ブラフマン・マハーヴァーラタ 作:いんふる
「どうしようかな、これ……」
破軍学園の寮にて。扉を前に、黒鉄一輝は困っていた。
(部屋割りを間違えたのか……?)
一輝の前の、閉ざされた扉。自分に割り当てられた部屋のドアだが、今扉を開けるわけにはいかなかった。
何せ、部屋の中では皇女が着替えをしている真っ最中なのだから。
部屋番号の書かれた紙と扉を何度見比べても、皇女のいる部屋が一輝の部屋であることに間違いはなかった。部屋番号を割り当てた人が間違えたのか、ステラが部屋を間違えたのか。それともーー
一輝の脳裏に、人の悪そうな笑みを浮かべた理事長の姿が浮かんだ。
頭を掻く。とにかく、事情を説明するしかないだろう。そう思い、
「はい、どうぞ」
気の強そうな感じの声に導かれ、一輝は扉を開けた。
「あら、あなたは?」
そこには先ほど
「お初にお目にかかります、殿下。僕は黒鉄一輝。破軍学園の一年生です」
一輝はまず、当たり障りなくあいさつした。少し深く頭を下げ、礼をした。
「あら、ご丁寧にどうも。知ってるだろうけど、ステラ・ヴァーミリオンよ」
一方のステラは多少警戒が解けたのか、自己紹介を返してくれた。
「それで、一輝だっけ?私に何の用?」
「えぇと、実は……」
一輝はもう一度頭を掻いた。
「……ここ、どうやら僕に割り当てられた部屋みたいなんです」
ぽかん、と口を開けたステラを見て。場違いにも、一輝は可愛いと思ってしまった。
「どういうことですか、理事長!」
ステラと一輝は理事長室にいた。半ば怒鳴り込むようにして乱入した、と言い換えてもいい。
あの後二人は何度も自分の部屋割りを確認したが、何度見てもステラと一輝が同棲しなければならない事実が変わることはなかった。
話し合っていてもらちが明かないと考え、二人は理事長である新宮司黒乃に話を聞きに来たのだ。
「どういうことも何も。君たち二人はルームメイトだ、何も間違えてはないさ」
そうして、笑いをかみ殺しながら黒乃は続けた。
徹底した実力主義。近い実力の者同士をルームメイトにすることで切磋琢磨させる工夫。実力の近いものがいない
「……とまぁ、ここまで説明しておいてなんだが」
黒乃は笑いを引っ込めた。
勝手な理由で男女の同衾をされそうになり、もう一度怒鳴りつけようとしていたステラだが。
「お前なら、一輝についていけるかもしれない。そう思ったからこそ同室にしたんだ、ステラ・ヴァーミリオン」
黒乃の言葉に押され、ステラは口を閉じた。
「……私が、一輝についていく?」
疑問を上げる。隣にいる少年は、ステラからすると吹けば飛ぶような弱弱しい魔力しか感じ取れない。魔力があることも、最初は分からなかったぐらいだ。確かに体は鍛えているかもしれないがーーそれだけだ。
そんな少年を、まるで格上であるかのように言う黒乃を、ステラは理解できなかった。
そんなステラを見て、黒乃は顎に手を乗せ、ふむ、と呟いた。
「私がそう評するのが不服か、ヴァーミリオン」
「不服というか……理解できないです」
「それなら一度、模擬戦をしてみるといい。戦ってみれば、私の言うこともわかるだろう」
「それは……」
ちらりと一輝を見るステラ。彼女の脳裏に弱い者いじめという言葉が浮かんだが。
「かまわないな、一輝?」
「はい、僕は構いません」
きっぱりと、自分と戦うことを了承した少年に、呆気にとられ。
「どんな人が相手でも、僕はただ、勝つだけです」
続いた言葉に、一瞬意識が空白になった。
「……この私を相手にして、勝つ、ね。舐めてるのかしら」
部屋の気温が、急速に上がっていく。
「いいわ、一輝。そこまで言うのなら、相手になってあげる。……
訓練場には20人弱の生徒たちが集まっていた。いずれもステラを見に来た見学者だろう、おおよそ全員が彼女を注視し、あるいはひそひそと話し合っている。逆に、一輝の方に注目する輩は皆無だった。
「……これが最後よ。本当にやるのね、一輝」
「ああ。僕の答えは変わらないよ」
事ここに至るまで、ステラは一輝のことが理解できなかった。彼女からすれば一輝はただの凡人で。自分に勝つつもりでいるのが不思議で仕方なかった。
(……警告したのに無視したのはあなたよ、一輝)
「それではこれより模擬戦を始める。双方、
黒乃の言葉が空に響いた。
(ぶっとばして、目を覚ましてやる!)
「傅きなさい。
「ーー落ちろ。隕鉄」
「よし、では……試合開始!」
両者が幻想形態で武装を展開したのを確認し、黒乃は開戦を宣言した。
「ハァァァァアァ!」
瞬間、ステラはまっすぐに一輝へ駆け出した。一輝が間合いに入った瞬間、容赦なく振り下ろす。
対する一輝。ステラを観るのみ、動こうとしない。
一輝の頭に吸い込まれるように、大剣の一振りが振り下ろされる。すわ一撃で決着かと、観客席が沸きかけた、その時。
ーー唐突に、一輝の姿が掻き消えた。
「なっ!?」
振り下ろした大剣は、止まらず。大地をたたき、轟音を響かせた。
ステラは周囲の観客が騒ぐのを無視し、さっと周囲に目を走らせる。
だが、ステージの上には自分以外影も形もない。
(ーーいない。どこにーー)
いた。
一輝は目の前にいた。
ステラの振り下ろした
ステラは混乱する。どうやって自分の剣を回避したのか。どうして燃え盛る炎の中で苦悶の顔を浮かべないのか。なぜ幻想に足をつけるのか。
ステラには分からない。分からないが。
一瞬後、自分は切られる、ということだけは分かった。
(ーー殺される)
幻想であるはずなのに。自分の首を切られる未来を予感した。
(ーー殺される。殺される。)
死への恐怖で、頭の中がいっぱいになる。
(ーー殺される。殺される殺される殺されーー?)
ふと。一輝の顔が目に移った。
彼は真剣だった。彼は本気で、この試合に臨んでいるのだと、その顔から見て取れた。
(ーーは、)
死への恐怖が急速に引いていく。現れた感情は、怒りだった。他の誰でもない、自分自身への、怒り。
(ーー私は、私は
一輝をぶっ飛ばそうと考えていた。自分に勝つという夢見がちなことを言う彼に、現実を教えようとした。
ーー教えられたのは、ステラの方だった。彼の剣は間違いなく、ステラのそれを凌駕していた。
だが、ステラの憤りはそこではなく。
(一輝は、こんなにも私に剣を魅せてくれてる)
死に際のように、走馬灯のように。周りがスローモーションになる中で、一輝の剣が振るわれんとする。
流麗な剣だった。無駄という無駄を省いた、最低限の動きで振るわれる剣。彼自身の鍛錬を如実に映し出したそれを、ステラは美しいとさえ思った。
対して、ステラは。
(ーー私はまだ、
ステラが見せたのは、怒りに任せて振った剣術と呼ぶのもおこがましい剣、それだけだった。
(ーー動きなさい、私の体)
恐怖は、無くなっていた。
(早く、速く!)
あるのは、一輝へ本当の自分の剣を魅せたいという、小さな願い。
(体がどうなってもいい!今は、今だけは!)
ぎちり、とまるで時が止まっていたかのように微動だにしなかったからだが、動く。
(動け!動け!動けえ!!)
しかし、それは本当に微々たるもので。
--次の一瞬。剣が、閃いた。
「ーーっ!」
ステラは、がばりと身を起こした。
全身が汗だくだった。荒く息をし、落ち着こうと自身の体を抱きしめる。
しばらくして、顔を上げる。ふと、ベッド脇の小さな鏡が目に留まった。
いつもより余裕のない表情。汗。そしてーー首筋の赤い線が見て取れた。
「……くぅっ!」
体が、心が覚えていた。幻想なれど真に迫り、自分を殺した一輝。そのことを思う度、無力な自分に対する怒りが沸いてくる。
「ーー起きたか、ヴァーミリオン」
声がかかった。目を向けると、黒乃が煙草をふかしていた。
「理事長先生……」
大きく息を吐き、ステラは口を開いた。
「……彼は、何者なんですか」
「……何者と言われてもな。Fランクが妥当な騎士だよ、彼は」
「そんなことは聞いてません!」
ステラは叫ぶように言った。
「そうは言ってものな、伐刀者としてはFランクだとか、幼いころ留学の経験があるとか。その程度のことしか話せないぞ、私は」
「……そんな……」
うつむくステラ。そんな彼女に「だが」と、黒乃は続けた。
「あいつのことを知りたいのなら、あいつ自身に聞けばいいだろう。これからルームメイトになるんだから」
「あっ……」
そうだ。ステラはまだ生きてる。ならば、彼と話す機会はある。
「……ありがとう、理事長先生。あいつに、出会わせてくれて」
そういうと、黒乃はにやりと笑った。
「どうだ。日本に来た
「はい!」
(待ってて、一輝。必ずーーあなたに、追いついてみせる!)
願わくば、その先の一輝との再戦を予期し。
ステラは、決意に打ち震えた。
『ほう。中々愉快なことになっているな。』
「……僕はちっとも愉快じゃありません」
夜更け。一輝はタブレットを耳に当てて自らの
師は、その気になれば携帯機器などなくても、遠く離れた一輝と会話することが可能だという。
ならなぜ携帯を使うのか尋ねると、たまには
師匠のどこが文明人なのだろう。幼き頃からの、一輝の疑問だった。
閑話休題。
『それで、件の少女はどうだった』
「可愛らしい女の子でした。性格も……とっつきやすい方でしたし」
きついと言われる部類の性格なのは確かだろうが、一輝にとっては話しやすい方だった。
だが、師匠の聞きたいことは、そんなことではないのだろう。焦れるような雰囲気に、一輝はしぶしぶ口を開いた。
「実力の方は……よく分かりませんでした」
『嘘をつけ』
一瞬で看破されてしまう。
『お前が実力を把握できないわけがないだろう。他の誰でもない、お前が』
「……」
一輝は沈黙した。
『……まあいい。試合はどうだった』
「どうもこうも……感情任せに剣をたたきつけた彼女に、カウンターを取って、お終いです」
『ふぅむ』
師の唸るような声が聞こえた。一輝としては、それ以外に説明のしようがなかった。他に何かあるとすればーー
「……あっ」
『む?どうした』
「いえ……最後の最後、僕が剣を振るうまで……彼女の目、死んでなかったなって」
思い返すは、彼女の目。絶望的な状況だろうに、何かをなさんと決意した瞳。
とてもきれいだ、と思った。
『……そうか』
師は、短く返すのみだった。