双月の使い魔   作:日卯

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第17話・姫殿下

 

 その日、アンリエッタ王女が学院に泊まっていくとのことであまり下手な行動は取れないとなり、夜の森での訓練が取りやめとなったタバサとトオルは部屋でのイメージトレーニングを行う予定だった。

 だがその予定も、トオルの能力によって捉えられた複数のメイジの反応によって中止となった。

 

(室内に水のトライアングル下位が一名。部屋の扉前に土のライン下位が一名。少々離れた外壁に寄り添うように風のスクウェア上位が一名ですか)

 

 指さしで合図を送り、床面を視界に納めたトオルの思考をなぞるようにタバサもそれぞれの位置を確認して、最後の外壁のところで杖を握る手に力を入れた。そんなタバサにトオルは首を横に振り、力を抜かせると、ジェスチャーと口パクで授業中に使ったのと同じ、声を相手の耳元に直接届ける魔法を使うよう指示した。

 頷いたタバサが魔法を使い、二人の耳と口に空気の道を作る。さらに今度はトオルが風の精霊を床下へ向けて解放し、緑色の流れを作り上げると、二人して床へ耳を付けた。

 風メイジが音に敏感なのは、風の精霊が運んで来る音を拾うのが得意だからだ。その風の精霊の濃度を上げることでトオルはともかくタバサは擬似的に聴覚が増すことが出来る。

 二人のラインを繋げたのは、外の風メイジに声が漏れないようにするためだった。

 

(ガリアからの動き……というわけではなさそうですね)

 

 耳を澄ませたトオルにも、わずかにだが下からの音が届いてくる。

 

「姫殿下!」

 

 聞こえてきたのは、ルイズの慌てた叫び声であった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 ルイズの部屋に突然訪れた黒子のように真っ黒な輩が杖を引き抜いたのを見た瞬間、サイトの体は動いていた。

 一瞬でサイトはその真っ黒から杖を取り上げると近くの自分のベッド上へ投げ飛ばし、続いて片腕の関節を極めていた。

 ベッドへ投げたのは掴んだときに相手が女性だとわかったので、石床の上は可哀想かと思った中途半端な優しさからであった。

 

 それでも油断はしない。この間のフーケも女性だったのだから、襲撃者が女性であってもなんらおかしくはないのだ。

 

 だがベッドの上で被っていた黒頭巾がはだけ、覗いた顔にサイトはうっと息をのんだ。痛いと小さく呻かれた声にサイトも正気を取り戻し、慌てて手を離すと、彼女をベッドに押しつけていた膝をその背中から退ける。

 ルイズも黒子の正体に気付いたようで、慌てて彼女を起こしにかかった。

 

「姫殿下!」

 

「ああ、ルイズ」

 

 ルイズの手を取り、黒子の正体、未だ呆然とした様子のアンリエッタ王女が立ち上がる。

 夜更けに突然、トリスタニアの王女が姿を隠して訪れたのだ。

 お怪我はありませんか? どこかお加減が悪いところは? 大丈夫ですよルイズ。などとやりとりを終えると、すぐさまルイズは片膝をついて頭を垂れる。臣下の礼だ。

 

「申し訳ございません! 護衛の者が襲撃者かと勘違いしてしまったのです! なにとぞご容赦を!」

 

 サイトも慌てて同じ体勢をとる。アンリエッタに忠誠誓った憶えもないし、正確にはサイトに非があるようには思えなかったが、どう考えても立場上問題ありであったし、主人であるルイズに迷惑をかけるわけにはいかなかったためである。

 

「良いのです、ルイズ。言付けもなくやってきたのはわたくしなのですから」

 

 そう言うと、王女は徐々に感極まった表情を浮かべていき、礼をとり続けていたルイズを抱きしめた。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

 力一杯の抱擁である。

 

「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

 

 仰々しく、むしろ暑苦しく語るアンリエッタ王女を、サイトは若干引き気味に見ていた。王女の言葉には小さくながらも身振り手振りが加わっており、なんでこんなにも歌劇調なのかとつっこみを入れたくてウズウズしていた。綺麗だから様になってはいるのだが、初めてギーシュと対面したときに感じた居たたまれなさを覚えてしまい、初見時にどことなく儚さを漂わせていたので、そのギャップでサイトの中のイメージが強烈なものになりつつあった。

 

「姫殿下……」

 

 対してトリステイン貴族であるルイズは自室に王女が訪ねてきたとあって、そんな違和感も吹き飛んでいたし、昔からこの王女は大げさなところがあったので気にしていなかった。

 

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 今の情報に、恥ずかしそうにサイトをチラリと見たルイズがはにかみ、応える。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られましたわ」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ! ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」

 

 実は今もあまり変わらないのだが、非常にお転婆であった自分の過去を晒されたルイズが顔を赤らめ、またサイトを見る。だがサイトはサイトで現在感じている居たたまれなさをどうにかしようと、つっこみを抑えようと、先ほどから必死で下を向いていた。

 ルイズはルイズでそんなサイトの様子に酷く狼狽え、口を滑らせる。自分よりも相手の方がお転婆であったのだと。

 

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

「思い出したわ! わたくしたちがほら、アミアンの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合ったときですね」

「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫さま役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発がうまい具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」

「姫さまの御前でわたし、気絶いたしました」

 

 それから王女はあはははと笑い、ルイズはサイトを気にしながら口元を隠しながら冷や冷やとした様子で笑んだ。ルイズはサイトとどうこうなろうという気はない。だがそれでも好いた男に悪く思われるのを我慢できるほど、出来た心構えも経験もなかった。

 

「調子を戻してきたわね、ルイズ。ああいやだ。懐かしくて、わたくし、涙が出てしまうわ」

 

 ルイズとアンリエッタは幼少のころ、一緒に遊んだ仲であった。王宮から出ることが叶わなかったアンリエッタのもとへ、王家の血も混じる準王族であるラ・ヴァリエール家から歳も近いルイズが通っていたのだ。

 だがそれももう随分と昔のこと。先王が崩御してからは国政は徐々に荒れていき、王宮の内部にも不穏な空気が漂うようになってからは久しくルイズは王宮へ出向いていなかった。

 

「でも、感激です。姫さまが、そんな昔のことを覚えてくださっているだなんて……。わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」

 

 アンリエッタは深い溜め息を吐くと、ベッドに腰かけた。

 

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」

 

 そこに溜め込んだ憂いや疲れがよくわかる声である。

 

「姫さま?」

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタの視線が窓の外、遠くどこかへ投げられる。

 そんな彼女をルイズは心配そうに覗き込んだ。

 

「なにをおっしゃいます。あなたはお姫さまじゃない」

「王宮に生まれた姫だなんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちへ行ったり、こっちに行ったり……」

 

 なにを当たり前のことを、とサイトは思った。その籠に飼われている間は衣食住に困ることなどありえない。そしてその象徴としての存在が必要で支えられているのだと、皇家を持つ日本の国民として生まれたサイトは知っていた。だが同時に可哀想だなとも思っていた。日本の一般家庭人として生まれたサイトは自由を教えられて育った。その自由には色々と不自由もあったが、少なくともここいるお姫さまよりは自由であった。だから全て決められてしまうことに、忌避感を覚えてしまっていたのだ。どちらも彼の本心であり、結局そのことに対する答えを出すのはこのお姫さま本人なのだと考えて、ただ黙って彼は俯いていた。

 窓の外からアンリエッタの視線がルイズへ戻ってきて、覗き込んでいた彼女の手をとりにっこりと笑う。寂しい笑みであった。

 

「結婚するのよ。わたくし」

「…………おめでとう、ございます」

 

 突然の話題に、ルイズは動揺した。その二文字は現在のルイズにも重くのしかかる課題であったからだ。

 そしてアンリエッタの声に含まれた悲しみと寂しさを、ルイズは正確に受け止めていた。望んだ相手との結婚ではない、好いた相手との結婚ではないのだと、彼女もまたその心の内に住む人がいて、抱いた想いを遂げることは叶わないのだと、理解した。

 先ほどの、あなたはお姫さまじゃない、という発言に深く反省しつつも、祝言しか吐き出せない自分を悔しく思った。

 

 そんな彼女の様子に気が付いたアンリエッタが、ルイズの手の甲を撫でる。

 

「あなたは悲しんでくれるのね。ルイズ・フランソワーズ」

「……姫さま、わたしは」

「いいのです。ルイズ。その気持ちだけでわたくしは嬉しい」

 

 望まぬ結婚という話題に気持ちが沈んでいたルイズは気付かないでいた。アンリエッタが、ルイズが感じた悔しさを悲しみと言ったことの、その齟齬に。ルイズが自らその道を行くことを決めたのと違い、この目の前の友人は仕方なくその道を行くことにしたという差に、気がつけずにいた。

 

 それっきりルイズはなにも言えなくなってしまい、しばしの間沈黙が流れる。

 と、そこでアンリエッタの視線がルイズの横で控え続けていたサイトへ向いた。

 

「こちらの方は?」

「あ、わたしの護衛で使い魔の、サイトです。先ほどはこの者がとんだご無礼を」

「もう。また戻ってしまっているわ、ルイズ。おともだちでしょう……使い魔?」

 

 きょとんとした視線がサイトに突き刺さる。

 

「人にしか見えませんが……」

「人にございます。アンリエッタ姫殿下」

 

 サイトが一礼と共に応える。

 

「はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

 

 まじまじとサイトを見回したアンリエッタが感心したように言葉を漏らした。

 人が使い魔などという話は、アンリエッタでも聞いたことがない話である。おとぎ話や彼女が趣味にしている歌劇の脚本でも聞いたことがない題材だ。

 

「ああ、そういえばこんな話を聞きましたわ。なんでもルイズ、あなた風のスクウェアを倒したのですって?」

 

 言われて思い当たったのは、昼前に教室であった一幕だ。

 

「ど、どうしてそれを?」

「その様子だと、本当なのねルイズ! すごいわ! 今日学院に来るのに、こちらにルイズが通っていることを思い出したのよ。とっても懐かしくてオールド・オスマンにルイズの様子を尋ねてみたら、そんな話が聞けましたわ。あなたは変わっていて、とってもすごいわたくしのおともだちなのですね」

 

 そう言って、アンリエッタは溜め息をついた。

 

「あなたと比べてわたくしは……」

「姫さま? どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに……、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風に溜め息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」

 

 その言葉に、ルイズは彼女の力になりたいと思った。自分と同じ道を行こうとするこの目の前の友人の、せめて悩みぐらいは聞き、少しでも楽にしてあげたいと考えたのだ。

 

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたしをおともだちと呼んでくださったのは姫さまです! その友に、悩みを話すこともできないのですか?」

 

 ルイズの発言に、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをおともだちと呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 そして決心したように頷いた王女を、サイトは冷めた目で見ていた。

 

(……ルイズが悩みと言い出したのにこの王女、悩みがあるといったのは忘れてちょうだいとか……都合良く話を進めるあたり、愚痴って甘えたいだけか。ルイズも妙にテンション上がって気付いていなさそうだけど。これで王族はちょっと拙いなぁ。これはさっさと嫁に行って大人しくしてもらっていた方がいいタイプだ)

 

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

 

(――は? まさか、国家機密とかか? こんなところでそんな話するつもり――)

 

 アンリエッタの視線がサイトへ向く。

 サイトはそれに気付いて、聞く気満々のルイズをちらと見て、内心の溜め息とともに居住まいを正した。

 先のような発言をした後だ。諫めたところで、ルイズはこのままこの王女の話を聞かないという選択肢は取らないだろう。最悪サイトを追いだして聞くだけだ。

 彼にはルイズだけに危ない橋を渡らせる気など、さらさら無かった。それにこの甘えたがりな王女のことだ。存外に大した内容などではなく、ルイズに友人として愚痴るだけで終わるかもしれない。

 すぐにサイトはその楽天的な考えを改めることになるのだが、そう考えた彼は口を開いた。

 

「使い魔とメイジは一心同体。お許しがいただけるのならば、ここにあろうと思います」

 

 アンリエッタは頷き、悲しそうな顔をしたあと、語り始めた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 話を要約するとこうだ。

 アンリエッタの嫁ぎ先は隣国、帝政ゲルマニア。それというのも現在アルビオン王国では貴族が反乱を起こしており、王室の負けはほぼ確定している状態。貴族派が勝った場合、次の標的になりそうなのがこのトリステイン王国。だが現在のトリステインではこの貴族派に勝つのは難しい。故にトリステイン貴族が蛮族と蔑むが国力が高いゲルマニアと同盟を結ぶことを望み、正当な始祖ブリミルの血筋を持たないゲルマニアはその血筋であるアンリエッタ王女を、正当な手続きでもって欲したのだ。

 

 ここまではただの愚痴で済まされる。本当は済まされないけれども、これ自体によって命を狙われるとか、そういったレベルの話ではなかった。

 

 だが話は続いた。

 なんでもこのアンリエッタ王女、アルビオンのウェールズ王子に向けて以前とある手紙をしたためたことがあるらしく、その存在が公になるとゲルマニアとの婚約が破棄されかねない内容らしい。

 そして現在アルビオン王室派の負けは時間の問題であり、その時間は同時に件の手紙が貴族派に渡るまでのタイムリミットということでもあった。もちろん貴族派に手紙が渡れば、彼らがその手紙を使ってトリステインとゲルマニアの同盟を壊しにかかるであろうことは明白である。もしそうなればトリステイン王国はアルビオン貴族派と一国で戦わねばならなくなるのだ。戦争になって勝てたとしても国の疲弊が凄まじいものとなることは確実であり、横やりが入ればそれで終わりな状況といえた。その横やりを入れそうなのがゲルマニアであり、だからこそ今の内に懐に入りたい状況ということであった。

 

 うわあ、このお姫さまアホの子だ。

 聞き終わったサイトはうっかりそう口走りそうであった。

 天を仰いだりなんだりと大げさな身振り手振りを交え、いかに自分が可哀想な状況なのかを訴えるアンリエッタであったが、サイトの心中はあまりにもあんまりなそのアホっぷりに呆れを通り越して、このままトリステイン王室滅んだ方が国の為にいいのでは? と殺意とともに思ったほどであった。

 例え攻め滅ぼされても全貴族が処刑されることはない。率先して王室を差し出して、皆が皆あちらに寝返ればいいだけとも言えたからだ。少なくとも、それができれば助かる者が多いのは確実であろう。アルビオン貴族派と戦争になるのは、彼らが物資を求めてだ。ならば戦闘を起こさずにあげてしまった方が、負けが確定しているのならば犠牲は少ない。それを条件にアルビオン貴族派と同盟を組めばいい。非常に短絡的であり、多くの問題を抱えることに違いないが、このような王女のせいで道連れにされることを思うとその方が幾分マシに思えてくる。

 トオルほど諸国情勢を知らず、ここで聞いた話だけしか知らないサイトは、それが最善のように思えた。

 ここでの内容だけでそう思わせるこの姫さまのアホっぷりがすごかったとも言えた。

 

 婚姻を妨げるほどの効果を持った手紙となると、想像は大体付く。

 年頃の王女と王子との間で交わされた手紙。となると、恋文だ。それもおそらくは永遠の愛を誓うほど熱烈な恋文。

 試しにサイトが「その手紙、偽物だとつっぱねることはできないのですか?」と問うたところ、「紙もインクも印も、全て王室の物です。誤魔化すことはできないでしょう」とのことだった。しかもさらに問い詰めると恋文であることを自白し、それが完全に私的なものであることも白状した。

 

 そしてその話を聞いている途中、トオルからタバサの風のパスを伝ってもたらされた情報があった。すでに怒り心頭で糾弾しそうになっていたサイトはトオルの声を聞いて落ち着き、その内容を聞いてさらに頭に血を上らせてむしろ冷静になりつつあった。

 

「僭越ながら、もう一つお尋ねしたいことがございます。アンリエッタ姫殿下」

「ええ、どうぞ使い魔さん」

「護衛の者は、どちらに?」

 

 ずっと気になっていた。扉の前と窓の外にそれらしき気配があったが、サイトがアンリエッタを取り押さえたとき、どちらも動く気配がなかった。扉の前のは内部の状況がわからない様子で、外のは我介せずといった様子であったことを、彼はしっかりと感じとっていた。だが王女とともにこの部屋に接近してきたので、てっきり護衛だろうと思っていたのだ。

 だがそこにトオルからの情報である。『扉の前にいるのはギーシュ。お姫さまをストーキングしてきただけの野次馬で、一人だったため寮塔前から心配になってつけたきたらしい』と。

 遠見の魔法などを駆使して相手を確認、サイトにコンタクトをとったのと同じ方法でトオルはギーシュにも接触し、何をしているのか聞き出したのだ。

 

 きょとんとしたアンリエッタの視線をサイトは正面から睨むように返すが、そこに含まれた怒気に彼女は気付かない。悪意などは向けられ慣れていても、怒りを向けられたことはなかったのかもしれない。

 

「? 見ての通り、一人ですわ」

「ここに来ることを知っている者は?」

「いませんわ」

 

 お忍びでしたので、とアンリエッタは微笑む。

 ぐっとサイトの拳に力がこもった。

 

「恐れ多い発言をお許し下さい。姫殿下。我が主と共にお送りいたしますので、お早めにお帰り下さいますよう、お願いしたくございます」

 

 これに驚いたのはルイズだ。姫殿下がわざわざ部屋にお越しになってくれているというのに、追い返すような真似など一体何を考えたらそうなのか。貴族として王族を敬い忠誠を誓うことを教えられ続け、それを真正直に受け止めていた彼女には想像も出来なかった。

 

「サイト! 何を言い出すの!」

「ルイズ、悪いが黙って聞いていてくれないか。ルイズも知っておかなければいけないことだ。姫殿下。御身が現在どのような状況か、ご存知ですか?」

 

 困惑した様子のアンリエッタは首を傾げると、「おともだちのルイズ・フランソワーズの部屋に、遊びに来ている……でしょうか?」と言った。

 

「はい。姫殿下はそのつもりでしょう。ですが姫殿下は家臣にそのことを伝えておりません。正式な護衛の一人も連れておりません。そのような状況で、昔馴染みとはいえ、王位継承権を持つヴァリエール家のルイズの元へ一人出かけた後、御身に何事か起こればその嫌疑がどこに向かうか、考えたことはおありですか?」

 

 はたと、少女二人の動きが止まった。そして二人とも顔色を悪くさせていき、サイトを伺うように見た。

 

「だ、大丈夫ですよ。使い魔さん。無事に帰ればいいだけです。それに、わたくしはそのようなつもりでは」

「確かにその通りでございますし、殿下のお気持ちも存じております。ですが現在、トリステイン王国の王位は空席となっております。そこで唯一の王女である御身になにかあれば、多くの物事が動くのです。否応なく、我が主ルイズもその流れに巻き込まれるでしょう。そして一番の問題は手紙のお話です。これは最高機密に類するものです。知っているだけでも国家転覆を狙う者、またはその者からそれを防ごうとする者との間に立たされる、非常に危険な情報でございます。このままでは両者から我が主ルイズは狙われることとなります」

 

 地球にいた頃のサイトは、和製のみであったが時代物や歴史物のテレビや小説等を好んで見ていた。テレビなんかではあまり目立たなかったが、小説関連では和物でもこの手の話は多くある。ゆえにトオルからもたらされた情報だけで現状がどの程度の危機感を持つべき事態なのか、おおよそには把握出来ていた。少なくとも、目の前の二人よりは政の権謀術数を知っていたのだ。

 

 そして、すでに大丈夫などではないのだ。事実としてギーシュがアンリエッタの尾行に成功してしまっている。彼が何かするとは思えなかったが、他の誰かであればサイト達にとってなにが起こるかわからない。それにまだトオルからの情報には続きがあった。『外に羽根突き帽の貴族騎士が一人。護衛隊にいた髭の若い男だよ。タバサが危険な相手と言っている』と。

 思い当たる相手が一人いた。あの凍えるような目の騎士だ。

 外にいるあたり隠れて護衛という可能性が一番高かったが、彼はサイトがアンリエッタを取り押さえた際に動こうとしなかった。ギーシュの尾行が成功しているあたり、彼のことも見逃している。つまり必ずしもアンリエッタの味方とは限らないのだ。まだ動きは見せていないようであったが、彼の者次第ですでに賽は投げられたことになってしまう。

 ここでの会話を聞いているであろう彼の者を刺激しないためと、トオルが何かあったときのために準備すると言っているので今はまだ口に出さないでおくが、彼が悪意ある者に繋がっていればとっくにこの状況は詰みなのだ。

 

「なぜ、ルイズにそのような話をしたのです。一体何をお考えで、このような暴挙にでたというのですか。失礼ながら、現在トリステインも王室から貴族の気持ちが離れつつあります。そのような状況下で、王家筋でもあるルイズにそのような情報が渡れば、ヴァリエール家を筆頭に反王室派が生まれてもおかしくはないのです。この事実があるというだけで、ルイズが望もうと望まなかろうと、そういう可能性もあるのです」

 

 大声を出すのではなく、小さく張り詰めるように言い募るサイトの言葉に、アンリエッタの顔はすでに蒼白となっていた。

 この様子を見るにどうやら悪意に類するものはなかったようだが、それで許される問題ではない。サイトがその杖を奪い投げても不問にしたあたり、懐が狭いということはないのだろう。それはこの学院に住む貴族子弟達を見る限り、とても得がたいものだ。だがどこからどうみても、このアンリエッタには上に立つ者としての知性も努力も足りていなかった。むしろ、マイナスにさえ向いているといえた。

 

 しかも彼女はサイトに言い訳でもするように、カタカタと震えながら、小さくこう漏らしたのだ。

 

「……わ、わたくしはただ……おともだちに頼んで、手紙を取ってきてもらおうと…………」

 

 それを聞いた途端、サイトはカッとなってこの王女を殴りそうになった。殴らなかったのは、ルイズがすぐ側でサイトを見ていたのが目に映ったからだ。そして遅れてではあるが、トオルの制止する声が届いたからでもあった。

 サイトは生来より、心を落ち着けるよりもむしろ昂ぶらせて集中力を増させることの方が得意であった。合気道や柔道のような『道』ではなく、柔術という『術』に高い適性を持っていたのはこのためである。それ故にか怒りで集中力が増した彼は、アンリエッタが呟いた一瞬で彼女がどんな思考を辿ったのか想像が付いた。

 お使い感覚なのだ。その感覚で、風のスクウェアを倒した『おともだち』なら誰にも怒られることなく手紙を取ってこれると、そう考えたのだ。

 

 怒気どころか殺気を纏い始めたサイトに、さしものアンリエッタもヒッと息を引いてベッド上で後じさっていた。

 

 もし、もし本当にそのような頼みを『おともだち』としてルイズが受け入れていれば、それこそ国を割っていた可能性は高い。

 正直ルイズも政治には疎い。サイトができる限りのことを教えようとはしているものの、そんなにすぐにどうにかなるものではない。さっきまでの様子を見る限りだと、あのままいけばなにも気付かずにその話を受けていたように思える。彼女は貴族たらんとすることを命題にしているのだが、知識や経験が圧倒的に足りていない。故に王女にして友人の頼みを蹴ることなど、出来そうになかったからだ。

 

 後の敵となりえる国の者が現在の敵の陣営中央へ向かおうとすれば、素通りなんてさせるわけがない。お忍びだといってもそこら中で略奪や侵略が行われている状況下では、元からして無事に済む公算は極めて少ない。もしルイズがラ・ヴァリエールのルイズ・フランソワーズだと知れれば、それこそ血眼になって捜すはずである。生きて帰れる保証などないどころか、普通に考えて九割九分利用されて死ぬのだ。

 もしルイズが死に、しかもそれを正式な令状も指令もなくアンリエッタが私的に送り込んだとなれば、ヴァリエール家がルイズをどのように思っていようといまいと、感情的にでも政治的にでも戦略的にでも、トリステイン反王室派を立ち上げてしまいかねない事態であった。アルビオンと同じ内乱が待ち受けていたのだ。

 

 なによりサイトが許せなかったのは、『おともだち』とルイズを弄んでおきながらも、自分可愛さだけで彼女を死地へ送り込もうとしたことである。

 

 サイトはルイズにあまり友人がいなかったことを知っている。サイト達が来てからタバサやキュルケなど友人らしい付き合いをする者ができただけで、それまで非常に寂しい思いをしてきたことをわかっていた。同じ部屋に住み、教室をずっと俯瞰してきたのだ。気付かないわけがない。そんなルイズがあそこまで心開いていたのだから、さぞかし昔は仲が良かったのだろう。本当の意味で友人であったのだろう。

 だから大切な友人が心配で、そこにあったお互いの齟齬にも、過度の甘えに気付かないほど熱心に悩みを訊いたルイズの想いを、この王女は裏切ったのだ。

 

 私人としても公人としても、アンリエッタ・ド・トリステインはありとあらゆる自分が守らなければいけないはずのものを裏切っていた。

 

 

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