私は内側に投げ込まれたとはいえ、左腕には激痛の残滓がある。いちいち見るまでもなく、内側にいる私に傷なんてない。けれど、痛くないはずだけど痛いのだ。経験した痛みは、すぐには引いてくれないから。
けれど、そんな痛みよりも、もっと痛いものがある。
『……ねぇ』
『何でしょう?』
『私は、今、紫様に、……処分、されてる、の、かな……?』
『可能性としては有り得ます。目の前で起きているこの状況は、全て紫様の手によって起きていると推測出来ます。鬼に関しては主犯の擦り付けに利用しているとも考えられますから。些か遠回しに感じますが、不要と思われたのならば、抹消されるのも不思議なことではないでしょう』
……あぁ、そっか。やっぱり、そうなんだ。まぁ、うん、しょうがないね。私に至っては何も出来ないし。私が言うのも何だけど、他のだって今ではただの化け猫の延長線だ。要らないなら棄てる。非常に分かりやすい。
「おらおらおらぁっ!」
「チッ」
目の前の敵を排除するために跳び出した表のの様子を見上げてみれば、鬼の両腕から繰り出される乱打を右に左にと躱しているのが見えた。左腕は当然治っていない。治せない。癒せない。痛いだろう。痛いはずだ。けれど、気にしてたら一撃まともに喰らって死ぬ。鬼から目が離せない。
あーぁ、弱いなぁ、私。今を生き抜くには、少なくとも目の前の障害である鬼を払う必要がある。勝利にせよ、交渉にせよ、逃走にせよ、だ。勝つ? 無理だ。話し合う? おそらく無理だ。逃げる? 無理だ。まさに四面楚歌。
『……どうする?』
なんて訊くくせに、私は既に諦めている。別にもういいや。やるべきことがあるわけでもなく、やりたいことがあるわけでもなく、出来ることがあるわけでもない。そんな私が生きている理由なんて、他のがいるからくらいだ。……あぁ、後は紫様に生き長らえさせてくれたからもあるか。ま、今まさに処分されてる真っ最中なんですが。
『一番槍は俺の役目だと思ってたんだがなぁ』
『あのオニをぶっ潰せばいーんだろ?』
『……ちょっと待てよ。何言ってるの?』
意味が分からない。……いや、分かっちゃいけない。理解を拒否しなくては。けれど、そう考えている時点で理解してしまっていることは明白で、二つの意志が嫌ってほど分かってしまう。
『ちょっくら行ってくる』
『やってやろーじゃねーか!』
そして、一つは勇敢に果敢に戦場である表に跳び出し、もう一つは鬼を潰すために表に跳び出していった。原則を自発的に破り、表のは三つになったのだ。……駄目だよ、それは。駄目なんだって。
「よっと、邪魔するぜ――っしゃー!――ふん。足を引っ張るなよ」
「うおっ、なんか増えた!? おらっ!」
「うぉっと――あっぶねー!」
「あらら、動きがごちゃごちゃだねぇ。これでも喰らいな!」
「右だ――左!――右――だあーっ! 右なんだな!?」
表のの動きはちぐはぐだ。そりゃそうだ。三つの意思が合っていないのだから。けれど、鬼の攻撃を前に右だ左だ言いながら、ギリギリのところで躱せている。けれど、それがいつまで続けられるか……。
それに、そもそも、表には一つまでだって、そう決めたじゃないか。同じ轍を踏まないために。どうして破った。どうして……。
『さて、私も出るとしましょうか』
『僕も僕もー!』
『……え。な、何で……』
次々と起こることに押し潰されて頭を抱えていると、さらに二つが表に出ると言い出し始める。
『何もせずに死ぬならば、何かして僅かな可能性を掴みましょう。そのために私は知識を身に付けてきたのですから』
『僕は死んだら楽しくない。だって、そこで終わっちゃうからね。今は楽しく生きなきゃねっ!』
そう言って、一つは可能性を掴むために表に跳び出し、もう一つは今を続けるために表に跳び出していった。表のは五つになったのだ。……待ってよ。ねぇ、止めてよ。お願いだから。
「僭越ながら参上します――やっほーい!――両腕上げんな! 痛ぇだろーが!」
「おーい、まだ増えるのかい? 面白い、おらぁっ!」
「黙れ。右――こっちー!――逆だバカ!――右でいいんだな?――右ですか、了解です」
表のはもう滅茶苦茶だ。意思は反発する。一つでも逆に動けば、その動きは著しく崩れる。酷い有様だ。それでも、避け続けることが出来ている。
『……外のは、もう、出ないよね? ……ね?』
多数決なら既に負けている。だというのに、いや、だからこそ、私は言った。これ以上は駄目だ。止めろ。止めてくれ。
『出ますよ。今から』
『何でッ! どうして!?』
けれど、私の言葉はいとも容易く破れ去る。止めて。止めろ。酷い。待って。お願いだから。ねぇ。駄目。なんで。
『私は帰る場所を守りたい。家を。部屋を。そして、この身体を。だって、九つの住まいじゃないですか』
叫ぶ私をあやすように優しく微笑み、一つはこの身体を守るために表に跳び出していった。表のは六つになったのだ。何で! ふざけんな! 止めろ! ……ねぇ、止めてよ、もう。お願いだから。
「私も手伝います――来たーっ!――ふざけてる場合か」
「へー! まさかここまでとは驚いた!」
「で、どうすんだ?――ぶっ潰す!――至極明快ですね」
「化け猫風情がほざきやがる!」
「右か!?――結界張りましょう!――ああ――避けねぇの!?――よーっし!」
表のは右へ動きながら結界を張り、鬼の拳を受け止める。が、一秒足らずで割られてしまった。そりゃそうだ。抗えるはずがない。けれど、その一秒足らずの時間で大きく体勢を崩しながらも距離を取れた。すぐに鬼が距離を詰めてくるが、次の攻撃を結界を張って受け止め、覚束ない動きで再び距離を取る。表のは躱すだけではなくなった。
私はもう何も言えなかった。何も言えずに、残った二つを見詰める。ねぇ、出るなんて、行くなんて、言わないで。お願いだから。止めて。破らないで。残って。ここに。
『……………』
何も言わなかった。けれど、その視線は表に向いていた。……つまり、そういうことなんだ。
『……行きましょう。私も』
言いやがった。その視線は真っ直ぐと表に向けられている。……つまり、そういうことなんだ。
『止めてよ。何で。ねぇ。嫌だよ。待って。行かないで。酷い。お願いだから。止めて。止めろよ。ふざけんな! 何で表に出るの!? 表に出ようとするの!? どうして! もう六つだ! これで八つになる! 二度と御免だって言ったじゃないか! 私はッ!』
『ん』
『私が手を伸ばすためには、まずは私が救われなくてはいけません。そのために、脅威は取り除かなければいけません』
一つは頷いて唯一の関心を持って表に跳び出し、もう一つは自分を救うために表に跳び出していく。何で! どうして! こんなのおかしいよ! っざけんな! 二度と御免だって、言ってるのに……。どうして、何で、表に出るの?
「ん――遅れましたね――よし来たか――左腕は癒せる?――やりましょう」
「させないよ! わざわざ時間を与えるわけないで、しょっ!」
「チッ!――今は一秒だって惜しい!――結界は?――左――先程より強い攻撃ですから避け――こっちこっち!――うおっ、っぶねー!」
「ふーん。これも躱せるの? 手加減して負けるなんて癪だし、もっと上げないとね!」
表が八つにもなれば、最早しっちゃかめっちゃかだ。動きはガタガタ。重心はブレブレ。それでも、鬼の必殺の一撃をかろうじて避けられる。よくもまぁ、あんな有様で動き続けられるものだ。……生きてられるものだ。
……本当に、何で、諦めないんだよ。
『……なんでさ』
呟いた言葉は、内側に虚しく木霊する。何の反応も返ってこない。くるわけがない。……はぁ。
私は一つ、内側に取り残された。