タバサは困っていた。
いつものように湯浴みから部屋へ戻ったのだが、使用人風呂に行ったはずのトオルがいつまで待っても帰ってこない。あんまり遅いので捜しに行こうと階下に下りれば、部屋から出て来たルイズと鉢合わせ、サイトも戻って来ていないという。
どうしたことだろうと二人寮塔を出れば、なにやら本塔の方で明かりが焚かれており騒がしい。近づけば目に映る大量の土砂と、教師陣。そしてギーシュ・ド・グラモンの声。
どうやら賊が学院内に侵入し、たまたま居合わせたヒラガ兄弟とギーシュが応戦。賊が作り上げたゴーレムは撃退できたものの、ギーシュはその途中で気絶して、起きたときにはヒラガ兄弟と賊の姿が見えなくなっていたという。
風メイジとしての特性である超聴力でその話を聞き取ったタバサは、とっさに口笛を吹こうとした。だがそれより早く耳が求めていた羽音を拾い、その方向を見ると、予想通りシルフィードがこちらに飛んでくる。
教師陣の誰かも気付いたのかタバサ達の方へとやってくると、シルフィードがタバサの前に止まった。降りてきたのはサイトと学院長付秘書のロングビルだ。ギーシュがサイトに抱きつかんばかりに駆け寄るが、サイトはひらりとそれを避けて、抱えていたトオルをタバサの足元に寝かせた。
慌てふためくルイズとギーシュを抑えながら話を聞けば、かの大盗賊『土くれ』のフーケが学院に侵入。宝物庫を狙ったがこれをヒラガ兄弟とギーシュが撃退するも、たまたま近くにいたロングビルをフーケに人質にとられ逃げられてしまったという。二人はフーケを追い、なんとかロングビルの救出は叶ったが、結局フーケには逃げ切られ、トオルも怪我をしてしまった。
そのためシルフィードを呼んでここまで戻って来たとのことだった。
そしてトオルが気を失う前、彼はサイトに自分の治療をタバサに頼むよう言っていたらしい。
タバサは困っていた。
タバサが治すのはいい。他の誰かが行えばトオルの持つ特異な体質が知られる危険性があるからだ。
トオルはその体質上、治癒の魔法が非常に効きにくい。以前鼻血を止めようとした際、たったそれだけのことなのに苦労した記憶がタバサにはあった。あのときはまだトオルのその体質もなにも知らず、他の水系統と比べてあまり治癒の魔法が得意ではないからだと思っていたが、原因はトオルが治癒のために体内に侵入した精霊も取り込み、本来の働きが出来なくなってしまうからであったことが今はわかっている。ならば取り込みを止めればいいとなるのだが、止めても精霊が入りにくくなるだけであり、結局治癒を満足にかけることは出来ない。逆に攻撃系の魔法も効きにくいかもと思うかもしれないが、ことは体内に限った話であり、体外で生み出されたエネルギーをどうこうすることはトオルには出来ない。元々精神力の関係で対象の体内に攻撃用の魔法を作用させることは通常では不可能といわれており、この点においてトオルの体質は欠点でしかなかった。
だからタバサは困っていた。
意識がないトオルは取り込みスイッチが中途半端に入った状態であり、精霊で周囲を囲み浮かせるレビテーションが上手く作用しない。かといって精霊を介さないコモン・マジックの念力では出力不足で浮かせられない。だからサイトに頼んでタバサ達の部屋まで運んでもらい、部屋に残ろうとするサイトを追い出すと、右手に持った杖を軽く振りディテクト・マジックで怪我の状態を確認した。
左腕は中指と小指の筋を痛めているだけのようだったが、右腕が少々酷い。橈骨が大きくヒビ割れており、人差し指と中指にもヒビが入っている。完全に折れていないのが不幸中の幸いかもしれないが、ヒビだけでもトオルの体質やタバサの治癒の腕前から考えると十分に難しい問題であった。
だがタバサはそんなトオルを診て、ヒビだけで気絶して情けない。と思っていた。タバサならその程度では気を失ったりはしない。するとしても目的を完全にこなしてからであろう。敵を倒す前に自分が倒れるのはタバサの中の戦士としての部分が許さないからだ。
だがタバサはフーケとヒラガ兄弟の間で行われたやりとりを知らない。もしあの場面を見ていればまたその評価は変わっていたかもしれないが、サイトやロングビルは内容が内容なのでタバサにも教える気はなかった。
知らないまま、タバサはトオルの容態を確認していく。単純骨折だけで骨の転位はない。腕を固定して安静にしておけば放置していても治るには治るだろう。だがそれだけでは後遺症が残る可能性があった。治るのにも時間がかかる。
できれば魔法ですぐに完全な状態に治したいとタバサは考えていた。
我知らずにタバサはいつも繋いでいたトオルの右手をじっと見つめる。
トオルはまだ一つしかルイズから水の秘薬を受け取っていない。貰っているそれも病症用の秘薬であり、怪我や骨折に効果が高いタイプの物ではなかった。多少なら効果はあるが、気休め程度の効果しか望めないであろう。
ルイズから他の秘薬を工面してもらえるよう頼むべきだろうかとも考えたが、タバサはそれを否定した。まだ試していなかったが、水の秘薬は実質的にトオルには効果がないだろうと思われたからだ。トオルがハルケギニアに来て体調が良くなったのは、水の秘薬や治癒魔法の効果ではない。精霊を取り込んだからだと思われるからだ。トオルは世界に満ちる精霊と秘薬の中に濃縮してあった水の精霊、そして水メイジの教師が行使した治癒の際の精霊を取り込み、復調したのだろうと二人は予想していた。
これが正しければ既存の効果は望めないであろう。精霊を取り込んだことでもしかしたら多少の効果は得られるかもしれないが、それも現在進行形で行われている通常の取り込みでも同じ事のはずだ。
そこまで考えてタバサは思いついた。
(……体内のを使う)
外部の精霊を治癒の魔法で行使し体内を癒すのではなく、体内にすでに取り込まれている精霊を使えばどうだろうか、と。
さっそくタバサはトオルに触れながら再度ディテクト・マジックを行った。その際に彼を杖の代わりに魔法を行使するときと同じように精神力を通し、トオルの全身に隈無くタバサの精神力を巡らせる。より詳細な怪我の状態と共に感じるものがある。高密度に圧縮された柔らかくも激しいマグマのような『流れ』だ。それが取り込まれた精霊なのだとタバサは実感した。
トオルの体質であり能力である精霊の知覚は寝ていても活動している。視覚に近い形で発動しているため連動しているように感じてしまいがちであるが、実際は独立した感覚であり、聴覚や嗅覚のように寝ていていても、まぶたを閉じていても知覚自体はしていた。だからこそタバサも意識がないトオルからこの感覚を共有できていた。
そしてトオルの中にこのようなかたちで精霊が留まっていることは、以前彼を媒体に魔法を行使したのをきっかけに知っていた。蓄積させてそれを少量ずつ活動のために消費している気がする。とはトオルの言葉である。なんの活動なのかはよくわからないようであったが、おそらくトオルには一般的な人間として何かしらの欠陥があり、それを補う、もしくは消費を抑えるための生命維持活動が異常睡眠であり、現在はそれを精霊で補完している状態であると考えていた。
ただ不明な点もある。タバサが感覚共有を行い精神力を流すことによって彼の中の精霊を知覚できる理由がわからないのだ。トオル自身は自分の中の精霊の流れがよくわからないらしく、なんとなくは知覚しているらしいのだが、自分の血の流れる音が知覚しにくいような、そんな感じだとのことだった。それに則ればタバサも感覚共有ではトオルの内部のことはわかりにくいはずであったが、なぜか知覚することができていた。
タバサは十分に精神力を行き渡らせると、トオルの内部を満たしたその精神力を伝って、精霊の流れを操作し始めた。すると思っていた以上に簡単に操作することができた。むしろ操作するというよりも、そう考えただけで精霊がタバサの願い通りに流れていった気がした。
いや、もっというのならば、元から治癒のための流れになっているような感じすらした。
まるで後は誰かが精神力を流すのを待っていたような。
タバサがそう思うほどであった。
(……でも、これなら……?)
そう考え水系統魔法の治癒(ヒーリング)のスペルを唱えようとしたが、タバサは違和感を覚えて詠唱を止めた。トオルの体内の精霊が嫌がっている、そんな気がしたのだ。
そして、こうしたらいいよ、というような概念のようなものを感じた。
首を捻り、感じたとおりに精神力を流れに沿って精霊に与えていく。すぐに飽和に達したタバサの精神力に圧されて流れがさらに活発になる。
それから彼女はいつも握っていた右手やその先にいるトオルの姿を思い浮かべ、ただ願った。
(癒して)
変化は劇的であった。
タバサは風を主体としたメイジであり、水も得意分野ではあったがその治癒の効果はドットクラスでしかない。もともと相当高価な水の秘薬を併用でもしない限り、全精神力を注いだとしても骨に入ったヒビをすぐさま治せるほどの治癒魔法は使えないのだ。
だがタバサの目の前でトオルの腕の腫れは見る間に引いていき、色も正常に戻ってしまった。他の擦過傷などもかさぶたがぽろぽろと落ちて、幻のように消えている。
わずか数秒の出来事であった。これほど見事な治癒はスクウェアクラスでもそうそうできる者はいないのではなかろうか。
自分でやったことだからこそしばし驚きで思考を停止させてしまったタバサは、再起動するとまたディテクト・マジックを行った。やはり見たとおりにトオルの怪我は完治している。それどころか全身に溜まっていた疲労も癒えているようであった。他に変わったことといえばトオルの体内の水精霊が若干減っている気がしたが、本当にわずかな差であったので確証するには至らないと思い直した。
思い直しながら先ほど自分が行使した魔法をタバサは考えた。
今までトオルの協力のもと行っていた魔法の練習は確かに特殊なものであった。だがあくまであれは系統魔法であり、本質的には四系統魔法の一種を行使していたに過ぎない。だが先ほどのはどうだろうか。スペルの詠唱を必要としない、非常に強力な魔法。それも精霊を知覚してその意志を汲むようなかたちでの魔法行使であった。その様相にタバサは覚えがあった。もしかしたら使えるようになるかもしれないとトオルも以前言っていたが、本当にできるようになるかタバサは半信半疑であった。第一その魔法とて以前見たものは口語での詠唱か、シルフィードの羽ばたきのような身振り手振りによるなんらかの精霊干渉があったはずなのだ。
だが先ほどのタバサは願っただけだ。
精神力を与え、願っただけでブリミル教にとって異端中の異端の魔法をタバサは行使してしまった。
(……精霊魔法の治癒)
おそらくなにかあればタバサにしか傷を癒せないであろうトオルの右手を、彼女は無意識の内に握る。
人の外敵たる者達が扱い禁忌とされる精霊魔法に対する恐怖や忌避感はない。そんなもの、タバサはとうに捨て去っている。
もともとトオルの能力は異端なのだ。それがさらに異端になったところで知られなければ問題は無い。
ただ先ほどの治癒が、タバサに今まで以上の確かな希望の光となってその目に映った。それだけのことであった。
(……母様)
タバサは己が癒したい存在を思い浮かべた。
そして彼女の口から小さな歌声が漏れでる。それは彼女の母が寝るのをぐずったときに聞かせてくれた子守唄であった。
揺れる瞳を、タバサはそっとまぶたで隠してトオルの手を握り続けた。
平賀透は困っていた。
夜中に起きてみたらタバサが腕にしがみついて同じベッドに寝ていたのだ。
透の分のベッドがなかったときならわかるが、今は二人分の寝具がこの部屋に用意されている。一緒に寝る理由などないはずであった。
どうしてこうなったのかと、透は考えた。
ギーシュ。フーケ。骨折。兄に頼んだタバサへの治療依頼。それらが繋がり、掴まれている右腕が若干麻痺しているものの痛みはないことから治療が成功したことを理解する。
普段であればそこまで理解して、タバサに抱きつかれている事態に対して透はなんの感慨も湧かないよう、さっさと二度寝を決め込んでいたところだろう。
だがタバサの目元に残る涙の跡と、透やキュルケでもなければ気付かないほどわずかに緩んだ口元に、なぜか彼は多大な心的ダメージを受けていた。
そのせいかどうにも眠れそうにない。
最近は考え事ややらなければいけないことが多く、寝てていいのであればいくらでも眠っていられそうな気がしていたのだが、なんだか体も睡眠を欲している感じがしないし、そのくせして思考も上手くまとまらない。
結局その晩透はずっと困り続け、翌朝空が白み始めたころにようやくうとうとし出すのだが、タバサが起きてしまいそれ以上眠れることはなかった。