暁を超えて   作:skaira

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3月5日

 

 

 

 

 

 世界は狭い。

 Alが自動的に流す無機質なラジオと、物音一つ聞こえることのない閑散とした屋上からの景色を眺めて、そんなことをずっと考えている。

 日菜に出会う前の数ヶ月間、いろんなところへ出回った。誰でも良いから人に会いたかった。会って、話して、笑って、一緒に食事でも取って。そんな時間を誰とでも良いから過ごしたかった。

 そう、とにかく孤独が嫌だった。

 学校生活は嫌いだったけれど、それでも僕はきっと恵まれた環境にいたのだろう。当然のように人がいるというのは、本当に幸せなことなのだから。

 

 探し回って、探し回って、全く人の寄り付かなさそうな森林もかき分けていって、人がいないことを理解しておきながらも落胆していた。そしてそうした日々を過ごす中で、周りに行ったことのない場所がなくなった。僕が想像していたよりも、世界はずっと狭かったということだ。

 そんな生活が数ヶ月続いた。僕はいつしか、独り言を喋ることが多くなっていた。

 天気が晴れだったなら、いい天気だろと僕自身に言い聞かせていた。そして心の中で、その声に返答した。

 ──うん、とてもいい天気だね──と。

 

 人が生死なんてものは、その人が勝手に決めれば良いものだと僕は思う。

 死にたければ死ねばいいし、行きたければそれでもいい。僕の周りはそうだったし、この国、引いてはこの世界全てがそういう道を辿っていった。

 けれど、死なないことが生きていることという訳でもない。事実あの数ヶ月、僕は死んでいた。身体は生きていたし生きるために食べ物を探すことはあったけれど、人として生きるには確実に何かが欠落してしまった。その何かを埋めることは、もう一生できそうになかった。

 ──もう後には戻れない、もう後なんてないけれど。自嘲気味に、そんなことを心の中で反芻していた。

 

 ポケットを探る。包装袋に包まれたカプセルが二錠出てきた。

 親が死ぬ前に僕にくれた、安楽死用の毒薬だ。飲むつもりなんてあの時は無かったけれど、捨てることすらも怖くて捨てられずにしまっていたものだ。

 

 陽の光が眩しい。

 

「……おはよう」

「ああ、おはよう。日菜」

 

 日菜が起きた。もう時刻は昼にさしかかろうとしているが、眠そうな目を擦っている。昨日眠れなかったのだろう。

 僕からは、何も言うことは無い。

 

「相変わらず早起きだね。昨日眠れたの?」

「……いや、日菜がいつも以上にくっついてあんまり眠れなかったかな」

「あたしもいつも以上にくっついたから全然眠れなかったよ」

「寂しかった?」

「うん、寂しかった。……あと、今も寂しい」

 

 そう言って、日菜は僕に身体を寄せた。目元が腫れているのがすぐにわかる。どれだけ昨日今日で泣いていたのか、最早言葉に出さなくても良い。

 ──不意に、彼女の身体を腕でさらに寄せた。サイズ感のある胸が身体に押し当てられているけれど、あまり気にはならなかった。

 ただ彼女と触れ合っている時間が、今の僕には一番大切なものだから。

 

「……ねえ、あたし達ってあと何日?」

「二十五日だね。その後は絶対に死ぬ」

「そっかあ。死んじゃうんだね」

「うん。……死ぬのは、嫌だな」

 

 ふっと笑って、空を見上げた。随分と青い。

 人がいなくなって排気が完全に零になって、空気は相当に澄んだものになった。トラックが走った後の胸焼けが酷くなるあの臭いも、都会の人の多さでむせ返りそうになるあの苦しさも、もうこの世界には存在しない。植物だけが一面に広がりを見せていて、彼らに僕ら人類の文明は全て壊されてしまった。

 けれど、そんな世界で見る屋上からの景色というのは、思いの外綺麗なのだ。

 

「今日はずっとこうしてようよ」

「僕もそうしたいな。日菜と離れたくない」

 

 そう言って、日菜の腋に腕を伸ばした。日菜は少し驚いた顔をして、その後すぐに八重歯を見せて微笑んだ。こういうのを悪い笑顔だとでも言うのだろう。

 そのまま、彼女の胸を抱き寄せた。背中を腕できつく掴んで、胸の中に日菜を置く。おそらく彼女に心臓の鼓動が聞こえているはずだ。かなり激しいものになっている。恥ずかしいけれど、聞いて欲しいとも思った。

 そのまま少しの時間、僕らはただお互いに抱き締めあった。日菜の香りが鼻腔を擽る。元の生活のような満足した風呂なんて無いと言うのに、やけに頭が痺れる匂いだった。

 

 そしてそのまま、時間が流れる。ずっとこうしていても良い。

 いくら嗅いでも飽きない香りに、いくら抱いても足りない身体に、いくら愛してもやまない彼女が目の前にいる。

 

「キスしたい」

「今日はやけに積極的だねえ」

「二十五日しか無いんだ。毎日積極的でもいいくらいだよ」

「あはは、その通りだね」

 

 そう言って、顔を彼女の方へと向けた。ピンク色に光る唇が艶っぽい。思えば僕は、自分から彼女を求めた事はそんなに──いや、一回も無かったかもしれない。いつも彼女にせがまれるままに、日菜のなすがままに。そんな恋愛をずっとしていたような気がする。

 日菜があまりにも積極的で、僕から彼女を誘うような必要性を感じなかったのか。

 ──いや、僕は本当は彼女のことが嫌いだったのかもしれない。

 

 追憶を払って、唇を日菜に預けた。

 舌を口内へと押し込んで、性行為とはまた違った言葉に出せない快感が頭を襲った。脳の快感を司る部分を直接日菜の舌で舐められているような、そんな感覚。

 数秒経って、息が続かなくなって口を離す。もうどちらのものかわからなくなった唾液が橋を作る。──そして、次が欲しくなって、また唇を押し付ける。

 僕には日菜がいつも余裕そうに見えていた。最初こそ戸惑いの表情を見せていたものの、二回目からは完全に慣れてしまったようで、僕が毎回日菜に襲われるような形になっていた。けれど今回は違うようだ。

 もう何分、何回繰り返したのかわからない。ただ次、次が欲しくなって、延々と繰り返していた。もう元あった唾液が完全に交換されて、それがさらに完全に交換されたと思えるくらいに繰り返した。

 

 ──その時ふと、彼女の表情を見ると、そこには今まで見た事のない程の蕩けきった日菜の顔があった。

 

「……ね、ねえっ、ちょっと……」

「…………ッ!」

 

 蜂蜜のように甘い顔だ。短く纏められていたはずの髪は完全に乱れてしまって、一本一本が僕の手に絡みつく。

 ──キスだけじゃなくて。そう日菜は零して、地面へと倒れた。ブラウスとスカートの間から除く柔らかそうな肌、唇から零れ出て反射している唾液。いつも見ている筈なのに、彼女の表情一つでこんなにも見え方が変わってしまう。

 

「……我慢できないかも」

「えへ、しなくていいよ」

 

 膝をついて、日菜の上に身体を置いた。

 初めて自分から彼女を求めた。そうして初めて、自分に恋人がいるという事実が頭を過ぎる。日菜もそれを少し感じ取っているらしく、少し怯えた表情をしていた。彼女は初めて、主導権の取れない状況を作っていた。

 

 ──ちょっと、ちょっとだけだけど、怖いかも。

 ──できる限り優しくするよ。

 

 僕らにだけ聞こえる、僕らにしか聞こえる必要のない小さな声。

 日菜の服に手を添える。いつもは勝手に脱いでくれるから、こうして服を脱がせるのは初めてだ。意外と初めての経験が多い。

 制服を全て取り去った後、下着だけがそこに残った。見慣れているはずの水色のセットなのに、日菜が恥ずかしそうに顔を伏せているだけで頭がクラクラと微睡むようだ。

 

 そのまま僕らは、身体を重ねた。

 

 

 

 ○

 

 

 

「……一昨日、ごめんね」

 

 あれから時間が経って、日がそろそろ暮れかけている頃。

 民家から調達してきたやや大きめのベッドで肌を寄せ合いながら、溜まっていたものを吐き出すように日菜は言った。

 日菜はいつも行為後に落ち込む癖があったけれど、今回のはまた一味違った悲しみが彼女を襲っているようだった。一昨日。僕が気絶したことだ。

 

「気にしてないから大丈──」

「嘘つかないで」

 

 ──そんなこと言わないでくれ。

 日菜の言いたいことはわかっている。生死をさまよったんだ、彼女を置いてどこに旅立とうと咎める人はいないだろう。

 事実、僕の身体はもう精神的にもボロボロだ。日菜と関係を続けていれば、こんな状況にならずとも一月で死んでいたかもしれない。

 学校のアイドルと恋人だなんて周りからは羨ましがられたけれど、その実日菜が痛みを快感と思い始めた日から僕と日菜はしだいに衰弱の一途を辿っていた。

 

 それでも僕は、日菜を選んだんだ。

 

「……なあ、日菜」

「うん」

「日菜に会う前の話、したことあったっけ」

「みんなが死んじゃってから?」

「そう、そこから数ヶ月」

「少ししか無いよ」

「じゃあもう少しだけ、聞いて欲しい」

 

 ──死ぬのは嫌だった。けれど、孤独も辛かった。

 誰とも話さない生活をずっと続ける中、僕の中にもう一人の僕まで作って、何とか心が壊れないようにと努めた。それでもいつか限界が来る。

 真夜中、誰もいないベッドの中で、自分はどうしようもなく孤独な人間なのだということを思い知らされていた。そういう夜は決まって睡眠薬を飲んで誤魔化した。朝になれば気分も和らいでいくと信じるしか無かった。

 残りの命が決まっている中、そんな日々を消費していく生活はただただ無意味に感じて仕方の無いものだった。

 何か刺激が欲しいと、常にそう思っていた。そうでなければいつか死んでしまうと。ポケットの中には麻薬のように毒がずっと潜んでいたから。衝動的に飲んでしまいそうになる瞬間を何度も経験した。

 そして、その度に自傷した。

 

 幸いなことに、傷つきやすい箇所は身体に何個も存在していた。

 

「…………」

「あと、もう少し。……僕は多分、本当は日菜が嫌いだったんだ」

「…………そう」

「ごめん。でも最後まで聞いて欲しい」

 

 僕は卒業式のあの日、日菜と出会う前、本当は死ぬつもりだった。日菜の機嫌を損ねたくはなかったし、あの瞬間考えは百八十度変わってしまったけれど、僕は確かに死を待っていた。

 もう一ヶ月という時間はとても区切りの良いものだと思えたし、卒業式という節目にも何かしらの運命を感じていた。

 

「……そして、死のうと思った直前に走馬灯が流れたんだ」

「誰が見えたの?」

「それが、日菜しか見えなかったんだ」

 

 ──傷跡の痛みが激しくて、日菜以外に思い浮かべられる人がいなかった。死んだ両親も、少なかった友人も誰も僕の脳裏には過ぎらなかった。ただ、日菜だけがそこにいた。

 その時痛烈に、日菜に会いたいと願った。死を止めてくれても、一緒に死んでくれてもいい。

 周りに辟易しながら生きてきた人生の中、初めて刺激を与えてくれた氷川日菜という存在。回りの誰でもなく、僕に生きていることを教えてくれた人だった。死と隣り合わせだからこそ、生の価値は映えるものだ。そんな僕の捻れた感性に合致した彼女だけが、あの時僕に必要なものだった。

 

 日菜と話したかった。日菜の顔を見たかった。

 多分僕はずっと、数ヶ月間もずっと、日菜と笑っていたかったんだ。

 

「……今あたしのこと、好き?」

「愛してる」

「あは。……泣いちゃうなあ、そんなの」

「謝罪だけど、僕から言うことは何もないよ。僕にはただ日菜がいてくれれば、それでいいんだ」

 

 そのまま日菜と死ねたら、それでいいんだ。

 

 

 

 

 僕らが死ぬまで、残り二十五日。









調教型ヤンデレって、あるらしいですね

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