向に降りてこない様子だったので桜は静かにイスを引いた。
なるべく音をたてず、抜き足差し足と階段や廊下を渡りながら、桜は慎二の部屋の前までたどり着く。
そして扉の前でノックをするか軽く手を握った状態で逡巡し、コクと小さく頷いてからコンコンコンと扉を叩いた。
「に、兄さん。どうしたのですか?」
ノックをしても返事のないこの屋敷の主に桜にしては大きな声で安否の確認を取る。
「……ええっと、入ります。……兄さん、失礼します」
それでも一向に返事のないこの部屋の主に桜は断りを入れてから扉を開けた。
「うっ……」
久しぶりに入った慎二の部屋のあまりの汚さに桜は小さく呻く。
文房具は床に飛び散り、枕はベッドとは反対の壁際に落ち、教科書などの本が乱暴に開かれていた。
「…………」
とりあえず怪我をしないようにと、桜は床に散らばった文房具や本を適当に拾いながら勉強机の上にのせ、ベッドに眠る慎二の顔のそばに枕を置いた。
そして静かに部屋から出た。
「……いただきます」
その日はほんとうに久しぶりに、夕食をひとりで食べた。
次の日、桜は聞いてもいないのに慎二から昨日の愚痴を聞かされた。
桜は兄さんと喧嘩中の友だちは仲がいいんだなあと思った。
また次の日、桜は聞いてもいないのに慎二から喧嘩中の友だちの今までと変わらない態度を聞かされた。
桜は兄さんと喧嘩中の友だち、衛宮というらしい、衛宮先輩は仲がいいんだなあと思った。
またまた次の日、桜は聞いてもいないのに慎二から士郎が部活をやめたことを聞かされた。
桜は兄さんと衛宮先輩は仲がいいんだなあと思った。
またまた、またまたまた――
桜は慎二から士郎の家の住所を聞いた。
慎二は士郎の家に絶対に行こうとはしなかったので、桜は学校から帰ってすぐ教えてもらった住所へ向かい、途中何度か道を間違えながらも士郎の家にたどり着いた。
――大きな屋敷。
それが桜のその家を見た時の、最初に感じた感想だった。
桜は迷わずインターホンを鳴らす。
ここのところの慎二の聞いてもいないのに話してくる影響で、桜にしては大胆な行動を取らせる。
ガチャっとドアの鍵が開けられた音がして、ビクッと桜の肩が震えた。
桜は今更になって自身の大胆な行動に気が付き、怖気づき始める。
「はい?どちら様ですか?」
警戒心もなく、訪ねてきた相手を確認もせずにドアを開いて桜は出迎えられる。
「……ぅ……」
士郎に真っ直ぐと目を見られて、桜は咄嗟にとっさに俯いてしまう。
「え、ええっと。こんな日の落ちた時間にどうしたの?迷子かな?」
士郎の無意識の気遣いからか、近づきすぎず離れすぎずの絶妙な距離から桜は話しかけられる。
その気遣いが慎二の話していた印象から微妙に異なっていたので桜は小さく笑ってしまう。
――優しい人なのかも。
勇気が湧いてきたのでもう一度目を見て話そうと桜は顔を上げるも、士郎と目が合うとすぐに下げてしまった。
「その……、突然訪問してすみません。……私、間桐慎二の妹です」
「えっ?慎二の?でも……」
桜は俯いたままなので士郎の顔を見ることはできないが、とても観察されている気がした。
そして士郎が言い淀んだ理由を桜はなんとなく理解できた。
桜は慎二とは容姿が似ているとはとても言いづらい。
何か訳ありなのかと勘ぐってしまったのだろう、と桜は士郎の考えを見抜いていた。
「……ああ、ごめん。えっと、それで慎二の妹さんがどうしたの?」
『しろー、何やってんのー。セールスなら早く断りなさいよー』
「藤ねえ!セールスじゃないから少し静かにしててくれ!」
「ひっ……」
「ああ、急に大きな声を出してごめんね」
「……い、いえ。大丈夫……です」
あまりのいたたまれなさに、桜はこの場から帰りたくなってくる。
――そもそもどうしてここに来たんだっけ。
完全に勢い任せの行動をしてしまった桜は、少しづつ後ずさりをしてしまう。
そんな会話の途切れたときに、士郎の後ろから大河がやってきた。
「もう、何よ士郎。……あら?可愛い子?深緑の綺麗な色ね」
「お、おい藤ねえ!」
大河が桜の髪の色を褒めると士郎はすぐに止めようとした。
髪の色を褒められて少し複雑な気分になるが、桜はとりあえず礼を言うことにする。
「ありがとうございます。……夜分遅くに申し訳ありません。私は間桐慎二の妹の桜です」
「あ、ああ。もしかして慎二から聞いてるかもしれないけど、俺は衛宮士郎――」
「ちょちょちょ!待って待って!!えっ?間桐くんの妹ちゃん!?んっんん!ごほん。こんにちは、桜ちゃん。私は藤村大河です。ここにいる衛宮くんやあなたのお兄さんの間桐くんが通っている学校の英語の教師をしていて、間桐くんが参加してる部活の顧問もしているのよ」
「藤ねえ、もう遅いって。それに口調も変だぞ」
「に、兄さんのって、もしかして弓道部ですか?」
「あら、間桐くんから学校の話を聞いてるのね。ふーん、少し意外ねー」
大人の女性が現れて、少し緊張が溶けてきた桜はようやくまともに会話ができるようになる。
顔を上げると大河が士郎の横腹を小突いているのが見えた。
「それにしてもこんな時間に中学生が一人で出歩くなんて、……とりあえず士郎、桜ちゃんを家にあげましょう。でも手を出しちゃ絶対ダメだからね」
「あっ、あたりまえだろ!変なことを言うなよ!」
「うん、それじゃあ桜ちゃん。夏になってきたからと言って夜はまだ冷えるから一旦家にあがらない?士郎にはきつく言うから安心して」
「……はい、ありがとうございます」
ふたりの気のおけない会話を聞いて、桜は当初の目的を忘れて初めて士郎の家にあがる。
士郎は腕を怪我していたので、桜がそこはかとなく手助けしながら日が落ちるまで三人で会話を楽しんだ。
その夜、士郎に送ってもらいながら帰宅した桜は聞いてもいないのに――
桜は当初の目的を思い出したのだった。
それから段々と通う日数が増えたきたこの頃。
――先輩はやっぱり部活に戻ろうとしない。
養父の命日らしい今日も、桜は当初の目的を半分忘れかけながら士郎の家に通っていた。
話によると冬には士郎の義姉であるイリヤが来ると聞いた桜は、やはり当初の目的を忘れた彼女は先輩の家族からの第一印象を良くするために新たな行動を開始した。
なんでもイリヤはハンバーグが好きらしい。
今日は早めに帰り、桜はひき肉を買うことにした。
そして士郎と商店街で買い物をしている冬の時期。
「はじめまして、サクラ。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。シロウが世話になってるようね」
桜は自身の姉と並んで歩く、銀色の髪をした妖精のように小さく可愛らしい少女に会った。
前回の続きを期待していた方、すみません。
クリスマスイベントの後半は桜sideの回想編です。
これまでの出来事との食い違いはきっと桜の記憶違いではないでしょうか。