「荒船先輩。この場の指揮をお願いしてもいいですか?」
「構わないが、俺は近野のことを詳しく知らない。あいつのことをよく知っている那須の方が適任じゃないのか?」
「先程の出来事で、できたことは先輩達への連絡の指示くらいです。咄嗟のことで近野くんに指示が出せなかったので」
「連絡を回す指示を出せたってだけで十分なことだと思うが……、まあわかった。俺が指示を出そう」
「ありがとうございます」
那須が荒船へ指揮権を託す。それはこの場の最年長の荒船に現場の指揮をしてもらいたいという考えのもとだった。彼女が咄嗟に指示を出せなかったと考えていることも本当だが。これを通信で聴いていた那須隊のメンバーも柊も異議を唱えることはなく、この場の指揮権はスムーズに荒船へと移行した。
「代わりと言っちゃなんだが、近野のことは任せるぞ。あいつのことは詳しく知らないからな」
「はい」
通信を切り、荒船は詳しく知らない柊についてを那須に頼む。
「これからどうしますか?荒船先輩」
「そうだな……。スナイパーが敵を見つけるまで包囲網を維持したほうがいいだろう。敵がいると思われる方へプレッシャーをかける」
「「了解」」
「……了解」
指揮を任された荒船の指示のもと、那須たちは今後の方針を決めていく。敵の居場所、正体が不明のため彼らから打って出ることはできないが、日浦たちスナイパーが代わりに探してくれている。敵にスナイパーたちの行動を悟らせないようにプレッシャーをかけていこうという判断だった。
そんな時だ、荒船隊のスナイパー半崎義人から全員に通信が入ったのは。
『それっぽいやつ見つけました。けどあれ……人?』
夜空に輝く満月が、雲から顔を出した。
***
貴重な光源の月明かりが雲に隠れてあたりを見渡しにくくなった。
荒船隊長の指示に従い敵の捜索にあたっていた荒船隊所属のスナイパー、半崎義人は内心ダルいなぁと心の中で愚痴を漏らす。
『那須さん達が敵を確認したのはこの辺りよ。奇襲に警戒して』
『了解』
一足先にポイントについた半崎はオペレーターの加賀美倫にマークしてもらったポイントを見下ろせる建物にスタンバイしてライフルのスコープを覗いて索敵を始める。
普段の防衛ではこのように目による索敵をしない。侵攻してくるトリオン兵はボーダーの技術によってレーダーに映るからだ。しかし今回はどういうわけか敵をレーダーで捉えることができなかった。レーダーに映らないトリオン兵を開発したのか、はたまたバッグワームのようなトリガーを発明したのか。半崎もそのことは気にはなったが、今考えても答えは出ないためその思考を頭の隅へ押しやった。
レーダーが効かない以上必要になるのは自力で索敵するスキルだ。だが彼はすでにそれを有している。
定期的に開催されるスナイパー合同訓練やB級ランク戦のおかげで、レーダーに頼らない索敵の場数もそれなりに踏めていたのだ。
ダルかったけどサボらなくてよかった。
半崎は過去の自分に感謝した。
努力は必ず実るだなんて考えは持ち合わせていないが、少なくとも今こうして索敵できるのは、紛れもなく日々の訓練の賜物だった。
自身を讃えつつ索敵を続けていると、満月を隠していた雲がようやく退き始めた。雲の切れ間から月明かりが筋のように街を照らしていく。おかげであたりがほんの少し明るくなり、見渡しやすくなった。トリオン体である半崎にはオペレーターによる視覚支援が施されているため暗闇でもある程度視えるようになるのだが、所詮支援なのではっきり鮮明とはいかない。だから満月の月明かりが再び差し始めたのはとてもありがたかった。視界が明るくなる。
気づいたのは偶然だった。加賀美に視覚支援を切ってもらうため一旦スコープから目を離した半崎は、街全体を見渡していると不自然に暗い、いや
それはすぐに周りの明るさに溶け込んだが、周りにそのような影を作り出すようなものもない。何より、周りに合わせるように色が変化したこと自体がおかしかった。
その不自然さの正体を探るべく、半崎は急いでスコープを覗き直し、視界に収める。既に視覚支援は切ってもらってあるため、視界は先程よりも鮮明だった。
そうして見つけた違和感の正体。サイズは2メートルも無いだろう。布のようなものを被っているためそれが何なのかは判別できないが、それでもトリオン兵とは考えずらかった。なぜなら小さすぎるから。普段攻め込んでくるトリオン兵の中で一番小型なモールモッドでさえ、人をひと回りもふた回りも上回る大きさなのだ。新型のトリオン兵だった場合はそれはそれで厄介だが、これ以上は仮説が進まなくなると半崎はその可能性を一旦除外した。
トリオン兵でないのであれば、もう半崎に考えられるのは人間しかなかった。しかし民間人では先ほどの色の疑問が解決できない。今の日本には、トリオン技術を抜きにそれほどのテクノロジーは無いからだ。
結局何なのかわからないままだが、ともかく怪しいことには変わりない。半崎は通信を繋げ荒船たちに報告した。
『それっぽいやつ見つけました。けどあれ……人?』
布のせいで正確にはわからないが、あのシルエットは人のそれに近い。
『半崎、どういうことだ』
『先輩達が見てる方向の、丁度那須先輩達が何か見たって言ってた辺りに何かがいるんです。バッグワームみたいなのを頭から被ってるやつが』
『!サイズは』
『モールモッドより全然小さいです。多分報告にあった大きさと同じくらいの大きさです』
『……了解よくやった。俺たちも確認する。半崎はそのまま補足しておいてくれ』
『了解っす』
荒船からの指示により、半崎はその場で待機することとなった。もう一度スコープを覗いて敵を視界の中心に収める。
レーダーで確認したところ、目標のやつは彼が陣取っているマンションからだいたい150mくらい離れた民家の陰に身を寄せて隠れていた。といっても半崎には丸見えで、むしろ柊や那須がいる側から隠れるように身を寄せている。
位置、タイミング、仕草。見れば見るほど怪しく見えてくる。半崎はやつを敵だと断定し始めていた。
そんな時だ。やつが突然辺りを気にし始めた。柊や那須がいる側を気にしながら辺りを見渡している。
半崎と反対方向を見る。そこには誰もいない。
次の方向に視線を移す。そちらも誰もいない。
さらに視線を動かす。半崎のいる方向に。
瞬間、とてつもないほどの悪寒が半崎を包み込んだ。
『見られた。こっちに来ます!』
やつは半崎を認識したのか猛スピードで距離を詰めにかかる。迎撃しようにも、やつは民家を上手く使いながら斜線を切っていた。これでは半崎の狙撃は当たらない。
スナイパーは大前提として距離を詰められてはいけないものだ。なぜならば、スナイパーは詰めてきた相手に対処する術を持たないから。
現在進行形で距離を詰められている半崎は直ちに離脱して距離を取るべきだった。それがセオリーで、生存に繋がる唯一にして可能性の高い手段だから。
けれど半崎はそうしなかった。今ここで離脱すれば彼は助かる可能性はぐっと高まるだろう。しかしその場合やつのマークを外すことになる。そうすれば再び見失ってしまう。レーダーに映らないやつを見つけられたのはただの偶然なのだ。この機を逃すつもりは半崎にはなかった。
2人の距離は残り50mほど。彼がいる地上5階建てのマンションは通りに面している。障害物がないそのタイミングで当ててみせる。とスコープを覗きながら半崎は引き金に指をかけた。
やつが通りに飛び出す。逃げ場はもうない。ここで仕留めてやろうと半崎は引き金を引く。
しかしそれより一瞬早く、半崎は伸びてきたブレードに貫かれた。正確にトリオン器官を貫かれ、トリオンが一気に漏れ出す。光の柱と化す直前、ライフルの銃声だけが響き渡った。
***
星が瞬く夜空を光の筋が駆けていく。しかしそれは流れ星などという神秘的なものではない。地上から空へ、ボーダー本部へと走るその光は半崎が倒れた証。ベイルアウトの光だった。
しかしレーダーが示すマーカーの数は変化しなかった。半崎は既にベイルアウトしているというのに。つまりこれは敵がレーダーに移ったということ。半崎が土壇場でやってくれたのだろう。
そこまで状況を判断できた荒船の側を誰かが駆け抜けた。
「近野くん!」
荒船の側を駆け抜けた人物、近野柊は那須の声には反応せずに速度を上げて駆けていった。慌てて追いかける荒船たちだったが、余程スピードを出しているのか追いつくどころか少しずつ離されていく。
姿を見失う程ではない。しかしだからと言ってこれ以上引き離されるのを那須は良しとできなかった。
今の柊は精神的に不安定なのだ。我先にと先行するその姿勢。普段なら犯さないであろう小さなミス。彼女が合流してから一旦落ち着いたそれは、謎の敵からの襲撃で柊は再び不安定になってしまっていた。
そもそも彼が精神的に不安定なのは、先日彼の妹と対面して話を聞き出したのが原因なのだ。その機会を設けた那須は、彼女たち那須隊は自分たちに原因の一端があると自覚している。ならば、少なくとも彼の調子が戻るまで彼を放っておいてはいけない。
荒船も柊を1人で行かせることを良しとしなかった。ただし理由は彼女たちと違う。いくら実力者だからと言っても未知の敵を相手に1人で勝てる保証などどこにもない。今この場を確実に乗り越えるためにも、彼という戦力を失いたくないのだ。
那須たちは彼の友人として、荒船は指示を出す立場の人間としてそれぞれ正しかった。
しかしそれを知り得ない柊。周りのことなど考える余裕もなく、ひたすらに敵を目指して駆けていく。敵を討ち取って町を守る。ただそれだけのために。
***
何故思い通りにいかない。
民家に身を寄せて隠れ直した柊たちの敵である近界民ーメルトは
隠密に向いている彼が奇襲する事で敵戦力を減らしつつ、敵を引きつけて足止めをする。そういう作戦だった。
しかし現実は違った。最初の奇襲は失敗し、メルトの居場所は既に柊たちに特定されてしまっている。居場所が勘付かれたと悟ったメルトはなんとか彼を見つけたスナイパー、半崎を倒したが、代わりにライフルの弾丸が羽織っていたマントに直撃、マントは機能を停止してしまった。これによって彼の位置はレーダーによって捕捉されたのだ。敵を1人倒したとはいえ、マントを失ったのはメルトにとってかなりの痛手だった。
それにしても、と彼は思考を切り替える。実力、組織力。どれを取ってもレベルが高い。下手な近界の小国よりも上だとメルトは感じていた。
「
成長速度が早い。最後に仕入れた情報は半年ほど前のものだが、明らかにそれを上回っている。トリオン技術の低いボーダーを、
手元に映すレーダーに視線をやる。既に柊たちはすぐそこまできていた。マントが破られた今、これまでのように隠れ続けるのは無理だ。ならば迎え撃つのみ。メルトは通りに出ることで先行していた柊に姿を見せた。
視線が交わる。
それを合図に柊はさらに加速して、大きく飛び上がった。手に握る孤月を振りかぶり攻撃の体制を整える。加速と落下の勢いを加えた振り下ろしがメルトに迫った。
素手のメルトに、柊の刃が迫る。刃が届くまであとコンマ数秒。もう武器の展開は間に合わない。
決まると確信した柊の攻撃は、しかしメルトに届くことはなかった。メルトの足元から伸びたブレードが2本、交差するようにして柊の孤月を受け止めたからだ。予想しなかった妨害に柊は動揺。体が硬直してしまう。それをメルトは見逃さなかった。
メルトの足元からさらに2本のブレードが出現。左右から挟み込むように斬り裂こうと柊に迫る。
それに気がついた柊だったが、一瞬遅かった。強引に身をひねり回避した柊の左脇と右肩をブレードが裂く。浅かったため伝達系に被害は無かったが、傷口から少なくないトリオンが漏れ出した。
接近は危険と判断した柊は大きく後方にジャンプ。メルトの射程から抜け出した。今度は射程外から攻めようと着地と同時に居合のように構える。
彼が得意とする旋空孤月。彼我の距離は15m。先ほどの攻防ではメルトのブレードの射程は精々が7〜8メートルだった。それを確認できたからこその選択。
向こうの攻撃は届かない。この距離ならば唯一旋空の射程内だ。
勢いよく振り抜かれた孤月。拡張され伸びる刃がメルトに迫る。今度こそ、と放たれた柊の旋空孤月は、しかしまた阻まれた。
メルトはブレードを重ねることで防いでいた。重ねたブレードのうちの一枚が耐え切れず斬られ地に転がる。
ボーダーにおいてトップクラスの強度を誇る盾トリガー、エスクードさえも斬りはらうことが可能な旋空がこうも易々と防がれた事実が柊に重くのしかかる。近づいても、離れても、攻撃は通用しない。嫌な予想が、柊の頭の中をよぎり始めた。それを自覚した柊は嫌な思考を振り払うべく、メルトに向かって再び特攻を仕掛けた。
大変お待たせして申し訳ございません。
本当はもっと早く投稿するつもりだったのですが、忙しさに拍車がかかり、睡眠時間が削られ、作業を進められない状況になっていました。あと自分の作業スピードの遅さも原因ですね。丸一日かけてようやく一話完成するか、くらいの亀なので……。
これからも腐らず活動を続けていくつもりですが、安定した更新を約束することは難しいと言わざるを得ません。しかしこれからも頑張って活動していくのでどうかよろしくお願いします。
さて、久々の更新でしたが、繋ぎの回でいまいち盛り上がりに欠けてしまいました。ただでさえよくわからないキャラが出てきて混乱してるのに…!なんていう人もいるかもしれません。なのでこれからの更新は一話ごとの文字数を減らしてなるべく展開を早くしようと思っています。
お気に入りしてくれた方、お気に入りを外さずにいてくれた方大変ありがとうございます!
あと感想、お待ちしております……!
本編補足
・マント
バッグワームのようにレーダーに映らないようにする。また、保護色で周りに同化できるため、視認も阻害できるといった機能を有している。しかし保護色には若干のタイムラグあり。あまりにも高性能なため、ほんの少しのダメージで破損してしまう。いわゆるアイテムの位置づけなので武器トリガーとの同時展開が可能であり、構想初期のころは闇に紛れながら攻撃!なんていう妄想を働かせていたのに上記の破損設定のせいでお蔵入りになった。コンセプトはバッグワーム+カメレオン。