私は不愉快だった。
食卓に座っていると、調理場から鼻歌が聞こえてくる。彩だ。数日安静だったのだが、ようやく動けるようになったのだ。……まぁ、実際のところ、ただ動くだけなら一、二日ほど早くてもよかっただろうが、私が認めなかった。あの時はすぐにでも起き上がりたがっていたが、あれだけの重傷だったのだ。念には念を入れたほうがいい。
「今日の朝食は何なんだ?」
「今日はフレンチトーストにミネストローネ、スクランブルエッグ、フルーツヨーグルト」
「そうか。……調子はどうだ?」
「特段支障はないわ。むしろ、身体を動かしたいくらいよ。ずぅっとお布団のお供だったからね」
彩はそう言って私に微笑むが、全身ズタボロになった姿を見てしまっている手前、そのまま鵜呑みには出来なかった。多少の痛みなら気にせず、流しているかもしれないのだから。
「どうかしたの? さっきからジロジロ見詰めて」
「……あぁ、すまない。運ぼうか?」
「いいって。藍はそこで座って待ってなさい」
「そうか」
最近、ふと彩をどう見ればいいのかよく分からなくなってしまう時がある。九つの人格を宿す化け猫が新たに紫様の式神となった程度の認識だった。思うところは当然あった。何一つ見下していなかったとは言えない。紫様の式神としてあまり相応しくないのではないかとも思った。紫様の式神として相応しい、私と同程度の何かがあるのかと考えたが、私には九つの人格くらいしか思い当たらなかった。だから、彩を侮っていたところもあった。
だが、どうだ。彩は私と同程度のものを隠し持っていたではないか。私では到底成し得ないような手段で、私と比べるのも烏滸がましくなるような一晩という圧倒的な早さで、私がこれまで積み上げてきたものを丸ごと否定するような手段で、九尾と同等の力を有していた。羨んだ。私には出来ないと。妬んだ。私には出来ないと。
「ところで、紫様はまたお寝坊さんかしら?」
「そうだな。昨晩は遅くまで呑んでいらしたからな」
「まぁっ! 深酒はよくないって言っているのに……」
私は不愉快だった。不敬だと理解しているが鬼と鉢合わせた紫様に、それを黙って見下ろしていた私に、アレが死と隣り合わせだと見せつけた彩に、知らずに勝手に侮っていた私に、何も言わずに隠していた紫様に、あんな重傷体になっていながら何事もなく笑う彩に、私の心がグチャグチャにかき混ぜられる。
そんな私の前に並べられる朝食。私が当然のように受け取っていたもの。食材への感謝はしていた。だが、作り手への感謝はしていただろうか? 私は彩を下に見ていたから、してくれて当然だとは思っていなかったか? そんな嫌なことを考えてしまう。
手を合わせて普段から習慣となっていた、いただきますの言葉。向かい側に座っている彩に向けて言った。感謝を込めて。
「ところで、博麗神社の宴会はまだ続いてるのかしら?」
「あぁ、まだ続いているよ。だが、もうそろそろ終わるだろうな」
そんな他愛もない会話を交わしながら、私はふと思う。あの時の彩と私がぶつかったとき、どちらが勝るだろうか、と。ああして俯瞰していたから捉えられたものの、目の前に相対してその動きを捉えることが出来るだろうか? きっと困難だろう。一筋縄ではいくまい。だが、彩はそうやって高速で動き回るたびに消耗していく。ならば、守りを固めて持久戦を挑めば勝てるか。
……そう考え、私はまた彩を下に置きたいのだろうか。そう思うと、馬鹿なことを考えていたものだ。私は、彩をどう思いたいのだろうか。
「藍。疲れてないかしら? ちょっと顔色が悪いわよ」
「……そうか?」
「えぇ。たくさん呑んで今にも吐きそう、って感じじゃなさそうね……。最近、難しいことばっか考えてない? よかったら私が聞いてあげるわよ?」
「いや、難しいことは考えてないが」
「そう? ならいいけど」
そうだ、何も難しいことではない。ああだこうだ考えているが、結局のところ、私は紫様の一番でいたいのだ。