「今日も何事もなさそうですね」
私は人間の里の大通りを見回しながら歩いていますが、急を要するような怪我人も、今すぐ取り除かなければならないようなものもなさそうですね。
そんなことを思っていたら、少し遠くからすすり泣く声が聞こえてくる。それと同時に、改めて大通りの人間の流れを見詰めていると、不自然に歩みが早くなったり遅くなったりしている場所があります。それは、すすり泣く声がする場所とほぼ一致していました。すぐ向かいましょう。
人通りの間を縫うように進んでいくと、そこには大通りの隅にしゃがみ込み膝を擦りむいてしまって泣いている子供がいました。周りの人間達は心配そうに眺めながら、あるいは関係ないとばかりに歩みを止めずにその場を去っていく。私はすぐにその子供の隣にしゃがみ込んだ。
「僕、大丈夫?」
そう訊ねれば、涙をためた目をこちらに向けてフルフルと首を横に振った。そんな子供の頭を撫で、安心させるためにも私はこれからすることを口にする。
「痛かったんだね。じゃあ、私がその傷を治してあげるから」
「え……?」
困惑したような声を漏らした子供の膝に手を添えて、その傷を癒してあげる。少しずつ傷が塞がっていき、やがて傷は完全に塞がった。
「ほら。これでもう大丈夫」
「本当だ! もう痛くない! ありがとう、お姉ちゃん!」
「どういたしまして。これからは気を付けてね」
怪我が治ってはち切れんばかりの笑顔を浮かべた子供はすぐに立ち上がって、私に大きく手を振りながら走り出していった。元気になったのはとても喜ばしいことなのですけれど、あの慌てっぷりではまた転んで怪我をしてしまいそうでちょっとばかり不安かしら。
以前までは人前で大っぴらに癒しを施すことは出来ませんでしたが、別に隠してはいませんでしたが私が紫様の式神であることが世間に露呈してしまった結果、人間の里にあるルールの例外になることになりました。つまり、私が化け猫であることを見せてもあまり問題ではなくなったということ。人間達の中には、私が紫様の式神である以上多少の妖術が使えて当たり前という認識があり、ああして怪我人を癒すことが出来ても何ら不思議ではなくなる。だから、私としては嬉しい変化ですね。
帽子を目深に被っていると、耳が押し潰されて少しばかり痛めてしまうことがあったんですよね。これからも必要な時は被りますが、不要な時には被らずに済むというのはいいことでしょう。
「げっ」
「あら」
今日は一ついいことを出来たかしら、と思いながらスッと立ち上がると、そんな私に二人が反応したからくるりと振り返る。一人は大きな笠を被った薬屋さんで、もう一人は同じような笠を被っているけれどまったく正体を隠せていない輝夜さんだった。よく見れば、薬屋さんは鈴仙さんじゃありませんか。
「こんにちは、鈴仙さん、輝夜さん。私に何かご用でしょうか?」
私は二人に微笑んで挨拶をしましたが、鈴仙さんは首を横に振った。どうやら、単に私を見かけただけで特に用はなかったみたいですね。
ですが、私はちょっとだけ用があります。そう思いながら私が輝夜さんに足を踏み出すと、その間に鈴仙さんが立ち塞がった。
「何する気なのよ?」
「私はちょうど輝夜さんに一つ訊ねたいことがあったんです。そこを退いてくれませんか?」
「そうなの? 一体何かしら?」
「姫様!?」
私がそう言うと、輝夜さんは鈴仙さんの横を抜けてきた。なので、私は輝夜さんに顔を向けて一つ問うた。
「貴女は、死にたいですか?」
そう言った瞬間、私の眉間に鈴仙さんの人差し指が向けられる。静かな殺気が私に刺さる。しかし、輝夜さんがその腕に手を添えて微笑むと、鈴仙さんは困惑しながらもその手を下ろした。
「いいえ。今はまだ」
私は生き延びることで救われることがあると思っている。生きていれば、変化が訪れる。だから、私は傷付いた者を癒すべきだと考える。
しかし、死によって救われる者がいることも知っている。死んでしまい、終焉が訪れる。だから、私は死を望むならば楽にしようと思う。
目の前にいる輝夜さんは、どちらとも言えない方だ。永遠を生き続けなければならない苦しみで死を望んでいるものの、今を生きている変化を楽しんでいる。だから、私は改めて訊いておきたかった。
輝夜さんの答えを聞き、私はホッと胸を撫で下ろす。楽にしてあげるべきだとしても、施す私はやっぱり辛いもの。
「そうですか。それならいいんです」
「話はそれだけみたいね。貴方の飼い主に愛想が尽きたらいつでもこっちに来ていいのよ?」
「いえ、今のところは」
「そう、残念」
そう言いながらも嬉しそうに微笑む輝夜さんは、鈴仙さんを連れて去っていった。私はその二人をその場で手を振って見送る。そして、二人の姿が遠くに言って見えなくなったところで、私は二人とは逆の方へ歩き出した。
こうして歩いていると、人間の里は平和そうに見える。それでいい。ああして癒さなければならないことにならないのが一番だもの。
けれど、たとえ平和だとしても私が何もしないことはない。それは外にではなく、内側にいる。私が一番に癒さなければならない存在は、私達の『中心』だ。世界を自分の都合で終わらせ続けたことで、限界寸前まで擦り切れてしまった。だから、今ある世界を癒し続けていきたいと思っている。それがたとえ余計なお世話だとしても、何もしないなんて私には出来ない。そのために、私達の『中心』にはたとえ死を望んでいようとも生き延びてもらわなければ困る。そうでないと、私が伸ばす手がなくなってしまうから。
自分勝手な贖罪のためにも、私は手を差し伸べ続けていきたい。