地上でアルマリアが動き出して、周囲と次第に関係を構築し始めた頃。
空の上の
「……何の、冗談だ」
声は掠れて、自分がしっかりと立っているのかどうかすらわからない。
彼が手に持っているのは地上からの報告書だと言う。男は訳あってそれを閲覧する事となり、その内容を確認して、その名前を見つけてしまった。
「……ヴィレム。儂も、冗談だと思いたかったよ」
ヴィレム、と呼ばれた男の前に座るのは一人の老人だ。白いマントを身につけた老人は、ヴィレムと同じぐらいに顔を歪めていた。握りしめた拳が震えていて、彼の動揺を示していた。
今は大賢者と呼ばれ、彼の名を呼ぶ者は絶えた。目の前のヴィレム・クメシュを除いて。大賢者、スウォン・カンデルは皺のついた顔をくしゃり、と歪めて言葉を続ける。
「一度ならず二度などと。そんな奇跡はあり得ない。起こりえる筈がない。だが、もしもこの報告書が本当なら、儂は二度目の奇跡を目にする事になるかもしれん」
「……だからって、なんで」
ヴィレムの声は震えていた。奇跡だと、目の前のかつての戦友は言う。
あぁ、間違いなく奇跡だろう。500年も前に死んだ筈の
更には
だが、その奇跡は起きる訳がない。だが、現実にその名前は報告された。自分に縁もゆかりもある場所から、過去がヴィレムに迫ってきたのだ。
「アルマリア・デュフナー……だと? 俺は、悪い夢でも見てるのか? なぁ、スウォン。俺は実は都合良い夢を見てるだけじゃないか?」
「残念ながら現実だ。夢のような話ではあるがな」
「アルマリアが
「誰がこんなジョークを仕掛けるというのだ。儂か? もういいだろう、ヴィレム・クメシュ」
「何がいいって言うんだよ!!」
手にした書類を叩き付けてヴィレムは吠える。動揺を隠しきれないヴィレムに対して、対峙するスウォンはどこまでも静かにヴィレムを見据えていた。
「お前に大賢者たる儂から任務を与える。ただちに地上に降り、地上に現れた
「――――」
「お前以外に誰が行くと言うのだ。そしてこれが真実なら、他の回収物を惜しむ程に重要だ。お前とてわかるだろう、ヴィレム。それがどんなにあり得なくても、現実として存在しているなら、彼女が本物か、偽物か、どっちにせよ!」
最初は冷静な口調を心がけていたスウォンの声には段々と熱が篭もっていく。ヴィレムへと近づいていき、未だに顔を俯かせる彼の胸ぐらを掴み上げて顔を上げさせる。
なんて酷い顔だ、と。スウォンは思った。まるで迷子になった子供のような、打ち拉がれた顔だった。それでいて突然舞い込んだ幸運を信じられず、放心しているかのようにも見えた。
この男がそんな顔を浮かべるのは珍しい。いつだって不可能に叩き伏せられ、壁にぶつかり、それを人の身の執念のまま超越した筈の男が道を見失った迷子のような表情を晒しているのだから。
だが、気持ちはよくわかる。痛い程にわかる。だから発破をかけられるのは自分なのだとスウォンは強く声を張り上げる。
「行けよ、ヴィレム。
* * *
「貴方は、何故
ラーントルクから話しかけてくるのは珍しい、と私は思った。
あれから数日が経過して、ノフトとの稽古をするぐらいしか私にはやる事がない。サルベージャーさん達が見つけたものを検分する事はあるけれど、それも当たり障りない範囲に留めてる。
救助が来るまで待つしかない状況。流石に暇を持て余すというもの。そんな中で私を警戒しているラーントルクが喋りかけてくるのは非常に珍しい事だった。
「うん。知ってるよ」
ラーントルクの問いかけに私は頷いて返答する。ラーントルクの視線が鋭くなると同時に、その瞳の奥に隠しきれない探究心が見えてくる。
時折、古文書を解読する姿を見かけていたけれども、自分も遠目に見るだけでそこに関わる気はしなかった。ただ、ラーントルクから聞いてくるなら話は別。
「きっと私は君の知りたい答えをほとんど知っていると思う」
「随分と自信がお有りなんですね?」
「思春期の少女の悩みなんて、世界がどんな仕組みなのか、自分という存在はどういうものなのかって思い悩むものなんだよ」
「……一気に信憑性が無くなりました」
ジト目で今にも斬りかかって来そうな程に険悪な空気を醸し出すラーントルク。思わず喉を鳴らすように笑ってしまった。
「ごめん、図星を突かれると嫌な気持ちになるよね?」
「図星じゃないです」
「じゃあ、私に何を聞きたいのかな?」
「……貴方が、何者なのか聞きたいと言えば答えてくれますか?」
「
「貴方の答えがそのままの答えです。わかっているんでしょう?」
苛立たしそうにラーントルクが言う。うん、はぐらかしているのは自覚してるからね。
「うん。
「……貴方は、何者なんですか。何故私達の事まで知っているんですか?」
「神様から聞いた、って言ったら馬鹿にしてるって思うでしょ?」
「貴方は私を心の底から苛立たせる天才だと言う事がよくわかりました」
そんなつもりはないんだけどな、と溜息を1つ。
「ラーントルク」
「気安く名前を呼ばないでください」
「こっちきて」
「いやです」
「きて」
「……」
無言で睨み付けてくるラーントルクにそのまま手招きを続ける。
そのまま膠着状態に陥った私達だけど、ラーントルクが警戒する猫のように近づいて来る。手が届く範囲まで来たら、手を伸ばしてラーントルクの手を引いて抱え込むように抱き締める。
「なっ! 何を!」
「ごめんね」
腕の中に抱えられて、逃れようと藻掻こうとしたラーントルクを抱え込んだまま私は謝罪の言葉を投げかけた。
「私は君に不誠実な事をしてる」
「……何がですか」
「怖いんだ。突きつけるのは簡単で、でもその後の責任をどう取らなきゃいけないのか、とか。方法はわかってるんだけど、それはとても繊細で、まるでガラス細工を扱うぐらいの気持ちでいなきゃいけない」
「……はぐらかさないでください」
「今は、まだ無理。でも、いつか絶対全部話すよ」
そう。私は全ての真実を知っている。<獣>の正体も、
そして彼女は、彼女たちはそれに真っ向から立ち向かっていかなきゃいけない。それは過酷な運命だと思う。戦う為に生まれて、戦いの中で消えていく。そんな宿命の下に彼女たちは生まれた。
「私は、ふざけないで、って思ったの」
「は?」
「戦う為に生まれた女の子なんて、ふざけないで、って思ったの。立派だよね。必要な事だよね。わかる、わかるよ。誰かがやらなきゃいけなかった事で、それを果たすのがただ貴方達だった。ただ、それだけ。でもね、理屈をどれだけ並べても納得いかないんだよ。だから飲み込んで、でも消化出来ない。消えないんだ。だから、私はここにいられる」
ラーントルクを強く抱き締めて、その背中をリズムをつけて撫でるように。
小さな体だ。自分とそう変わらないように見えて、でも細くて、華奢で、すぐに壊れてしまいそうで。
「私はラーントルクにいっぱい隠し事をしてる。でも、いつか話す。約束する。だから、もうちょっと待ってね」
「……貴方はわからない事ばかり口にする。はっきり言って嫌いです」
「私は好きだよ。ノフトも、ラーントルクも、どっちもね」
「いいから離してください! 貴方に抱き締められる理由なんてないんですから!」
「それは、ラーントルクが知らないだけだよ」
知りたくもありません! と叫んだラーントルクに顔を引っ掻かれて、やっぱり猫みたいだ、と笑ってしまった。
* * *
それから、また数日後。救助を待つ地上調査隊のキャンプはにわかに騒がしくなっていた。
「飛空艇が来たぞー!」
空に見えた影に喜色を交えた声が響き渡る。誰もが飛空艇の到来を歓迎している様子だった。
その中で私はグリックさんと空を見上げていた。グリックさんは空を見上げながら、どこか怪訝そうな様子だった。
「……随分と早いな。しかもありゃ小型の高速艇だな?」
「良くないんですか?」
「良くないっつーか。あれだと荷物も人員も乗せきれないだろ。意図が掴みきれねぇなぁ、って思ってな。飛空艇を飛ばすのにも金が馬鹿にならんしな」
「なるほど」
あれ、なんか私の知ってる展開と違うな。もしかして、私がいるって報告が上がったから何か変化があったのかな。
もし、そうなのだとしたら。あの高速艇が“予定されていたよりも早く”やってきたという事は、まさか。
どくん、と。鼓動が期待に跳ねた。空に浮かぶ飛空艇を眩しげに私は見つめる。
そして、飛空艇はゆっくりと地上に降りてくる。タラップが下ろされ、中から作業の為に船員が下船してくるのが見えた。
「お、もう救助が来たのか?」
「あ、ノフト。それにラーントルク」
近づいて来たノフトとラーントルクに視線を向ける。彼女達の視線は飛空艇へと向けられていて、そこから降りてくる人達を見つめている。
そんな中で、何かに気付いたようにノフトが声を漏らした。私もそれに釣られるように視線を向ける。
まず真っ先に見えたのは、褪せた灰色の髪。背が低く、遠目から見ても子供だとよくわかる姿。
「あれ、レンだ! ラーン、レンだよ! 行こうぜ!」
「ちょっと、ノフト! 引っ張らないでください!」
レン、と呼ばれた少女は知り合いなのだろう。ノフトがラーントルクの手を引っ張って勢いよく駆け抜けていく。
レン、と呼ばれた少女も近づいて来るノフトとラーントルクの姿に気付いたのだろう。表情に変化はないものの、そのままノフトがその少女に抱きつき、何か会話を交わしているようだった。
そんな姿を遠目からぼんやりと眺めていると、続いて船から姿を見せた姿に――息を呑んだ。
ぼさぼさの黒髪に、軍服を着たどこか緊張に表情を引き締めた青年と。
そんな青年を気遣うように隣に並ぶ、澄んだ蒼色の髪に鮮やかな緋色が混ざった髪の女の子。
「――あぁ」
思わず、声が零れた。
ノフトがまるで幽霊を見たかのように、2つの色彩が混ざった髪の少女に驚きを露わにしている。ラーントルクが険しい瞳で青年を睨み付けて、驚かれていた少女が青年を庇うように前に出て何かを話している。
その間も青年はどこか緊張した面差しのままで、視線をあたりを見渡すように向けて。
ふと、思う。
何かもっと凝った演出とか、考えた方が良かったんじゃないかって。
だって叶わなかった奇跡の筈だ。私にとっても、彼にとっても。
一瞬迷って、その視線に入る前に隠れてしまおうかとも思って、でも止めた。
これが決定的に全てを変える切っ掛けになるとわかっていた。だからこそ、飾るのは止めよう。
一歩、踏み出す。足取りは自分が思ったよりも軽かった。
会話を交わす少女達と、その輪にいながらも馴染めていない彼に向けて。
前髪が崩れてないかな、とか。もうちょっと綺麗にしておけば良かったかな、とか。
そんな些細な事も浮かんで足を止めそうになるけど、思いっきり踏み出す事で振り解く。
「――ぁ」
彼も、視界に私を入れた。
一歩、二歩、三歩。歩いている筈なのに、まるで感覚は走っているかのようだった。
終わった筈の世界を踏みしめて、もう二度と出会えない筈の彼を見つめる。
どんな風に始めよう。どんな風に声をかけよう。色々と浮かんで、考えるのを止めた。
会話を交わしていた少女達が私に気付いて会話を止めてしまったようで。
彼は言葉もなく、ただ立ち尽くしていて。現実を認識していないようで。
あぁ、本当。なんて間抜け面、と吹き出しそうになって。
一歩、二歩、最後の、一歩。声は十分届く距離で、私は向き直った。
「――約束、守ろうと思ったんだ」
彼と、“おとーさん”と交わした約束だった。約束の瞬間が脳裏に駆け巡る。
人類を滅ぼそうとした
帰って来れる保証はない、と言った彼が。最後の夜を過ごすのが自分達が育った養育院に帰って来て。
恋人の1人や2人いないのか、なんでわざわざウチで過ごすのか軽い口論になったりして。
帰って来て欲しくて、不器用に望みを口にして。帰って来たら胸焼けするぐらいにバターケーキを食べさせるって、そんなものの為に、と呆れて。
そして、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと……待っていた。約束をしたから。
「でも、帰って来ないから……――来ちゃった」
言葉を無くした彼に、手を伸ばす。
感動的な再会なんて似合わなくて、飾ったような言葉なんて浮かばなくて。
やれやれ、なんて。そう言いたげに私は万感の思いで今の気持ちを彼に伝える。
「会いたかった、おとーさん」
ずっと、ずっと、ずっと。
会いたくて、会いたくて、会いたくて。
そんな気持ちが弾けて、止まらない。あぁ、視界が滲むのは嫌だな。格好悪い。
瞬きを1つ、2つ。熱い何かが頬を伝うのと引き換えに鮮明になった視界でその顔を眺めて、伸ばした手で触れる。
その体温を覚えてる。その声を覚えている。彼の記憶は色褪せず、私という存在が覚えていた。
血はつながって無くても、私達は家族で。兄って呼べと言われた事もあったけど、結局は彼を父のように感じて、おとーさんと呼ぶように定着して。
誰よりも頑張って、強くなって、でも女の子の扱いは雑で、朴念仁で一度酷い目にあった方が良いんじゃないかと真剣に悩んだ彼が、今ここにいる。
ヴィレム・クメシュが、確かにまだ生きている。その事実に胸がいっぱいになる。
「……アルマリア」
掠れた、今にも消えてしまいそうな程の声で名前を呼ばれた。
「なぁに、おとーさん」
震えないように、ゆっくりと声を出す。いつものように言えたら良いのに、まるで猫なで声で自分でも気持ち悪いなって思って。
「アルマリア」
先程よりも強く名前を呼ばれて。
「うん。ここにいるよ」
返事をして。――強く、強く抱き締められた。
言葉はなかった。もう彼の顔は見えない。おとーさんの腕に抱かれて、胸に顔を押し付けられる。
背骨が折れてしまうんじゃないかっていうぐらい強く抱き締められて、少し息が苦しくて体勢を変える。そうしていると密着するように抱き締めるような格好になって。
あぁ、ちょっと恥ずかしい。少しだけそう思って、でもすぐに掻き消えた。
嗚咽が聞こえる。静かに、けれど子供が泣くように。
「……ごめんね、バターケーキはないんだ」
よしよし、と背中を撫でる。きっとそんな理由で泣いてるんじゃないのはわかってる。
けれど、少しでも言葉で近づけないとおとーさんが消えてしまいそうで。
「アル、マリア」
「うん」
「約束、破って、ごめんな」
「うん。私も破っちゃった。会いに来ちゃった」
「馬鹿、野郎」
「女の子に酷いなぁ、おとーさんは」
「アルマリア」
「うん」
「……アルマリア……!!」
あぁ、潰されそう。物理的にも、精神的にも。
いっぱいだ。とにかくいっぱいではち切れそうだ。良かった、私は良かったと思える事に酷く安心した。
約束は守られなかった。なにせ2人して約束を破ってしまったから。守るにしても遅刻のしすぎで取り返しがつかない。
でも良い、良いの。こうして叶ったんだから。この奇跡を、ずっと願っていた。ずっと届けたい言葉があったから。
「おとーさん、お疲れ様でした。頑張ったね」
本当に、心の底から。彼のこれまでの人生を思って、報われて欲しいと思って言葉を紡いだ。
* * *
かつて、ある1人の
世界は滅びて、永遠に叶う筈のない約束となった。彼も約束を破ったし、そして彼女もまた。
破れた約束は戻らない。それでも無かった事にもならなかった。だからこそ報われる時を迎えた。
1つ、世界の歯車がズレる音がした。