歴史は勝者によってつくられる。
統一戦争に勝利し、悲願の統一を成し遂げた日本も、その点に関して余念はなかった。
ただし一九四五年を発端とする分断の歴史を自分の都合良くねじ曲げることが(まったく無かったとは言えないが)目的ではなかった。
彼らは今の、そして将来の国民に対し、大和民族が分断の悲劇を乗り越え、いかに統一を成し遂げたかを伝えていかねばならなかった。それは二〇〇〇万人の「国民」を抱えた統一日本にとって国民意識形成という一大事業に必要不可欠なものだった。
一九九四年に戦争は終結し、日本民主主義人民共和国を名乗る政体は消滅したものの幼い頃から共産主義に染められた「エリート層」は、容易にそれを認めなかった。
彼らにとってすれば、一生を掛けて貢献するように教え込まされてきた党と祖国を、そして約束された出世の道を、悪辣なる帝国主義者たちに奪われたのだ。
留萌ー釧路線の北側に在住するすべての人々に対して日本国民としての権利を与えるために法改正を進めていたが、「国家」が地方公共団体へと格下げされれば、失われた祖国が彼らに約束していた出世の道のそのほとんどが反故となることは、明らかだった。
特に軍人はそうだった。北海道の人民赤軍は、大半が自衛隊と干戈を交えることなく戦争が終わった。選抜教育学校と呼ばれる共産党が設置した洗脳教育紛いのエリート養成校をでている青年士官が、武装解除に応じた上官を射殺した例もあった。そこまで直接的な行動を起こさなかったにせよ類似した思いをもつものは少なくなかった。
「赤軍残党」と呼ばれる祖国を失ったことを認めようとしないテロリストたちが生まれるのは、当然の帰結だった。
日本政府にとって想定内の範囲だったとはいえ、それは悪夢でしかない。
統一直後、二〇〇〇万の「国民」がテロリストたちに同調しない保証はなかった。旧北日本の人々は確実に自分たちの新たなる支配者とかつての支配者を比較する。そこからかつての「祖国」のほうが良かったと考える者は、数万単位で現れるだろう。彼らが本当の意味での「革命」を成すことを日本政府は本気で恐れていた。
だからこそ「道北・樺太振興法」の制定によって、急速な復興と同時に、彼らを「国民」として日本国の価値観の中に取り込む必要があった。
国民が共有する「価値観」とは、教育によってのみ醸成される。共通の「歴史観」はその根幹を成すものといっていい。
統一後の日本政府は、国家事業としてそのテの歴史教育を重んじた。
具体的な政策として、各地に歴史を扱う博物館を多数設けた。その代表的なものが旭川につくられた統一記念公園と平和資料館だろう。
分断により市街がDMZとなったことで、被爆後ほとんど手の着けられていなかった旭川は、道央の首都そして統一の象徴として急速に都市計画が策定された。その中核となるのが統一祈念公園、そして統一平和資料館だった。
そこは明治の開拓期の繁栄からソ連の侵攻、被爆、分断と旭川と道北が歩んできた歴史を直視し、二度と祖国分断などあってはならないと見学者に植え付ける使命を帯びていた。そのために被爆した兵士の悲惨な姿を模した人形や、NSDが北日本の人々にした諸行とともに、日本政府が、北日本の人々を救うためにどれほどの努力をしたのかなどとプロパガンダにも余念がなかった。SRIの極秘任務だった「雷鳥計画」を開示して彼らをヒーローに仕立て上げることまでした。
「歴史」の共有は必要不可欠だが、それだけでは国民形成には片手落ちだ。歴史は幼い小国民たちには有効だが、数十年間違う視点から眺めてきた人々に必要なのは「未来」、統一によってもたらされる輝かしい「未来」。
日本国が国民に提供できる「未来」とは、すなわち宇宙だった。
それが、国立沖縄航空宇宙博物館が生まれた由縁だった。
その日、一人の男がホームに降り立った。壁面には「宇宙港正門駅」の名板が誇らしげに掲げられている。
男は老人と言うほかない年齢だったが、怠惰で不健康な若者よりもよほどしっかりとした足取りだ。
滑走路に配慮しつつも高架になっている駅からは広大な宇宙港がよく見えた。
宇宙港でもっとも目立つリニアー・カタパルトが、空に突き刺さるように伸びている。沖縄縦貫鉄道で縁もゆかりもないSLの保存運転が行われている理由が察せられるほどには、現実離れした情景だ。
男は、高架を降りて目的地を探した。国道の向かい側に「宙博はこちら!」と宇宙服を着たシーサー(マスコットキャラクターだろう)が案内する大きな看板があった。
少し南へ歩くと、左手にゲートが見えてきた。国立沖縄航空宇宙博物館の文字もある。男は迷わず入っていった。
ゲートを入るとすぐに白亜の要塞が見えてきた。その傍らに<ひかり>計画に使用されたHー1ロケットがそびえ立っている。
男が、しばらくその前で佇んでいると、館内からかりゆし姿の職員が飛び出してきた。
「提督、お待たせしてすみません。私、学芸員の榊原と申します」
「待ってはないよ。今、来たところだ」
「ここではお暑いでしょう。さぁ中へ」
館内に入ると心地よい冷気に包まれた。
夏休みとあって、多くの家族連れがチケットカウンターに並んでいた。ここは空を愛する少年少女たちにとってのメッカだった。夢に見た世界に足を踏み入れる興奮を隠しきれない子供たちを、提督と呼ばれた男は、目を細めてみていた。榊原が言った。
「夏休み期間中は毎日がこうです。子供たちは、国の宝ーなんて最近は言いませんが、希望すればNASDA職員や自衛隊OBが懇切丁寧に案内します。二一世紀のプロジェクトを動かしていく人材を今から育てているんですよ」
男はうなずいた。ふと大人にも目をやると何人かが、男に向かってぺこりと頭を下げていた。賓客へのそれではない。リタイアした同業者、そして階級が上のものへの態度だった。
彼はそれに手を軽く挙げて答えた。
榊原に促されて、男は展示室へ足を踏み入れた。
巨大な部屋、いや格納庫といったほうが正しいだろう。二宮忠八の玉虫型飛行器にはじまり、ライト・フライヤーのレプリカや、ニューポールやアルバトロスなどの間をすり抜けていく。ここは草創期の空がテーマらしい。
「宙博にいらっしゃるのは、はじめてですか?」
「ああ、沖縄にはあまり縁がなくてね」
足早にそこを抜けると、次は男の見慣れた機体がひしめいていた。
通路左手には、九九式艦爆、九七式艦攻、そして零戦二一型。右手には一式「隼」など大戦初期の機体が陸海に分かれて並ぶ。足を進めていくと時代が下り、三式「飛燕」や零戦五二型などが現れた。男は懐かしげな目でそれらを眺めていた。榊原は説明の必要もないだろうと、黙って先を歩いていた。
そして次のホールへの出口近くに、それはおいてあった。くすんだ銀色の肌が鈍く光を反射している。B-29スーパーフォートレス。その周りには合衆国海軍の艦載機が並ぶ。日本本土空襲に加わった機体たちだ。その向かい側には、空襲を迎え撃った日本機が対峙するように静かに佇んでいた。
男はその中の一機の前で立ち止まった。
川西N1K2-J「紫電改」。帝国海軍最良のレシプロ戦闘機の姿がそこにはあった。
「提督、申し訳ありませんが、お時間が」
「失礼。なじみの機体だったからな」
そのまま進めば、冷戦機ホールに入るはずだったが、榊原は通路を曲がり、別の場所に案内した。そこは宇宙港の滑走路に面し、後ろには巨大なシャッターが降りていた。入り口には「黒木ホール」と記されていた。
「こちらが、今回の企画展の会場になっています」
メインのホールほど大きくはないが、B747くらいは収まるであろう広さと高さのある空間だった。
その真ん中に三機の機体が並べられていた。
左から先ほども見た「紫電改」、葉巻のような形をしたMIG-17、そしてその二機とはかけ離れた近未来的シルエットを持ったF7Uカットラス。
三機は開発した国も違えば、製造年代も違う。同じ戦争で戦ったわけでもない。ただ三機の共通点はその塗装だった。
黄色いラインが2本、どの機もどこかに入っている。
男は、じっと三機を見つめていた。
熱心に写真を撮っているマニアや、展示パネルを興味深げに眺めていた少年は、入り口に佇む男に気がついたようだった。彼らは自然と拍手を捧げた。それがきっかけとなってほかの観覧者も男と存在に気づいた。拍手はいつしか万雷のようになっていた。
「提督、どうぞよろしければ壇上に。少し早いですが、よろしくお願いします」
男は頷いた。シャッターの前に据え付けられたステージの上にあがると、館内アナウンスが響いた。
「ご来館の皆様にお知らせします。まもなく企画展会場、黒木ホールで、菅野直退役海将補による講演会が開催されます……」
パイプ椅子は瞬く間に埋まり、立ち見客が何重にも集っていた。子供から大人まで彼らの目は、同じ想いで輝いていた。幾度と無く少年誌や戦記雑誌で取り上げられた伝説のエース。その実物が目の前にいるのだ。
男は—菅野直は、マイクを握った。そして語りはじめた。
これは三つの国の三つの戦争を三つの機体で戦った一人の男の物語である。