「……誰?」
月明かりの下、タバサの内心を埋めていたものは微かな喜びと、大きな悲しみだった。
シャルロット・エレーヌ・オルレアン。
もう誰にも語ることが出来ない、いつか取り戻すことを誓うその名を用いて唱えたサモン・サーヴァントの呪文は、確かに神聖なる使い魔召喚の魔法を発動させた。
仮の名とするタバサの名では為しえなかった儀式は成功したのだ。
それはシャルロットこそが自身の名であり、本質であるのだという証明である。
その証明が嬉しかった。だけどそれが証明であったなら、この目の前に立つ得体の知れない少年はシャルロットの名に最も適した使い魔だという証明でもあるということだ。
タバサが欲しいものは力だ。
母を救いだし、あの男への復讐を実現させ、シャルロットの名を取り戻すための力を欲する。
『雪風』の二つ名を持ち風メイジとしての才覚を示す自分であれば、ヒポグリフやマンティコアなどの空を飛ぶ幻獣種が来てくれるかもしれないと思っていた。最高は風竜だ。もしそれらがだめで鳥類などの動物種が来てくれても、野外であればどこにでも行くことが出来る彼らは戦闘補助のための使い魔としては優秀なのだ。
だが現実はどうだろうか。
シャルロットの名によるサモン・サーヴァントで召喚された目の前に立つ少年は、どこか困ったように笑うだけだ。
帯杖も帯剣もしていない。目に覇気はなく、線も細くて物腰は力ない。
少なくともあの男を打ち倒すための直接的な暴力は持ち合わせていないだろう。
服は上等そうだが、あの男以上の権力も考えづらい。
極めつけはまるで平和ボケでもしているのではないかと思える笑み。
(……これがわたしの本質が望む使い魔)
力を求めて己を鍛え上げ、幾つもの死線を越えてきた自負があった。
だがこれではあの平和な日々のころの自分のままだと言われているようなものだ。
成長しない自分。
近づかない目的までの距離。
歩幅が長くなることも、道程が短くなることもない。
この努力は実ることがないのだろうか。
そう思えてしまい、タバサの瞳に宿る悲しみが絶望に近い色を帯びたとき、それを見逃すまいとするかのように少年の瞳が一瞬鋭さを帯びた。
(――……え……?)
タバサの疑問も一瞬。
同時、いつの間にか出ていた雲により二人にかかる月明かりは陰り、少年の鋭さはなりを潜め、少々遠くから第三者の声がかかった。
「や、やはりミスタ・トール?!」
この月影の下、どこからか射し出される光を見る者へ反射する見事な禿頭を披露するは、トリステイン魔法学院火の魔法教師、ジャン・コルベールである。
遠くからサモン・サーヴァントの儀式を見守っていたのだ。
昼間に行われた使い魔召喚の儀式でタバサはタバサの名での召喚を一度失敗していた。タバサではだめなのだと悟った彼女は本来の名であり隠さなければいけない名、シャルロットではと思いつき、多くの生徒に囲まれているここでは出来ないと考え、体調が悪いと言って儀式を延期してもらっていたのだ。
座学でも実践魔法でも優秀な彼女が『普通』は失敗しないはずのサモン・サーヴァントで失敗するほどとは、確かに調子が悪いのだろうと誰も帰る彼女を止めなかった。彼女がいつも通りの無表情でも、本当にどんなときでも表情が浮かばないので生徒で疑問に思うものは赤髪の友人一人だけだった。そんな彼女もさほど悪くなさそうなタバサの様子と、召喚したサラマンダーに付きっきりであったため、わかったわの一言で終わりだったのだ。
そして夜、コルベールがサモン・サーヴァントに誘った。
タバサの持つ特殊な事情を知らなくとも察しているらしいコルベールは、シャルロットの名を聞かれたくなかったタバサの希望通りに、耳の良い風メイジでも声が聞こえないほどの距離で待機していたのだった。
「あ、ミスタ・コルベール。ということはやはりトリステイン魔法学院でしたか」
「……? ……?」
普段は情けない姿しかさらさないが、実はかなりの強者ではないかと訝しんでいるコルベールとどうやらこの少年は既知の仲らしい。
「やや、なんという。まさかミスタ・トールがまたしてもサモン・サーヴァントされるとは」
「ははっ、さっきまで兄さんといたのですが、気付けばまた召喚されていました。もう笑うしかないですね」
「……また?」
不可思議な言葉の応酬をする二人にタバサの疑問はもっともである。
コルベールは透にちらりと目配せして、透も頷く。
「説明しなければいけませんね。ミス・タバサ。こちらはミスタ・トール。遙か東方、ロバ・アル・カリイエの賢者です」
「賢者」
タバサの目が見開かれた。
馴れた者にしか分からないほどの刮目だったが、表情が動いただけでも彼女の驚愕がどれほどの大きさだったのか計り知れない。
この年若さで、ここハルケギニアよりも進んだ文化を持つといわれる東方世界の賢者と呼ばれる少年。
タバサはもしやと思った。
確かに彼には復讐するために必要など力ないのかもしれない。
だがそれとは別に、彼がもしあの壊されてしまった母の笑みを救い出せるほどの英知という力を持つ者であるならば、確かにそう、彼はこうあるべきだろう。あのころの自分に近しい者であるべきだろう。そう思った。年の近い従姉といつも笑いあっていた、あの、シャルロットに。
タバサは自身の身長よりも大きな杖をぎゅっと握った。
それになんだ。と彼女の頭の中で自身への罵声が響く。復讐に他者を巻き込むなどという考え自体、逃避ではないか。あの男は自分の手で殺さなくてはいけないのだ。
真っ先に巻き込むことを考えた自分を恥じ入り、怒りを覚え、彼女は知らずに唇を噛んでいた。
その様子を透はふむ、と見つめ、コルベールも気付いていながらそんな彼女の闇を払おうとでもするように明るく声を上げる。
「それでですな、ミス・タバサ。実は彼は今日の使い魔召喚でミス・ヴァリエールによって――――」
「いやあ焦ったぜ透。いきなりいなくなるんだからよ」
「僕もまさかこんなことになるとは思わなかったよ」
透が才人を睨む。
「まあ、無事でよかった」
才人はそれを冷や汗とともに流す。
「残念ながら、サイトのせいで無事じゃなくなったけどね」
ルイズの視線が、何度もすんすんと鼻をすすっている透に向かう。鼻血の跡が気になっているようだ。
「ルイズ、言うな」
それを見てどうにもなくなった才人が罰が悪そうにしていた。
ルイズの部屋に戻ってきた透を出迎えたのは部屋を飛び出した才人だった。
透が扉の前まで来たところで才人が扉を勢いよく開け放ち、透は吹き飛び廊下を転がった。
「こういうコント要員ってさ、普通体が丈夫な人がやるものだよね」
「動かないで」
タバサに水の治癒魔法『ヒーリング』をかけてもらいながら、弟が兄に愚痴った。
正気を取り戻し透を探しに出ようとした才人と、戻ってきたら一人で取り乱している彼を押し留めようとしたルイズは言い争いになったらしく、しまいには言い負かされた不甲斐ない平賀兄は実力行使で部屋を飛び出した。その結果がこれだった。
才人と透に負い目があったためしおらしかったルイズだったが、元来の気性は激しく、負けず嫌いなものだ。そして才人も多分に負けず嫌いであり、最初はお互い消えた透を思っての行動選択による言い争いだったのに、あんたわたしの使い魔でしょ! それ以前にてめえの被害者だこんちくしょう! などと気付けば怒鳴りあっていたらしい。
二人ともいつの間にか名前を呼び捨てにしあっていた。
「まあ、まあ」
大人なコルベールが誰をとも言わずなだめた。
「では、如何しましょう? ミスタ・トールをミス・ヴァリエールが相談役として雇うことにした後ですし、ミスタ・サイトのこともミス・ヴァリエールは使い魔として雇う事に決めました。ミス・タバサがミスタ・トールを無償で使い魔にしてしまうのは、いささか不公平感が生じてしまいそうですが」
透がタバサに召喚されたことにより生じた微妙な問題だ。
一応二人が契約する前に金銭関係など、後々問題が生じることがないようにしておこうという話になったのだ。
ここはやはりわたくしがミスタ・トールを雇い……などと言い出したコルベールを無視してルイズが口を開く。
「わたしは構いません。雇用に関しては個人的な償いの部分が大きいので、ミス・タバサとミスタ・トールの問題は二人に任せます。ミスタ・トールの知識は必要なときに得られれば問題ないです」
「……お金ない」
ルイズの実家ヴァリエール家はトリステインの貴族筆頭である公爵家。
対してタバサはさる事情から家名を名乗れずお金も引き出せない身。
資本力に差がありすぎた。
透が手を上げる。
「こういうのはどうでしょう。聞けばミス・タバサは学業においても魔法においても優秀な方、僕達が帰る方法を探す助手役としてミス・ヴァリエールに雇ってもらい、そのお金の一部で僕を使い魔として雇う。そして僕は双方から得たお金でミス・ヴァリエールから水の秘薬を少々色を付けて買う」
タバサにはまだ異世界出身のことを伝えておらず、病が治っているかもしれないことに至っては才人以外の誰にも教えていなかった。
「だめよ! 貴方のための水の秘薬はわたしが出すつもりだったんだから、お金なんて受けとれないわ」
「では水の秘薬は小切手代わりに僕が預かっているということで、一定期間ごとに現品支給にさせていただきましょう。お金が欲しくなったらミス・ヴァリエールに換金していただく、ということで。こうすれば僕はお金を消費しません。手元に小切手が常にあるようなものですから。同時に薬が懐にあるから緊急時も安心です。完璧ですね」
実際のところそれは透が先に提示した方法のままなのだが、領地運営にも為替にも手を出したことがないルイズは彼の飄々とした態度のせいで混乱し始めていた。
「よろしいですか?」
透はルイズとすぐ側のタバサを見る。
タバサは透が言った内容を理解出来ていたので、彼に聞こえる程度の声で舌が回る、と言って頷いた。
ルイズもタバサが了承してしまったのでよくわからないまま頷いた。
コルベールは苦笑いだ。
透としてはこれ以上の金銭的な面倒をルイズに頼むのはいささか問題があると思ったのだ。すでに彼女が平賀兄弟に提示している金額は平民の年収を大きく上回っていた。なによりも護衛等の正式な仕事外でヴァリエール公爵家からお金を引き出すのは、少々後が恐い。
「では、そういうことで。現在までに決まったことはミスタ・コルベールが証人ということで、後ほど雇用金額や暫定期間などを話し合いましょう」
「ええ、決まりですね。ではミス・タバサ、さっそくコントラクト・サーヴァントを」
だがタバサは首を横に振る。
「調子が悪い」
タバサが体調不良で昼のサモン・サーヴァントを失敗した話はすでにここの人間は聞いていた。後に透を召喚してしまったことから色々思うところはあったが、とりあえずはと納得した面々がああ、と頷いた。
「ふむ、昨日の今日で体調が悪いところを夜に補習させてしまいましたし、仕方がないことでしょう。無理をさせてすみません。ミス・タバサ。貴女のことも考えて都合を立てるべきでした。どうにも今日の召喚の儀は興味深いことが多すぎて、気が急いていたようです」
「少し休めば治る」
タバサが立ち上がり、透の手を引いた。
「今日はもう休む」
そういい残し、彼女はルイズの部屋を出てしまう。
「では今日はもう遅いですし、お開きとしましょう」
追ってコルベールが解散を告げた。
驚いたのは平賀兄弟だ。
なすがままに腕を引かれていく透を追いかけて才人がタバサに声をかける。
「どこへ?」
「部屋」
「透も?」
「部屋に入れる使い魔はメイジと同じ部屋で生活する」
「「……へ?」」
平賀兄弟の驚きと助けを求めるような視線が廊下に出ていたコルベールとルイズに向けられる。だが二人は当然のこと、と頷くだけだ。
「「……え?」」
二人の声は石造りの廊下にわずかに響いて消えた。
そして呆然としたまま引きずられていく透を見送り、コルベールが去って二人きりになったルイズも才人を部屋に入れて寝る準備に取りかかるのだった。
ネグリジェに着替えることを思い出したルイズによって才人はすぐにまた追い出されたのだが。
「本当に同じ部屋で生活するのですか?」
ルイズの部屋の真上、タバサの部屋に押し込められた透の問いに青髪の少女はただ頷いた。
そして掴んでいた腕をぐいぐいと引っ張り、誘導していたベッドの上に座らせる。
すると視線の高さが逆転して透をタバサがわずかに見下ろすようになった。
この口数の少ない女の子は一体どうしたいのだろうと考えながらも、透はとりあえず害はなさそうだとされるがままにしていた。
透は女性の趣味としては年上好きである。おそらくは三つか四つほど年下であろうこの少女をどうにかしようという気にはならない。
この学院に通っているということはタバサも貴族の子女であることには間違いないのだろうが、教師が許可を出しているということは本当に問題はないのだろう。まさかメイジでもない者がメイジを襲えるとは考えていないだけなのかもしれなかったが。
(僕はともかくとして、兄さんは簡単に襲えそうなんだけどなあ。まあ、護衛でもあるからいいのか?)
妙にあのコルベールという教師に気に入られてしまった気がしていた。
(都合はいいけど、不用心だ。それにいくら兄さんのこだわりとルイズさんが相反するからといって、あちらは歳も近いからちょっと不安だ)
そんなことをつらつらと考えていると、タバサが杖をかかげた。腕は掴まれたままだ。
一瞬身構えかけるが、真っ直ぐな少女の視線からは敵意を感じられず、おや、と思っていると、タバサはようやく透が聞こえるぐらいの声量で呪文を唱え始めた。
「我が名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」
小さいが、しっかりとした発音。
そして有無をいわさずに透は唇を奪われてしまう。
小鳥の囀りのような口づけだった。
「……あの、ミス・――あ? ぐ! あぐう!」
今の行為で生じたいくつかの疑問を尋ねようとした透の体内を火が駆け巡った。
歯を食いしばり、燃えそうな自身の体をかき抱くように透は腕に力を込める。
そして全ての火が胸の中心で尽きると、息を切らせながら額の汗を拭った。
そこで呻いていた間自分が何を抱きしめていたのか透は気付いた。
「――! っと、すみません。えっと、ミス・――」
「タバサ」
解放され、腕の中から覗いた青い視線が透を射貫く。その瞳は冷たく澄んでいて、だけど相当に強く抱きしめていた透を責めるような色はない。ただ有無をいわせない輝きのようなものがあった。
透はタバサの一言で正確になにが不味いのかを察した。
「ではミス・タバサ。先ほどは――」
「ただのタバサ」
正確には読み取れていなかったようである。
「……そうですか。では僕のことも透でお願いします。先ほどはすみませんでした。痛かったでしょう?」
彼女は責めない気はしていたが、建前でも謝るのが男である。
「いい。痛くはなかった」
それはそれで透も男として非力な自分を見つめねばならず、少々せつない気分になる。
「それより聞きたいことがある」
そういって、タバサは杖を放して空いた手で透の目の前を指した。もう片方の手は透の腕を掴み、体は半ば抱きついたままだ。
タバサが指したのは、透と彼女の視線の間。
その指し方は、ルイズの部屋で透が兄才人への質問時にやってみせた、何もない宙を指している様相とよく似ていた。
「……これは、なに?」
そこにはエメラルドグリーンの輝きを放ち宙を漂う、奇妙な流れがあった。