side:鴨川
ぬう…届かなんだか。
リングに倒れた小僧を見ながら儂はため息を吐いてしまう。
いや、ボクシングを始めて数ヵ月の小僧が、宮田の息子に冷や汗をかかせたのじゃ。
上出来と言っていいわい。
ダウンをした小僧に治療を施して離れると、藤井が儂の所にやって来た。
「鴨川会長、彼の最後の一発は惜しかったですね。」
藤井の言う通りに確かに惜しかった。
じゃが、たらればを言うても結果は覆るわけではない。
小僧の…そして儂の負けじゃ。
「して、なんの用じゃ?」
「1ラウンド終了間際の一発でダウンを奪う彼のパンチ力に興味を持ちまして。」
一発で戦況をひっくり返せる小僧のパンチは確かに魅力的じゃ。
じゃが、それに頼ってばかりでは上にはいけぬ。
不器用な小僧では『打たせずに打つ』ボクシングは無理じゃ。
だからこそ、何よりも優先してディフェンス技術を鍛えねばなるまい。
少しでも小僧のボクサー生命を延ばす為にのう。
「彼…幕ノ内のデビュー予定なんかを聞かせてもらえますか?」
まだプロテストも受けておらん小僧のデビュー予定を聞いてくるとは…藤井め、小僧の事を気に入ったか?
「あくまで予定じゃが…小僧は減量させてジュニアフェザー級でデビューさせるつもりじゃ。」
「幕ノ内は宮田 一郎と同じ階級でしたか…個人的には伊達 英二のカムバックで盛り上がっているフェザー級で揉まれて欲しいと思いますけどね。」
「今日のスパーリングで小僧が勝っておれば、あるいはそういう道もあったやもしれんな。」
小僧と宮田一郎には伏せておったが、宮田とは二人の扱いについて話し合っておった。
今日の結果次第ではあったが、小僧が負けた以上は宮田一郎の都合を優先していく。
故に小僧がジュニアフェザー級で、そして宮田一郎がフェザー級でデビューじゃ。
「なるほど。ところで、幕ノ内がこのジムに来た経緯なんかを…。」
藤井がそんな事を言うと、鷹村がニヤニヤと笑いながら近付いてきおった。
余計な事はせんで、さっさと練習を始めんか!
◆
side:飯村 真理
「少しいいですか?」
私が問い掛けると、先程まで行われていたスパーリングについて話し合っていた宮田親子が、同時に私の方に振り向いた。
「あんたは?」
「月刊ボクシングファンの飯村です。今日は藤井先輩に連れられて、鴨川ジムに来ました。」
名刺を差し出しながらそう言うと、宮田 一郎君は小さくため息を吐いた。
可愛い気が無いわね。
「お嬢さん、一郎のボクシングをどう見たかな?」
「ストレート系のパンチで試合を組み立てていく様子は、先のオリンピック金メダリストのデビッド・イーグルのボクシングに少し似ていました。」
私がそう答えると、二人は驚いた表情を浮かべる。
この様子だと二人はデビッド・イーグルを知っているみたいね。
「アマチュアボクシングの選手を知っているとは…お嬢さんは随分とボクシングに通じている様だね。」
「アメリカの高校に通っていましたので、アメリカのボクサーについてはそれなりに。」
「なるほど。」
先程までの態度とは打って変わったわね。
女だからボクシングは知らないとでも思われていたのかしら?
「よろしければデビッド・イーグルのプロデビュー戦のビデオをお持ちしましょうか?」
「頼めるかね?」
「はい。代わりに私のインタビューに優先的に答えていただければ。」
「強かなお嬢さんだ。」
しばらく宮田さんと話をしていると、不意に一郎君が話し掛けてきた。
「なぁ、さっき俺のボクシングがデビッド・イーグルのボクシングと少し似ていると言ってたが、あんたは俺のボクシングとデビッド・イーグルのボクシングのどこが違うと思う?」
一郎君の言葉に、私は少し考えながら答える。
「そうねぇ…一郎君がカウンターを狙っているのは別として、デビッド・イーグルのボクシングとの違いはフック系のパンチかしら。」
「フック系?」
「一郎君のストレート系パンチは練習生とは思えない程にレベルが高いわ。でもそれと比べたら、貴方のフック系のパンチは相手に選択肢を強いる程の脅威を与えるものではない。1ラウンド目の終わりに、幕ノ内君にショートフックを狙って避けられた様にね。」
そしてカウンター気味にアッパーを食らった一郎君はダウンをしてしまった。
その事を思い出したのか、一郎君は苦虫を噛み潰した様な表情になる。
そんな一郎君を見て宮田さんは笑っているわ。
「くくく…これはストレート系のパンチ以外も鍛えていかねばな。」
宮田さんにそう言われた一郎君は、拗ねた様に顔を逸らしたのだった。
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