「早くしろよ『ゼロ』のルイズ!」
「『ゼロ』なんだから無理だって。いい加減諦めろ」
「何度やっても無駄さ『ゼロ』なんだから」
「これこそ本当に『ゼロ』だね! だっていつもみたいな爆発すらしていないじゃないか!」
罵声が飛ぶ草原の中央で、ピンクブロンドの髪を靡かせた少女が一人、何もない宙を鳶色の瞳で睨みつけていた。
「なんで、なんで召喚、できないのよ――」
トリステイン魔法学院そばの草原。現在そこには二学年への進級を控えた少年少女が集い、進級の通過儀礼、春の使い魔召喚の儀式を行っている最中であった。
最中とはいっても、まだ儀式を終了できずにいるのはたったの一人であり、その一人のせいでいささか予定の時間を過ぎていたのだが。
「――なんでなのよ!」
慟哭にも似た叫び声を中央の少女が上げる。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
通称『ゼロ』のルイズと呼ばれる彼女は周囲の罵声よりなにより、離れていたはずの教師コルベールがいつの間にか側にいて溜め息を吐いたことに焦りをもった。
時間がもうない。
どれだけの失敗をしたのかわからない。いや、成功なんて今まで一度だってないのだ。ただの一度だって魔法が使えた試しがない。生涯の使い魔を召喚するための春の使い魔召喚の儀式。初めて使うこのサモン・サーヴァントの魔法ならばと思い、今日のために資料を読みあさった。大した数でもない注意事項をだからこそ完璧に実践出来るよう、何度も呪文を想像して脳内と口内でなぞった。
そして完璧に実践したのだ。
だがこの有様はどうだ。
いつもとなにも変わらない。
いや、これはもしかしたらいつも以上に酷いのではなかろうか。
さっきから彼女が目にしているのは涙が滲むほど見慣れてしまった失敗の証である爆発ですらなく、なにも起こらないというさらに泣きたくなる事態だけであった。
「ミス・ヴァリエール、残念ですが今日のところはこれくらいにして、明日また挑戦しましょう」
危惧した通りの言葉にルイズは唇を噛む。わずかに血が滲む。
(――変わりたい)
凝った願いがカチリとルイズの心の中で形になる。
(――わたしはここで変わりたい)
行きすぎた妄執が純化して、逆に真摯なまでの願いになる。
(――いつだって、これからだって、私は逃げない。だからここで私は、変わるんだ)
周囲の生徒達はコルベールの声は聞こえなくても終了を告げたのだと把握し、先に召喚した使い魔達と下ろしていた腰を上げ始めた。
ルイズは見下ろしていた地上から頭上、青い空に浮かぶ真昼の双月を睨み、涙をこぼさないようにして言った。
「……ミスタ・コルベール、お願いします。最後の一回をやらせて下さい」
ルイズの言葉にコルベールは「いいでしょう」と頷いた。
彼はこの小さな少女がどれだけの努力を重ねてここに立っているのかを知っていた。
だから彼女の家柄や、この召喚が出来なければ進級できないかもしれないなどという事態よりなにより、誰よりも勤勉で努力家なルイズの願いを無下にすることなど出来そうになかった。
(はあ、これは明日と言わず、放課後も付きあって召喚できるようオールド・オスマンに掛け合っておきましょうか。――確かあの子も体調が悪くてまだ召喚できていませんでしたし……)
「ではミス・ヴァリエール、深呼吸をして心を落ち着けて下さい。そして強く願い、呪文のを唱えながら請うのです。最高の使い魔を。――何事にも全力でぶつかる貴女ならきっと出来ます」
「はい」
ルイズの返事を聞いたコルベールは頷くと離れていった。
言われた通りにルイズは呼吸を整え、蒼天の双月へ向けて呪文を唱える。
最後の一回。これに全てをかける。全力をかける。一心不乱に、全身全霊をかける。
彼女の視線はどこまでも真っ直ぐに、頭の中は愚直なまでの無心で、自然と紡がれた呪文は何の変哲もないもの。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 五つの力を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし、使い魔を召還せよ!」
決して大きくはないがよく通る声が広場に行き渡る。
短くも音程をともなったそれはまるで賛美歌のよう。
今の彼女に出来うる限りの限界まで練られた精神力が、虚空のような何も無い空間を振るわせる。
その音色に帰り支度をしていた生徒達が振り返ると、ルイズの頭上で水面のように揺らめく巨大な光の球を見た。
それがカッと弾けたかと思うと、辺り一面を爆煙が被った。
ゼロのルゥーイズゥ! またか! ロビン! 私のロビンが! と生徒達から悲鳴が上がり、小さな使い魔達は吹き飛ばされ大きな者達も混乱して暴れる。
だがとうのルイズは爆風をもろに浴びながらも微動だにせずにいた。先ほど広がった光源の向こうに彼女は見たのだ。召喚成功の証である、光る鏡のようなものを。
成功の二文字が彼女の心の内を埋め尽くし、思考が完全に停止していたのだ。
そして爆煙が晴れた先で、ルイズはさらに目を見開く。
「げほっげほっ」
「おい、大丈夫か透(とおる)」
「――だ、大丈夫だよ才人(さいと)兄さん、げほっげほっ」
そこには咳き込む少年と、彼を介抱する少年の二つの姿があった。
「あ、あんた達、誰?」
舞う土埃を払い除けながら、ルイズは尋ねる。
周囲にいた者達も少年達に気が付いたのか、「誰あれ」「おい、ゼロのルイズが平民を召喚したぞ」「平民、か? なんだあの服」「見たことないな」などとルイズへの罵倒から興味の対象が移行しつつあった。
「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」
「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」
「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」
「さすがはゼロのルイズだ!」
「どうせ失敗するってわかってたから平民をさらって来たんだろ」
笑い声の中、ルイズは混乱していた。
サモン・サーヴァントで人間が召喚されたという話は古今東西聞いたことがない。姉に頼んでアカデミーの資料まで読み込んだのだ。こんなことはありえない。何かの間違いだ。証拠にこれも前例がないことに使い魔が二体もいるじゃないか。今の爆発で何かしらの事故があったのだ。そうとしか考えられなかった。
「ミスタ・コルベール!」
駆け寄ってきた教師へと振り返る。
「なんだね、ミス・ヴァリエール」
「あの! もう一度召喚させて下さい!」
彼女にとってはやっと成功したと思った初めての魔法が失敗だったのだ。
だが光明も見えていた。召喚時に発生する出口の鏡は出来上がっていた。もう一度やれば次は完璧なサモン・サーヴァントが、生涯初めての完全な魔法が出来るかもしれないと考えたのだ。
請われたコルベールは二人の少年を見て、首を振る。
彼も二人を見たときは驚いた。黒い髪と黒い瞳に日焼けとも違う独特の色味を持つ肌。この辺りではあまり見ない風貌。服装も独特で平民が着る物の割には繊細な配色をしており、片方が着ているシャツは実に見事な細かいチェック柄だった。身形は良い。だが貴族の証したるマントは付けていないし、杖も見当たらない。帯剣もしていないようだ。おそらくはどこか裕福な商家の子ども達だろう。コルベールはそう判断した。
だから彼が優先して選択したのはこの二人の少年のことよりも、王家とも繋がりを持つヴァリエール公爵家令嬢、ルイズ・フランソワーズだった。
「……それはダメだ。ミス・ヴァリエール。これは当校の規則であり、サモン・サーヴァントは神聖な儀式だからだ。それに使い魔の召喚後再度サモン・サーヴァントを行っても召喚されるのは同じものだとアカデミーでの研究でも結果が出ている。もしそれを覆そうとするならばどうしなければいけないか、優秀な君なら知っているはずだ。そんなことは監督者として許容できない」
コルベールは使い魔すらも召喚できなかった。という外聞より、魔法使い(メイジ)としては召喚できた事実があった方が彼女の為になると思ったのだ。
「へ、平民が使い魔なわけがないじゃないですか! これはなにかの事故です! それにこれではどちらが使い魔なのかわかりません!」
「人が召喚された前例がないのはそうですし、確かにどちらか一方のみということはありえますが、初めての例が今起きて、二人ともという可能性もあります。まずは『コントラクト・サーヴァント』を両者に試してみなさい」
言って、コルベールはルイズと共に少年達の元へと近づく。一応念の為にと、彼は少年達の物であろう近くに落ちていた鞄と彼らの間に立った。
「う、ううぅ」
ルイズは愕然としていた。
彼女が欲しかったのは魔法が成功した証である使い魔である。
それがなぜこのような平民二人なのか、理解出来なかった。したくもなかった。
先ほど飛んだ野次の中にもあったように、平民をさらってきたという目で見られても弁解のしようがなかったからだ。
彼女のイメージにあった使い魔とメイジの関係は、言葉が通じない動物や幻獣と意思疎通をこなしている姿なのだ。
そして通常において使い魔は一体のみしか使役できず、召喚そのものも一体しか出来ない。故に再度サモン・サーヴァントを行うには使い魔がいないことが、死んでいることが条件となってしまう。つまり彼らを殺さなければ不可能なのだ。
呻くしか出来ないでいたルイズの前に影が差した。
「ごめん! どこの誰だか知らないけど、弟の調子が悪そうなんだ! 近くに病院あるか知らないか?!」
召喚された少年の一人だった。
彼の後ろではもう一人の少年がぐったりと体を横たえていた。
「む、それはいけない。ミス・ヴァリエール、早く彼らとコントラクト・サーヴァントを。それで儀式は完了します。誰か! 至急水メイジの先生を呼びなさい!」
秀でた頭部を光らせコルベールが叫ぶ。
ルイズは儀式の完了と聞いて覚悟を決めた。そうだ、使い魔になればルーンが刻まれる。それは魔法の成功した何よりの証ではないか、と考えたのだ。そのためにこの際平民を使い魔にするのは目をつぶろう、とも。
「あんた」
ルイズに声をかけられた少年が焦った顔を向ける。
「な、なんだ! 病院連れてってくれるのか?!」
「感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」
「透を助けてくれるならいくらでも感謝する!」
ルイズは手に持った小さな杖を少年の前で振るい、呪文を囀る。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」
そして混乱している少年の額に杖をあて、空いている手で彼の頭を押さえた。
え? と少年が呟いたのと同時、ルイズは彼と口づけを交わしていた。
数秒の間唇を重ね、離れると、ルイズがどう? と少々頬を染めて首を傾げる。
え? と彼がまた言おうとしたとき、唇についた血の味に気付き、同時、体が熱くなってくるのを感じた。
「熱っ! ぐあ! ぐああああああああ!」
それは彼の全身を芯から燃やし尽くすように熱を行き渡らせ、最後に左手に集まった。
膝を屈した彼の手の甲を見て、ルイズが表情を輝かせる。コルベールもそこの刻まれたルーンを確認すると頬を緩ませた。
「サモン・サーヴァントは何度も失敗したが、コントラクト・サーヴァントはきちんとできたね」
この調子でもう一人の少年ともコントラクト・サーヴァントをしてしまおうと動き出したルイズへと、また野次が飛んだ。
「相手がただの平民だから『契約』できたんだよ」
「そいつが高位の幻獣だったら、『契約』なんかできないって」
ルイズが睨みつける。
「バカにしないで! わたしだってたまにはうまくいくわよ!」
怒鳴ると、ルイズは横になっている少年へもコントラクト・サーヴァントの呪文を唱えて口づけを交わした。
彼はもう咳をしていなかったが、意識が朦朧としているのか胡乱げな視線を彼女へ向けるとそのまままぶたを下ろして眠ってしまった。
その様子にルイズはまた首を傾げた。先ほどの少年のときはルーンが刻まれるときに反応があったのに、彼にはない。見えるどこかに刻まれている様子もないことから、失敗したのだろうかと肩を落とした。
ルイズは自分のことを考えるあまり先の少年の話を聞いていなかったのだ。だから彼の状況に気付いていなかった。召喚前から懸念していた、コントラクト・サーヴァント時に使い魔が爆発してしまうかも、なんていう最悪の想像すらも忘れて、消耗した精神力と思考力のまま彼女は契約を行っていた。
「ほんとにたまにはだったみたいね。ゼロのルイズ」
いつの間にか側に来ていた、見事な金の巻き毛の女の子が彼女をあざ笑った。
一瞬で沸点に達したルイズはその少女、モンモランシーを怒鳴りつけようとしたとき、別の怒鳴り声が間に入って来た。
「おい! 俺達になにをした!」
先ほどまで呆然としていた、契約が成功した少年だ。
「透は! 弟は病気で体が弱いんだ! 透になにをしやがった!」
ルイズに掴みかかろうとした少年をコルベールが「いけない!」と押さえ込む。
後ろからだった上、完全に起き上がる前の中途半端な体勢だったのでコルベールは抑えることが出来たが、内心ひやりとしていた。
(――細身の上服で分かりにくかったが、鍛え抜かれた体をしている。なにか武術の心得でもあるのか? っ! この状態からでも抜けようとするのか! 何だこの力は!)
両腕を取られ地面に縛り付けられても暴れる少年とコルベールの元に水メイジの教師がやってくると、コルベールはスリープクラウドを頼んで彼を寝かし付けてもらった。
そうしてやっと落ち着いたコルベールは、生徒達に解散を伝えていなかったことに気付き、慌てて教室へ戻るよう指示を出したのだった。
ルイズは一人、呆然とした表情で少年を見ていた。