目が覚めたらスラムでした   作:ネコガミ

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本日投稿1話目です。


第35話『とある女性新人記者の嘆息』

side:飯村 真理

 

 

アメリカのハイスクールを卒業して日本に帰国した私は、両親の伝を使ってとあるボクシング雑誌の編集部に職を求めた。

 

私はもともとスポーツを見る事が好きだったのだけど、スポーツの中でも特にボクシングに傾倒する様になった。

 

そのボクシングに傾倒したキッカケは、アメリカで出来た友人の中にコアなボクシングファンがいたのだけど、その友人に連れられて約1年前のブライアン・ホークのデビュー戦を見に行ったこと。

 

彼のデビュー戦は本当に衝撃的だったわ。

 

スピード、パワー、テクニックの全てが常識外れで、デビュー戦の彼の相手が可哀想に思った程。

 

彼のデビュー戦の観戦が終わると、休日に彼がいるというジムに押し掛けた私は、彼にサインをお願いした。

 

その時に彼は…。

 

『あ~…サインなんてしたことねぇぞ。』

 

と言って困った顔をしていた。

 

言葉遣いは少し乱暴だったけど、なんというか…同年代の男性には無い包容力の様なものと、可愛いと思える愛嬌がある人だった。

 

気が付けば、私はブライアン・ホークのファンになっていた。

 

それからの私は可能な限りチケットを買って彼の試合を見に行き、見に行けない時は両親に頼んで彼の試合のビデオを手に入れて試合を見た。

 

家族でステーキハウスに食事に行ったとき、そこでたまたま彼と彼のトレーナーと再会してからは、時折一緒に食事をする様になったのはラッキーだったわ。

 

私は彼をブライアン、トレーナーをミゲルとファーストネームで呼ぶようになったし、彼等も私の事を真理とファーストネームで呼んでくれる仲になれたのは素直に嬉しかった。

 

そして史上最年少のボクシング世界チャンピオンになった彼の姿を見た私は、自らの歩む道をボクシング記者に決めた。

 

出来ればアメリカでそのまま就職したかったのだけど、両親との約束で成人するまでは共に暮らさなくてはならないから日本に帰国した。

 

そして今に到るのだけど…正直に言って日本のボクシングの現状に愕然としたわ。

 

アメリカを始めとした世界のボクシングファンは高度な駆け引きに盛り上がるのだけれど、日本のボクシングファンの多くは殴りあいで盛り上がる。

 

もちろん高度な駆け引きに唸る日本のボクシングファンもいるけれど、そういった人達は少数派。

 

そんな日本のボクシングの現状にため息が出たわ。

 

「着いたぞ、新人。」

 

職場の先輩である藤井さんの声で、私は思考を打ち切る。

 

「ここが藤井先輩が推す鷹村 守というボクサーのいるジムですか?」

「あぁ。」

 

ジムの看板を見上げると『鴨川ボクシングジム』と書いてある。

 

聞いた事が無いジムね。

 

「こんちは~。」

 

気軽な様子で声を掛けながら藤井先輩がジムの扉を開けて中に入っていく。

 

こういう所は日本らしいのかもしれない。

 

「あぁ、藤井くん。いらっしゃい。」

「八木さん、いつもと雰囲気が違いますけど…何かあるんですか?」

 

藤井先輩の疑問に、八木という男性がニコリと笑みを浮かべる。

 

こういった機微を掴む辺り、藤井先輩はそれなりに優秀な記者なのかもしれないわ。

 

いきなり新人を連れ出して実地研修するのはどうかと思うけどね。

 

新人記者として私が挨拶をすると、私と藤井先輩は八木さんに案内されてジムの地下に向かった。

 

「藤井くん、タイミングが良かったね。今日はうちの期待の練習生二人でスパーリングをする日なんだ。」

「へぇ、二人ですか…。一人は宮田として、後の一人は?」

「それは見てからのお楽しみだよ。」

 

期待の練習生…ね。

 

今の日本のボクシング界には一人も世界チャンピオンがいない。

 

だからこそ多くの日本人ボクサーが期待されて世界に挑んだのだけど、世界の壁に阻まれて返り討ちにあってしまっている。

 

世界チャンピオンを狙えるボクサーではなく、世界タイトルマッチに挑めるボクサーが限界なのが日本のボクシングの現状。

 

はたして、藤井先輩が推す鷹村 守はどうかしら?

 

私と藤井先輩が見学する中で期待の練習生二人のスパーリングが始まった。

 

一人は藤井先輩が知るボクサーで宮田 一郎という少年。

 

彼の基本に忠実なワンツーは、どこかデビッド・イーグルを思い出させてくれるわね。

 

そしてもう一人は…。

 

「八木さん、彼は?」

「あの子は幕ノ内 一歩くん。鷹村くんが連れてきた子だよ。」

 

幕ノ内というボクサーはインファイターね。

 

宮田君のアウトボクシングを中々捕まえられないけど、我慢強く一発を狙ってるわ。

 

そして1ラウンド目の終了間際、宮田君のショートフックをダッキングで避けた幕ノ内君はアッパーを放った。

 

幕ノ内君はどこかぎこちない動きをしていたのだけど、ショートフックをダッキングで避けてからのアッパーは迷いのない綺麗なものだった。

 

あのアッパーは予め想定していた一発みたいね。

 

そしてその一発で宮田君はダウン。

 

どうやらパンチ力はあるみたい。

 

宮田君が立ち上がって2ラウンド目に入ると、幕ノ内君は空回りしていった。

 

ダメージを抜くためにディフェンスに専念する宮田君と、それを必死に攻め立てる幕ノ内君。

 

2ラウンド目が終了すると、状況は完全に宮田君優勢になっていた。

 

そして3ラウンド目、完全に息が上がっている幕ノ内君は二度のダウンをした。

 

辛うじて立ち上がったけど、セコンドがタオルを投げ入れないのが不思議な程の状態ね。

 

日本はまだ精神論が中心みたいだし、棄権させないのはそのせいかしら?

 

宮田君が完全に優勢な状況で始まった4ラウンド目、ここで幕ノ内君はギャラリーを驚かせる程のキレがあるショートアッパーを放った。

 

当たれば一発逆転があったのだろうけれど、宮田君は見事な反応で回避した。

 

そして万策尽き果てたのか、幕ノ内君は宮田君のワンツーでリングに沈んだ。

 

終わってみれば確かに練習生とは思えないレベルのスパーリングだったわ。

 

八木さんが期待の練習生というのもわかる。

 

でも、私は藤井先輩程に喜べない。

 

何故なら私はブライアンを始めとした世界レベルを知っているから、彼等にあまり興味を持てない。

 

だから藤井先輩に可愛い気が無いって言われるのよね。

 

わかってますよ。ちゃんと仕事はしますから。

 

藤井先輩が興味を持ったというので幕ノ内君は任せて、私は宮田君に話を聞きに行くとしましょうか。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

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