「、――――ん」
自然と意識が覚醒する。
障子からは光がさしこまれており、どうやら日が昇っているようなので起きるにはちょうどいい時間だ。
しかし、とても懐かしい夢を見ていた気がする。
起きたときにはきれいにその内容が抜けており、いったいどんな夢を見ていたか思い出せないが掠れた追憶のなんとも言えない物寂しさがあった。
それは明晰夢のように少し俯瞰しながら、それでもその過去を体験していたかのような充足感が残っている。
そして夢疲れが少しあるにしても、今までになく体調がいい。
体の疲れがとれている感じがするし、特に腰や首に違和感がなくて頭もスッキリしている。
ああ、なるほど。
――そうか、これが布団で寝ることなのか。
久しぶりに布団で寝た感想であった。
体を起こそうとすると右手に違和感があり、少し気を向けてみるとどうやら手を握られているようだ。
もちろんその相手はいまだすやすやと幸せそうに眠っているイリヤであり、おそらくその反対側では桜の手も握っているのだろう。
ふと、そういえばいつのまに俺は寝ていたのか。
イリヤが桜に向かって俺の過去話をいろいろと話していて、それは違うと反論したり、恥ずかしくなって悶えたりしていたのを思い出す。
しかし俺がイリヤの話を止められるはずもないので、恥ずかしさから逃げるため布団にもぐったらそのまま寝たのか。
そういえば薄れゆく意識のなかで微かに感じたことで、手をやさしく握られて『おやすみシロウ』とささやかれた覚えがある。
いや、それはもしかしたら夢のことだったのかもしれないが。
でもまぁ。
「おはよう姉さん」
そう呟いてから俺は握られている小さな手を姉さんが起きないようにゆっくり外し、普段着に着替えるため自室へと向かった。
服を着替えて居間に入るとそこは冬の朝の震えるような冷たい空気に満たされていた。
サブサブと呟きながら急いでストーブをつけて暖をとる。
もうそろそろこたつも出そうかと考えながら、ストーブにかざして暖まってきた手を擦り合わせていると。
「おはようございます、先輩」
「おはよーお兄ちゃん」
と少し不機嫌そうな桜とご機嫌なイリヤがパジャマから着替えた普段着の状態で朝の挨拶をしてくる。
「おはよう。どうしたんだ二人とも?」
そんな二人に挨拶を返し、朝から対照的な二人に疑問を向ける。
「いえ、別になんでもありません」
やはり少し不機嫌な桜は俺のとなりに来て、俺と同じようにストーブに手をかざして暖を取り始めた。
そのいつもよりも近い距離に少し緊張する。
「サクラはねー、わたしには挨拶してくれなかったーって不機嫌なの。ふふふ、かわいいわよね」
「イ、イリヤさん……」
そう言って、ご機嫌なイリヤは少しうつむいた桜とは反対側の俺のとなりに座り、ストーブに手をかざす。
朝から二人の近さに少しドギマギしながらも果たしてなんのことかを考える。
――挨拶ならさっきしたのにどういうことだろうか?……いや、桜は居間に来てからすでに不機嫌だったな。
「……あっ。もしかしてあのときにもう起きていたのか?」
「ええ、シロウが体を起こしたときに目が覚めたわ」
徐々に体を密着してくるイリヤから少し避けると自然に桜と近づいてしまった。
「……んっ」
すると今も変わらず私不機嫌ですオーラを醸し出していた桜に少しヒビが入る。
ストーブで暖まったのか素肌が段々と赤くなり、かざしている手も震えだして雰囲気が壊れ始める。
「えーと、だな。桜あれは――」
「――も、もういいです!えと、あっ、お茶をいれてきますね!」
すると桜は強い言葉とは裏腹に、もうそれほど怒っているようには感じられない口調で立ち上がる。
そして何故か最後にイリヤに向かって小さく頭を下げてから台所へと向かった。
それについて尋ねるように俺はイリヤに目を向けると、イリヤはそ知らぬ顔で淡くオレンジ色に光るストーブを見続ける。
そして「暖かいわねー」と俺に密着しながら自身の手をストーブにかざしながら揉んでいた。
部屋の空気も暖まり、万全に活動できるようになってから朝食の支度を始める。
俺と桜は台所で朝食の献立を話し合い、イリヤは一人で占有したストーブに向かってあくびをしていた。
イリヤのためにも今朝は洋風にしようと言うことで話がまとまり、食パンを焼いてベーコンつきの目玉焼きをのせる。
3,4枚目を焼いているところで藤ねえもちょうど来たので、出来上がった2枚をイリヤと藤ねえに食べてもらった。
さて、今朝の献立は目玉焼きをのせたベーコントーストに手作りのイチゴジャムを入れたヨーグルトと少し甘めの暖かいココアである。
イリヤお嬢様の感想ではこういうシンプルなものも悪くないわと、大変ご機嫌うるわしゅうご様子であった。
朝食を済ましたら今日の洗濯物を干しにいく。
桜の服は次の日に帰るからと洗濯に出されておらず、そのため洗濯物は俺とイリヤの衣服とタオルぐらいである。
干すことを桜に毎回別にやらなくていいよと断ってはいるのだが、桜はお世話になっているのでの一点張りで一緒に干すことになっている。
今回もこの恒例の儀式のようなものをしてから桜とイリヤの3人で干すこととなった。
ちなみに藤ねえは食ったらその後、横になったままである。
イリヤが洗濯かごから服を取りだし、広げた状態で俺と桜に渡す。
そして俺と桜はそれを干すとをただタンタンと繰り返した。
特段にイリヤは自身の洗った衣服を見られることに恥ずかしがったりはしないので、普通に広げて手渡されてくるのだが、それを桜は目敏く素早く受け取ったので結果イリヤの服はすべて桜が干していた。
――まぁ、こちらとしてもその方がありがたい。
とこっ恥ずかしくて口には決して出さないがちょっと安堵した。
居間に戻って時計を見ると、短い針は9時を通りすぎていたので俺はこれからの支度を始める。
「今日は3人ともどうするんだ?俺はバイトがあるからもうすぐ出掛けるんだけど」
「えー。シロウ今日はいないの?」
「昼過ぎには帰ってこれると思うけどな」
案の定イリヤはブーたれるがこれも生活のためなのでしょうがない。
「そうなんですか、ちょっと残念です。私は昼前に帰る予定ですのでこれで一旦お別れですね」
「うーん、わたしは今日休みかなー。昨日に全部済ませてきちゃったし」
「へー、じゃあタイガはいるのね」
「あの、それじゃあ3人で買い物しにいきませんか?」
「買い物?何を買うの?」
「おー、いいね桜ちゃん!パーっといこーか。少しぐらいならお姉さんおごっちゃうよ」
「はい。イリヤさんに服とかプレゼントしたいんです」
そう3人で盛り上がっていたので俺は静かに居間を出る。
イリヤは買い物と聞いて目をキラキラとさせていたし、桜と藤ねえもイリヤにはどんなのが似合うかとウキウキと語り合っていた。
そして俺はコートとマフラーで防寒対策をして、いざバイト先の飲み屋『コペンハーゲン』へ出発する。
「おはようございます、ネコさん」
まだ開店していない店に入り、お酒の在庫管理をしているネコさんに挨拶をする。
ちなみにネコさんとは蛍塚ネコさんと言う方でネコをどう書くのかは教えてもらってない。
「お~、エミヤん。おはよー」
俺に気がつくと取り出していた酒を戻し、メモ用紙も丸めてポッケにいれてから近づいてくる。
「エミヤんさぁ、来て早々悪いんだけど、今日は柳洞寺にケース2つを運んで行ってくれないかなぁ。それが終わったら今日はもう上がっていいから」
「えっ、寺にですか?寺って禁酒の場所じゃなかったでしたっけ」
「あー、いいのいいの。あそこ生臭だし、常連だから」
「それならいいんですけど……。ケース2つですか、わかりました」
「ほんとごめんね~。零くんが昨日の夜に急ぎで注文してくるからさ。いつもならアタシが運んじゃうんだけど今日はどうしてもねー」
ネコさんは本当に申し訳なさそうに話してくる。
しかしこれは確かに大変な仕事だ。
ケース2つと言うことは40キロはくだらないだろう大荷物を、ただでさえここから遠い柳洞寺へと運ぶのだ。
さらにそこにつくには地獄の階段を上らなければならない。
俺は「よし」と掛け声を呟いてからケースを台車にのせて出発する。
まだ朝の冷たい空気のなかでガタゴトと路面に小さく弾かれながら瓶が割れないように注意を払って進む。
人が少なかったのでここまでたいした問題も起きることなく円蔵山の裾まで来れた。
――さて、ここからもう一踏ん張りだ。
俺はケースをどけてから台車を畳み、邪魔にならないように階段の端に立てかけて2つの酒瓶の入ったケースを抱える。
これからこれを持ってこの少し長い階段を上るのかと思うとちょっと辟易するが、ここで立っててもなにも解決はしないので気合いをいれて俺は登り始めた。
腕が少ししびれながらも山門までたどり着く。
冬の気温のせいか空気が重たく感じ、疲労が余計にたまる。
「――そこな少年。少し待たれよ」
山門の前を過ぎる時に突如横から声がかけられる。
「――えっ」
「ふむ、それは酒か?どれ一升もらうとしよう」
突然の声に驚きながら振り向くと、横にいたのは長髪の髪を後ろで1つにまとめた髪型で軽い羽織を纏った優男であった。
そして軽い調子で手を伸ばされ、ケースから瓶を1つ抜き取られる。
両手が塞がっているせいもあり、そしてあまりの自然な動作のせいで俺はただその手を追うことしかできなかった。
「――あっ、おい!」
我に返り、取られた瓶を取り返そうとその優男に呼び掛けながら目線をあげると。
――そこには誰もいなかった。
「えっ?」
一瞬呆けてしまい、すぐに気を取り直してケースを見てもやはり一本抜かれている。
回りを見渡し。
「おい、どこにいるんだ。それを返してくれ」
誰もいない山門で俺は一人叫んだ。
しかしその声は脇の林の中へと吸い込まれるようにして消え、俺しかいない山門はまた静寂さに包まれる。
明らかに自然なことではない。
普通なら警察に届けるべきなのだがどこか神秘の気がして躊躇してしまう。
果たしてどうしたものかと逡巡していると。
「なんの音かと思ったら士郎くんじゃないか。こんな朝早くにどうしたんだい?」
寺の方からがたいのよい、黒い作務衣の坊さんがやってくる。
その声に俺は自然と背が伸びてしまう。
「あっ零観さん、おはようございます」
「ああ、おはよう。ふむ、一成を来させようか?……ん、ああそうか。ネコ君の代わりにお酒をここまで運んできてくれたのか」
その人は柳洞零観さんで俺の親友の一成の実の兄にあたる。
「はい、そうなんですけどここに来る途中で瓶を一本……」
果たしてなんと言おうか俺は迷っていると。
「ああ、割ってしまったんだね。まあ無理を言って急ぎで運んでもらったんだ。全額払わせてもらおう」
「えっ。いやそれは――」
素直にわけを言えることができずに言葉に迷っていると、零観さんは俺が積み上げて持っている上のケースをひょいと取り、そのまま柳洞寺に向かってしまった。
こうして俺は申し訳ない気持ちのまま代金を全額いただいてしまったのだった。