双月の使い魔   作:日卯

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第19話・怪しい男

 

「ルイズ。頼みがあるんだ」

 

 ワルドがそう発したのは、アンリエッタがルイズに謝罪し、部屋を出て行ってからすぐのことだ。

 

 手紙のことについては無かったことにするため謝ることすら出来なかったが、護衛も無しに部屋に入ったことについては衛士達も知るところであり、無かったことには出来ない。だからアンリエッタには幸いなことに謝ることが出来たのだ。

 そして唯々謝ることしかできなかったアンリエッタを、ルイズもまた自分が同罪であると言い切り、そのことを教えてくれたサイトがとった行動を不問としてくれるよう、逆に頭を下げた。

 元々一番最初に取り押さえたのも許していたアンリエッタはそれを二つ返事で了承。

 サイトに感謝の言葉を述べ、彼もそれを受け取ったところで王女は左手を差し出した。

 先ほどまでの場面を見ていたサイトにもそれが意味するところは理解出来た。手の甲へのキスを許す。つまりある種の感謝や褒美の意である。そして忠誠の確認だ。

 

 しかしサイトはそれを辞退した。

 サイトはただ現状を述べただけであり、アンリエッタのために事を為したわけでも起こしたわけでもない。自らの意志に従い仕事をしただけであり、王女のお手を許されるにはほど遠いとして退いたのだ。

 だがそれらも一応は本心からの理由であったが、一番の辞退の理由は別にあった。

 なんのことはない、ただワルドとの間接キスを嫌ったのだ。

 気心の知れた者とであれば、サイトは男女の別なく間接キス程度気にはしない。だがどうにもワルドのことがサイトは気に食わなかった。あの目といい、態度といい、サイトは彼を見るとむかむかとして、トオルに一度止められた寮塔外でのみ込んだ疑問を投げかけたくなる。

 

 キスを断ったことに室内にいた者達はそれぞれ思うところがあったが、本当のその理由に気付いた者はいなかった。

 遠くでトオルだけはなんとなく気付いていたが。

 

 そしてサイトに言われて終始空気であったギーシュが退室し、マザリーニに促されたワルドが護衛に付きアンリエッタを寝室へと向かわせようとしたところで、彼は来賓室前で待機していた衛士に王女を任せると室内に舞い戻り、口を開いたのだ。

 ワルドに呼び止められたルイズは少々気まずげに居住まいを正し、何を言うでもなくただ彼に視線を向けた。

 

「そう固くならなくてもいいよ。僕のルイズ」

 

 ワルドが人なつっこい笑みを浮かべ、アンリエッタの前でしたように膝をつき、ルイズをこれまでとは逆に見上げるようにする。

 

「ずっときみを放っていたことは謝るよ。ただ、立派な貴族になってルイズを迎えに行くのに、随分と時間がかかってしまったんだ」

「あなたは、こんなちっぽけな婚約者を相手にしてくれるの?」

 

 ルイズが憂いを込めた瞳でワルドを見つめる。

 ただそこにある憂いはワルドへの申し訳なさを所以としたものであった。

 

 二人は確かに許嫁の関係であったが、実のところそれは十年近く前に親が交わしただけの、口約束に近い婚約話でしかなかった。

 今のルイズと同じ十六の時分には両親を亡くしていたが為に子爵位と領地を相続していたワルドは、家に仕えていた執事に領地運営を任せて魔法衛士となり、十年で三隊ある魔法衛士隊の一角、グリフォン隊の隊長にまで上り詰めた。見目も非常に整っており才気に溢れた彼は、彼が子爵家でルイズが公爵家の人間であること以外で比べられる要素などない、完璧な存在であった。

 

 無論幼いころの彼女はそんな彼に憧れもした。

 だがそれはもう過去の話だ。

 ルイズとしてはとっくに忘れ去られていると思っていた。そしてルイズ自身も最近までその存在を忘れていた。

 十年前に別れて以来、ワルドとはほとんど会うことがなかった。会っても会話らしい会話などない。そのうえ手紙のやりとりもなかったのだから当然といえば当然といえたが、ワルドはルイズにとって遠く離れた存在となっていた。

 彼が慰めてくれたボートの記憶にすら、一月前に出会ったばかりのサイトが出て来るのだ。その存在を憶えていても、憧れの記憶は憧れたことそのものの記憶となり、ワルドの記憶ではなくなっていたといえた。

 ワルドがどこまで本気かルイズにはわからない。自分のためであったと言われても、ルイズが放っておかれていたのは事実だ。自分の政治的価値を以前よりルイズは理解するようになっており、そのうえ先のようなことをサイトに諭されて時間も経っていない。公爵家。準王家。彼の出世欲が遠い過去を伝手に、自分に伸びただけかもしれないことは彼女も考えた。

 

 そして同時に思うのだ。それならそれで、結婚相手としてはちょうどいいのではないか、と。

 親も了承している。実力もある。彼がもし出世欲の強い人間であるならば、今後彼に必要なのは爵位や家柄だけであろう。それで今以上の地位を得ることが出来るようになる。ヴァリエールに連なる者となれば衛士三隊の総隊長どころかそれよりさらに上、軍部の最高峰である元帥、もしくは遙か上の大元帥の地位も夢ではないはずだ。ルイズが足を引っ張らないようにするだけで後は彼が勝手にやってくれる。立派な貴族にしてくれる。そんなどこか捨て鉢な考えが彼女の脳裏に揺らめいていた。

 だが、それでも、ルイズへの気持ちが本気にしろ偽りにしろ、ルイズの内に灯る火がワルドの甘言ではまるで靡く様子がないことに、彼女は申し訳ない気持ちを禁じ得なかった。

 ワルドが努力を重ね続けたのは、今の地位を見れば一目瞭然であったからだ。

 まるで実力が足りていないルイズがそんな彼にどのような感情も持ちえていないことに、彼を利用すれば立派な貴族が簡単に手に入るかもしれないことに、酷く自分が不義理で醜いもののような気がして、彼女は申し訳ない気持ちになるのだ。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、ワルドは殊更にルイズに笑いかける。

 

「当たり前じゃないかルイズ」

「そう……それで、頼みって?」

 

 サイトはこのとき今にもワルドに食って掛かりそうな心持ちでいたが、トオルからいつでも飛びかかれるように言われていたため、逆になんとか踏みとどまっているような状況であった。

 サイトから見てこの男は怪しすぎるのだ。

 アンリエッタ王女が部屋に来たときから彼の気配をサイトは感じていた。つまり入室を止めることが出来たはずなのに、それをしなかったということだ。

 たしかに忠誠を誓う王族のすることに対し、問われない限り異を唱えないのは軍人の鏡であろう。軍人が政治に口を出すと碌な事にならないと、歴史が語っている。それはサイトもよく知っていることだ。

 だがそれでも王女を組み伏せたとき彼は動こうとしなかった。手紙の件に話が及んだときにも行動を起こさなかった。忠誠を誓う相手の危機にも、婚約者の危機にもただそこにいるだけで、騎士としても男児としても一体彼はなにをしたいのか、まるで不鮮明なのだ。これを怪しまないわけがない。

 

 それはトオルも考えているところであった。

 サイトとは少々視点が異なるが、トオルもまたワルドが最初からいたことは知っている。そして耳の良い風メイジであることもだ。

 どうにもあの場面でワルドが聞きに回っていたように思えて、きな臭さが鼻について仕方がない、というのがトオルの心境であった。

 

 そしてどうやらマザリーニにとっても同じらしい。

 彼はサイトから説明を受けた際、ワルドが最初から居たかどうかを聞いていない。

 トオルがワルドにシラを切られたときのことを考えて、あえて説明の中にその部分を含めないよう、サイトに言っていたのだ。気配でわかったというサイトのそれは証言として不十分であったし、トオルの精霊も教えるわけにはいかない。中途半端なことを言って下手に刺激するとハめられかねず、逆に場合によっては切り札にも出来ると考え、伏せていたのだ。

 だから寮塔外で合流してすぐにここに来たこと以外、いつからワルドが寮塔近くにいたのかマザリーニは知らない。故に彼は説明が終わったとき、その内容に対しまるで動じていないワルドの様子に違和感をもった。

 サイトはアンリエッタを一度取り押さえてしまったことも、意見したことも話した。

 王族に忠誠を誓うトリステイン貴族として、騎士として、それは本来許し難い行為のはずだ。そんな話を如何に王女に非があったとはいえ聞かされれば、何かしらの反応があって然るべきなのだ。

 だからこそ訝しんだ。サイトに説明されるまでもなく、ワルドのことを怪訝に思った。

 その態度は、まるでもう話の内容を知っていたようではないか、と。

 アンリエッタがミス・ヴァリエールと共にいたところや寮塔から出てきたところを見ていれば、彼女の部屋へ行っていたことは知れる。だが室内で話された内容は知り得ない。ここに来るまでの道中で説明したにしても、アンリエッタにそんな行動を取った者に対してまるで感慨が湧いているような様子もない。第一そんな説明していられる時間があったのかも怪しい。

 結果マザリーニが行き着いた思考は、もしやワルドは部屋であった内容を全て知っていたのではないか、外で聞いていたのではないか、となり、聞いていたのならばなぜアンリエッタの話を止めようとしなかったのか、護衛として軍人としてそこにあって止めなかったのならば、殿下への最初の暴力や、暴言とも捉えられるものを吐いたサイトになにもしなかったのは何故か、と嫌疑は加速度的に膨れ上がった。

 ワルドが真実に軍人であり、常在戦場の精神でここでの話を聞いていたため驚かなかったのならば問題は無い。自身が忠言出来なくとも、他者に任せることでその役割を果たしたというのであればそれもまたいいだろう。だがそれが別の理由からであった場合、有り体にいうとエサに食いついた鼠であった場合、他にも鼠がいることになる。鼠は決して一匹では家に住み着かない。まだどこかに仲間がいる。

 だから彼はワルドに任せると言って、アルビオンへ送り出すことにした。数名の隊員を連れて行っていい、とも。

 送り出した後には監視と別働隊とをそれぞれ動かすつもりで。

 

 そしてこのときのトオルの視点からしたとき、マザリーニは二つの思惑を抱えている状態であった。トオルの中ではすでにワルドは黒に近い灰色であり、いくらこの場で話を聞いていたとはいえ彼に任務の全権を託したマザリーニもやはり黒であったか、もしくはなにかしらのワルドの異変に気付き、先ほどの考え通りにマザリーニは鼠を誘き出すため彼に託すことで芋ずる式を狙っているか、の二つだ。

 故にトオルは伏せ札を切るために、ワルドのおかしな点をマザリーニに伝え反応を見るためにサイトに部屋に残るように言い、ギーシュに一人で帰るようサイトが促すと、それを見ていたマザリーニもサイトの行動にもしやと考え、アンリエッタに託けてワルドも下がらせようとした。

 

 マザリーニからすればこのとき、ワルドが黒であった場合にアンリエッタの暗殺が目的ではないのはほぼ確実であった。彼の役職上アンリエッタ一人を殺すだけであればいつでも出来るはずだからだ。そして今は手紙というエサがある。今アンリエッタに手をかければ、手紙奪還に託けた逆の手紙奪取に支障をきたすことになる。彼が黒でもアンリエッタの安全は保証されているようなものなのだ。トオルもワルドの役職とここまで一緒に話を聞いたことからその点は理解していた。むしろもし彼女が彼に殺されるようなことがあれば、色々と手間が省けるような状況ともいえた。

 

 それなのにワルドはその役目を部屋先にいた衛士の部下に任せ、残った。

 しかもルイズに話があると言い、甘い言葉を投げているではないか。ここにはマザリーニもいるというのに。

 

 マザリーニにはわけが分からず、サイトは苛立ちを覚えて、トオルは、

 

「任務の成功を祈って欲しいんだ。それと――」

 

 この時点で嫌な予想が立ってしまっていた。

 

「それと?」

 

「任務にきみの使い魔君を同行させてほしい」

 

 ワルドを除いた、この場の話を聞く男達の眉根が等しく顰められる。

 

「……サイトを?」

 

 ルイズもまたサイトを危険な任務に送り出すことに拒絶反応を示し、視線に険が籠もった。

 

「彼は腕が立つのだろう? 教養もあるようだし、もし僕になにかあっても、事情を全て知っている彼ならば任務続行は可能になる。これから加える人員には全部の事情は話さない方がいいと思うしね。だからこの重大な任務に彼が必要なんだ」

 

 サイトが我慢できなくなり、ルイズの前に出た。とっさにトオルは止めようとしたが、この後の展開が読めたので結局黙って状況を追うことにした。

 

「あんた何考えてんだ。俺の話を聞いていただろうが。ヴァリエールが関与していることが公になるのはマズイ――」

「きみは殿下の入室時に不敬を働いてしまっただろう。殿下がお許しになってもその事実は消えない。それではルイズの経歴に傷が付いてしまうことになる。だからこれは、それを払拭する為でもあるんだよ。それにフーケ撃退の実績から登用したことにすれば、なにも不自然なことはない。ラ・ヴァリエール家の為にもなる。どうでしょうか、猊下」

「な、あんたは――」

 

 ワルドの言に、サイトはワルドが部屋の外で話を聞いていたのにアンリエッタを止めようとしなかったことを言おうとした。入室時の不敬も何も、ワルドはアンリエッタを最初からつけてきておりそれを止めなかったという不義がある。証拠が無いとはいえ、こんなヤツの言うことなど聞く必要はないと思ったのだ。

 だがそのが言葉が彼の口から出て来ることはなかった。それならば先の場面で手紙奪還の任を彼が命じられた際、何故止めなかったのかという問題が生じるからだ。

 それにワルドが言うことももっともであった。任務が成功し、ヴァリエールが私兵を着かせることでトリステイン貴族としての仕事を全うしていたとなれば、今回のことが明るみに出ても現王家への忠誠の証になる。もし失敗してサイトの存在が公になっても、ワルドとマザリーニがフーケの件から登用した傭兵という身分にし、ルイズは何も知らなかったとしてヴァリエールはサイトを切るだけでいい。

 

 トオルが伏せた手札が、逆にサイト達の首を絞めてしまっていた。

 そのことに気付いたサイトの耳に、トオルが謝る声が届く。

 そして同時に別の案も届いた。それをするかどうかは兄さんに任せる、という言葉と共に。

 

 一方マザリーニとしてはこれは悪い話ではない。サイトが思い至った事柄だけでなく、サイトが信用できるかを試すのにはうってつけの人事であったし、少々言動が怪しいワルドへの牽制役にもなる。また、自らこのような案を出してきたということは黒ではない可能性も高くなった。

 サイトが黙ったのを確認すると、マザリーニは了承しようと口を開きかけて――

 

「許可できません」

 

 ルイズの待ったがかかった。

 

「姫殿下はご自身の非を認め、サイトを許し謝罪しました。ここでわたしの経歴を気にしてそのような行動に出れば、姫殿下のお気持ちを蔑ろにするようなものですわ。そしてサイトはわたしの使い魔であり護衛ですが、それ以前にわたし個人の客です。ですから、許可できません」

 

 マザリーニもワルドも驚き、ラ・ヴァリエール公爵家の三女を見つめた。

 アンリエッタの暴挙を許してしまった脇の甘い娘が、このようなことを言うとは思いもしなかったからだ。

 

 そしてこれはトオルにも予想外な言葉であった。

 トオルはルイズが兄を大切に思っていることには気付いていた。だから否定的な感情を持つだろうとは考えていたが、マザリーニ達同様ここまでしっかりとした理由をつけて拒絶出来るとは思っていなかった。

 それにこの少女は貴族としての矜持を重要視している。その貴族としての経歴に傷が付くと言われたのに、それをすっぱりと切ってまで否定したのだ。思えばルイズは先ほどから一度も婚約者だというワルドの名を口に出していない。だがサイトの名は平然とよんでいる。ワルドの案の拒絶には友人としてのアンリエッタへの想いもあるのだろうが、垣間見えたサイトへの感情に、トオルは考えていた色んな物事をすっ飛ばして、喜び以外に混ざりもののない、純粋な笑みを浮かべていた。

 彼のすぐ隣で、初めてそんな無邪気な笑みを見たタバサの視線に、少々の棘が混じったことに気付かないまま。

 

 ルイズは感情的であったうえに生きた知識や経験が極端に少なかったが、物事を考えるのは早く、思考は潔癖で胆力もあった。知識が足りなくとも、彼女にとって肯定的な感情論が型にはまる場面であれば、強くなるのは充分に考えられることである。

 そこに来てさらに、先ほどまでのサイト達のやりとりを間近で見ていたのだ。そして見ていただけではなく、考えてもいた。極端なこの成長はそれ故のものであった。

 

 サイトだけはそんなルイズの言葉に驚かず、代わりに妙にこそばゆい嬉しさを覚えていたが、それが彼女の成長故にか、それとも別な理由故にか、判断も、ましてや理由そのものを考えること自体しなかったため、わかっていなかった。

 わからないまま、彼は嬉しさに身を任せて、先ほどトオルが新たに提案した策を実行する決心をした。

 

「いや、ルイズ、俺も任務に行ってくるよ」

 

 

 


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