side:伊達 英二
リカルド・マルチネスとの世界タイトルマッチ当日、控え室で出番を待つ俺は、思ったよりも冷静な自分に気付いて驚いていた。
「俺もオッサンになったって事か?」
「英二、それは成長したって言うんだ。」
「あぁ、そうだな。」
オヤッサンの言葉に納得しながら頷く。
若い頃の俺は試合が決まる度に勝ちを確信する様な自信家だった。
あの頃の俺にもいい所はあったんだろうが、今の俺だからこそ持っているものもある。
それは…愛子と雄二だ。
惚れた女と愛する息子の存在をハッキリと自覚している今の俺は、確実に若い頃の俺よりも強い。
二人がいたから…俺は這い上がれたんだ。
「エージ、お客さんだよ。」
今日のセコンドについてくれるヴォルグが、笑顔でそう告げてくる。
あんな人のいい顔をするヴォルグも、一度リングに上がればボクサーの顔になる。
本当にボクシングは面白いぜ。
「おう!オッサン!」
「「こんにちは。」」
控え室に来たのは鷹村と宮田、そして幕ノ内だった。
「ミドル級世界チャンピオンはまだしも、日本タイトルが控えている宮田はいいのか?」
「問題ありませんよ、伊達さん。」
先月のタイトルマッチで鷹村はミドル級の世界チャンピオンになった。
俺も負けてられねぇな。
宮田はA級賞金王トーナメントに優勝して、日本タイトルマッチが控えている。
いや、宮田だけじゃない。
鴨川ジムは宮田を始めとして、青木と木村もA級賞金王トーナメントを優勝して日本タイトルマッチが決まっているんだ。
1つのジムが3階級を制した今年のA級賞金王トーナメントは、日本のボクシング界でちょっとしたお祭り騒ぎになった。
この勢いのまま、3人が日本チャンピオンになればもっとうるさくなるだろうな。
「伊達さん、頑張ってください!応援してますから!」
「おう、ありがとよ。」
幕ノ内はA級賞金王トーナメントには参加しなかったが、デビュー戦からKO記録を続けているジュニアフェザー級のホープだ。
なんでも数人は幕ノ内のパンチで肋や顎を砕かれちまって引退したらしい。
ヴォルグにも増してお人好しな雰囲気を持つ幕ノ内が、日本人屈指のハードパンチャーってんだから面白いもんだ。
後進が育って日本のボクシング界が盛り上がるのは嬉しいが、まだ託すには早ぇよなぁ。
そう思う自分に可笑しくなる。
カムバックした当初は勝っても負けてもここがゴールだと思ってた。
だが今の俺は先を考えている。
これはブライアンに影響されたか?
ボクシングが楽しくて、引退の考えが微塵も浮かんでこねぇ。
あぁ…いいな。
うん、いい。
こんな楽しいのを、そう簡単にやめられねぇよ。
腹を抱えて笑う俺を、皆が首を傾げて見ていたのだった。
◆
side:伊達 英二
胸を張って花道を歩いていく。
身体は熱いが頭は冷えている。
いい感じだ。
間違いなく今出来るベストを持ってこれた。
集大成…ってわけじゃねぇが、愛子や雄二の前でカッコつけるには十分だ。
俺の入場が終わってリカルド・マルチネスの入場が始まる。
やっぱ雰囲気がありやがるな。
フェザー級だって事を考えるとブライアン並みか?
上等だ。
カッコつけがいがあるぜ。
リカルド・マルチネスの入場が終わって、お互いの母国の国歌が順番に流れる。
誇りだのなんだのはどうでもいい。
そんなもんは後から勝手についてくる。
俺がリングに上がる理由は、惚れた女と愛する息子の前でカッコつけてぇだけだ。
それでいい。
それがいい。
さぁ、そろそろ始めようぜ。
行くぜ…リカルド・マルチネス!
次の投稿は11:00の予定です。