私は蒸したての白い湯気が昇るあんまんを頬張る。風邪を引いて胃腸が弱っている時にはあまりよくないとは知っているけれど、そこは病み上がりだから大丈夫と言うことで。
そんな風に自分で理由を付けて納得しながら、このとても美味しいあんまんを食べ切った。ホッと一息吐くと、口から白い息が上がる。私はその白い息が消えるまで眺め、それから隣に腰を下ろして頬杖を突きながら通りを眺めている彩様に顔を向ける。
「ですから、彩様。私はその女性に一度お会いして話してみたいんですよ」
「あっそうですか、阿求様」
まるで興味がない非常に軽い受け答えである。
その女性は、昨日人間の里に現れたという話題で持ち切りらしい。その容姿は可憐な少女と絶世の美女を足して二で掛けたような、それはそれは美しい女性だそうだ。淡く光って見えたとさえ噂されている。一目見た者は誰も彼も老若男女問わず美しいと口にしていると言うのだから、眉唾ではあるまい。残念ながら床に臥していた私は見ることが出来なかったわけだけど、そんな部屋に籠っていた私にすら届いた噂だ。非常に興味がある。
「どのような方なのでしょう? 私、気になります」
「……それを私に言われましても」
「あら、彩様ならご存じでしょう? その方のお隣にいらしたそうではありませんか」
噂ではその美しい女性のことばかり話題に上がるけれど、一部では両側を挟むように笠を被った者と帽子を深く被った者がいたとかなんとか、という話も上がっている。
「帽子の特徴をまとめれば、彩様に辿り着くのは容易でしたよ。そのような帽子は里では売られていませんからね」
「……あー、阿求様。もしかして、輝夜のことでしょうか?」
「輝夜さん、というお方ですか。彩様が知っていること、少しでもお聞きしたいです。何処でお会い出来るかなんて、特に」
「えぇー……」
露骨に嫌そうな顔を浮かべられたけれど、ここで何も聞けずに終わるのは胸中にもやもやが残る。そう思い、私は横を見て目を合わせてくれない彩様に思い切り身体を寄せた。
しかし、その身体は肩にグッと手を当てられて止められてしまう。痛くはないが、明らかな拒絶。
「……ごめん。その話はまた今度にして」
「あっ、ちょっと! 彩様!?」
それだけ言い残し、彩様は席を立って歩き出してしまう。そんなに話せないお方だったのでしょうか? ……いえ、それならまた今度なんて言わないでしょう。
私の頭で追いかけるとまた後日が天秤に乗せられてゆらゆらと揺れる。今聞けなかったら寝つきが悪くなりそうだとか、急な話の切り方だとか、そんな気になることが周囲をふわふわと漂い、決断がつかないままだがとりあえず彩様を追いかけることにした。……そう、どうして急に断られたのかくらい訊いてもいいでしょう、なんて自分を無理矢理納得させながら。
幸い、彩様の足取りは遅く、私でも少し急ぎ足で追いかければじきに追い付けそうだった。必死に追いかけているとき、彩様は何やら一人でぼそぼそと喋っているようでしたが、この距離では何を言っていたかは聞こえなかった。
「あら……? この先に道なんてなかったわよね……?」
ふと足を止め、そう呟く。この先は行き止まりだ。引き返さないと。引き返さなければならない。
……違う。そんなはずはない。この先はまだ道が続いている。地割れも崩落も何も起きていない。それに何より、この先に彩様が進んでいる。道がないはずがない。
どうしてそんなことが浮かんだのか違和感を覚えながら、私はそんな不安を拭うためにも駆け足一歩手前まで急いだ。
「彩様!」
「ちょっ、何で――ミスってんじゃねーか!――いえ、絶対記憶能力で押し通したのでしょう――まぁっ! それってまずいんじゃないかしら?」
どうにか追い付いて、ぶわっと溢れた安心感から彩様の名を呼んだ。けれど、彩様の反応が非常によろしくない。
「あのもが」
「シッ! ちったぁ黙れって!――ふん」
何故、と訊こうとした口を手で塞がれる。そんな警戒剥き出しの彩様を見詰め、それから何か理由があるのではと周囲を見回した。
「おや、阿求殿ではありませんか。そのような汚らわしい化け猫風情から離れ、今すぐこちらへ」
「っ……!?」
そして、ぐるりと首を曲げて振り向いたそれと目が合った。合ってしまった。年老いた男性の人間、ではない。口元から牙を覗かせ、粘つく唾液を垂らしているその姿は、既に人間とはかけ離れている。人間から妖怪に成ってしまった、人妖。背筋が震える。怖い。
とん、と彩様に軽く押されて背後に回される。彩様の背中が見え、ほんの少しだけど震えが収まった気がした。
「ちょうどいい! お聞きください、阿求殿。我々人間は妖怪に虐げられておる! 我々は餌ではない! そのような邪悪極まりない妖怪は即刻淘汰し、我々人間だけの新たな世界を築き上げるべきです。そのための力、そのための私! 阿求殿。聡明な貴女ならお判りでしょう? 貴女は私と共にいるべきなのです」
「何言ってんだ――その人間のために人間辞めてどうすんだか」
「口答えをするな化け猫がァ! 貴様が新たな世界の最初の礎となれェ!」
発狂したように喚くそれの姿がメキメキと音を立てて変わっていく。両手両足の爪が黒く鋭く伸び、その背からは鳥とも虫とも言えない翼が生え始め、瞼が真円にまで開かれた眼球にギョロリと見詰められ、私は思わず一歩後退る。
「ごめんなさい――見せるつもりはなかったんだがなぁ――ま、もう遅いか」
彩様が私にそう言い、その身体から妖力が形となって溢れ出す。それはまるで六つの尻尾のように見え、そしてその尻尾の形をした妖力が異形と化した人間を上から、右から、左から、前から、下から、後ろから、貫いた。
「ガ、ァア……ッ!?」
「極彩『彩色剣尾・陸式』。悪いけれど、人間に統率者はいらない。日和見主義であるべきだ。生まれ、育ち、何となく生きて、流行に流され、飽きて、時に恐れ、そして死ぬ。それでいいんだよ。そういうもんだから。それになにより、人間は妖怪に成っちゃあいけないんだよ、蝙蝠野郎」
そして内側から爆散した。断末魔一つ上げられずに、その命を散らしてしまった。
……知識としては、知っていた。人間は妖怪に成ってはいけない。けれど、その末路を、私は、見てしまった。知ってしまった。覚えて、しまった。
「ごめん」
それだけ言って、彩様は私を優しく抱き締める。頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられそうな私は、ただその身体に身を寄せるしか出来なかった。