東方九心猫   作:藍薔薇

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疲れた人間

 外が明るくて何もせずに寝転んでいることが悪い気がして、私は深く帽子を被って人間の里を歩き回っていた。とはいえ、別に何かするために出掛けたわけでもないから、せいぜい本日も人間の里は平和でした、となればいいだろうと思いながら妙な者がいないか見回っている。

 

「ん?」

 

 そんな時、ふと掠れた鳴き声が聞こえてきた、と思って家と家の細い隙間に目を向けてみれば、いかにも死にかけな猫を見つけた。その猫はその場から動くことなく、肉を感じさせないほどにやせ細っていて、毛並みが碌に揃っておらず、そして見るからに年老いていた。病気などではなく、明らかに寿命である。きっと残り数日であの猫は骸と化すだろう。

 まだ死にたくない、なんて言って嘆いているようだが、知ったことではない。死ぬときは死ぬべきだ。

 そう思ってこれ以上あの猫について考えることを止め、私は再び何事もないことを確認するために歩き出した。

 

「……えぇ」

 

 ……そう、思いたかったんだけどなぁ。

 ゆらりと蠢く何かを背後から感じてしまい、振り返ったところで見てしまった。面倒事になりそうな瞬間を見てしまった。人間が霊に憑かれた瞬間を見てしまった。

 霊に憑かれた哀れな人間はその場で立ち止まり、腰を低くしながら周囲をキョロキョロと見回している。周囲にいた他の人間達はちょっと不思議なものを見る目で憑かれた人間をチラッと見ていくが、特に気にすることなくすぐに日常へと戻っていく。……妙なこと仕出かさなきゃいいんだけど。

 私は道を少しだけ戻り、先程見かけた猫のいた隙間を覗く。……死んでいた。ほんの僅かな残り香とも言える妖力を漂わせながら。あーあ、今日も平和でした、で済めばそれでよかったのに。はぁ。

 私はその場で振り返って、あの疲れた人間を視界に収めながら紫様に通信を繋ぐ。

 

『紫様』

『あら、彩じゃない。どうかしたかしらぁ?』

『未練たらたらな猫の霊に人間が憑かれたんですが』

『そう。なら、どうにかしてみせなさい』

 

 どうにか、って。どうしろと、と訊こうとした時には通信がブツッと途切れてしまった。……これが再試験ですか、そうですか。はぁ。

 猫の霊に憑かれた人間は、両手を前にだらんと下ろしながらおぼつかない足取りで歩き出す。これで四足歩行の真似事をしていたら、もっと面倒事になっていただろう。そのくらいこの場には人間が多過ぎた。はぁ。

 ……まぁ、だから何も出来ないわけではないのだが。

 

「痛っ」

 

 右手がバリッと痛む。その痛みが徐々に強くなり、指先が震え出す。手の平に浮かぶ妖力が反転し、清く白く光り出す。退魔の妖術。成りたての猫の霊程度なら、きっと今の私でも祓えるはずだ。ただし、祓った後で残った人間が無事かどうかは別問題だが。

 そんなことを思って自嘲し、私は偶然を装うなんて面倒なことをせずにそのまま霊に憑かれた人間の元へ歩き出す。そして、ふらふらしている人間の肩に手を乗せた。当然、その手の平に浮かんでいたものは人間に叩き込まれる。

 

「ぎにゃっ!?」

「気分悪そうですが、大丈夫ですか?」

 

 突然変な声を上げた人間とその隣にいた私に周囲の視線が一気に集まったが、そのくらいなら容易に想像がつく。だから気にすることなく、私はまるで心配するような顔をしながら、人間にさも心配しているかのような声色で語りかける。

 

「どうやら、疲れてるみたいですね」

 

 ビクビク身体を震わせている人間に、そしてその中に憑りついている霊に、私は微笑みかける。そんな私に顔を向けた人間の表情に恐れが浮かぶ。何だよ、そんな顔すんなって。ちゃんと取り除いてあげるから。

 追加で流し込んだ。右手が痛んだけれど、それで済むなら楽でいい。

 しばらくすると、人間から何かが弾け飛んだ。瞬間、恐れを浮かべていた顔がハッとし、右や左をしきりに見回し出す。……憑かれてすぐだったから、喰い潰されずに済んだかな。それはよかった。

 人間の無事にホッとしながら、私は見上げる。弾け飛んだそれを見遣り、そして目が合った。何故だ、と言わんばかりの瞳を見て、私は顔を下ろした。

 

「お嬢ちゃん」

「え、はい。何でしょう?」

 

 もう済んだと思って、私は人間の肩から手を離したら、その場を去る前に呼び止められて振り返る。

 片手を頭の後ろに当てた人間は、真っ直ぐと立ちながら私に照れ笑いを浮かべた。

 

「なんか、ボーッとしてたみたいだ。あんがとな」

「いえ、お気になさらず。ですが、お気を付けて」

 

 そう言って軽く手を振り、私はその場から去った。ちょっと疲れた人間がいた。それでいい。それでいいんだ。

 ふと、猫の霊を思う。私もあんな感じなのかもな、と。……まぁ、どうでもいいか。

 ちなみに、紫様には辛うじて合格を貰えた。しかし、次の試験はまたいつかと言われて、私は肩を落とすのだった。

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