トリステインの王都、トリスタニアの街を透とタバサは歩いていた。魔法学院からここまで乗ってきた馬は町の門そばにある馬車駅に預けてある。ちなみに一頭だけである。透には馬に初めてで乗れるだけの運動神経も体力もなかったので、タバサに必死にしがみついてここまで来たのだ。
最初はレビテーションの魔法で透を浮かせてタバサの腰につかまえさせていたのだが、学院から馬で片道二時間ほどかかる都合上、精神力の温存のために魔法はきられてしまったのだ。そこから先は普通に相乗りである。
貴族子女の腰につかまり相乗りしてくる平民の男などという、ありえないものを見た衛兵達は何事かと慌てふためいたのは仕方のないことだろう。
この世界、貴族同士でも異性が相乗りすることはまずない。あるとすればそれは夫婦か恋人同士のみである。朝からずっと手を繋いでいたことや、小さな女の子に頼りっぱなしな自分への悲壮感、それらによって透はその辺りの機微の可能性をすっかり忘れていた。いいとこ情けない姿を笑われる程度だと思っていたのだ。
だが予想以上に驚いていた衛兵につかまり、色々と問いただされてやっと町に入ることが出来たのだった。
相乗りであったこともあって、学院を出てから予定より随分と時間がかかってしまっていた。
「イタタタ……これは要改善です。腰とお尻が自然分割されそうです」
そうぼやきながら透はひょこひょこと歩く。
その手を引いてタバサは人混みの中を進んでいく。
才人がルイズの魔法によって吹き飛ばされてからすぐにタバサ達は学院を出た。教室の惨状がかなり酷いことになっており、吹き飛ばされた衝撃でシュヴールズは気絶。罰として魔法なしの修繕を言い渡されたルイズと才人が事を為すまでの間、タバサ達のクラスは自主学習となってしまったのである。
その時間を有効活用しようと、二人は才人や透の生活用品を買いに出ることにしたのだ。
おそらく午後の授業はサボることになってしまうが、タバサは構わないらしい。どうやら度々彼女はサボるらしく今更であるとのこと。成績も申し分ないため、問題ないと言っていた。
透として昨晩タバサと色々話し合っていたため寝不足しており、休んでいたかったのだが、足りない物が分からないとだめなのでルイズに行けといわれたのだ。
(それにしてもルイズさんのあの魔法はすごかった。爆発……衝撃波かな? を主としたものなんでしょうけど、起点がないうえに熱量もないようでしたし、ま近くで受けたミセス・シュヴールズと兄さんの負った怪我は背中を黒板にぶつけた事による打撲のみ。前方から受けた衝撃自体は『吹き飛ばしただけ』とは。固定の机も吹っ飛んでいたのに……いやはや魔法のコントロール性は高いようです。そういえば、『色』も『流れ』も彼女だけなにか特別なような――)
きょろきょろ通りを見回しながら透は考える。
表通りは白い壁で出来た町並み。土木工事の基礎は土系統の魔法なのだろう。一枚の岩で大壁が出来ている。そして一枚で作る発想しかないから中に筋交いを入れたり、別素材を組み合わせることで各種力への抵抗力を上げる方法がこの世界ではあまり認知されていない。あるにはあるが、ちゃんと研究する人がいないのが現状のようだ。魔法で後から壁の厚みを継ぎ足せるのも問題だ。
結果、目立つために壁を白の一枚壁にすることが多い表通りの建物は、そのせいで高層になるほど柱の数は増え建物下部の壁の厚みはかさばり、街の発展に伴う店の増改築で通りはどんどんと狭くなっていく。
先日コルベールに教えた構造力学がありがたられるわけである。
(ん~。やはり別世界なんですね)
つらつらとそんな原因に思いを馳せながら城下町最大の大通り、とはいっても道幅五メートルほどしかないブルドンネ街を行く。
と、そこでぴたりとタバサの足が止まった。
その視線の先を追えばあるのはどうやら食堂らしい。肉の焼ける良い香りが漂ってくる。
「そろそろお昼時ですし、ここで先に食事にしましょうか。ルイズさんから余分にお金はいただいてましたよね」
頷いたタバサが我先にと店に入っていった。
引きずられるままに透はテーブルに着き、いきなり来た貴族の少女と従者に冷や汗を流す食堂のおかみさんをなだめつつ料理を頼む。
そんな貴族と平民の間にある壁を確認しつつ、この世界の文化や価値観、そして魔法のことに透が思いを馳せさせていると目についたものがあった。
なぜすぐに気付かなかったのだろうか。
ぼろぼろのマントを羽織った、格好だけ見るとやたらみすぼらしい女性である。透の席からは後ろ姿しか見えないため正確にはわからないが、服装のわりに青い髪には艶があり、まだ若そうであった。
手を繋いでいたタバサもその異常性に気付いたのか彼女の方を向く。
「……あの滞り方はなんでしょうね」
「……異常」
その女性を囲むように渦巻く巨大な深緑の『流れ』が透には見えていた。
そしてそれはルーンの力でタバサにも見えている。
学院で見た、メイジ各人の杖に滞るようにそこにあるのではなく、一人の人間を起点に渦巻く『色』。
世界を漂う奇妙な『色』のなかから緑だけを寄せつけながら、その深緑の渦は周囲の人間や建物などをまるで意に介するふうもなく、何もないかのように彼らの体を通り過ぎては踊るように女性を覆っていた。
この『色』の『流れ』は透がハルケギニアに来た当初から見えていた、否、感じていたものである。
最初は蜘蛛の糸かと思った。爆煙のなかきらきらと光りながら視界をかすめるその細い『流れ』を咳き込みながら見ていた。透達が住んでいたところには小型の蜘蛛が多くて、春先になると子蜘蛛が糸を出して風に乗り空を舞うのだ。知らない人がそんな話を聞くとぎょっとするが、日本に生息するものの中ではわりとポピュラーな蜘蛛の性質である。
だが爆煙が晴れて見てみれば、その『流れ』は世界中とも言える全てに至っていた。それこそ人体にもその『流れ』が入り込み、何事もないかのように通り過ぎているではないか。
『流れ』は束になり、束になった『流れ』には『色』があり、より大きな『流れ』となって漂う。
赤青黄緑が入り乱れて混ざり合って捻り合いながら『流れ』ていく。
だが見えているのに視界の邪魔にはならない。その先の光景はしっかり見えている。まぶたを閉じても感じとれる。不思議な世界だった。
透はあのとき、ルイズではなくその『流れ』の世界を見ていて、そして気絶した。
目覚めてもそれは変わらなかった。透が異世界を早くに納得出来たのは双月の存在や魔法の実演だけではない、この奇妙な『流れ』が見えていることも大きかった。
そして気付いたことがあった。それはこの『色の流れ』が透にしか見えていないことである。
きっかけはルイズやコルベール、寝ている才人の体も『色の流れ』は完全に通り過ぎているのに、透のことだけは通り過ぎると薄くなることに気付いたからであった。
そしてなにやら実感のようなものがあった。
自分の体がこの『色』を取り込んでいる実感が。
確認のためによく見ても確かに他の人は取り込んでいない。
だからといって取り込んでいる透になにかいうこともない。
さらに取り込んでいる自分の体調が良い。
しかも魔法を使ったコルベールの杖に漂う『色の流れ』が目まぐるしく変わるではないか。
それでそれとなくコルベール達に確認してみたのだ。魔法の使い方やそれ関する知識を。そして確信した。これは異端である可能性があり、独自の武器になり得る。交渉材料にもなるので今は黙っておこう、と。
それも結局タバサとの契約であっさりとバレてしまうのだが。
本当にあのときは疲れていて、思慮が足りていなかった。感覚共有はすでに聞いていたのに、才人の身に起こらなかったためにすっかり失念していた。体調が良くなっても元の体力は変わっていないのだ。
おかげで、一から他世界人が調べるには時間がかかったであろう物事がすぐにわかったが。
(タバサの話ではこの『色の流れ』は精霊と呼ばれるものである可能性が高い。精霊とは自然そのものの具象化。その流れを滞らせるどころではなく、このように操るということは……)
「一般的なメイジが杖に滞った『色』を操るのに対して、あの方は全身で操っている。これぞまさしく纏う、ってところですか。伝承通り、魔法で姿を変えているのでしょう。正体、わかりますか?」
精霊かもしれないとタバサから聞いたとき、同時に聞いたこともあった。それは杖がないと使用不可な系統魔法とは別の魔法の情報。精霊魔法、もしくは先住魔法と呼ばれる魔法を操る人外の種族に関する情報だ。
「……エルフ?」
エルフはその代表格。だが、
「いえ、多分違います。よく見て下さい」
透は視線を一度上げてから、ゆっくりと下ろしていく。。
下ろす動きは渦の外周を確認するよう。
渦が薄かったりぶれていたりするものの、そこには確かになにか決まった形状があるようであった。
巨大なワニに似たアギトを開く端部。そこから続く曲がった巨木のようなものはすくめられた首であろうか。窮屈そうに折りたたまれた羽らしきものと、床を踏みしめる四肢。ここまでくると太く長大でとぐろを巻くあれはしっぽにしか見えない。
「……ドラゴン」
「それもおそらくは」
だが通常の竜種では言葉を解することも精霊魔法を扱うこともできない。
しかし伝説上、すでに滅んだとされる者達の中にはいたとされていた。精霊魔法を自在に操り、通常の竜種を遙かに凌ぐ能力をもった竜種が。
「韻竜」
「です。なるほどこうしてみれば納得できます。絶滅などしておらず、器用に人に紛れて生活していれば分かるわけがない」
後ろからでも分かるくらい食事にがっついているその姿からは、伝説などという言葉を見つけることはできない。
わざわざ人に紛れて食事をしているのだ。興味はあったがこちらが下手を打たない限り危険もないだろう。何もしなければ自分達の平和も、相手の平和も守られる。そう考え、やってきたおかみさんから料理を受け取ると、視界の端に収める程度にしてこちらも昼食を始めた。
時折タバサが食べるために放していた手で透に触れてきたが、次第にそれも変わらず食べ続けるだけの韻竜女性に飽きたのかなくなり、食事に専念するようになった。
朝食は別所で摂った透はそんなタバサがどんどん追加注文していく様子と、止まることのないもきゅもきゅに癒しと恐れの両方を感じ、この世界の女性はよく食べるなとか、箸が欲しいなどとどうでもいいことに思考を裂くようになって、韻竜からは意識が遠退いていった。
そうやって、食事を楽しんでいたときだった。
「きゅいきゅい! どうしてもうだめなのね?!」
「だからあんたの持ってたお金じゃもう足りないの! わかったらもう出とっておくれ!」
「もっと食べたいのね!」
「だあ! かあ! らあ!」
韻竜女性と食堂のおかみさんである。
やっと見えた韻竜女性は結構な美人さんであった。
どうやら韻竜女性の手持ちがなくなったのだが、まだ食べたりないらしい。
店の中央で、しかもさっきまで大量の食事を摂っていたのにまだ食べたりないと騒ぐ妙齢の美女。目立って仕方がない。
「……あんまり紛れてないね」
タバサもどこか唖然とした様子で頷く。
それも仕方がないだろう。韻竜とは本来、高い知性と暴力を兼ね備えたハルケギニア最強種の一つなのだ。少なくとも現存する資料はそう伝えている。
すると、韻竜女性がこちら見た。
「そこにいっぱいお肉あるのね! 食べたいのね!」
タバサが大量に頼み、テーブルに並んだ肉料理に惹かれたらしい。
それを聞いておかみさんや他の客は顔を真っ青にさせた。貴族に向かってなにをいいだしているのだと思ったのだ。とばっちりは敵わないと、客は一斉にテーブルを引く。おかみさんだけは韻竜女性に抱きついて、恐ろしい形相で力の限りに持ち上げると、文字通り韻竜女性を店の外に放り投げた。
そして外に顔を出し、一言「二度と来るんじゃないよ!」と怒鳴り声を上げると、店内に戻りこちらまで駆けてくる。
「申し訳ございません貴族様! 二度とこのようなことは――」
「いい」
タバサは謝罪を聞くのも億劫そうに首を振り、遮ると、食事を再開した。
あまりの素っ気なさに逆におかみさんはおどおどとしたままだ。
見かねた透が声をかける。
「こちらの料理はとてもおいしいですから、あの方もいくら食べても食べたりなかったのでしょう。タバサ様も夢中のご様子。このままではまだ足りないかもしれません。メニューの追加を頼めますか?」
タバサに目配せすると、彼女もこくりと頷き、おかみさんが持っていたメニュー表を奪って何点か指さしした。
おかみさんは、はい! と飛び跳ねるように返事をしてからメニューを復唱し、厨房へと下がった。
透はまた韻竜女性が投げられた外を見る。
「ある意味完全に紛れているのかも」
まさか先ほどのあれが韻竜であるとは誰も思うまい。
タバサも頷いた。
何故かその後頼んでいないデザートメニューも出て来て、追加分の料金はいいからと返された。
透は悪い気がしたが、タバサは素直に嬉しそうであった。
食堂を出ると目的のお店に向かった。
まずは衣服。着の身着のままであったため、一着しかないのだ。当然であろう。日本人はきれい好きである。
幸い才人はこのハルケギニアでも一般的なサイズの体格であったため、いなくとも適当な注文で事足りる。透は細かったため一応計ってみたがこれもよくあるサイズで問題なさそうだった。極論、腰などは紐でしばって整えればいいのだ。服は平民用の安物でも受注生産のため合うサイズと布を指定して数着予約し、学院への郵送を頼んだ。少々透には大きかったが当面の為に店頭品も買った。貴族ではないのだから余った丈は折って自分でとりあえず縫い付けておくのもいい。平賀透十六歳。成長期。切るのは勿体ない。そこまで上等である必要もない。後ほど着てみて予想以上のそのごわごわ感に眉を顰めることになるのだが。
下着類に関して男性貴族はタイツ状のものだったりするらしいが、平民の一般的なものは褌のようだった。他にも種類はあったが褌系が安かったので布を選び、その場で裁断してもらってちゃっちゃと買っていった。タバサが平民男性の下着を知らなかったらしく、興味深げにしていた。
他の生活用の小物は学院でも手に入るためよしとして、簡単な武器も買いに行くことになっていた。才人が護衛として思いの外強いことを知り、剣を使ったことはないものの体術と先ほどのような投擲が得意ということで、気絶した才人に代わり上申した透に、投げる用の短剣を数点買っておいてとルイズが言っていたのだ。
もちろんお金は彼女持ちである。色んな意味で怒り狂ってはいたがその有用性は理解出来たらしい。というよりも透が懇切丁寧に説明した。遠隔攻撃で杖を落とせるのは対メイジ戦において高いアドバンテージを誇るのだ。
才人の特技を自分のことのように誇らしげに語る透に対し、透はなにかできるのかとタバサが心なしか期待した目で訊いてきたが、これも透は自信満々になにもできないことを言いきっていた。だから透には彼自身の護身用に短剣一本だけと話し合いで決まった。
そういうことで武器屋へと続く裏路地に入ろうとしたときだ。
「お金くださいなのね!」
どこかで聞いたことのある声による残念な叫びが二人の耳に入った。
そちらを向けば青髪の後ろ姿と強大な緑の渦があるではないか。
想像以上に残念な気分になった透は聞かなかったことにして、そのまま目的を果たそうかとも思ったのだが、次に聞こえたものによって足を止めた。
「娘、金が入り用なのか?」
「とっても入り用なのね!」
また見れば、紳士然とした格好の中年男性が韻竜女性に声をかけているではないか。
これは大丈夫なのだろうか。主に紳士の方が。と考えていると「ついておいで」と紳士は韻竜女性を連れて行ってしまった。
「タバサ、いいかな?」
彼女は頷くだけである。
先ほどまでは大した滞りではなかったため見逃していたが、あの紳士が杖を隠し持っているのが『色』でわかったのである。隠すということは後ろ暗いなにかがあるということ。そんな人物が女性に声をかける理由なんて限られている。
相手は多分韻竜だ。並のメイジなど、魔法戦を知らない透ですらあの渦を見ただけで敵わないとわかる。だから気にかける必要などないのかもしれないが、透にはこれがなにかターニングポイントのように感じられた。
確実にあの男はこの世界の暗部だ。比較的浅いところの暗部であろうと、この世界の暗部であり、このハルケギニアを見る、いい意味でも悪い意味でも絶好の機会になると思った。
これはもしこの世界で本当に一生を過ごすのであれば必要な見識であり、帰るなら帰るで絶対に帰りたいと思えるほどの理由にもなりえる、そういうターニングポイントなのだ。
透はあらゆる意味で自分には覚悟が足りていないことを自覚している。だからこそこういったことは必要な気がしていた。
二人は直接追うのではなく、回り道をしながら緑の渦の後を追った。
そうしていくうちに街の外れに来て、ついには外に出てしまい、とうとう人気のない森近くまで来てしまう。そこには幌馬車が駐めてあった。
平地に出たので見つからないよう二人は距離をおきしゃがんでいたが、透はあの渦を見逃すことなどありえないし、タバサは遠見の魔法を使って細かなところを確認している。
森の入り口からぞろぞろと人が出てきて女性を囲んだのが見えた。
「どうなってます?」
「縄で縛られた」
「人さらいですか」
「そう」
遠目にもあの韻竜女性が担ぎ上げられ、馬車に放られたのがわかった。どうやらそこには他にもさらわれた女性がいるようであった。
「殴られた」
「? なぜ抵抗しないのでしょう? 韻竜であればあの程度の相手、問題なさそうに思えるのですが。もしかして強いというのも噂だけですか」
「魔法の縄」
「なるほど。そんなものがあるのですか」
なにやらあの韻竜女性が暴れているようであったが、御者台にはあの紳士っぽいメイジともう一人のメイジがいるようである。
そしてその後ろから旗を掲げた別の馬車が出てきた。
タバサの杖がその後続の馬車をさす。
「中にメイジ」
「……助けたいところですが、これは少々遅かったですね。帰りましょう」
透が言うが早いか、しゃがんでいたタバサがすっくと立ち上がった。その視線は変わらず馬車に向いていた。
「縄が千切れる」
「え?」
聞き返すと同時に緑の渦が弾け、くけー! という雄叫びとともに馬車の幌が吹き飛び、中から青い韻竜が起き上がった。
どうやら変身の魔法を解き、無理矢理縄をちぎったようだ。
男達が銃を撃つが竜の羽ばたき一つで吹き飛び、森の木々に叩きつけられると動かなくなった。あの一撃は透にはただ羽ばたきなどではなく、緑の『色』をともなった魔法なのだとわかった。
だが、
韻竜の後ろで、あの紳士男ともう一人フードを被った男が杖を振るう。
すると杖先からなにやら糸のようなものが飛び出した。
気付いて韻竜が振り返るも、なぜか韻竜は行動を起こさずその場に留まった。その足元には他に捕らわれていた女性達がいた。
糸に絡め取られ、倒れる韻竜。倒れた際に女性を避けたが為に不自由な体勢になり、しかも側にいる女性達は気絶してしまっていた。あれではまともに身動きできない。
透は走り出していた。
タバサに至っては男達が杖を振った時点で走っていた。
真っ先にタバサが振るった杖先から竜巻が生まれ、進行と共に大きくなり二人のメイジを吹き飛ばす。
男達が吹き飛ばされると同時に後続していた旗付馬車の幌が断ち切れ、中から飛び出した風の刃がタバサに襲いかかる。
「タバサ!」
透の叫び声。
彼女は条件反射で風の刃を躱すと、ハッとして後ろを向いた。
先ほどの透の声は真後ろから聞こえたからだ。
だが透も刃を躱していた。むしろ彼の方が大きく刃から距離を取って、余裕すらある状況で躱していた。風は通常見えないが、精霊をともなう魔法は『色』がつく。事前動作にすら杖に集まる精霊で『色』をともなう。馬車の中故にわかりづらかったが、韻竜の羽ばたきのときにそれをしっかりと見ていたので、幌を通過して集まりゆく緑の『色』に気付き、彼も恐怖心から来る条件反射で避けていたのだ。
タバサは再度杖を振るい、旗付馬車へと空気の槌を叩き下ろした。
潰れる馬車と、飛び出す人影。再度人影から放たれた風の刃はタバサではなく、韻竜の足元にいる女性達へ向けられていたが、それすらもタバサが放つ空気の槌によって打ち消される。
相手の方が近いのに当たる前に打ち消したということは、タバサが予測して先に放っていたということだ。
その姿を見て、透はタバサを強者であると理解した。話だけではなく、彼女は強いと心が実感していた。
向こうもタバサと同じ風系統の使い手のようだが、一対一で負けることはないだろう。杖に滞る『色』の量も同程度だが、才人という強者を知っていた透は確信できた。負けるはずがない。と。
ならば、一対一ではなくなるとどうだ。そう考え、透はまた駆けだした。
韻竜の元へと。
一方、女性達を狙う事によってタバサの隙を作ろうとした敵のメイジは足を止め、タバサと対峙していた。
銀髪の、まだ若い女メイジだ。だが杖を構える仕草も堂に入り、戦い慣れしていることを物語っていた
タバサが小さな少女であったことに驚いたのか、相手はわずかに目を見張り、戻すと、唇の端を歪めて冷笑を浮かべた。
「おやおや、向こうの少年は平民のようだが、あんたは貴族様のようだね。こりゃちょうどいい」
タバサは無言だ。その表情はいつもとなんら変わりはない。
「どうしてメイジが人さらいなんてやってるんだ? って顔だね。あんたは貴族のようだから、きちんと冥途の土産に教えてやろう。あたしは女だが、三度の飯より騎士試合が大好きでね。伝説の女隊長のように、都に出て騎士になりたい、なんて言ったら、親に猛反対されたのさ。で、こうやって家を出て、好きなだけ騎士試合ができる商売に鞍替えしたのさ」
「ただの人さらい」
「そりゃあ、食うためにはしかたないさ」
「あねご! 助太刀しやす!」
先にタバサの竜巻で吹き飛ばされていた男メイジ二人が戻ってきた。タバサの立ち位置は最初から彼らも視界に収めていたので、これにも彼女は表情を動かさない。
その様子に女メイジは首を横に振った。
「なに、これは騎士同士の決闘だよ。順序と作法ってもんがある。お前達はそっちに行ってな。さて、正々堂々いこうじゃないか」
「わたしは騎士じゃない」
タバサは短く告げて杖を構えた。
男達が素直に退いていく。
「ここまでやっているのに、それでもかい?」
そう言い女メイジは杖を構えると、優雅に一礼した。
めんどくさそうに、タバサもそれに合わせて礼をしようとした瞬間――女メイジの魔法が飛んだ。
だがそれすらもタバサは避けきり、女メイジへと魔法を放つ。
しかしその魔法は横にいた男が放った魔法によって止められてしまった。
さらにもう一人の男がタバサに向けて魔法の矢を一つ飛ばした。
避けたばかりで体勢が整っていない状態だったため、不可避の一撃であった。だが致命傷にはならない。この程度のことは予測していたタバサは怯まず、腕を盾にするように構えながら新たな魔法を唱え始める。当たっても勝てばいいのだ。
そして魔法の矢がタバサの腕を抉るかと思われたとき、矢も敵メイジ達もまとめて風で吹き飛ばされた。
風はタバサのショート髪もさらったが、目の前にあった矢が吹き飛ばされたとは思えないほど優しい風であった。
風の吹いた方を見れば、立ち上がった韻竜が きゅいー! と鳴き声を上げている。
局地的な突風を羽ばたきの精霊魔法で作り上げたのだ。
敵メイジ達は今の一撃で吹き飛び地に叩きつけられて、完全に気を失ってしまっていた。
念の為にとタバサは念力の魔法で三人の杖を奪い取り、折ってしまうと、韻竜の下へと向かった。韻竜の足元では息を荒げたトオルが座り込んでいた。
「ありがとう」
タバサはトオルと韻竜に感謝を告げる。
トオルは息が上がったままなので手を小さく振るだけであったが、韻竜はきゅいきゅいと嬉しそうになき、タバサの頬をなめた。
「お姉さますごいのね! かっこいいのね! さっそうと現れて、勇者さまみたいだったのね! きゅいきゅい!」
ここに来て初めてタバサの表情が動いた。何に反応したのか、うっすらと頬に赤みが差す。
そしてそんな彼女に気付かないまま、まだ呼吸が整わない胸を押さえ俯くトオルも言う。
「騎士、じゃ、ないね。確かに。もっと、かっこいい。勇者、だったよ」
タバサの頬がさらに染まっていたが、見ていないのだから彼にはわからない。
「お兄さまもすごいのね! あのねばねば糸が、お兄さまが触ったら水になって消えちゃったのね! とっても助かったのね!」
透はこの韻竜の下へ向かった後、男メイジ達が作った魔法の拘束糸を『色』を自身に取り込むことで解除したのだ。タバサが作った魔法の氷もそれで水にすることが出来ていたので、試したら予想通りだった。
「はは、お礼は、タバサへ。僕は逃げようと、しましたから」
透は思っていた。このタバサという少女は一見無口で無愛想で妙に頑なな気がしていたが、それだけではない、とても情に厚く、優しい子のようだ、と。
この韻竜もだが、捕らわれた女性達を助けようと自然と動き出したときは、タバサの小さくも大きな背中が悔しくなるくらいかっこよかった。彼はその背中に引っ張られ、動いたに過ぎなかった。
それらは彼の中の英雄、兄才人と被った。
いじめらていた透を助けた才人。助けるために強くなった才人。すぐにいじける透を引っ張っていってくれた才人。
きゅいきゅいと騒ぐ韻竜の鳴き声を聞きながら、呼吸を整えると透は立ち上がった。
そのときにはもう、タバサの表情は元通りである。
「さてと、この方達をしょっ引いて、衛兵さんに女性達も保護してもらいましょうか」
夕日を背にした透の表情は、少しだけ晴れやかであった。