ゲルマニアからの留学生、キュルケは燃えるような赤い髪をいじりながら首を傾げていた。
朝食堂へ向かおうと部屋を出ると、隣室であるからかいがいのある仇敵、ヴァリエールの部屋から男が出てきたからだ。
黒髪黒目で彫りは浅いが悪くない、独特の風貌を持った青年である。歳は少々下ぐらいであろうか。
その少年と目が合い、常にそうであるように次の瞬間にはキュルケ自慢の胸元へと彼の視線が移動する。なかなか熱烈な視線だ。
そんな視線を受けながら、だが、とキュルケは考える。彼女が知るあのヴァリエール家三女に、男を連れ込めるような色気も甲斐性もなかったはずである、と。ということは自分が知らぬ間にとうとう部屋替えが行われたのかもしれない。ヴァリエールがキュルケの隣を嫌がり、学院長に部屋替えの届け出を何度も出していたことは知っていた。
化粧はばっちりできていても未だに寝ぼけていた頭でそんなことを考えていると、少年を追って件のヴァリエール家三女、ルイズ・フランソワーズが部屋から出て来た。やはりそこは彼女の部屋で間違いないようである。
(――ありえない――あ、そういえば……)
さらに首を捻りつつ、あのルイズが男連れなどという非常事態に向けて覚醒していく頭の中からとある回答が導き出された。
謎は全て解けたとばかりにキュルケはにやっと笑い、ルイズをびくつかせる。
「おはよう。ルイズ」
警戒心を露わにルイズの顔が顰められた。
「おはよう。キュルケ」
そんな反応に気をよくしてさらにキュルケは笑みを深くし、先日噂でだけ聞いていた話を切り出した。
「あなたの使い魔って、それ?」
そう言って、少年を指さす。
キュルケは先日の使い魔召喚の儀式で不調を訴え早退した友人を見送った後、いつまで経っても成功しないサモン・サーヴァントを続けるルイズの姿に飽きて使い魔と共にあの広場をこっそり抜け出していた。だからこの少年、平賀才人を見るのは初めてだったのだが、凶暴な平民を召喚したという話は彼女を取り巻く男子生徒から聞いていたのだ。
「そうよ」
少々しょぼくれたような顔で肯定したルイズに、キュルケは笑い声をあげた。
「あっはっは! ほんとに人間なのね! すごいじゃない! サモン・サーヴァントで平民喚んじゃうなんて、あなたらしいわ。さすがはゼロのルイズ」
いつものようにからかいのセリフを吐き出す。こうすれば彼女が食って掛かってきて、子猫のそれとよく似た形相で必死に威嚇してくるのだ。怖くも何ともない彼女の怒りは、異性を多く囲い同性の敵が多いキュルケにとってはとても可愛らしく、好ましいものがあった。
そんな彼女の反応を心待ちにしていると、意外な事に彼女は顔色を悪くしてバツが悪そうに視線を逸らし、「うるさいわね」と言うだけに留まってしまう。悔しそうではあるが、どうにもいつもと違うではないか。
予想外な事態に、あれ? とキュルケが思っていると、使い魔の少年がそんなルイズの頭に手を置き、「気にすんな。俺達は気にしてないからよ」となにやら慰めている。
ルイズはその手を煩わしそうに弾き、少年に顔が見えないようそっぽを向いて、「わたしが気にすんのよ」と呟く。キュルケの立ち位置からはばっちり見えていたその顔色はさっきより良いものだ。
あれあれあれ? と混乱してまたしても首を捻らざるを得なくなるキュルケ。
凶暴だと聞いていた平民の使い魔がみせるルイズへの優しさもそうだが、あの気位が高く凝り固まったプライドで出来ているようなトリステイン貴族のルイズが、平民の使い魔が行った『頭が高い』行動に対して、まるで怒る様子がないのだ。むしろどこか、彼の許しを得て安心しているような節があるではないか。
これはどうしたことだろう。まさかあのルイズがたった一日でこれほどまでに『棘』を抜かれてしまうとは、この平民の使い魔は一体どんな『魔法』を使ったというのだろうか。
キュルケはルイズの見ていないところでちらちらと胸に視線を向けてくる使い魔に、興味を持ち始めていた。
「ねえあなた、お名前は?」
にっこりと笑いかけ、少年を見つめる。
「平賀才人」
「ヒラガサイト? ヘンななま――」
「おお! これはまたファンタジーな……!」
突然キュルケの後ろから声が上がった。
驚いて振り返ると、これまたそこには黒髪黒目の別の少年がいた。どうやらキュルケの使い魔であるサラマンダーのフレイムを見て興奮しているらしい。開け放しにしていた彼女の部屋から頭を出したフレイムをおっかなびっくり眺めている。
女子寮に朝から男が二人も入り込んでいるとはこれ如何にな状況であったが、彼女はそんな事など気にしない。それよりも後ろにいた少年と共にいる存在の方に目がいった。
「おはよう。タバサ」
「おはよう」
キュルケの数少ない同性の友人、青髪青目の小さな少女、タバサである。
いつもなら先に食堂へ行き食べ始めているはずの彼女が今日はまだ寮内にいて、
(あら? あららららら?)
なんと隣の少年と手を繋いでいるのだ。
無口無表情で他者を寄せつけない、思い上がりでなければキュルケ以外に同性でも異性でも友人がいないはずのタバサが、朝からキュルケの知らない男を引き連れている。
ルイズといいタバサといい、今朝は一体どうしたことだというのだろうか。
「ね、ねえタバサ。お隣の御仁はどちら様かしら?」
「使い魔」
そんな素っ気ない返答と共に、タバサにぐいと手を引かれキュルケの前に出された少年が頭を下げた。
「先日からタバサの使い魔をやらせていただいております、トオル・ヒラガと申します。よろしくお願いします。ええと――」
「……キュルケよ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。キュルケでいいわ」
「では僕のことはどうぞトオルとお呼び下さい」
するとキュルケの後ろから声がかけられる。
「はよう。透」
「おはよう兄さん。ミス・ヴァリエールもおはようございます」
「おはよう。ミスタ・トール。わたしのこともルイズでいいわ」
「そうですか。では僕のことも今後はミスタはなしでお願いします」
キュルケは挨拶を交わす彼らに挟まれながらきょろきょろと見回す。
本当に一体どうしたことだろう。
ルイズの使い魔をタバサの使い魔だというトールが兄さんと呼んでいる。しかもどうやらルイズともすでに面識があるようで、その上ルイズがミスタと付けているということは、多少の敬意を払われているらしいのが窺えた。
いやそれ以前にタバサも平民の少年を使い魔にしているとは、何があったらそうなるのだろうか。ゼロのルイズならまだしも、タバサは見た目こそちんまいが、魔法学院生徒内では最強の一角といって差し支えない実力者だ。使い魔はメイジの才能を示す一つの指標であり、才能ある者ほど強力な幻獣種を喚ぶ傾向があるのだ。必ずしもそうであるとは限らない傾向だが、雪風の二つ名を持ち若干十五歳で風と水のトライアングルメイジであるタバサが体調不良で召喚失敗したと思ったら、次の日にはゼロのルイズと同じように平民を使い魔にしているとは。
「タバサ。一体どういうことなの?」
キュルケは友人に、揃ってフレイムを囲んで「うわ! 真っ赤ななにか! このしっぽの火は熱くないのか?」「あ、爬虫類なのに肌が温かい。恒温動物なのでしょうか?」などとはしゃいでいる少年二人の説明を求めた。
だがタバサは未だ繋いだままの手を引き、
「ご飯」
と名残惜しそうな透を引きずり先に行ってしまう。
おそらくは説明がいやというわけではないのだ。
ただ単にタバサは食欲を行動原理の上位におくため、早く朝食に取りかかりたいのだとキュルケにはわかった。だがわかっていてもキュルケはちょっとだけ寂しくなった。
だからルイズでもいいかと彼女に視線をやると、
「ほらわたし達もさっさと行くわよ」
さっさと行ってしまった。
一人残されたキュルケは少ししてからもうっ! と叫び、フレイムと共に後を追ったのだった。
結局彼女がルイズ達の事情を聞けたのは朝食が終わってからで、そして何故かタバサと透はキュルケにもルイズにも、ましてや才人にも手を繋いでいる理由を教えることはなかった。
朝食を終えたルイズが教室に入った途端、先に教室にやってきていた生徒達が一斉に振り向いた。
続いて才人が教室に入ってくると、所々からクスクスと笑い声が上がる。
才人はそれに気付いているのかいないのか、物珍しそうにきょろきょろと室内を見回していた。
大学の講義室に似た教室自体が一枚岩で出来ており、机も椅子も土メイジが魔法で岩から作り上げた作品だ。彼のいた世界では岩一枚からこのような建造物を作るとお金がかかりすぎて造れないと、ルイズは昨日部屋で透から聞いていた。目に映る全てが目新しいのだろう。
「ルイズ、あの目玉のお化けはなに?」
「バグベアー」
「あの、蛸人魚はなに?」
「スキュラ」
「うわあ、あの六本足はバシリスクだ!」
キュルケのサラマンダーにも興味を示していたことから、どうやら彼は幻獣種の使い魔がお気に召したようだった。今日は昨日の儀式で召喚した使い魔のお披露目を兼ねた授業だ。室内には動物種や幻獣種の使い魔がひしめいていた。中には非常に珍しい種族の使い魔もいるようだ。
だがそんな使い魔を見てルイズの内に湧くのは才人のような好奇心などではなく、羨ましさと悔しさであった。
才人や透に対して負い目はある。
だがルイズとて好きで彼らを召喚してしまったわけではないのだ。
確かにルイズが彼らにとっての加害者であったが、彼女にとっても不可避といって差し支えない事態であり、過失があったとは言い難いものだった。ある意味では彼女は被害者であるともいえた。
しかし加害者のいない被害者である彼女にはその不満の持って行き場がない。それどころか才人や透に対する負い目も重なり、彼女はいつも以上のフラストレーションを感じていた。
鬱々としている彼女を見かねた才人の質問が止んでいることも気付かないほどに。
才人は名目上の護衛とはいえ、せめてこれだけは形になるようにと席に着いたルイズの斜め後ろに立ち、使い魔達を観賞するフリをしながら彼女のつむじを眺めていた。
彼は昨晩あった透を捜しに行く行かないのケンカの際、彼女が本当は彼らのような使い魔が欲しかったのだと聞いてしまっていた。だから今ルイズがどんな想いでいるのか想像がつくのだ。
色々と彼の方にも思うところはあったが、才人からすれば彼女は良くしてくれている。
使い魔召喚で人間を喚んでしまうなど前代未聞だったと聞いていた。だから寝具や食事の用意が後手後手にまわっているのだが、それも仕方がないことだとわかっている。前例のない事態に彼女は自分のベッドを気絶した才人に貸してくれたし、昨夜は眠くなかったので起きているといったら寒いだろうからと彼女の毛布を一枚貸してくれた。食事も直接厨房に掛け合い、貴族専用である『アルヴィーズの食堂』では他の風当たりが厳しいからと給仕の休憩場所で摂れるようにしてくれた。
本当に良くしてくれている。
それが負い目によるものだとしても、才人は嬉しかった。
だから落ちこむルイズを慰めてやりたいと思うのだが、他にも理由がありそうな彼女の事情をよく知らず、その最たる原因である自分が何を言えばいいのかわからない。
だが、わからなくても知っている事実はあった。
「色々いんなあ。でもこんだけいても人間喚んだのはルイズが初めてなんだよな。すげえなルイズは」
「……なに言ってんのよ。人間なんてそこら中にいるじゃない」
才人の発言により一層不機嫌さが増した彼女の声音はドスが利いていた。
だが才人は気にせず続ける。透が怒ったときに比べたら涼しいものだ。
「だからすげえんだろ。そこら中にいるってことはこの世界(こっち)でも地上の覇者は動物でも幻獣でもない、人間なんじゃないか? 俺達のところじゃ空の上も人間様のものだったけどな」
「……なによそれ……」
ルイズは振り返り、才人を瞠目していた。
「なにって、そういうことだろ? なんつったっけ、ほら、使い魔はメイジの本質だっけ? 特質か? を現すとかならさ、人間喚んだルイズには人の上に立つ才能があるってことだろ?」
今まで思いもつかなかった考え方に、ルイズは息も止まる思いだった。
才人の言葉は知らずに彼女の重要な部分を突いていたのだ。
何度かぱくぱくと口を開けては閉めて、ルイズは叫んだ。
「そ、そそそそそんなの当然じゃない! わわ、わたしは貴族よ! ラ・ヴァリエール家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!」
どこから湧いて出るのか、どうしてそんなものを抱くのか分からない心の底から震える感情の中、教室中の視線を集め、彼女は顔を真っ赤に染めながら宣言していた。
突然叫んだルイズに驚き静かになった衆目の中、才人は彼女の過剰ともいえる反応に頬をかき、「ああ、そうだな」と笑う。内心失敗したのかなとも考えたが、ルイズの目が輝いているのに気付き、これで良いのだと思った。
と、そこへ声をかけてくる者がいた。
「なにを当たり前のこと叫んでるのルイズは」
朝食を終えてやってきたキュルケである。
「うるさいわね。キュルケは黙ってなさい!」
八つ当たりもいいところである。しかも怒鳴るその表情はなぜかゆるい。
言われてキュルケは両手の平を肩の高さまで上げ、ふうと溜め息を吐いた。才人も苦笑いするしかない。
このときこの二人が持っていた想いは「手間のかかる妹」に対するそれとよく似ていた。お互いにその感情を共有していることをぶつかった視線で理解し、同じ様な笑みを送り合う。
朝食前の自己紹介くらいしかまだ会話のなかった二人であったが、なぜかこの一瞬は旧来の友人のような心持ちになっていた。
驚いたのは教室内にいた他の生徒達だ。なぜルイズの使い魔とキュルケが親しげな視線の交わし合いをおこなっているのか。
そしてぎょっとする。
キュルケを追って教室に入ってきたタバサが、ルイズと同じように平民の少年を連れてきたからだ。しかもどういうわけか手を繋いでいるではないか。
一部の者達は彼がルイズが召喚したもう一人の少年であることに気付いていたが、実はルイズとタバサは昨日までまともに会話もしたことがないような間柄であり、それを知っている彼らは彼女達の間になにがあったのか想像もつかないでいた。
当の透は才人がそうであったように教室内の使い魔達を見て瞳を輝かせ、引かれるままにルイズ達の側の席に着く。彼のあずかり知らぬことであったが、タバサがルイズの席の近くに座るのも初めてのことであった。
キュルケはそんなタバサを面白そうに見ると、彼女もその隣に席を取った。
ルイズはキュルケが近くに座るのを見届けると心底嫌そうに顔を歪ませる。
そんな彼らを後ろから見守るような形になってしまった才人。
教室の一角に奇妙な一団が出来上がっていた。
その様子を見て、普段はキュルケの取り巻きとして彼女に近寄ってくる男子生徒達は顔を見合わせた。
そうやって彼らがどうしたものかと相談している内にまた扉が開いて、教師がやってきてしまったのだった。