百合なら許すと彼女は言いました 作:日記の栞
まったく。どうして高校はクラス替えなぞ行うのだろう。
今年から二年生になる真里奈にとっては大して問題ではないのだが、周りがキャーキャーと騒いでいる。それが真里奈にとってはうっとうしかった。
「……とっ」
「きゃっ……」
うるさいので、自分のクラスだけ確認し早々と去りたかったのだが、間が悪かった。
調度、彼女とは反対側からクラス表を見ようとしていた少女と衝突する。
「ごめんなさい。怪我ないかな?」
「だ、だいじょうぶです。すいません、私周りを見てなくて」
「いや、私も見てなかった」
衝撃で倒れてしまった少女に手を差し出し、引き上げる。
(へえ……うちの学校にこんな子がいたんだ)
人形のように端整な顔をした、線の細い少女。背を覆う髪は少し色素が薄く、彼女を異国のお姫様のように見せる。美九ともいい勝負だろうか?
「ど、どうかしましたか?」
「ああ、ごめん、ごめん。綺麗だったからつい。いや、本当になんでもないよ? じゃあね」
マジマジと見ていたことが失礼に思い、謝るのもそこそこに早足でクラスへ向かう。
そんな真里奈と彼女を、周りの女子生徒たちが羨ましそうに眺めていた。
「五河さんに手を差し出されるなんていいなぁ」
「私もされたい」
「いや、あんたは望み薄いでしょ。やっぱり、折紙さんみたいに綺麗じゃないと……」
「百合っていいわよねぇ。あたし、真里奈ちゃんとなら全然いけるんだけど!」
それが聞こえていたのか、真里奈とぶつかった少女——折紙は頬を赤らめていた。
「五河……」
ふと、張り出されているクラス表を確認し、自分のクラスの名簿を順に見ていく。
「五河真里奈さん、か。クラス、同じなんだ」
クラスを確認し終えた少女は、他の生徒の間を早足に抜けていった。その顔は、わずかに微笑んでいた。
一方、自分の割り振られたクラスだけ確認し、すぐに教室に向かうはずだった真里奈は、飲み物を買ってからクラスへと向かっていた。
飲み物は二本。むろん、両方自分用である。
「なんで紅茶なんて買ったんだろ。私飲めないのに……」
理由は簡単だった。
お金を投入する前から、自販機のボタンを手のひらで押していたからである。体重を自販機に預けるようにしていたための悲劇である。
片方は紅茶。もう片方は缶コーヒー。飲めるのはコーヒーだ。では、紅茶はどうするか……それが真里奈にとっては面倒な事案であった。
「捨てるのも悪いしなぁ」
それは置いといて、教室についたのは先ほどから五分が経つころだろう。
教室について気づいたことだが、クラスはわかっていても席の確認はしていなかった。
「黒板にあるのか……っと、窓際なんだ。ふふっ、運がいいなぁ」
自分の席が窓側から数えて二列目の席だったことに気をよくし、その席に鞄をかけた。
「ん?」
そこで、初めて気づいた。
お隣さんは先ほどぶつかった少女だ。
(さっきは中途半端にしか謝らなかったっけ。よし!)
「ねえ、あなた——えっと、折紙?」
あなた呼ばわりは失礼かと思い、座席表を見直してから呼びかける。
「えっ?」
突然のことに驚いたのだろう。
思いっきり不審がられた。しかし、こういった態度には慣れっこである。
幼い頃や、美九との出会いで鍛えられた精神力はこの程度では折られない。
「さっきはごめんね。これ、折紙の分」
自分が飲めない紅茶を折紙の机に置くと、反応は一切聞かずに席に腰を下ろした。
「え、あ、あの……」
「……」
聞こえていないわけではない。反応を示すのが面倒なのだ。これで紅茶を返されたら、自分で飲まないといけない。
それは真里奈にとって望むところじゃないのだ。
「……」
「……」
それから予鈴が鳴っても、二人の間に会話はない。
しばらくして、折紙は机に置かれた紅茶を、音を立てずにそっと自分の鞄の中へと閉まったのだった。
「はーい、皆さーん。ホームルーム始めますよぉー」
目の前の教室から、ここのクラスの担任の声が聞こえてくる。
今日は四月十日。
真里奈の通う来禅高校の始業式だ。
どうやら、担任の先生は生徒に人気があるらしい。先生が入ってきた瞬間、クラス中が湧いた。
そして、クラスに誰がいるのか把握し終えた生徒たち。主に女子生徒が騒ぐ騒ぐ。
「やったわ! 五河さんがクラスメイトで良かった!」
「確かに真里奈さんかわいいしね! 一年のときに寝てるときの顔を見たんだけど、すっごいかわいいの!」
「うそ!? あたし的にはいまから水泳の授業が待ち遠しいんですけどぉぉぉぉっっ!!」
口々に感想を述べていく女子達。
クラス内の女子はほぼ全員真里奈の話題に白熱している。解せぬ……。
だが、ただ一人だけ、その輪に入らない女子も存在したのだが。
白髪が綺麗な少女は、真里奈とは全く関係のない方向に視線を向け続けていた。
いや、彼女に関係のあるものをジッと見ていたというべきか。そう、先ほど渡された紅茶だ。
鞄の中に視線が向いている。
ちなみに、真里奈は女子の声が鬱陶しく感じているらしく、ずっと机を枕にして俯いている。
「そういえば、五河さんって鳶一さんと話してたよね?」
「あ、それ見た!」
面倒なことになると悟ったのか、自分の名前が出てきた瞬間にクラスから出て行ってしまった。
それを横目で見ていた真里奈には、出て行った理由がわからなかった。
(……?)
この始末だ。
普通、あれこれ聞かれるのを恐れ出て行くものだろう。真里奈には、そうした普通の感情が欠落している。
それから三時間後。
生徒たちは、始業式を終え、教室を後にしようとしていた。
——と、その瞬間。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ—————
教室の窓ガラスを揺らしながら、街中に不快なサイレンが鳴り響いた。
——空間震警報。
(なんでこんなときに)
起こるにしたって、いまであるべき必要はない。
別に、ここの生徒たちはシェルターがあるから無事だろう。ただ。気がかりになることがひとつ。
生徒は全員シェルターに向かっている。
そんな中でただ一人。
シェルターに向かう列とは逆方向に向かう少女がいた。
「折紙、どこ行く気?」
「気にしなくていい。これは私の問題」
淡々と言葉を紡ぎ、早々と去っていった。
「いまの、折紙? さっきと全然違うような……」
(もっとおとなしいというか……いや、言葉遣いも違ったかな)
そんな違和感を覚えた。
しかし、それもいま問題にするべきではない。
空間震が絡むということは、自分は否応なしにそこに向かう必要があることを示していた。
折紙に続くように列を外れ、昇降口へと走り出した。
「今度は、争わなといいんだけど……」
今朝押しかけてきて、滅茶苦茶なことをした少女を思い出す。
避難が完了し、人がいない町を走る。やはり、何度見てもこの不気味だ。そう思わずにはいられない。
体力含め、体のつくりには自信のある真里奈は、全力疾走をしながらも疲れを見せずひた走る。
そうして、目的地につくころ。
真里奈は視界に、何か動くモノを見た。
「……なに、あれ……」
数は三つか四つか。空に、人影のようなものが浮いている。
だが、すぐにそんな事を気にしてはいられなくなった。
「うわっ……」
真里奈は大型台風もかくやというほどの風圧に煽られ、後方へと吹き飛ばされた。
「危ないなぁ……琴里が人の身体の上で踊るくらい危ない」
自分が思ったより無事な事を確認すると、周りに目を向けた。
「——え——?」
間の抜けた声が、喉から漏れた。
いままで目の前にあった街並みが、一瞬のうちに——跡形もなく、無くなっていたのだから。まるで、隕石でも落ちたかのように。
否、どちらかといえば、地面が丸ごと消し去られたかのように。
冷静になっていく頭が、現状を作り出した原因を探るように、視線を動かす。
「なるほど。今の爆風はこの惨状の余波かな」
言葉とは関係なく、その視線はクレーターのようになった街の中心にある——否、いると言うべきか。玉座に足をかける、奇妙なドレスを纏った少女の姿を見ていた。
肩に、腰に輝く漆黒の鎧。そして胸元と下半身を覆うように広がった、実体のない闇色のベール。
「あの子——そっか、今回はあの子か。見るからに戦えますって感じだね」
と、少女が気怠るそうに首を回し、ふとこちらの方に顔を向ける。
「うわぁ……」
嫌そうな声をあげた瞬間、少女が目の前に立っていた。
そう、それはクレーターの中心にいた少女である。右手には、剣が握られている。
「……っ!?」
「——おまえも……か」
酷く疲れたような声だった。
「——————あなた、は……」
長い間を有し、真里奈は少女に声をかけた。
「……名、か。——そんなものは、ない」
どこか悲しげに、少女は言った。
「——っ!」
そのとき、真里奈は見てしまった。
——少女の目を。
ひどく憂鬱そうな——まるで、今にも泣き出してしまいそうな。自分がそうであったように、世界を啼かせてしまいそうな、目を。
「ねえ、あなたはどうして悲しそうな目をするの?」
真里奈は、少女が危険な存在であるだろうとわかった上で、それでも話しをしたかった。
なんで自分と同じ目をしているのか、知りたかった。
だがやはり、それは否定された。
「貴様に話す必要はない」
「なんで?」
「——うるさいものだな。お前も、私を殺しに来たんだろう?」
少女から発せられた言葉に、真里奈は混乱した。
話には聞いていた。彼女たちがそういうものだと、実際に救った美九のときも、聞いてはいた。けれど、彼女のときはそんな状況には陥らなかった。
(私は、どうすればいいの? この世界には美九と似た——いや、もっと酷い状態の奴が何人もいるの? だとしたら私のするべき事は、やっぱりひとつだ)
真里奈が思考を張り巡らせる中、銃声が鳴り響いた。
辺りを見ると、こちらもまた奇妙な格好をした人間が数名、空を飛んでいて——あまつさえ、手に持っている武器を少女に向けて構えていた。
(って、私ごと!?)
真里奈は慌てて、目の前の少女を連れて逃げようとするが、無論間に合うはずもなく。
「ま、待って待って待って待ってェッ!!」
少女と共にミサイルの餌食になるその直前。
「こんなもの、無駄だと何故学習しない」
少女が手をかざすと、いままさに発射されたミサイルが圧縮されるようにへしゃげ、その場で爆発した。
「た、助かった……?」
なにかをしたと思われる少女へと視線を向ける。
(手をかざしただけでミサイルが潰された? そんな子と戦っても、勝ち目なんてあるのか?)
空に浮かぶ少女達が束になってかかっても、眼前の少女には全く歯が立たないだろう。
なのに何故、武力で勝っている彼女の方が、あんな目をするのか。
(私は、やっぱり彼女を——)
「……消えろ、消えろ。一切、合切……消えてしまえ……っ!」
少女が剣を振るう。
ガギィィィィィィン
だが、剣が振り切られる事は無かった。
「プリン……セス。——倒す。私が」
横から割り込んできた白い少女によって阻まれていたからだ。
最初に目に入ったのは、その装いだった。
しかしそれも当然である。身体の線に沿うように纏わり付いたドレス。満開の花のように大きく広がったスカート。そして、頭部を囲うように浮遊したリングから伸びた、光のベール。——それら全てが、目の覚めるような純白で構成されていたのだから。
「——天使……」
真里奈がそうこぼした。確かに、天使のように見える。
しかし、すぐに気づく。
その少女の顔は。
人形のように端整な顔をした、線の細い少女。背を覆う髪は少し色素が薄く、彼女を異国のお姫様のように見せる。
「おり、がみ……?」
小さな声で紡がれた言葉は、誰にも届くことなくかき消されていった。