縁側から雲一つない晴天を見上げつつ、温めに淹れたお茶を一服。お茶菓子として用意した二つの饅頭のうちの一つを手に取って一口ずつ頬張りながら、特にやりたいことはなく、別にやるべきこともなく、ボーッと流されるままに一日を過ごしている。柔らかで温かな日差しは心地よく、優しく頬を撫でる微風は気持ちいい。
別にわたしが表に出ている理由は大したことではない。他のが内側で疲れたからと休みたがっていたり、最近表に出ていたからと譲っていたり、出る理由がないからと断ったり、安らかに眠っていたりで、わたしに白羽の矢が立っただけの話。代われと言われれば代わります。言われないのなら表にいます。難しく考える必要はない。それくらいでちょうどいい。
「……ん」
残りの饅頭を食べようと手を伸ばし、滑るように艶やかなものに指先が触れる。明らかに饅頭とは違う感触。そちらに目を向けてみれば、小さなスキマから伸びた八雲紫の手だった。どうやら八雲紫はわたしが用意した饅頭を食べたいらしいので、そのまま指先を離して饅頭を譲る。そのまま八雲紫の手は饅頭と共にスキマの向こう側へと戻っていき、そして音もなくスキマが消え去った。
半分ほど残していたお茶をぐっと飲み干し、ほぅ……と一息吐く。このまま何事もなく一日が終わる。ささやかだけど、生きるだけなら劇的な変化なんて必要ない。人妖も男女も公私も賢愚も善悪も好悪も正邪も美醜も紅白も白黒も明暗も有無も真贋も真偽も可否も正誤も増減も加減も曲直も大小も長短も高低も長幼も強弱も軽重も緩急も寒暖も難易も開閉も清濁も和洋も天地も今昔も考えるだけ無駄。今を生きるのにわざわざ考えずともいい事柄。そういう些細な差異なんて、すべからくまとめてどうでもいい。
コトリ、と湯呑を置いて空を見上げていると、その目先に大きなスキマが開いた。そして、そこから八雲紫の上半身が飛び出してくる。
「ねぇ、彩」
「ん」
「これから久し振りに古い友人に会いに行くの。貴女を連れて行きたいのだけど、構わないわよね?」
「ん」
別に構わない。誰かが決めたのなら、わたしはそれに流されるだけだから。八雲紫が伸ばしてくる手をそのまま受け入れ、掴まれた肩から引っ張られる。力強く引っ張られたわけじゃないのに、まるでわたしが綿にでもなったかのようにふわりと持ち上げられ、わたしはスキマの中に吸い込まれた。
「さぁ、着いたわよ」
「ん」
スキマを通った先は、薄暗くてジメッとしていてちょっと寒気がするなんだか不気味な場所でした。ふわふわと浮かぶ丸くて白い何か。
さて、八雲紫が着いたという割には古い友人らしき人物は見当たらない。そう思っていたら八雲紫は歩き出したので、わたしはその後ろに付いていく。
「見ての通り、ここは冥界よ」
「……ん」
どうやら、冥界らしい。死者の向かう場所、だったかな。わたし、生きてるんだけど、大丈夫かな。生きてるし、大丈夫か。
少し歩いていると、それはもう立派な屋敷が見えてきた。そして、八雲紫は立ち止まることなく中に入っていく。わたしもその流れに乗って中に入った。手入れの行き届いた庭だ。維持が大変そう。やってる誰か、頑張れ。
そのまま庭を歩いていると、二振りの刀を腰に提げた人間が見えた。刀。殺傷可能な武器。わたしは八雲紫の背後に身を隠す。こうすればまぁ大丈夫でしょう。
「……貴女が紫様ですか? それに、その化け猫は……」
「私が紫よ。それと、この子は私の式。さ、幽々子を呼んで頂戴」
「そうでしたか。では。……幽々子様ー! 紫様が来ましたよー!」
……大丈夫だった。なら、いい。そのまま黙って八雲紫に付いていく。
縁側に腰を下ろした八雲紫に合わせて、その隣に腰を下ろすことにする。少し待てば、床に足を付けることなくふわりと何者かが現れた。明らかに生きていない雰囲気。彼女が八雲紫の古い友人かな。目が合った。にこりと微笑まれた。
「あらあら、面白い猫を連れてるじゃない。この子は?」
「八雲彩。私の新しい式よ、幽々子。ほら、挨拶」
「……ん」
「……へぇ、やっぱり面白い子ねぇ。少し欲しくなっちゃった」
ゾワリ、と悪寒がした。別に八雲紫の式が剥がされて、幽々子と呼ばれた何者かのものになること自体は構わない。それが、生きてるなら。けれど、そうじゃない感じがした。
ゆらり、とわたしは立ち上がる。愉し気に微笑む幽々子と呼ばれた者を見詰め、わたしは思う。流されるだけで済むならそれでよかったのに……。
「悪戯はそこまでにしなさい、幽々子」
「やぁん、紫はせっかちねぇ。ちょっと遊んだだけじゃない」
「貴女にあげるつもりなんてこれっぽっちもないわ。私はただ自慢しに来ただけだもの」
「あーら、自分から言うかしら普通? それじゃあ、私の可愛い可愛い妖夢の自慢をたっぷりしてあげるわ」
「えぇっ!? ゆ、幽々子様っ!?」
「えぇ、望むところよ。どちらが上か、勝負といきましょうか」
「ん」
……何だか分からないけれど、あの嫌な雰囲気は雲散霧消した。なら、いい。わたしは静かに元のように座った。
何やら慌てている妖夢と呼ばれた者から受け取ったお茶を飲みながら、わたしは二人の言い争いを聞き流す。今日もわたしは生きている。それでいい。