ーーーー1ヶ月後ーーーー
3月31日。崩れそうな夜明け前。
かつて学校
彼らが目にしているのは何も、その炎だけでは無い。人の手から解き放たれた、草に覆われた道路。蔓に巻かれたビル。また、鼻をつくような土の臭い。
彼ら人間が作り上げた文明の脆さを示すには、十分過ぎる惨状だった。
けれど瞳に映しているものは、絶望でも諦めの色でも無い。ただただ、現実を受け入れるという決意のみを捉えていた。
ふと、そのうちの一人──
「────────────────」
──そのまま彼女は軽く微笑み、自身の身体を男性に預けた。
「……きっと、いつか」
「ふふ。ありがとう」
冷たい風が、彼らに
恒星の熱が、命を溶かす。
雨粒の音が、終焉を告げる。
そして、一筋の光が差し込み────
「絶対、離さないでね」
「わかってる」
──その瞬間、世界は時を失った。
3月1日。高校の卒業式。
誰もいない教室で一人、誰からも祝福を受けず、誰からも賞状を貰うこと無く。僕は、自身の高校生活からの卒業を迎えた。
「高校三年間。勉学に励み、仲間を尊敬し、共に切磋琢磨し合った日々でした。元々人と接することが得意では無かった自分ですが、こうして環境に恵まれ無事に卒業を迎えること、とても有難く感じております。これからも──」
──ああ、間違えた。
「──とても有難く感じております。幸せな時間に、感謝を」
謝辞を言い終え、周囲に静寂が響く。
ふと辺りを見れば、そこにはただ独りで一人言を呟く哀れな人間がいるだけだった。
人間は孤独が一番辛いと言うが、それは絶対に間違いでは無いのだろうな、と強く思い知らされる。
本来ならばここで僕の卒業を泣いて喜んでくれる両親や、仲間との別れを共に悲しんでくれる友人がいた筈だ。ふと教室を振り返れば、もう何ヶ月も手入れされていない机や椅子の傷みが目立つ。
そして、虚しさが際限なく充満していく。
──いいや。けれど
自分で自分に作った卒業証書を苦々しく見つめ、ビリビリにそれを破り捨てた。細かい紙片となったソレは、風に靡いて空へと舞う。
あんなに努力に努力を重ねた毎日。いくら人に貶されようと努力は裏切らないと信じていた日々。その結末がこんな虚に塗れたバッドエンドだと言うのだから、全く天に唾を吐きたくもなってしまう。
センチメンタルな感情に心を浸らせていた、その時。屋上の方から声が聞こえた。
「いるんでしょー!! 声聞こえたよー!!」
「……日菜!?」
それは紛れもなく、
「まだここにいたんだね」
「奇遇だな。日菜もこんなところにいるなんてさ」
氷川日菜。僕が高校三年間ずっと、恋人関係にあった彼女の名前だ。
才色兼備を絵に書いたような人物で男女共にファンを大勢抱えており、他にもいろんな才能に恵まれているようだった。勉強はもちろん、運動や楽器などでも。言わば、天に選ばれた寵児なのだろう。
対して僕は自分で言うのも違うかもしれないが、努力だけは人一倍する性格だった。何もしなくても何でも出来てしまう日菜とは、正反対の性格だ。
けれど不思議と、彼女とは気が合った。好きな食べ物だったり、趣味だったり。だいたいお互いの考えていることは何となく理解出来たし、周囲の人間も僕たちを理想のカップルだと賞賛していた。
──けれどまさか、こんな決断をするなんて。さすがに予想が付かなかったよ。
そこには大きな望遠鏡を屋上に設置し、青空に向かって好奇の目を向けている彼女の姿があった。
「昼間っから天体観測ですか」
「天文部だからね。隕石とか見えないかなって」
「……冗談キツいっての」
「──ってそんなことはどうでもいいじゃん。キミ、
「お前、そういうとこ変わんないよな……」
彼女は多少、意図せず人を傷つけてしまうところがあった。特に悪気は無いらしいが才能を持つものの宿命とでも言うべきか。
……まあ、今回ばかりはしょうがない気もするのだが。事態が事態だ。
「だってさー。
「……うん。悔いはないのかなって思うよ。気持ちはわからないでも無いけど」
二年前、とあるニュースが報道された。全世界一斉放送という未だかつて例を見ない手法で。
その後さらには、犯罪率と自殺率の増加が世界レベルで見られることになった。
──だから当然、問題となるはずだった。けれどならなかった。
そのニュースが異常過ぎたからだ。
『
報道官のこれだけの言葉で、人々は簡単にパニック状態に陥ってしまった。
理由は恒星の膨張だとかそんなものだったような気がするが、この際それはどうでも良い。『僕たちが死ぬのだ』という事実だけを、その報道官は残して行ったのだ。
そして、犯罪率と自殺率が増加した。犯罪は潜んでいたサイコが、自殺は死の恐怖に耐えられない人々が。しかし犯罪も当初は多かったが、人口の減少が犯罪の減少にもなった。まあ、結果オーライなどでは無い。
自殺率の増加原因は、世界的に有名な医師団体が『安楽死』を可能とする技術を発表したことも原因の一つ。
人々は救われたようにその医師団体に
また死ぬことで極楽に行けるのだとかいう、まるで数百年前のような宗教が流行し出したのも原因の一つだ。最早人類の衰退は免れなかった。
人口の減少は、そのまま都市の劣化に繋がる。
整備されていたはずの道は今や草木に覆われ、僕が今いる学校はもはやジャングルと化していた。一寸先は闇、とはまさにこのことなのだろう。もう、とても人が満足して住めるような場所は僕の周囲からは消えてしまった。
世界は完全に荒廃した。
──そして、惑星崩壊まで残り一ヶ月。
「けど、キミが生きててくれて良かったよ。あたし、一人は嫌いだし」
屋上に置かれていたベンチに座り、足をパタつかせながら日菜が笑った。
「なら、日菜は最後まで残るつもりなのか?」
「もちろん! まだまだ生きて、るんってするんだ」
「……怖くない?」
「…………」
足の動きが止まる。
時間さえも彼女に従属しているかのように、風すらピタリと止んでしまった。
「怖いよ」
そして息を詰まらせ、彼女が小声で呟く。
「……けどね。一緒に死んでくれる人がいるなら、安心出来るんだ」
強くあろうといくら気丈に振舞っても、その瞳から落ちようとする雫を止めることは難しい。
おそらく彼女自身もそんなことはわかっているのだろう。涙を堪えながらも強さを醸し出している、そんな矛盾をいくつも抱えている顔だった。
「僕に安楽死はさせてくれないのか?」
冗談めかして、彼女をからかってみる。けれど。
「……いいや、キミは死なないよ。三年間も一緒にいたら、それくらいわかるって」
──その言葉は、はっきりとした重みで包まれていた。
三年間の高校生活は、どうやら無駄では無かったらしい。こうして自分をここまで理解してくれる人と出会えたのだから。
学校とは人との出会いの場なのだと、既に安楽死を遂げた両親が口を酸っぱくして僕に教えてきたのを思い出す。
ああ。確かにその通りだったよ。
ふと空を見上げると、既に西は夕闇に覆われていた。オレンジの空はこの世界に虚無を告げる。そして冷たい風が強く吹き、遠くの空では雨が一つ、また、一つと。
残り一ヶ月の命だと思うと、やけに一日一日が重く、短く感じてしまう。自分の死とはこんなに軽いものなのか。
心臓の鼓動が凄まじくなっていくのがわかる。残り一ヶ月。奇跡は起きない。
ああ、足が震えてる。手もまともに握れなくなってしまった。今どんな酷い顔をしているのかなど、想像もしたくない。
クソ。考えるな。考えるな。考えるな。考えたら、安楽死をしたくなってしまうだろうが。だからやめてくれ、僕の頭から出ていってくれ……。
「日菜……」
──僕の言葉に呼応するように、その瞬間後ろから日菜は僕を抱いた。
「大丈夫、大丈夫だよ。あたしがここにいるから」
……情けないな全く。思わず涙が出てしまう。そんな感情を吐き出してしまうほどに彼女は暖かく、僕を慈愛で包み込んでくれる。
「……ありがとう、もう落ち着いたよ。日菜には助けられてばっかりだな……」
「ううん。それよりさ、キスしない?」
「……ああ」
何の情緒も無い言葉を綴り、僕と日菜は唇を重ねた。
──苦くて、甘い。
「唇、渇いてるね」
「もうリップクリームとか無いからね〜。あたしとキスするの、イヤ?」
「いいや、好きだよ」
そのまま、再び唇を重ねる。
──どうせ死ぬまで一ヶ月しか無いんだ。こんな何の雰囲気も無い乱れ方も良いじゃないか。
そんな言い訳を自分にしながら、ただ日菜の熱望を受け止めた。いや、僕自身も熱烈に日菜を求めた。一ヶ月というワードを消すために、氷川日菜という存在で上書きするために。
そのまま僕らの影は重なり、やがて地面と同化する。
「死ぬって、どういうことだと思う?」
醒めない熱情を心に装備して、勇気を持って彼女に尋ねた。
「死んだらわかることじゃない?」
「まあ、そうだよなあ……」
「でもね。あたしは死んだ後のことより、楽しめる今を生きたいんだ」
「……たしかにその方がいいのかもな」
「でしょ? だからもっと、あたしを愛してよ」
何の遠慮も無い彼女の言葉で、今自分たちがどういう体勢なのかに気付かされる。唇が近い。当然、目も鼻も。日菜の吐息が、僕の髪を揺らす。退廃的な雰囲気なのに、どうしてか酔ってしまう。
──何があっても日菜は僕の恋人だし、どうあっても僕は日菜に溺れてしまっているからだ。
ふふ、どうして悪魔で神様で地獄で天国で。終末の世ってのは酷いもんだな。
日菜もそれを感じとったのか、真剣な眼差しで僕に向き合った。
「約束して。あたしと一緒に死んでくれるって」
「……ああ。約束するよ」
──その言葉を皮切りにして、日菜と僕は一つになった。
刻は黄昏。空には恒星の淡い光。地には無機質なコンクリート。
さっきまでの恐怖心は、彼女からの情愛で消えてしまった。そして代わりに現れたものは、二人を狂わす蠱惑の毒。
どうしたって希望的になれないその行為を、いっそのこと絶望に浸れば良いと、ただただ現実を噛み締める。
死に対して、日菜に対して。一ヶ月に対して、一秒に対して。ただ、噛み締めた。噛み締めて、飲み込んだ。
……これじゃ全く、失楽園だよ。知恵のリンゴなんて食べなくても、こんなに汚れてしまって。でも、それでいい。それがいい。
「日菜……どう?」
「どうって? 決まってんじゃん!
死にたくない──けど、死ぬってわかってなきゃこんなに気持ちよくも無い! この矛盾が、ヤバ過ぎるよ……!」
「……僕も同じこと考えてたよ」
時は決まっている。これから一ヶ月後、3月31日。
僕と日菜は惑星の崩壊と共に、人生18年で死を迎える。
行為が一通り終わったところで、日菜が既に黒く沈んだ空を見つめ、僕に尋ねた。
「ねえ。残り一ヶ月、何したい?」
「ただ君の思うままに、かな。もう卒業したし、悔いはない」
「ふふ。じゃあいっぱい、るんってしようね」
「……ああ、死ぬまで」
────願わくば、暁を超えられるまで。
気長にやっていくので、これからよろしくお願いします。
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