紫のローブに身を包んだ女性教師が教室に入ってくるのを、タバサは未だ馴れきらない感覚に意味が無いと知りつつも目を凝らして見ていた。
ミセス・シュヴルーズ。彼女が左腰脇に帯びた短い杖(ワンド)に纏う色は輝くような黄色だ。それは彼女が純度の高い土の系統の使い手だということの証だと、これまでの観察でタバサは理解出来た。今日見た土の中では最高位だ。
キュルケに視線が移る。彼女が胸の谷間に挿したワンドが纏うはその髪色と同じ燃えるような灼熱の赤。これは火の系統に特化した者の色。これも今日見た火の中では最高位。
そして目端に映る机に立て掛けた自分の長い杖(スタツフ)が纏うのは、色濃くも透き通る緑と光を帯びた薄い青が混じり合い、時折湖面か雪解けかけた草原のようにキラキラ白を乱反射させるエメラルドグリーン。おそらくは強い風と弱い水の系統の混合を現しているのだろう。昨日見たあれはこれからこぼれ落ち宙に流れたものであった。
そして視界は動きタバサの顔を映す。
(……違う)
タバサも隣に座るトオルに視線を移した。
トオルを通して彼女は自分自身と目を合わせる。
その奥で、彼は少しだけ耳を赤くして小さく笑んだ。キュルケの胸に視線がいってしまったことを恥ずかしがっているのだが、タバサは気にも留めない。
(彼の見解では纏うのではなくそこに滞っているだけ。おそらくそれが正しい)
彼らが現在行っているのは、使い魔の基本的な能力とされる感覚共有だ。
昨晩行ったコントラクト・サーヴァントで透の胸に現れたルーンは『ライゾー』『ウルズ』『ナウシズ』の三文字からなる言葉で、読みは『ルーン』。ルーンの語源であり秘密や神秘、ささやきや魔法といった意味を持つ、よく使い魔に現れる極々一般的な使い魔のルーンであった。
そしてそのルーンによって現れる効果がこれもまた一般的なもので、使い魔から主人への感覚共有のみであり、使い勝手は良いが少々有り難みがかけるものであるため、目立ちたがり屋が多い貴族子弟には人気のないルーンでもあった。
そのうえ人同士であるためかはたまた別の理由からか、透とタバサに至っては服越しでも良いから体のどこかに触れあっていないと感覚が上手く共有できないという謎の事態が発生しており、視覚やその他感覚を完全にかつ自然に受け取るには手を繋ぐことが最も簡単な方法となっていた。
もちろん使い魔から主人への感覚共有であり、タバサの感覚を透は受け取ることは出来ない。
つまり透がルーンで得た能力はこの一方的な感覚情報搾取ともいえるものだけであり、正直彼からすると常時手を繋いでいることを強要されている現状は「手のかかる妹」を突然得てしまったようなものであった。
図らずもそれは兄才人が彼の主人たるルイズに感じている想いと字面がとてもよく似ていた。違うのはタバサに手間はかからないが文字通り手を取られることであろうか。
手を繋ぐことのかわりにいくつかの交換条件を飲んでもらい、口約束とはいえ透にも益があるようにはしてあるためおそらく損はないのだが。
だが、早くも精神的な消耗は起きていた。
さっきのように気になる異性に自然と目がいってしまったときの気恥ずかしさが現在の消耗度ダントツだ。
透とて年頃の男の子なのだ。別段キュルケに好意を持っているわけではないが、好みが年上である彼にとって、条件が一致するうえスタイルが完璧な美人とくれば気になるのは仕方がないことであった。
それでも、
(まあいいか。実害はないでしょうし)
とタバサの性格からして問題ないであろうことに気付けば途端に気にしなくなるのが彼なのだが。
そして彼はタバサから視線を外し正面に向ける。
これから行われるであろう系統魔法と呼ばれる奇跡を観測する為に。
教室正面の教卓。そこでは中年の教師メイジが微笑んでいた。
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」
また一度見回したシュヴルーズと視線があった透は。彼女に微笑みを返す。
シュヴルーズはおやおや、と声をこぼした。
「変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール。ミス・タバサ」
悪気があるのかないのか、シュヴルーズがとぼけた口調でいうと、教室中がどっと笑いに包まれた。
「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」
「タバサもだ! それはルイズのオコボレか? そんなものをもらうとは、あんまり無口なんで呪文の唱え方も忘れてしまったのかな?!」
ルイズが立ち上がり、ブロンドの髪を揺らせながら可愛らしく澄んだ声で怒鳴った。
「違うわ! きちんと召喚したもの! それにあんた達に彼らの価値なんてわからないでしょうね!」
「嘘つくな! サモン・サーヴァント出来なかったんだろう? しかも価値だなんて、平民は平民じゃないか!」
怒鳴り合う彼らを横目に平賀兄弟はジャンケンをしていた。最初はグー。じゃんけんぽん。そのままグーを出した透が勝ちどきを上げる。チョキを出した才人がうな垂れた。
じゃんけんの文化がないキュルケやタバサは二人の不思議な行動に目を瞬かせる。
そして才人はうな垂れたまま教卓へと向かった。
「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! かぜっぴきのマリコヌルに侮辱されました――って、サイト。あんたなにやってんの?」
ハハッと若干乾いた笑いで答えた才人がとうとうシュヴルーズの横に立つ。
「えぇっと、ミセス・シュヴルーズ。このままでは我らのご主人様がいわれのない話によって侮辱され、授業も滞ってしまいます。よければ我らに自己紹介の機会を下さいませんか?」
手を上げるのではすぐに止められないと悟り、才人は直接前に出て来たのだ。
突然の使い魔の奇行に教室は静かになっていた。
「え、ええ。いいでしょう。どうぞお好きなように」
「はい。ではお言葉に甘えて。私の名前はサイト・ヒラガ。ロバ・アル・カリイエより参りました。若輩者ではございますが武芸者にございます。名乗るだけでは皆様の憶えも良くはなりませんので、小手先ではございますが簡単な見せ物を演じさせていただきます。――ミセス・シュヴルーズ。こちらのチョークを少々頂戴してもよろしいしょうか?」
と数本のチョークを手にルイズの方を見ると、彼女は才人の言葉遣いがいつもと違うことにぽかんと口を開けている。
才人だって高校生である。受験時に言葉遣いくらいは改めさせられた。
「ご主人! 杖を掲げて!」
ハッとして、ルイズは反射的に才人に言われたことを実行していた。抜き出したタクトを素早く頭上へ掲げる。
すると、ぱあんと小気味のいい音が響いてルイズの髪に白い粉が落ちてきた。
「――え?」
粉に気付いたルイズが慌てて払う。
そして何かを忘れていることに気付いた。
払った手を見つめていると、そこに杖が受け渡される。渡したのは透だった。
「ルイズさん、兄さんのこと怒らないで上げて下さいね。昨日の今日なので、まだこちらの文化への理解が浅いんです。でも悔しかったのは分かりますが、まさかこう来るとは僕も思いませんでした」
小声で言ってきた。
そこまで来てやっとルイズは状況が判断出来た。
前を見ると数本のチョークを上に投げてはキャッチを繰り返す得意げな才人。ルイズの足元には白い破片や粉。
あの使い魔の青年はチョークを投げてルイズのタクトを撃ち落としたのだ。
「ささささ、サイトオ! あんたねえ! ご、ごごごご主人様の杖を撃ち落とすなんてど、どど、どういう了見よ!」
「いやだって他に丁度良い的なかったし」
気圧された才人の口調が元に戻っている。
「杖は貴族の誇りなの! 軽々しく土を付けちゃダメなの!」
「透が落ちる前にキャッチしてくれたぞ」
「言い訳するな!」
「まあまあルイズさん。では、兄さん!」
怒鳴るルイズの横から透が声を上げる。
と、透は手に持っていた薄い円盤状のなにかをぽいぽいと上に放り投げ始めた。
それに気付いた才人は「おう!」と声を張り、腕を振る。腕が振られる度に小気味良い音が響き、透が投げた的とチョークが空中で砕け散る。
透が投げるタイミングを固定していると才人が投擲のタイミングをずらし、リズムが刻まれ、粗野で原始的ながらも音楽の様相を呈してきた。
無限に湧き出るかのような的はタバサが作った氷の小皿だ。才人のチョークはシュヴルーズが練金でどんどん作っていく。授業に使うはずだった小石がなくなり教卓を削りながらも生産していく。
どういった演出だろうか。高速で振るわれる才人の左手が光を放っていた。それもまた見せ物として室内を興奮へと誘っていく。
過去に例がないくらいの絶好調で最後の的を撃ち落とし、才人が一礼をした後には教室中から拍手が上がった。
やるじゃないか! すごい! と声もあがる。
スタンディングオペレーションである。
だが、
ルイズがすっと杖を揚げた。
それと同時にキュルケの顔色が悪くなり、タバサと共に机の下に隠れた。透もタバサによって連れ込まれる。
「――サイト」
才人の肩がびくりとなった。普通の声音であったのに、教室に入ったときにもらったドスの効いた声よりも背筋にひやりと来る声であった。
教室中の生徒が机の下に隠れる。ある者は杖を振り風の障壁を。またある者は水の障壁を。ある者は土の障壁を。机に隠れながらも入りきらない使い魔を守るために彼らは精神力を振るう。
突然連れ込まれ状況が分からなかった透がタバサに押さえつけられながら見たものは、溶けかけた氷と石灰の粉に塗れたルイズの姿だった。
「こんのバカ使い魔があああああ!」
絶叫と共に振り下ろされた杖は、透の目には眩いばかりに光り輝いて見えた。