暁を超えて   作:skaira

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平成最後の滑り込み。




3月4日

 

 

 ──いつまで、君はあたしの傍に居てくれるのかな。

 

 その疑問だけは、頭から離れることが無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼い頃から、物事が全て思うように進んでいた。

 例えば運動だったり、勉強だったりと。運動に関して言えば、身体を動かすコツをすぐに掴めたりだとかで、勉強なら問の本質を捉えることが出来る、だとかで。

 けれど、これは物事だけには留まらなかった。それに加え人間でさえも、自分の思うままに動いているような気がした。

 この子がこう言えば、あの子はこう言って、こんな態度を取って、二人の仲はこういう変化を遂げて──。それがまるで、自分の手のひらの上で遊んでいるように見えた。

 

 異変を覚えたのはまだ本当に幼い頃、幼稚園にいた時のこと。母親があたしを初めて園に預けて、涙を流しながら手を振っていた光景が未だに脳裏に焼き付いている。まさにあの時だ。

 

 ──ああ、娘の自立の第一歩に感極まっているのだろう。

 ──なら。ここで少し寂しそうな表情を見せて、それから。

 

 少しばかり涙を浮かべた表情をしながら一人立ちをしようとしている娘を見つめ、母親は気持ち良く泣いているように見えた。

 本質を捉える、なんて何の役にも立たない。それどころか、この世で一番悲しいことだと昔から常々思っている。相手の気持ちがわかってしまうから、どのように振る舞えば良いのかもわかってしまう。だからそこに、心同士のぶつかり合いなんてものは存在しない。本質とは残酷だ。

 

 決して自分が特別な存在なんて思っているわけじゃない。けれど、あたしとあたし以外の人間は明らかに別次元に存在していた。

 

 年齢を重ねるにつれて、あたしの周りには人が多く集まるようになった。単純に、自分が共に過ごすことで快感を得られる存在とは一緒にいたい、なんていう動物的本能だろう。

 だから自然とあたしの心は、肉親からの愛を欲するようになった。──けれど、この存在が一番あたしを疲弊させた。

 

 親が子に抱く感情、なんてものはわかっていた。

 優秀な子供を持てば、それに期待してしまうのは当然だ。それでも、手のひらで掴めるだけの愛でも良いから、等身大の氷川日菜を見て欲しかった。

 ──ああ、いいや、もしかしたらわかっていなかったのかもしれない。あたしと一般人は違うのだから。

 親とその子供は、幼少期には毎日毎時間、毎分毎秒を共にするものだ。それだけに、子供は親のことを理解しやすい。だから親子の絆というものは、両者の心の深く、さらに深いところにまで根差す。

 けれどそれでも、子供が親の管理下にあることは決して間違いでは無い。

 子供が感じる親の感情など、自分が愛されている、程度のものだからだろう。

 しかし、子供が優秀であればあるほど──別の言い方をすれば、歪めば歪むほど。その構図は変わっていく。

 

 あたしは親に期待するのをやめた。

 人に真から愛されるのを諦めた。

 

 そしてあたしの周りから、人はいなくなった。

 

 そういった見方をしている、あるいはさせてしまっている時点で、あたしは親に真の意味で愛されてはいなかったのかもしれない。

 何事も成せば簡単に成せる才能。それはいつしか親のステータスとなり、氷川日菜を見る目には光が灯らなくなり。

 

 夏の夜、毎晩のように蛍の光を眺めていた。

 彼らは一週間程度で命が尽きてしまうらしい。その人間にとって一瞬とも言える時間を、ただ精一杯輝かせる。

 一週間で死ぬというのに、なぜこんなにも無様に飛び回っているのか。と幾度となく疑問を感じた。どうせ生きるなら、もっと何かを爆発させればいい。自分が生きた証をこの地に刻めばいい。

 

 あたしには、それが出来る。あたしなら。

 

 ──そう思いながらも、蛍を羨ましく感じた。

 

 

 

 高校に入ってからも、自分のスタイル──というより、自分の在り方は変わらなかった。

 中学の先生や親から薦められた、トップレベルの偏差値を持つ私立高校。そこに行けば、自分のような人間とも楽しく会話を弾ませる存在が居るかもしれないと、そんな淡い期待を持って笑顔で進んだ。

 けれど、実際にそんなことは無く。

 

 ただ一人だけ、学年二位の男の子とだけ少し仲を深めることが出来た。

 特に彼に何かしらのシンパシーを感じたわけじゃない。彼が他の人とは違って特別だった、なんてことでもない。ただ人より少し頭が良くて、ただ人より少し話しやすかったというだけで。

 ──それと、彼以外に仲良く出来る人もしたいと思う人も──逆に、彼以外にあたしと仲良くしようと考える人もあたしの周囲には既にいなかった。

 

 そしていつしか、恋人になった。

 高校生にもなれば、浮いた話は一つや二つなんてものじゃない。ふと後ろを振り返ってみれば、一本道が逸れたところでポツリポツリと影が二つ。時に重なり、時に消え去り。

 周囲が恋人だらけなことを前から眺めて、あたし達もその波に乗っかろうと思っただけだった。

 けれどあくまでその波は、夜に佇む川辺のように。

 

 世界で一番、淡々としたカップルだった。

 

「君の記憶にあたしを残して欲しい」

 付き合ってからは、この言葉を口癖のように彼に言った。別に、特段意識していたわけじゃなく、自然と口から零れ出て。いつしか口癖となった。氷川日菜の身体がまるでそのことを望んでいたかのように。

 

 恋人となってからは、いろんなことを経験した。

 恋人らしいこと、人間らしいこと。あたしが一方的に欲をぶつけた。

 彼は初めから恋人になることも、こういったことをするのにも乗り気じゃなかった。いくら誘おうと消極的で、自分を大事にしないあたしを本当に嫌っているようで。

 恐らくあたしの行動が彼の目には、酷く破滅的に見えたのだろう。危険なことをいくつもした。

 あれは多分、あたしが飽きてきた頃。快楽に慣れて、痛みに慣れて、人にも慣れて。だんだんと、唯一の欲を満たせる存在でさえも要らなくなったと感じ始めた時。そろそろ潮時かなと思っていた矢先に、一つのアイデアが脳裏に浮かんだ。

 

 ●

 

 肩を曲線に沿ってなぞってみると、やはりまだくっきりと残っていた。あたしのにも、彼のにも。思い返すと、歯が痺れる。

 首筋が痛い。骨が軋んでいるよう。文字通り頭が空っぽになっていくような、あの感覚。

 あれをきっかけに、この人に飽きることは無いのだろうと確信した。写真を撮るのにも、背徳感が何十倍にも背中に被さってその全てが快楽へと変化していった。

 

 ──まあ、あんな死の淵に立つような経験を現実世界でも味わってしまうなんて、全く予想もつかなかったけれど。

 

 川はいつしか、氾濫していた。

 

 

 

 ーーーー

 

 

 

「君はいつまで、あたしの側にいてくれるの?」

 

 答える人間のいない問いを、宙に向けて放り投げた。風に吹かれて、飛ばされていく。

 あたしは君に罪悪感を覚えてばかりだ。

 氷川日菜の──天才のオーソドックスな人生に刺激を与えるために用意された、スパイスのような。ローター。そんなものとして今まで扱ってきただろうと言われても、あたしは何一つ反論出来やしない。

 けれど、腐っても相思相愛の恋人だ。そういった関係もアリだと言う人も中にはいるのかもしれない。が、君にずっと無理を強いてきたことは言葉が無くてもわかっていた。

 

 わかっていた上で、わからない振りをした。

 

 時に、死に至る危険もあったと言うのに。君はあたしを嫌うことはあれど、あたしから離れようとは決してしなかった。

 あたしがつけた傷にヒビが入り、今再び命を失う危険に自分が晒されているこんな状況でも、君があたしに愛想を尽かすことは無いだろう。三年も常に共に過ごしていればそれくらいわかる。

 

 空虚だとずっと思っていたあたしの人生において、それは思いの外何よりもあたしの救いになっていた。

 

 

 目の前の体が、少しだけピクリと動く。少し身構えて、口から笑みが溢れそうなのを、何とか堪える。

 ──そして結局、何も起きない。何度繰り返しても慣れない。

 あたしは何度同じように淡い希望を抱いて、何度同じように絶望に打ちひしがれるのだろう。

 この世界に一人は嫌だ。絶対に生きていられない。だけど、ギリギリまで生き残っていたい。最期の日をこの目で見届けたい。だから、君が必要なんだ。

 こんな思考の元であたしは、君に寄り添っていたつもりだった。

 

 人は失ってから、失ったものの大切さに気付くと言う。

 全くその通りだ。笑えてくる。天才が聞いて呆れる。

 玩具なんかじゃなかった。とっくにわかっていた。あたしが生きてきたこの十八年間の人生と、いつも周りで囃し立てる道化師を言い訳にしていただけだった。

 元から君は、あたしの全てだった。

 

 

 

 ーーーー

 

 

 

 夜になった。あれから何度泣いただろう。

 枯れるまで泣き尽くそうとしても、決して枯れることの無い涙が身体を枯らしていく。

 

「起きて」

 何度目かもわからない言葉を呟いた。喉も既にカラカラに乾いていて、今自分が何を喋っているのか耳で聴き取れない。

 

 起きて。起きて。起きて。

 目を開けてあたしを見て。

 

 夜の空気は冷たい。

 昼に溜まった熱が宇宙に逃げていくからだ。雲一つない、星が見える美しい夜でこそ、寒い。

 この世界になってから、彼から貰う温もりはいつもの何倍、何十倍にもあたしを癒してくれた。こんな世界だからこそ、一回一回が重い。

 

「あ……」

 

 キラキラと、ツリーチャイムのような音が空から聞こえた。

 見上げてみると、そこには一面に流れ星が降っていた。あまりにも綺麗で、氷のように冷たい肌に突き刺さる。

 手を合わせて願い事をした。ただ一つだけ、目を覚まして欲しいと。

 そういえばまだ付き合いたての、あたしが君に欲だけをぶつけていた頃。あの時もたしか、こんな一面の流れ星を二人で見た記憶がある。特に願いも無かったから、目を輝かせる彼に抱きついていただけだったけれど。

 

「泣けてくるね」

「……()()

 

 ふっと後ろから声がした。紛れもない、よく聞き慣れた声だった。

 不思議と嬉しさも悲しさも無い。ただただ、心臓の拍動が高まる。感覚を失っていく。目の前は暗くなって、耳には何も聞こえなくなって。何も匂うことは叶わず、自分がどこに立っているのかすらわからない。

 

 真っ暗のまま、おぼつかない足取りでフラフラと声のする方へ寄った。

 

 ──そのまま、強く抱き締めた。

 

「……遅かったじゃん、何してたの」

 

 こんな状況でもこんな憎まれ口しか叩けない自分が恨めしい。だけどそれ以上に、こんなことをしても全てを受け入れてくれる君が。

 心の底から、愛おしい。

 

「ごめん、ただいま、日菜」

 

 もう君が名前を呼んでくれるだけで。それだけでいい。身体が潤っていく。

 ──涙が、涙が溢れそうで。

 

「お帰り、好きだよ」

 

 意識せずその言葉は出た。欲の対象なんかじゃなく、ただ一人の人間として、彼氏として、愛を伝えた。生まれて初めて、心の底から出てきた言葉だったかもしれない。

 これで良い。良かった。

 何よりも、誰よりも心から愛しているから。キスしたいと思っているから。身体に触れて欲しいと思っているから。抱いて欲しいと思っているから。

 

 

 

 首の皮一枚、繋がった。




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