ブラフマン・マハーヴァーラタ   作:いんふる

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南郷寅次郎の試練

「……ここに、本当に神様がいるってぇのか」

 

 南郷 寅次郎は、幾度も繰り返した疑問をもう一度口にした。

 神竜寺を出ておよそ半日。変わらぬ山道を歩き続けている間に出た疑問である。

 

「寅次郎さんもしつこいっすねぇ。居る、居ないを問われても、本当にいらっしゃるとしか私には答えられないっすよ」

 

「それがまず信じられないんだよ。歴代の優勝者達は何も言わなかったのかい」

 

「大抵は、皆さんため息を吐かれて無言になっちゃいますねぇ」

 

「まぁ、そうだろうよ」

 

 寅次郎も彼らに倣ってため息を吐きたいところだった。

 

 闘神リーグを制して一夜明け。日本への帰国支度をしているところへ神竜寺よりまったが掛かった。

 何でも、優勝者には神との謁見が許されるため、帰国をする前に会いに行ってほしいという。

 

 嘘くせぇ、と寅次郎はまず思った。神様がこの世にいるもんかと。

 

 そのまま日本へ帰国することもできたが……寅次郎は神様とやらに会うことにした。

 ひとつ、興味を惹く事があったからだ。

 

 ……意を放つ。目の前の男を切るという意を。

 並大抵の強者なら、寅次郎の放つ意を感じ取り、即座に伐刀するはずだ。そうでなくても、反撃(カウンター)のための意を放つはずである。

 

 だが……するり(・・・)と躱された。寅次郎に意を放つことなく、ただただ一方的にこちらの意をいなされたのだ。

 

 目の前の、自分を案内する男。

 

 男にいくら切りかかる意を放っても、ごくごく自然に躱されてしまうのだ。

 実際に伐刀しても、同じ結果になるだろうことも寅次郎には分かってしまった。

 

 得体が知れない。寅次郎の観をもってしても、案内者の実力が知れなかった。

 

 寅次郎は強者を求めて闘神リーグに参加した。彼のサムライリョーマこと黒鉄 龍馬のような、強者と刃を切り結ぶことを夢想してはるばる中国の秘境にまで来たのだ。

 

 だが、寅次郎の夢想は現実とはならなかった。確かに参加者たちは素晴らしい実力の持ち主ばかりだったが…寅次郎に匹敵する、あるいは彼を超えるような実力の持ち主は居なかった。

 

 だが、寅次郎は己を超える者と出会うことができたのだ。

 

「神様んところへ案内するってのは、構わねぇ。だが忘れるなよ……」

 

「はいはい。お目通しが終わったら、私と一戦交える。もちろん覚えてるっすよー」

 

 本当に分かっているのかいないのか、男は軽い口調で答えた。

 

「……」

 

 しばらくお互い無言だった。案内男は相変わらず軽い足取りで、寅次郎は気分が現れた多少重い気持ちで。

 

 そうして歩いていて、ふと。寅次郎は疑問を投げかけた。

 

「そういやお前さん、名前はなんていうんだい」

 

 その疑問に対して、男の反応は鈍かった。

 

「あー……私に興味がおありで?」

 

「あるに決まってんだろ。お前ほどの強者だ、名前くらい知ってても罰は当たらんだろ」

 

「まあそうなんですが……寅次郎さん、あなたかなり出来るっすねぇ」

 

 案内男はしみじみと言葉を吐いた。

 

「あ?何のことだよ」

 

「実は私、伐刀絶技使ってたんすよ。私のことをあまり意識できなくなる、という技なんですがね。

 ……私と闘いたがったり、私の名前を聞いたり。寅次郎さん、あなたには効果が薄そうだ」

 

 男は困ったように頭を掻いた。しかし、なるほど、と寅次郎は思った。なぜ出会った端に、この男の名前を聞く、ということをしなかったのか、己の選択に納得がいった。

 

「なるほどな、初っ端あんたの名前を聞きそびれたのはそれが原因か。で、どうなんだ。名前くらいは教えてくれよ」

 

「……今日の主役は寅次郎さんと神様。私はただの小間使い。ですので私ばかり意識してもらっても困るんすけどね」

 

 はぁ、と男は息を吐いた。

 

「リー、と言います。リー・シャオリー」

 

「リーか、確かに覚えた」

 

 「そうやって意識しないでほしいんすけどねぇ」と頭を掻くリーに、寅次郎はわずかに笑ったのだった。

 

 

 

「さて、着きましたよ」

 

 しばらく無言で歩いたのち、リーはそういった。寅次郎は改めて目の前の光景を見るも、

 

「廃寺じゃねぇか……」

 

 人一人住んでなさそうな、寂れた寺院が目の前にあるだけだった。

 呆れたように呟く寅次郎に、案内男は大きく首を縦に振った。

 

「ひどい場所っすよね。私が何度建て替えましょうって言っても、聞いてくださらないんですよ、あの頑固神様」

 

 愚痴の中で出てきた頑固神様というフレーズに、寅次郎は小さく笑った。件の神様は、どうやらずいぶんと慕われているらしい。

 

 呑気な考え事をしていた寅次郎だが、その余裕は廃寺の敷地に入るまでだった。

 

「……っ!」

 

 慌ててその場から跳び退る寅次郎。その様子を見て、リーはいつものことだというように頭を振った。

 

「……おい」

 

「はい、何でしょう」

 

「あそこには()が居やがる」

 

 そういって廃寺を指さす寅次郎。彼らしくもなく、その指先は震えていた。

 

 ……見られたのだ、と。寅次郎には分かった。自分の足のさばき方を。重心の動かし方を。呼吸から心臓の一拍まで、遍くすべて観察された。

 

 警戒する寅次郎に、「だから言ったでしょう」と、リーは答えた。

 

「あそこには、神様がいるっすよ、て」

 

 

 そうして。

 寅次郎は、神様(・・)と邂逅した。

 

「神様、お連れしてきたっす」

 

「ご苦労、リー。汝が今年の優勝者か」

 

 目の前の、異形の男。4本の腕を持ち、首に紐のようなものを巻いた肌の青い男。

 

 男を視界に入れた瞬間から、寅次郎は絶句していた。

 

 リーを見た時も驚いたが、この異形の男はその比ではなかった。

 

 存在感。座禅を組んでいる異形の男の、なんと大きく感じることか。男が口を開く、その一挙一動すら神々しく感じられた。

 

 神様なんているか、と寅次郎は考えていた。だから、まさか本当に神のようなモノと会うとは考えもしなかった。

 

「私は、シヴァ。シヴァ・ブラフマンという。汝、名を何という」

 

「……南郷、寅次郎」

 

 かろうじて開いた口に、シヴァは困り顔で頭を掻いた。

 

「そう硬くなるな。私も主らと同じで、一介の伐刀者に過ぎないのだから」

 

 そんなわけあるか!そう、寅次郎は叫びたかった。お前のような一介の伐刀者がいてたまるかと。

 だが、口を開く余裕は寅次郎にはなかった。

 

 しばらく顎をしゃくり、こちらを観察していたシヴァと名乗る異形の男は、何かに納得すると立ち上がった。

 

「ふむ、汝ならばよいだろう。寅次郎よ。 ……汝、我が剣の一振りを見るか」

 

 シヴァが4本腕のうちの一本を振るう。すると、三日月のような形をした……シミターと呼ばれる武器がシヴァの手に現れた。

 

 言葉を返したのは、寅次郎ではなくリーだった。

 

「え?神様、マジっすか?」

 

「大マジだ。」

 

「だって、神様の一振りを見たら廃人(・・)になっちゃうっすよ!?」

 

 剣の一振りでどうして廃人になるのか、寅次郎には分からなかった。

 

「お前も乗り越えただろう」

 

「私も危うく廃人になりかけたんすが……」

 

「寅次郎ならば大丈夫だと直感したのだ。故に寅次郎、汝に問う」

 

 感じていた神々しさが一層強くなった。寅次郎は、立っているのもやっとであった。

 

「寅次郎よ。強きを求める求道者よ。汝、わが一振りを見て、さらなる力を手にすることを欲するか」

 

「……!」

 

 その言葉に。崩れかけていた体に、力が入った。

 

 闘神リーグの優勝。ここが、天辺だと思っていた。ここより上に、強者は居ないと。

 

 勘違いだった。リーがいて、シヴァがいた。自分を超える強者がまだまだいるのだと、寅次郎は悟った。なればこそ、さらなる力を求めるのは寅次郎にとって当たり前だった。

 

 戦いたい。互いの獲物を打ち合わせ、ひりひりする勝負がしたい。身も心も削るような勝負の果てに圧倒的な強者に打ち勝ちたい(・・・・・・)

 ……それが、寅次郎の伐刀者として、武芸者としての願いだった。

 

「……一振りを見るのが、どういうことか、俺には分からねぇがよ。

 力が手に入るのなら、是非もない!

 お前の言う一振り、俺に見せてみろ!」

 

「それでこそ、それでこそだ。我が剣の一振り、刮目せよ!」

 

 そうして。

 シヴァは流麗に剣を振りかぶりーー

 

 

 

 どうすれば強くなれるのだろう。

 

 寅次郎は頭をひねった。独力で技術を作り上げた。何者にも負けない力を身に着けた。だがここから先、どうすれば強くなるのか分からなかった。

 

 うんうんと唸っていると、ふわりと。顔のない男が剣を振るった。その剣はまさに、寅次郎が求めていたさらに強くなるため(・・・・・・・・・)の剣だった。

 

 喜び勇んで、寅次郎は顔のない男をまねて剣を振るった。だが、どうにもうまくいかない。

 もう一度。顔のない男の剣を観察する。足の運び。筋の動かし方。剣速。どれをとっても、寅次郎の上を言っていた。

 

 寅次郎はあこがれた。あんなふうに剣を振るえる自分を夢想した。顔のない男の振るう剣を何度も見つめて、まねして、見つめてまねしてーー

 

(ーー違う!)

 

 寅次郎は、正気に戻った。他人の剣をただただマネする機械になり下がり、自分の剣を殺すところだった。

 

(ここは、どこだ)

 

 さきほどまで己の前にはシヴァとリーがいたはずだ。だが、いまは暖色系のあいまいな空間に、寅次郎と顔のない男がいるだけ。

 

 唐突に、殺気を感じた。虚空に剣を振るっていた、顔のない男。その男が、明らかに敵意を持って己に剣を向けていた。

 

(……ああ、そういうことかい)

 

 寅次郎は理解した。ここを出るためには、顔のない男と戦い、打ち勝つしかないのだと。

 

 先ほど見た剣舞からすれば、寅次郎は顔のない男に勝ちようがない。力も技術も、あちらの方が上なのだ。だから、そのままでは絶対に勝つことはできない。

 

 だから、寅次郎は。

 

 

 

 

 寅次郎は、廃寺の床に倒れていた。

 

「顔のない男とは、私の修練の記憶の一部だ」

 

 シヴァは静かに語る。

 

「私の剣は与える剣。長い長い修練の記憶を、欠片にして人型にしたもの。強さは折り紙付きだ」

 

 リーは静かに拝聴していた。

 

「私の記憶に打ち勝つにはどうすればよいか。真似るだけでは、ただのデッドコピーだ。己が剣を貫き通すにも、修練が足りない(・・・・・・・)。ならばどうするか」

 

「食らうしかない。私の記憶を食らい、汝の体に合わせる。そのうえで、ひらめきを持って技と体を一致させるしかないのだ。

 

 ……よく戻ってきた、寅次郎……!」

 

「……まったく、無茶苦茶しやがって」

 

 のそりと。寅次郎は起き上がった。その顔は疲労の色が濃いがーー確かに何事かを達成した、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 夜。丸くかけた月を眺め、シヴァは一人酒をあおっていた。

 

 思い出すのは、試練を乗り越えた寅次郎のこと。寅次郎は、化けた。シヴァが手塩にかけて育てたリーをもってして、互角に戦えたのだ。シヴァの試練は、よほど寅次郎に影響を与えたようだ。

 

「寅次郎、寅次郎か……」

 

 寅次郎の名前を口にする。どうにも、懐かしい響きがした。なつかしさの正体はつかめなかったが……なぜだか、体に喜びの感情が走った。

 

 ふと、リーのことを考える。リーにはたしか、一人娘がいたはずだ。名前を聞いたときに、寅次郎と同じく懐かしい感情が走ったのを覚えている。

 

「……ふむ。育ててみるか」

 

 フー・シャオリー。彼女を育ててみれば、懐かしさの正体がつかめるかもしれない。

 それに、幼子ながらいかんなく才能を発揮していた彼女を育てるのも面白そうだ。

 

 ……いつか、自分に匹敵する剣士になるかもしれない。そんな淡い期待を込めて。

 

 年を取らなくなって幾星霜。シヴァは、人を育てることに幸福を感じていた。

 

 

 ……これは、英雄譚ではない。ただ現人の神が人と戯れる、神話の第一章である。


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