目が覚めたらスラムでした   作:ネコガミ

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本日投稿4話目です。


第28話『防衛戦挑戦者へのインタビュー』

これは月刊ワールドボクシングファンの記者がした、ウェルター級世界タイトルマッチの元挑戦者にしたインタビューの一幕である。

 

 

 

 

「今回のウェルター級世界タイトルマッチへの挑戦は残念な結果になりましたね。」

「僕なりに勝算はあったのだけどね。結果を見ればその見積もりが甘かったとしか言えないよ。」

 

「私には貴方が見事なアウトボクシングを展開していた様に見えましたが、手応えはどうでしたか?」

「パンチが当たらなかった事を除けば手応えは十分だった。あのままリズムに乗っていけば、いずれはスモーキーホークのミスを誘えると思ったよ。」

 

元挑戦者の言葉に記者は頷く。

 

「ボディーストレートに合わせてスモーキーホークに踏み込まれましたが、如何でしたか?」

「驚いたね。あのボディーストレートで、僕は多くのボクサーを相手に距離を制してきたんだ。あのボディーストレートは僕のボクシングの要だったんだが、それをあっさりと攻略されてしまったよ。」

 

元挑戦者の言葉に記者は困った様に苦笑いをする。

 

「それを言ってしまってよかったのですか?」

「もちろん記事にしてくれて構わない。それを利用しようとしてくるのを含めて戦略を練ればいいからね。それに、僕は僕のボクシングを一から作り直す必要を感じているんだ。カムバックをした時には、僕のボクシングは以前の僕と別のものになっているだろう。」

 

「どんなボクシングを見せてくれるのか楽しみです。ちなみにそれは聞いてもいいですか?」

「はっはっはっ!すまないが、それはシークレットだ。」

 

茶目っ気たっぷりに元挑戦者がウインクすると、記者は笑ってしまう。

 

「ボディーストレートに合わせて踏み込まれた後、スモーキーホークにロープ際まで追い込まれた貴方はカウンターの左フックを放ちました。あれは狙っていたのですか?」

「もちろんだ。私は何度もチャンピオンのビデオを見返して戦略を練り上げた。その戦略の一つがあのカウンターだったんだ。」

 

今では多くのボクサーがホークを研究している事を知る記者は何度も頷く。

 

そして近年始まったインターネットサービスが普及していけば、そこで多くの者が意見を交換していく様になるだろうと記者は考えているのだ。

 

「あのカウンターの左フックを放った後の事は覚えていますか?」

「ノー。気が付けば僕はダウンしていた。ビデオを何度も見返したが、あのカウンターが避けられたのが今でも信じられないよ。それほどに僕はあのカウンターが完璧だったと思っているんだ。」

 

記者も会場に足を運んでタイトルマッチを見ていたが、あの光景は今でも信じられない出来事なのだ。

 

「一度はダウンから立ち上がった貴方ですが、そこでセコンドがタオルを投げ入れました。その事についてどう思いますか?」

「感謝しているよ。おかげで君のインタビューに笑顔で応える事が出来ているからね。」

 

小さくため息を吐いた元挑戦者が言葉を続ける。

 

「一度立ち上がったと君は言ったが、正直に言うと僕はその事をほとんど覚えていないんだ。だからあそこでセコンドがタオルを投げ入れてくれなければ、僕はどうなっていたわからない。あまり想像したくない事だが、カムバックは難しくなっていただろうね。」

 

元挑戦者の言葉に記者は唾を飲み込む。

 

ボクシングはリングの上で事故が起こってしまっても不思議ではないスポーツである。

 

だからこそ人々は熱狂し、惜しみ無い称賛の声を選手に送るのだ。

 

「最後に何かあればお願いします。」

「世界チャンピオンのベルトを巻いた経験の無い僕が語っても、説得力は無さそうだけどね。」

 

そう言って元挑戦者は肩を竦めたが、真面目な顔になって話し始める。

 

「僕はデビュー戦から一貫してアウトボクシングを続けてきた。それが僕のボクシングだと思っていたからだ。だけど、スモーキーホークとの試合を終えた今ではその考えが変わっている。僕はただ、変化を怖れていただけなんだとね。」

 

自嘲する様に苦笑いをした元挑戦者は言葉を続ける。

 

「今の僕なら心から言える。変化を怖れてはいけない。スモーキーホークが造り出す新たな時代に適応出来なければ、僕達は旧い時代のボクサーとして取り残されてしまう。だからもう一度言おう…変化を怖れてはいけない。」

 

「僕のボクシングがどの様に変化していくのかはわからない。でもその変化をしていく中で僕は、ボクシングを始めた頃の様に心からボクシングを楽しめる事を確信しているよ。」

 

 

 

 

この記事を書き終えた記者は、机の引き出しから包装された小さな箱を取り出す。

 

その箱の中身は婚約指輪だった。

 

元挑戦者の変化を怖れてはいけないという言葉を聞いた記者は、恋人との関係の変化を望み、勇気を出してこの婚約指輪を用意したのだ。

 

ちなみに婚約指輪を用意するための費用は、先のホークの防衛戦で稼いだものである。

 

「変化を怖れてはいけない…。」

 

早鐘の様になる心臓を落ち着ける為に、記者は大きく息を吐き出す。

 

そして力強く椅子から立ち上がった記者は、一世一代の大勝負に向かう男の顔をしていたのだった。




次の投稿は15:00の予定です。

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