普段は食卓として使っている机の上に身体をのべーっと伸ばしていた。窓から見る空が眩しい。今夜だよ、今夜。あー、嫌だ嫌だ。面倒臭い。何でいちいち月に攻め入らねぇといけねぇんですかねぇ? まぁ、やりますけどね。はぁ。
そんな私の目の前に一つの湯呑が置かれた。視線を湯呑を持っていた手の先に向けてみると、小さなスキマが開いている。湯呑の次は饅頭が置かれ、そしてスキマを大きく広げた紫様が降りてきた。
「随分固くなってるわね。緊張してるのかしら?」
「……そりゃあ、まぁ。今夜でしょう?」
「えぇ、そうね」
身体を起こし、湯呑を手にしながら妖しく笑う紫様を見遣る。何でそんな自信満々でいられるんだか。はぁ。
まぁ、いいや。後で自分から顔を合わせようと思っていたけれど、紫様から来てくれたならちょうどいいし、今のうちに訊いておこう。
「紫様は、生きてて楽しいですか?」
「この上なく楽しいわ。そういう貴女は、……楽しくなさそうね」
そう言われ、私は思わず目を逸らし顔をしかめてしまう。こう、まるで見透かされたような言葉はあまり好きじゃない。はぁ。
無論、楽しくなんかない。どうしてかな。楽しいって思えないんだ。思いたくないのかもしれない。あの時助けてくれなければ、と思って自嘲する。まぁ、そんなもしもは深く考えないことにしよう。取り返しがつかないし、この上なく面倒臭いから。
「どうして楽しいんでしょうかね」
「やりたいことを好きなだけやれるからよ。貴女にも一つくらいあるでしょう? やりたいこと」
「やりたいこと、ねぇ」
そう言われて思い浮かべたのは、訓練だった。いや、これは私じゃないか。家事も私じゃあない。奉仕も違う。挑戦も違う。遊びも、殺しも、考察も。かと言って、何もしたくないわけでもない。……あれ、私がしたいことって何だっけ?
そこまで考えたところで、僅かに蓋が開く音がした。いや、音なんてしていない。した気がしただけ。……そうだ。まだ開く時じゃあないし、そもそも開くべきではない。だってそうでしょう? 私は弱いんだから。
「……そうね。貴女はそうだったわね」
そんな言葉が聞こえ、私は紫様に顔を向けた。憐れむような目だった。……止めろよ。そんな目で私を見るな。
「他のと違って、貴女はこれと言ってやりたいことがない。他人任せなのに、肯定も否定も半端でどっちつかず」
「……分かってるなら訊かないでくださいよ」
「そうね。貴女をそうしたのは私なのだから」
紫様はそう言いながら、私の口に饅頭を無理矢理押し込んだ。急に何を、と思いながらそのまま咥えていると、けらけら笑い出す。本当に何なんだよ。はぁ。
「けれど、ただ一つ貴女にブレないものがある。それは弱くあれ、としているところ。……私が気に食わないところ」
私は口に押し込まれた饅頭を手にして咀嚼しつつ聞いていた。気に食わないのか。碌に知らないくせによく言う。あるいは、知ったようなことを言う。
そう思っていると、人差し指を突き付けられる。紫様の鋭い視線と目が合う。
「たった一度の失敗で止めるなんてもったいないわ。貴女はこうして生きてるのだから、もう一度やり直せるでしょう?」
勝手なことを言うな。やり直すのは嫌いだ。二度と御免だ。
けれど、一歩だけ踏み出してしまった私には、非常に縋り付きやすい甘言でもあった。
「……紫様。以前、生者として生きろ、とおっしゃいましたよね?」
「言ったわね」
一つ深呼吸を挟む。次の問いの答えで、私がどうするかを決めよう。……あぁ、やっぱり私は他人任せだ。
けれど、しょうがないじゃないか。私は、一人で勝手にやって取り返しのつかないことをしたんだ。他の誰かに決定を譲らないと、やっていられない。
「藍を殺しても、許されますか?」
「許すわ。決してさせないけれど」
……あぁ、そうだよ。
「博麗の巫女を殺しても、許されますか?」
「許すわ。決してさせないけれど」
許されないとかほざいてるくせに、許さないでと泣くくせに、許される方が辛いくせに。
「幻想郷を壊しても、許されますか?」
「許すわ。決してさせないけれど」
私は誰かに許されたいんだ。
「貴女を殺しても、私は許されますか?」
「許すわ。決してさせないけれど」
そうじゃないと、踏み出すことすら出来やしない。
「……本当に?」
「その程度のことも許せないほど、小さいつもりはないわ」
そっか。
それなら、私は一線を踏み越えてしまえるよ。