これは月刊ワールドボクシングファンの記者による、元WBCジュニアミドル級世界チャンピオンへのインタビューの一幕である。
「元チャンピオン、スモーキーホークとのタイトルマッチを振り返っていかがですか?」
「ニューヨーク市警は何故切符を切らないんだ?スモーキーホークは明らかにスピードオーバーしているじゃないか。」
元チャンピオンのジョークに記者は笑ってしまう。
その笑っている記者の左手を見た元チャンピオンが、嘆く様に首を横に振る。
「君は僕の独身仲間だと思っていたんだが…いつの間に裏切ったのかな?」
「ははは…。」
笑って誤魔化す記者に元チャンピオンはため息を吐く。
そんな元チャンピオンに記者は一つ咳払いをしてからインタビューを再開する。
「タイトルマッチの前は九度の世界タイトル防衛をした貴方が有利との声もありましたが、元チャンピオンはどの様に思っていましたか?」
「もちろん僕が勝つと思っていたさ。もっとも、リングに上がってみれば、そこには別人の様に成長したスモーキーホークがいたけどね。」
肩を竦めながらそう言う元チャンピオンに記者は頷く。
「貴方がスピード違反と形容した様に、スモーキーホークのスピードは衝撃的でした。」
「スピードだけじゃない。パワーもディフェンス技術も、僕のキャリアの中でナンバーワンのボクサーだった。」
元チャンピオンの真剣な眼差しに記者は息を飲む。
目の前にいる元チャンピオンは九度の世界タイトル防衛を持って、アメリカのボクシング界では名チャンピオンの呼び声が高い人物である。
その彼がホークに対して手も足も出ずに負けたのだ。
先のジュニアミドル級世界タイトルマッチの衝撃は、近年アメリカで始まったインターネットサービス上でも大いに話題になっている。
「勝ちの目は無かったのでしょうか?」
「もしの話は好きではないのだけどね。ノーチャンスだったよ。戦略以前の問題だ。スピードも、パワーも、経験も僕には足りていなかった。彼と戦う為の準備が、僕には無かったのさ。」
名チャンピオンの呼び声が高かった彼をして足りないのでは、一体誰がホークの好敵手足り得るというのだろうか?
そんな疑問を記者は持ってしまった。
「…スモーキーホークのライバル足り得る人物は誰でしょうか?」
「生憎、その質問の答えを僕は持っていない。だが、強いて上げるとしたら…デビッド・イーグルだろうか。」
元チャンピオンの答えに記者は驚いた表情を浮かべる。
「先のオリンピックで金メダリストになったデビッド・イーグルですか?」
「その通りだ。彼には僕と違って若さがある。例え敗れても、やり直せるだけの若さがね。」
元チャンピオンの言葉に、記者は悲痛な表情を浮かべる。
「元チャンピオン…カムバックは?」
「ノー。僕は既に34歳だ。強制引退まで3年しかない。今一度世界チャンピオンに返り咲く自信はあるが、スモーキーホークに勝てるだけの何かを身に付けるには時間が足りな過ぎる。」
そう言って首を横に振る元チャンピオンの姿に、記者は俯いてしまう。
何故なら記者は元チャンピオンのファンだったからだ。
「ファンの一人として、とても残念です。」
「ほう?では、世界タイトルマッチではどっちに賭けたのかな?」
「フィアンセとマイホームの購入を検討中とでも言っておきましょうか。」
先程までの悲痛な様子はどこに行ったとでも言える程に、記者はふてぶてしい様子を見せる。
そんな記者の姿に元チャンピオンは大笑いだ。
「元チャンピオン、最後に何かあればお願いします。」
「若きボクサー諸君、君達はラッキーだ。何故ならスモーキーホークと同じ時代にボクシングを出来るのだからね。既に全盛期を過ぎてしまった僕は、君達がとても羨ましい。」
「トレーニングを積みなさい。研究を重ねなさい。その一つ一つがボクサーとして、そして一人の人間としての財産となる。その財産を持って勝利を掴めるかはわからないが、悔いなく笑って引退出来たのならば、それは間違いなく勝利だ。君達がそうなれる事を希望する。」
◆
side:月刊ワールドボクシングファンの記者
「笑って終われたら勝利…か。」
記事を書いていた手を止めた僕は、両手を頭の後ろで組んで椅子の背もたれに寄りかかる。
「元チャンピオンは心から笑って引退出来たのだろうか?」
二十代で世界チャンピオンになった彼は一度世界チャンピオンの座から陥落している。
しかし不屈の闘志でカムバックを果たした彼は再び世界チャンピオンに返り咲いた。
だが、二度世界チャンピオンに返り咲いた彼の前にはライバルと呼べる相手がいなくなっていた。
七年に渡り九度の防衛を果たした彼だが、彼は常に強者との試合を求めていた。
そんな彼が求めていた相手…スモーキーホークと出会えたのが、皮肉にも引退を考え始めていた時期だ。
惜しい。
後五年…いや、三年早ければ、元チャンピオンはボクサーとして燃え尽きる事が出来ただろうに…。
ため息を吐いた僕はペンを手に取る。
あの偉大な元世界チャンピオンの言葉を一人でも多くの人に伝えるのが、今の僕の仕事だ。
ふと僕は左手の薬指に嵌めている指輪に目を向ける。
「…うん、悔いを残さない為にも、早く仕事を終わらせて彼女の所に行こう。」
意欲を燃やした僕は定時で仕事を終え、彼女と待ち合わせをしたレストランに行く。
そして彼女と共に食事をしていたその時、嬉しそうに微笑んだ彼女から新たに家族が増える事を告げられたのだった。
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