私は両腕を投げ出して机に突っ伏し、思わずため息を吐いてしまった。あぁ、机がひんやりと冷たくて気持ちいい……。
「どうしたのですか、紫様。そんな辛気臭いため息を吐かれて」
「……藍。……はぁ、ちょうどいいわ。聞いて頂戴」
「構いませんが……」
机の向かい側に藍が腰を下ろしたところで、私はのっそりと身体を起こした。けれど、いまいち身体に力が入らない。最近のことを思い返すと、気持ちが乗らないのよ。結構気怠いのだ。
けれど、この悩みを聞いてくれるとっても可愛い相手がいるだけ、私は幸せなのでしょうね。
「最近、彩に避けられてる気がするのよ……」
「……はぁ?」
可愛い相手から可愛くない返事を喰らった。乙女のガラスのハートが割れちゃいそう。
……めげるな、私。この悩みは私にとってはそれなりに深刻なのよ。
「本当なのよ? 今朝なんて起こしてくれなかったし……」
「今日は早朝から妖精達と遊ぶ約束がある、と言って出掛けていきましたが」
「聞いてないわ」
「その時間の紫様はお休みになられていたので」
そう言われれば、昨晩は早くに布団に潜り込んだわね……。理由は眠くなったから。眠気を我慢するのはよくない。
「一昨日は話しかけても口一つどころか、目を合わせてすらくれなかったのよ?」
「それは元からでしょう。彩の一つは私達が何をしていようと碌に反応しませんから」
「それでも目を合わせるくらいはしてたわよ」
「そうですか……? 私の場合、いくら話しかけても空を見上げ続けているなんてこともざらですが」
そう言われれば、壁に付いた一点の染みに視線が完全に固定していることもあったような……。けれど、返事の一つくらいしてくれていたはずよ。それがたとえ、……んって感じの生返事以下なものだとしても。
「まだあるわ! この前なんて里に買い物を命じてみれば露骨に嫌な顔されたわ!」
「それは最近、里で流行し始めたというアイスクリンの事ですか? 確かその日は曇天で一雨降りそうでしたね。実際、一時降りましたね」
「あの日ならアイスが溶けるなんてことはないでしょう?」
「雨を被りたくなかったからだと思いますが……」
そう言われれば、彩は濡れ鼠で帰ってきていた気がする。けれど、アイスクリンはちゃんと持ち帰ってくれたわね。外の世界から拝借したアイスクリームと違って、サッパリとしていて食べやすかったわ。あれはあれでいい味だった。私、満足。
他にも思い当たるところを揚げようとしたのだが、その前に藍の手のひらが私の前に差し伸べられてひとまず口を閉ざす。
「差し支えながら私から一つ言わせていただきますが、そこまで気になるのならば、彩に直接尋ねてみればどうでしょう? 返答次第では今後の対応も考えなければなりません」
「……訊けるわけないでしょう? 訊けたら悩んでなんかいないわ」
「でしょうね」
彩がこの場にいないから、藍が相手だから、私はこうして話せるのよ? 幻想郷、藍、そして彩。私の大事で大切な可愛いコレクション達。その活き活きと生きている姿を私は眺め、ずっと愛でていたい。それなのに避けられてしまっては悲しいじゃない。
私が頬杖を突いてため息を吐いていると、急にスッと藍が立ち上がった。
「では、私が彩に紫様の名前を出さずそれとなく尋ねましょう。その答えを一字一句違えずお伝えします」
「……そう? じゃあ、任せるわ」
「任されました。それでは、すぐに」
そう言い残して藍は颯爽と部屋を出ていった。……不安だ。万が一、藍が失敗してしまうことではない。彩が私の悩みを肯定することが。いや、まさか、そんなはずはない。けれど、他者の心をホイホイ知れるわけじゃない。境界を操ればどうにでもなるのだけど、元に戻せるとも限らないからあまりしないし、都合のいいように手を加えているようであまりしたくない。彩は特にだ。九つあって分かりづらいし、下手に弄ると取り返しがつかないことになりかねない。式神憑きだってかなり慎重に取り扱ったのだから。
「バレない、バレない……」
私はそっと覗き穴ほどの大きさのスキマを開いた。藍が霧の湖に向かって駆けている姿が見える。それを追っていれば、彩との問答もその場で得られる。
そのまま一分ほどスキマで藍を追っていると、霧の湖の岸辺で妖精達と戯れている彩が目に入った。気の抜けた柔らかな笑顔が見えて、こんな表情を私の前でしていたかしら、と苦いことを思ってしまう。
「彩。楽しんでいるか?」
「あんた、さいになんのようなのよーっ!」
「大丈夫っ! らんらんは僕の友達だからね!」
などと説得して、彩は藍に付いていって妖精達から距離を取っていく。その途中、彩が一瞬だが棒立ちしてすぐに表情が変わる。表に出ているのが変わったのだろう。
「で、藍。通信もせずに直接会うなんて、何かあったんですか? 緊急なら通信のほうが早いでしょう」
「いや、目に付いたから少し立ち寄っただけだ。少し気になったことがあっただけで、大したことではない」
「ふぅん。ま、別にいいや。その気になったことって何さ?」
「ここ最近のお前はあまり楽し気ではなかったように見えてな。さっきは普段と違って見えたのだよ」
「楽し気なのは別のだけどね。ま、楽しんでたよ。けれど、ここ最近の私が、ねぇ……」
そう呟いた彩が、突然顔を傾けた。そして、流し目で雑木林を見詰める。その行動は、傍から見ればただ思い返しているように見えるだろう。けれど、その目線が確かに私の目と合ったのだ。しかも、僅かながらキュッと口端が上がった気がした。
まさかバレた、と思っていると、彩は藍に向き直る。そして、私の疑惑が杞憂だと思わせるほど平常に口を開く。
「私は特に変わった覚えはないけどさ。私がそんなに気になるのなら、それは見ている側のほうに何かあるんじゃないですか?」
「……私に、か?」
「えぇ。例えば、嫌なこととか、隠し事とか、後ろめたいこととか、ね。そういうことが続くと、自然と嫌なことばかり目に付くものさ」
「確かにそうかもしれないな。明日には橙を愛でるとしよう」
「はは……。是非、そうしてくださいな」
……バレてた。絶対にバレてた。あの彩の言い方は、藍に対して答えたのではない。確実に私に対してだわ。
私、何かあったかしら……? ちょっと思い返してみたけれど、特に思い当たることは見当たらなかった。