「約束! 今日は絶対君の家ね!」
朝一番。「おはよう」より早く放たれた日菜のその言葉で、今日の行動が決定した。
惑星の崩壊までは残り28日。嫌な数字だ。一日一日を中身のある生活にしなければという使命感に駆られながらも、結局死の恐怖に耐えられず焦燥感を覚えてしまう自分がいる。
結果、日菜と幾度となく交わって、日々生きるために物資を集めて。
一ヶ月という短い期間を生きるために貴重な一日を費やすというのは、夜になって冷静に考えてみれば、無駄なことをしてしまったのだろうかといつも思案してしまう。
「僕の家で何をするんだ?」
「君の小さい時の写真とか見たいな」
「……ああ、なるほどね」
日菜はなぜだか、形に残るものを好んだ。
写真が良い例だ。はるか昔に切り取ったワンシーンを、現在のものとして保存する。
だから日菜と遊ぶ時は、彼女にせがまれて何十枚、何百枚と彼女の写真を撮った。
桜に囲まれて微笑む日菜。
水着でビーチを走り抜ける日菜。
オレンジに色付いた木の葉に佇む日菜。
積もった雪と戯れる日菜。
──キスをした時。
お互いに裸になった時。
初めて最後の行為まで進んだ時。
ベッドシーツに付着した血。記念だと言って嬉しそうに写真に収めていた。
枕を共にする二人の姿。幸せそうにいつも見返していた。
使っているのは僕のスマホだけれど、撮っているのは僕と日菜だ。
まだ眠っている写真はたくさんあるのだろう。
おかげで僕のカメラロールはもう日菜一色だ。
「君の記憶にあたしを残して欲しい」
彼女は口癖のようにその言葉を呟いた。その時は決まって、あさっての方向を眺めてボソリと言うのだ。
本当に小さい声で、けれどしっかりと頭に残る声色で。僕の心に刻むように、ゆっくりと。言われる度に、心臓に釘を刺されているような心地がした。
ーーーー
「ふうん。ここが君の生まれ育った場所なんだね」
家を見て、彼女が最初に喋った言葉はこれだった。
数ヶ月ぶりに見たような気がするが、何も変わっていない。強いて言えば少し外装が崩れているくらいだろうか。植物の影響によるものだろう。
真っ白の壁。茶色の屋根。庭は子供のボール遊びが出来る程度で、決して小さくは無いが大きくもない。一人息子を持つ家庭の典型のような家だ。
「ほんとに普通だろ」
「だね」
言葉とは裏腹に、眼を輝かせて日菜が答える。そして同時に、写真を撮った。
パシャリ。
「家の写真なんて撮ってどうするんだ?」
「こうして残すことに意味があるんだよ」
「……? よくわからないな」
わかんなくてもいいよ、と日菜がこちらを見ずに呟いた。そしてまた一枚、同じ角度で写真を撮る。
家の影に隠れて、光が僕らに届くことはなかった。灰色の景色の中、寂しいと言うことも叶わずただ構えているかつての家は、目に入れるだけで痛みを感じた。
「……うん」
今度は上手く撮れたようで、彼女はさも満足したように自慢げにこちらを振り返った。
「じゃ、入ろっか!」
「……あまり期待はするなよ」
「うん、するけどね」
「はいはいわかった」
ーーーー
家族写真は、思いの外早く見つかった。
正直に告白すると、僕は両親が家族の写真を捨てている──もしくは、全く撮っていないものだと思っていた。僕を置いて死の道を選んでしまった彼らの、家族を愛する気持ちになど毛頭期待していなかったからだ。
──親に向かっての口振りだとは自分でも到底思えないが、こういった特異な環境がこんな考えを生み出してしまっているのだろうか。
父親がいつも大事そうに保管していた会社の書類のすぐそばに、例のそれは置いてあった。『家族写真』とシンプルに題されてはいたものの、アルバム自体は三人家族と思えない程に分厚い。
言うまでもなく、家族に愛があった証拠なのだろう。愛と信頼とは全く違うものだが。
ページをパラパラと捲ると、それには僕の生まれた時の写真から、だんだんと成長していくまでのものが全て収められていた。
「日菜、見つかったよ」
「え、わかってるよ?」
僕が声をかける前にもう、彼女は僕の後ろで共にアルバムを眺めていた。
──彼女の存在に気付かない程に見入ってしまったのか。
「君の写真ばっかりだね」
「僕も驚いたよ。親の性なのかな」
「……ふふ、親に捨てられて放心状態になってた人がよく言うよ」
「……今日はなんだか毒を吐くね」
まあ、彼女がたまに性格の悪いことを言うのはいつものことなのだが。そしていつもはそれに反応してやれているのだが、こんな写真を見てしまえばそういった気にはならない。
煽りに乗らない僕に呆れたのか痺れを切らしたのか、それとも飽きたのか。「別に」とつまらなさそうに日菜は呟き、その場に寝転んだ。
「親ってさー。子供が好きなんだよね」
「それこそ親の性だろうからね」
「じゃあ、子供のこともよく知ってるはずだよね」
半壊した窓ガラスから、春のまだ冷たい風が流れ込んでくる。
桜の花びらが一枚飛んできた。これもまた、半壊していた。
「親は子供のことをよく知ってるんだよね」
再び日菜が呟く。
寝転んでいた。怠そうだった。それでも、自分の本心を吐露しているように聞こえた。不意に二の腕を軽く握られ、それをだんだんと手のひらの方へ寄せられた。気付いた時には、指が
また、目線はあさっての方向を向いていた。
「君ってあたしの家来たことあるよね」
「あるよ。日菜が自分の部屋を見て欲しいって、何回も呼んだから」
「そうそう、何回も呼んだ」
「? どうしたんだ?」
「あたしの家族に会ったことある?」
「……そういえば、一回も無いな。家にいつも居なかった」
「うん、あたり。いつもいない」
「……どうして急にそんなことを?」
「ッ……」
質問に若干の詰まりを感じたのか、少し日菜は躊躇う様子を見せた。けれどそれも一瞬。すぐにいつもの顔色に戻し、ゆっくりと口を開いた。
「いーや。家族に愛されるって、なんなのかなあってさ」
諦めたような、羨ましがっているような。そんな表情だった。
「…………」
不穏な空気が流れる。
何か余計なことを口走れば、その場で殺されてしまいそうで。息をするのでさえ苦しさを感じた。
「……そろそろ出る?」
これ以上ここに居ては、日菜の過去を掘り出すことになるだろう。それに、その過去に絶対に触れない雑談をするような能力も僕には無い。
これは僕の、地雷を踏み込まないように選んだ精一杯の言葉だった。
けれど日菜は、訝しげな顔をして僕に尋ねた。
「君、あたしのこと好きだよね?」
最早答える必要も無い問なのは明白だった。
「ああ、好きだよ」
「ならこの場でキスしてよ。わかってるよね」
「……日菜が良いなら」
誘いに乗り、唇を近付けた。
──ピンク色に膨らんだ
残り数ミリの距離で、日菜に顔を掴まれた。そのまま思い切り唇を摘まれ、舌を入れられる。
日菜はディープキスが好きだ。恋人同士が行うものなら恐らくは何でも積極的に行う彼女だが、特にコレの頻度は多かった。
曰く、一番愛されてる行為だかららしいが。しかし今回は少し訳が違った。互いに互いを感じる間も無く、ただ日菜の舌が僕の中を蹂躙した。
動物のように欲望のままに、彼女の欲求を全てぶつけられたキスだった。
「……ごめん、気持ち悪いよね」
「いや、いいんだよ。日菜も辛かったんだろ」
「……帰ろ」
「そうだね」
アルバムも回収し帰路に着いている時、ふと首の周りに激しい痛みを感じた。
「……あれ?」
思えば、日菜と強く抱き合ってからずっと痛みはあった。ただ、締められた痛みが残っているものだと思い込んでしまっていたから。特に気にはしていなかった。
だんだんと力が抜けていく感覚。ああ、はっきりわかる。血が無い。
首筋を抑えていた手を眺めると、鮮やかな赤が一面に広がっていて。
「……ごめん、日菜」
足の感覚が抜けていく。だんだんと冷たくなっていく。頭に向かって。じんわりと力が抜けていく。肩が回らない。腕も動かせない。
もう、指が────
気付いた時には─────気付いていなかった。
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