「シルフィード良い子。愛してます。お尻痛くないって素晴らしい」
トリステイン上空。天晴れな青空の下、タバサの手を離してまで風竜の首に縋り付き頬ずりするトールを、ルイズ達はうんざりとした目で見ていた。
先週とはうって変わって快晴となった虚無の曜日。前回トリスタニアにタバサとトールがおもむいた際買い忘れていた武器を購入しに、ルイズ、タバサ、キュルケ、ヒラガ兄弟の五人がまだ幼い風竜の背に乗って空を駆けていた。
すでにヒラガ兄弟が召喚されてから十日以上経過している。サイトの強さの性質上、すぐに武器が必要というわけでもなかったので、四日目にあった虚無の曜日が雨だったこともあり延び延びになっていたのだ。
トールに撫でられた風竜、シルフィードがきゅいきゅいと嬉しそうに鳴く。この風竜もトールに褒められる度に実に嬉しそうにしっぽを振ったり速度を上げたりするものだから、当初背中に腰を下ろしていただけのルイズは揺られて危うく落ちそうになったりもした。
飛び出してからずっとこの調子なので、皆背びれの掴み方も馴れつつあったが。
「かわいいかわいいシルフィードには、後でマルトーコック長が焼いたお肉を上げましょう」
その発言に、とっくに馴れているタバサは背びれにも掴まらずにバランスをとり、トレードマークでもある大きなスタッフで「甘やかしちゃダメ」とトールの頭を小突く。もう何度目か分からない光景だ。
どうやらシルフィードの主人であるタバサと世話係のトールは、この風竜の教育方針で対立しているらしい。
「それにしても、ほんと、風竜の幼生なんてどこで捕まえてきたのよタバサ。今じゃもうみんなすっかりこの子がタバサの使い魔だと思ってるわ」
脚を組んで座るキュルケがタバサに問う。
タバサが障壁でも張ってくれているのか、風竜の背に乗っているとは思えないほど正面から吹き付ける風は弱い。だがそれでも靡くキュルケのスカートにサイトの視線がいき、ルイズは無意識に彼を蹴りつける。
「ついてきた」
「ついてきたって……風竜は見つけるだけでも大変なのに、そもそもそう簡単に懐くものじゃないでしょう……。まあいいわ。それよりトールはタバサの使い魔なんでしょう? なんでこの子が使い魔ってことになってるの?」
「特に意味はないですよ」
呆れた表情のキュルケに答えたのはタバサではなくトールだ。叩かれた箇所が痛むのかしきりに頭をさすっている。
「なによそれ。どういうこと」
「まあなんというか、せっかく噂が広まっていたのだから勘違いさせておいた方が楽しいじゃないですか。強いて言えば対外的な意味でこちらの方が融通が利く、というのが理由ですか」
街に着いたときの馬車駅にある騎獣預かり所で、使い魔だと書類手続きが簡単なのだ。これは調教したものより使い魔の方が言ううことをよく聞くことが理由だ。実際のところ使い魔と嘘をつく者も多い。ただ空を飛ぶ使い魔の騎獣は勝手に飛ばせておいてもそうそう問題を起こさないので、本当に使い魔の騎獣を持つメイジは預けないことが圧倒的に多いが。
学院でもシルフィードを放し飼いにしているので馬車駅に預ける予定はない。
「呆れた。そんな理由だけであんな嘘をついているの」
「はい。そんな理由だけです。ですのでバレると怒られそうなので、ここだけの秘密にしておいて下さいね」
若き東方の賢者の態度に、ルイズは溜め息をつく。平民が貴族に意味もなく嘘をつくなど、知られたら確かに危ない。しかも小馬鹿にするためとなれば、先日名誉がどうたら教育がどうたらとトールにつっかっかってきたミスタ・ロレーヌとの決闘騒ぎみたいなことになりかねないのだ。
騒ぎは珍しくトールとタバサが別行動をとっていたときの出来事で、しかもキュルケやルイズ、サイトもいないときに起こり、ことの顛末を見た者でここにいるのは当事者のトールだけなのだが、なぜかギーシュがミスタ・ロレーヌと戦い勝利し、その場は収まったらしい。
「透になにか言っても無駄だぞ、ルイズ。こいつのやることを一々気にしていたら疲れるから、結果だけ見ていればいいんだよ」
「そうね。ギーシュもなんだかよく分からない訓練させられているみたいだし」
「トールは最初すごく頭が良くってマジメなのかと思っていたけど、今じゃもうすっかりそんな感じは吹き飛んじゃったわねー。サイトの方が文字覚えるの早いし、風竜(このこ)の溺愛っぷりとか、意外すぎて驚いちゃった」
「わかっていないですねキュルケさん。男だったら幻想動物に憧れるものなんですよ。それがドラゴンとか、最高じゃないですか。あと憶えの悪さは言わないで下さい。地味に気にしているんですから」
「透は文系暗記物壊滅的だもんな。まあなんだ、ドラゴンは良いよなドラゴンは。グリフォンとかも捨てがたいが、やっぱドラゴンには敵わない」
「よくわからないわ。でも今後の参考にしておこうかしら。ところでサイト、あたしのところのフレイムなんてどうかしら?」
「フレイムみたいなのもかっこいいよなあ。でもやっぱ空飛べた方がなあ」
「あら残念。じゃああたしは――」
しな垂れかかってきたキュルケから引き剥がすように、ルイズがサイトの腕を引いた。
「というか、常々疑問だったんだけどなんでキュルケがここにいるのよ? 誰の許可をもらって付いてきているわけ?」
「あらルイズ。あたしはタバサに付いてきたのよ。あなたはお呼びじゃないわ」
「わ・た・し・は! サイト達の武器を買いに行くの! お呼びじゃないのはあんたでしょ!」
「ついた」
それまで黙っていたタバサが口を開く。その両目は真っ直ぐにまだ遠く小さな王城に向けられていた。
以前であれば常に本を携帯していた彼女だが、最近ではめっきり持ち歩くことが少なくなってきていた。
特にシルフィードに乗ると、杖とトールの手で両手が埋まるだけではなくバランス取りもしなければならなくなり、地上ではまだどうにかなる場面もあるが空中では少々危いと自覚もあるようなので、飛ぶと決まっているときは杖以外の荷物をあまり持たなくなっていた。
それに常に一緒にいるトールは雑学的知識や地球産の物語に造形が深く、本がなくとも好奇心や向上心を埋めるものに困ることがなくなってきたこともある。もちろん精霊の流れの観察をしなければいけないこともだ。
その為、トールとも手を離している今は随分と手持ちぶさたな心持ちになっていた。
だからこそ開口一番で到着を知らせたのだが、その異変に気付いていたのは以前から彼女と共にあるキュルケだけであった。
突然母性が籠もった微笑みをタバサに向けたキュルケに、端から見ていたルイズは気勢をそがれて唇を尖らせる。
サイトはそんな女性陣の異変に気付かず言われるがままに前方を見やり、徐々に大きくなってくる城の姿に感嘆の息を漏らした。
「すっげー。白いお城だ。昔行ったネズミのお城を思い出すな」
「あっちとどっちが大きいでしょうねぇ」
以前一度見ていたトールも、余裕を持って遠くから見るのは初めてだったのでなにやら嬉しそうだ。
「失礼ね。トリステイン城にはネズミ一匹いないわよ」
「ああいやいや、俺達の国にな――」
騒がしい彼らの話題は尽きないまま、風竜の影は王都の偉容へとのみ込まれていった。
立地の問題もあるだろう。昼間だというのに薄暗い店内にはランプが灯っていた。魔法の光ではないようなので、普通の燃料ランプのようだ。店内は少々小汚く見えるが、常時ランプを灯しておけるほどの繁盛はしているらしい。
店の奥ではこの世界ではとっくに老年といえる歳の男がパイプを燻らせている。
彼は入店してきた五人組みの内、先頭に立っていた少女の胸元に輝く五芒星の紐タイ留めを見やり、何事かと目を細めた。その後ろに続く他の少女二人もマントを身につけ、杖を携帯している。
「若奥さま方あ。うちはまっとうな商売してまさあ。お上に目を付けられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」
「客よ」と答えながらルイズが入り口近くに飾ってあった甲冑をノックした。側に立っていたサイトが壁や棚に立て掛けられた武具を見回して、ほへーと間抜けな声を上げている。
「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」
「どうして?」
「いえ、若奥さま。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーからお手をおふりになる。と相場は決まっておりますんで」
「なるほど。だから商人は弁をふるうわけですね」
後ろにいたトールが口を挟み、前へ出て来る。
店主はにやりと笑った。
「あらそれなら、馬主は手綱をふる?」
キュルケが続けて言い、タバサを見る。
「奴隷商は鞭をふる」
タバサのブラックさにサイトは若干引きながら、
「い、犬はしっぽをふる」
なんとかルイズへパス。
「え? え? ええっと……あ、雨がふる……?」
少々の沈黙が流れた。
「……は、ははは。旦那さま方も言いますな! 一本取られましたわ!」
「……いえいえ。百戦錬磨の主人の舌先には敵いません。ところで幾つか武器を見繕っていただきたいのですが、よろしいですか」
「へい。どんなのをご入り用で」
店主は上機嫌で手もみした。見た目よりはまともな客のようだと考えたからだった。
「まずは投擲に使える短剣と――」
なかったことにされたルイズと、慰めようかどうか迷っているサイトを残して三人が店の奥へと進む。
そしてあーでもないこーでもないと店主が持ってくる武器をトールが品定めしているうちに、遅れてルイズとサイトが加わった。サイトの頬にもみじがついていることに関して誰も何も言わないでおいた。
「そおいやあ、旦那さま方もやっぱり盗賊対策で?」
「盗賊?」
「ありゃ、違いやしたか。なんでも、最近このトリステインの城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」
「ふむ。どんな盗賊か知ってますか?」
「へえ、『土くれ』のフーケとかいうメイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。それで昨今は宮廷の貴族さま方が下僕に剣を持たせるのがはやってきておりましてね」
「貴族ばかりを狙うの?」
「へえ、そう聞いとります」
ルイズが嫌そうに眉をしかめた。キュルケは「まあ貴族の方がお金あるから当たり前よね」と頷き、タバサは手に持った大振りのナイフをいじるだけだった。ヒラガ兄弟が興味深げに店主を見る。
「『土くれ』ということは土メイジですか。どんな手段で盗むか聞いてますか?」
「詳しいことは知りませんが。なんでもまあ夜中に貴族邸の方で大きな音を聞いたと思ったら、二十メイルはあるでっかい人影が見えたとか。翌朝にゃあフーケが出たって大騒ぎだったらしいでさあ」
「すげえな。巨大ゴーレムか。ギーシュだとどこまででかく作れるんだろう」
「噂じゃ、壁もなんもかもぶっ壊して盗んでいったってえ話でさあ。他にも宝物庫に綺麗な穴が空いていて、気付いたら根こそぎやられてたってえ話もありまさあ」
「土なら、穴あけは練金かな。ゴーレムの大きさからして多分トライアングル以上。手練れだね。でもなんでフーケだってわかったんだろう?」
「犯行声明が残されてると聞きやすね」
店主の言葉に「ネズミ小僧みたいだ」とトールがこぼす。
「史実のネズミ小僧は犯行声明文とか残してないし、義賊じゃなかった可能性が高いらしいぞ。透」
「時代劇だけですか。つまらないですね」
師事した人間の影響でサイトの知識は少々渋い方面に偏っていた。
「そんなもんさ。そういった例については透の方が詳しいだろ」
「そうですね」
どうにもこっちに来て、英雄願望でも出てきたかもしれません。と小さくトールは独りごちた。
「それで旦那、どいつにしやしょうか。短剣類をあるだけ持ってはきやしたが」
ああ、とトールが頭を振る。
「試し切りできるような物はありませんか。実際の使用感覚を知りたいので。兄さんは投擲の……何やってるんですか、兄さん」
「……俺が聞きたい」
呆気にとられたようにトールがサイトを見る。サイトも困惑の表情だ。ルイズやキュルケに至ってはぽかんと口を開けていて、タバサはいつも通りの表情だが注目していた。店主が「なんですかいそりゃあ」と尋ねてきた。
カウンター側で灯されているランプの明かりとは別に、青白い光がサイトの左手から浮かんでいたのだ。
左手に刻まれていた使い魔のルーンが光っているようだった。
サイトがその光をちゃんと見ようと、握りを確かめていた短剣を手放す。
すると途端に光が消えてしまった。
あれ? とサイトが首を傾げ、その様子を見ていたトールが先ほどの短剣を手に取った。
だがなにも反応はない。襟元を引っ張って胸に刻まれたルーンを確認したが、サイトのように光ることはなかった。
「兄さん。もう一度これ握って」
「あ、ああ……うわ」
短剣をサイトに渡す。またルーンが光り始める。
トールが腕を組み、ふむ、と頷いた。そういえばと思い出していたのだ。チョークの時も光っていた。それにトールのルーンは『ルーン』と呼ばれるごく一般的なものであったが、サイトのルーンがなんであるのか知らないままであった。
「ルイズさん。兄さんのルーンってなんだか知ってますか?」
「し、知らないわ。図鑑にも載っていなかったし」
感覚共有などの補助効果がなかったため、ルイズはサイトの左手に現れていたルーンをただの失敗ルーンだと思っていた。それがここに来て突然反応を見せたため、彼女は動揺してしまっていた。そんなルイズの様子にトールはもう一度頷き、
「……兄さん、次はこっちの短剣を握って――」
と冷静に状況を確かめようとしたところで声が上がった。低い男の声だった。
「おでれーた! おめえ、自分のこともわからねーのか!」
ぎょっとして店主以外の全員が声の方を振り向く。店主は頭を抱えてカウンターに肘をついた。
「な、なんだ?」
サイトが声のした方へと向かうが、そこにはただ乱暴に積み上げられた剣があるだけだ。
「おい! てめ、俺を買え」
「な、何なんだ? 誰もいないぞ」
「おめえの目は節穴か! ここだ!」
トールとタバサもやってきて一本の剣を掴み掲げた。
「お、わかってるじゃあねえか。……ん? ……てめ……」
剣がしゃべってる。と呟きサイトは後じさった。なんと声の主はトールが手に取った剣であった。錆の浮いたボロボロの剣から声は発されていたのだ。
先ほどまで他の剣に埋もれていて気付かなかったが、トールとタバサにはその剣が奇妙な輝きを放っているのが見えていた。
「……へえ。これはまた、おでれーた。てめえ、変なヤツだな」
「剣の貴方には言われたくありませんね」
トールがそういうと、店主の怒鳴り声が響いた。
「やい! デル公! お客さまに失礼なこと言うんじゃねえ!」
「デル公?」
ルイズとキュルケもやってきてその剣をまじまじと見つめた。刀身が細い薄手片刃の長剣である。柄まで合わせた全長がルイズの身長と同じくらいありそうだ。だが錆のせいで見栄えが悪く、素人目で見てもいい剣とは言い難かった。
「ああ、そうだ! お客さまだ! だからそこの『使い手』、俺を買え!」
「これって、インテリジェンスソード?」
「そうでさ、若奥さま。意志を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて……。とにかく、こいつはやたら口は悪いわ、客にケンカは売るわで閉口してまして……。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」
「うるせえ小僧! 『使い手』を見つけたんだ。俺は行くからな!」
「てめえ、なに言って……」
睨みを効かせ立ち上がった店主を、サイトが手で制した。トールが両手でしっかりと持ち、デル公と呼ばれた剣を掲げる。
「ねえ、剣の御仁。『使い手』というのは兄さんのことかい?」
「ああ、そこのてめえに似た男のことだ」
ふむ、と頷いてトールがサイトへ剣を渡す。両手で背の部分もしっかり支えていた。トールには些か以上に重量があったのだ。
柄を握ったサイトの左手がまたしても光を放つ。
「ああ、やっぱりてめえは『使い手』だ。やっと会えたぜ」
「お、おう……」
喋る剣に最初はおっかなびっくりなサイトであったが、それもすぐに興味に転じた。
「……自己紹介しとくか。俺は平賀才人。お前は? デル公か?」
「ちがわ! デルフリンガーさまだ!」
サイトの光る左手の中で、デルフリンガーが吠える。威勢の良い静物にサイトが笑った。
トールは左手一本でデルフリンガーの柄を握るサイトに尋ねた。
「兄さん。使いやすそう?」
「そうだな。軽いし、錆びちゃいるけど悪くない」
言って、サイトがデルフリンガーを片手で振るう。一振り。二振り。三振り目は両手でだった。片手の時点でサイトの手元は霞み、剣先は消えていた。両手になると気付いたら振り下ろした後だった。両手で振った後になってサイトの表情が強張り、トールと視線を合わせた。
サイトは剣なんて握ったことがない。いいところが竹刀や木刀だ。チョークのときのようにまた調子に乗っていたから三振り目まで気付かなかったが、両手持ちで振ったときにはさすがに気付いたらしい。自分の異変に。
いくら鍛えていたといってもこんな素振りをサイトが出来るわけがないのだ。それにサイトはトールが両手でやっと支えられる鉄の塊を、片手で軽いと言っていた。体格にそこまで大きな差がないのにも関わらずだ。
予想以上の結果を確認したトールは、全て分かっていたかのようにサイトの視線ににやりと口端を上げて頷く。
ルイズ、キュルケ、店主はあんぐりと口を開けていた。タバサですら表情に表れていた。サイトのルーンが光ったとき以上の忘我状態だ。それに気付いたサイトは驚愕が一周まわってしまって冷静になり、女の子がはしたない、と思った。
「店主。デルフリンガーの御仁はいくらです?」
「――へ? あ! へい! デル公は……」
「店主。店主。僕らはトリステイン魔法学院の生徒とその従者なんだけど、本当は今日、陸軍元帥のお父上を持つミスタ・グラモンも来る予定だったんだ。なにせ、多くのメイジ殺しを擁するグラモンの私設軍で彼の方は揉まれていた。それに練金が得意な土メイジでもいらっしゃるからね。剣のことを教えてもらおうと思ってさ。だけど残念なことに、急遽来られなくなっていたんだ。だから土産話でも持って帰ろうと思っていたんだけど、どうかな?」
どうかな?
一体何がとはトールは言わない。ただ突然彼にまくし立てられて、店主はぎょっとして息を止めていた。止めてまでトールの言葉の意味を考えてしまっていた。
陸軍元帥の覚えが良い武器屋という言葉が、店主の頭の中に生まれる。それでなくても、子飼いの兵士達に話がいく可能性はある。
そしてデルフリンガーを振ったサイト。尋常ではない剣線であった。有名なら言うまでもなく、もし未だ無名の剣士であったとしても、ここで買った剣を携え立てる英名もまた尋常ではなくなるはずだ。
トールが答えをせがむように笑いかけた。
店主は息を吸い、まだ纏まってすらいなかった答えを吐き出した。
「……へえ! デル公……あいや、デルフリンガーは二十で結構でさあ!」
「そうですか。それは良かった」とトールが何度も頷く。
トールは今日、本当にギーシュを呼ぶつもりであった。だが朝声をかけに行ってみると、すでに彼の部屋はもぬけの殻であったのだ。だから仕方なく自分達だけで来たのだ。
しかしギーシュを呼ぼうと思っていたのは鑑定役としてで、トールはすでに数日前に彼から剣の一般的な値段を聞いていた。
貴重な鉄の塊を豪勢に使った大剣類は、二百エキューは下らないという。ならば錆びているとはいえ、こんな面白そうな剣が二十エキューなら買いだろう。
本当のところ、ギーシュは軍の備品の値段などよく知らなかったらしい。だが以前小遣いを稼ごうとして青銅の剣を作り売ろうと思ったことがあったらしく、残念ながら出来上がった剣は練度が足りないうえ、魔法製ということで二束三文にしかならなかったようだが、その時に知った鋳造されたゲルマニア製の鉄剣の値段を憶えていたのだ。それが安い物で三百エキュー。トリステイン製で粗悪品でも二百は当然さ。とのことだった。
「ところで店主、研ぎはどちらで頼めますか? せっかくミスタ・グラモンにお見せするんです。最高の状態が望ましいのですが……」
「へえ! うちで受けまさあ! 旦那の頼みなら十で結構でさあ!」
「期日は?」
「四日、いや二日でやらせていただきまさあ!」
「さすが店主。職人は仕事も話も早くていいですね。どうです、ミス・ヴァリエール。ミス・ツェルプストー。とても好感が持てると思いませんか?」
店主はまたしてもぎょっとした。ヴァリエールといえばトリステインきっての大貴族。ツェルプストーは鉄鋼業が盛んなお隣ゲルマニアの大貴族だ。どちらも国境に面しており、私設軍の規模はグラモンに勝るとも劣らない。領地が隣り合っていて本来仲が悪い二家がどうしてこんな場所に揃っているのか知らないが、本物だとしたらこれ以上ない上客だ。
トールに呼ばれたルイズはなんだかよく分からないといった顔をしていたが、キュルケはすぐに察してしなをつくった。真っ赤な髪をかき上げ、胸を張り、店主に色っぽく笑いかける。
「ふふ。そうね。とっても判断力があって、男らしいと思うわ」
「へ、へえ」
迫る色気に店主はいい年して顔を赤らめ、だらしなく頬を緩ませた。
そこにまたトールが畳みかける。
「それで店主。こちらのダガーセットなんですが――」
「全部合わせても五百いかなかったですね。いやあ、いい買い物が出来ました」
店から出てほくほく顔のトールが言う。だが、
「トール。貴族は値切ったりしないわ」
そんなトールを、ルイズが柳眉を逆立てて窘めた。
しかしそれもどこ吹く風といった顔でトールは語り出す。
「ルイズさん。僕は店主と『お話』していただけで一言もまけてくれと言ってませんし、値段の提示すらしていません。ですから値切ったなんてとんでもない。全部武器屋の店主の善意なんです」
まるでお布施を無心するロマリアの坊主のようなことを言い出したトールに、ルイズはさらに視線を鋭くした。
ルイズもギーシュから一緒に剣の値段は聞いていた。だから全部合わせて通常の半額以下の値段で買えてしまったことに気付いている。そのことがどうにも気にくわなかったのだ。
トールもそのことは理解している。貴族は名を汚すことを酷く嫌う生き物だ。特にここトリステインの貴族はある種の短絡的な部分が目立つことを、トールは聞きかじった国の歴史や現在の国の立ち位置から想像したり、現状を留学生であるタバサやキュルケからも聞き及んで予想していた。
つまるところ、彼女はヴァリエールの名を出したことが引っ掛かっているのだ。今回の件で剣を安く買い叩いたなどと噂されるのは、ルイズの矜持に反することであった。
これは真っ当な矜持だ。身勝手で心ない貴族が振るう暴力のような矜持や誇りではなく、上に立つ者として下々に背中を見せるためのルイズのそれは、ささやかながらも気高いものであった。
だがやはり、まだ短絡的であることには変わりない。
トールは視線を受けとめつつも、サイトへと受け流す。
「兄さん。お金は後どれくらい残ってますか?」
財布袋はサイトが懐に入れ、管理していた。研ぎを頼んだデルフリンガーこそないものの、無数の短剣を肩やら腰やらに下げているその格好はなかなか危ない人だ。
「残り三百とちょっとってところかな」
あれ? とルイズは首をひねる。全部で千持ってきたはずである。計算上ではあと二百ほど多く残っているはずであったからだ。
そんなルイズにサイトが足りないお金の行き先を説明する。
「さっき俺達だけ店から出るの遅かっただろ? そのときにこう言って店主に握らせたんだよ。『改めまして、私どもはラ・ヴァリエール家三女、ルイズ様の従者をさせていただいておりますサイト・ヒラガと、トオル・ヒラガと申します。主人よりこちらをお渡しせよと仰せつかりましたので、収めていただきたく』ってな」
その話にルイズとキュルケが目を剥いた。
「ただで二百も渡しちゃったの?」
「ああ」
「わたしそんなこと頼んでいないわ。なんでそんな勝手なことしちゃうのよ!」
ルイズの怒りはもっともである。
彼女としては噂が立つのも我慢ならないが、かといって意味もなくお金をまくのも許容できる話ではない。
対して、「勝手にやったのは悪いと思ってる。ごめん」とサイトが謝り、トールも「すみませんでした」と頭を下げた。
「だけどこうしておけばあの主人は買い叩かれたと思わないだろ? ルイズの株だって下がるどころか上がるはず。それに俺達がギーシュにあの店のことや剣のことを話さないわけもないから、事実上の『紹介』もすることになる。だから嘘はついてないし、誰も損をしないんだよ。そのうえあの状態まで持っていけば印象づけは出来ているだろうし、舐められることもない。今後も何かあれば安く売ってくれるだろ。しかもあの店、それなりに儲けているようだったからな。顔が狭いということはない。商品の関係上、国軍とも傭兵とも繋がりがある。なにかあったときに役立つかもしれない」
ま、さっき透が言ってたんだけど~、とサイトが笑う。
さっきとはいつの間にだなどとルイズとキュルケは思いつつ、なるほどと唸った。
ルイズとしては中々呑み込めない部分もあるが、理由は至極真っ当であるし方法も上策であったと今ならわかる。安く買った部分も店主に舐められないための布石になっているのだと理解出来た。ルイズは元々座学が得意だ。魔法に関するコンプレックスや理想の貴族像のために背負いすぎた矜持ゆえに盲目的になりがちであるが、頭が悪いわけではない。それに最近は他者の立場や心情を計ることも多くなってきており、努力することが得意な彼女は、ほとんど経験のなかった交渉事のいろはのいの部分を急速に学習していた。それが同時に、人の上に立つ者の重要な要素であることにはまだ気付いていてはいなかったが。
キュルケはゲルマニア人であり、トリステインでの名にそれほど頓着していないため現状で損はなかった。これといって得があったわけでもないが、むしろ面白いものが見られたと気分だけは得をしていた。しかもそれが後に思い返してみれば値切りをしないという枷付きであり、ルイズの名を汚さないことも前提にしていたのだ。あの感じなら共にいたキュルケを悪く言うこともないだろう。誰も汚れないその手際の良さに、彼女は感心していた。
タバサに至っては先ほどの『お話』中についででダガーとナイフを安く買っていた。しかもサイト用にナイフや寸鉄のような暗器類など多種多様に揃えている内にその中にタバサの物も紛れてしまい、知らぬ間に一緒に支払いが済んでしまっていた。つまり彼女はびた一文払っていない状態なのだ。前回の昼食代もルイズ持ちだったこともあり、勝手に彼女の中でルイズ株急上昇中であった。
しばしルイズは考えて、「……まあいいわ」と怒らせていた肩を下ろした。
「それよりサイトよ。あなた、剣は使ったことがなかったんじゃないの?」
トールが突然『お話』という交渉を始めてしまったせいですっかり忘れていたが、もとの発端はサイトのあの素振りだ。手が見えないほどの剣速など、素人のルイズでも異常であると理解出来た。
「ああ、いや、なんつうか……」
訊かれてサイトがしどろもどろとしだし、トールに助けを求めるような視線を向ける。正直なところサイトにとってもあれはさっぱりなのだ。それを察したトールが説明を始める。
「兄さんが剣の修行をしたことがないのは本当ですよ。あれはおそらく左手のルーンの効果かと」
「そんな話聞いたこと……」
「人間が使い魔の時点で前代未聞で異例な事態なのです。ルーンももの凄く珍しいもの故に詳細が伝わっていないだけかもしれませんし、新たに生まれたという可能性もあります」
そう言われてしまってはそれで納得するしかないルイズである。
「なんにせよ、ちゃんとどんな効果か調べる必要がありますね」
トールが道端に落ちていた小石を拾うと、サイトに投げてよこした。
「兄さん、それで向こうの――」
なにかを指さそうとして、トールの動きが突然止まった。皆が訝しみ、トールが見ている方向を向く。
「……あ、ギーシュ」
ルイズがぽつりと呟く。
「あら。あそこは新しいお店かしら。それにしても……」
キュルケもその存在に気付いたようだ。
視線の先には今朝部屋にいなかったギーシュがいたのだ。
そんな彼を見て、サイトが殺気立つ。
「……おい透。透にはあれがなにに見える」
なにせ、優雅にオープンテラスでお茶を楽しむ彼の両隣には、
「……あの二人はミス・モンモランシーとミス・ロッタですね。両手に花――ああ、追加です」
席を一時立っていたのか、ギーシュの前にもう一人女生徒がやってきて席にかける。もちろんギーシュは彼女が座る際、席を引いてあげていた。そしてまた歓談に戻る。実に楽しそうに笑うギーシュの歯がキラリと光っていた。
「あの方は存じませんが、マントの色からして一年生の方ですね。つまるところあれは――」
「「ハーレム!」」
ヒラガ兄弟が声をあげた。
「全員美少女だぞ!」「独占とは、男の敵ですね」「いつの間に。最後の子は知らないが、あの二人とはケンカ別れしたんじゃなかったのか? しかもケンカの原因は二股だったはずだぞ。なんで増えてるんだ!」「先日僕がミスタ・ロレーヌに襲われた際ミスタ・グラモンが助けてくれたのですが、そこを彼女達が見ていたのを憶えています」「そこでフラグを立てたのか!」「漢を魅せましたからね」「クソォ! イケメンめ! 俺にはそんなイベントすら起きていないぞ!」「僕なんて助け出される役でしたよ。って男でこの役、脇役決定じゃないですか!」「なんでだよ俺ギーシュより強い自信あるぞ!」「僕だって一人でなんとかできる自信ありましたよ!」「謀ったなギーシュ! 友情を結んだと思ったのは俺だけかあ! あのとき助け出してやったのを忘れたというのかあ!」「まさか魔法利用法を教えてその恩を仇で返されるとは。やりますねミスタ・グラモン。これだからイケメンは」「――! ――!」「――。――!」
血の涙でも流しそうな目でギーシュを睨みつつも、恨み言を重ねるばかりでなにも行動を起こさない二人。
そんな彼らを放置して、サイトから財布袋だけを取り上げたルイズ達は仲良く昼食に向かう。
この昼食時だけはルイズとキュルケは男のバカさ加減について話が合い、タバサも珍しく話に耳を傾け、時折頷いていたという。
白昼の下、今にも怨敵に向けて投げ出しそうな小石を握りしめるサイトの左手が、虚しく光を放っていた。