「今日は任務もないし、いつもよりは早く帰ると思う」
「わかった!夜ご飯作って待ってるからね!」
柊が那須隊のみんなと友達になってから1週間ほど経った。今日も柊はボーダー本部へと足を運ぶが、今までとは目的が違う。戦いに行くのではなく、人に会いに行くのだ。相手側からの申し出とはいえ、以前の柊ならばすぐに断っていたことだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
しかし今の彼は違った。その申し出を受け、慣れないのか未だに会話は少しぎこちなかったりするが、それでも周りに合わせようとしている。
「いってらっしゃい!お兄ちゃん!」
そしてそんな柊の変化を、妹の葵はしっかりと感じ取っていた。兄の表情が少し柔らかくなったのに気づいた時、葵は自分のことのように嬉しく思った。大規模侵攻に合う前の明るい兄が、少しでも戻ってきていたからだ。
兄を見送った葵は自室へと戻り、外出の準備を始める。友達と会う約束をしているからだ。葵はその友達に相談したいことがあると頼んだ。友達も快諾し、勉強会も兼ねて相手方の家にお邪魔することになったのだ。
着替えて身だしなみを整え、戸締りを確認する。全ての準備を完了した彼女は、自室の机の上に置かれた雑誌を持って家を出た。
***
ボーダー本部に着いて目的地を目指していた柊はある扉の前で立ち往生していた。ゴールはもう目の前なのであとは入るだけなのだが、謎の緊張が彼を支配していた。手足が震え、喉はカラカラである。この状態になってから、少なくとも5分は経っている。
さらに時間を費やして、ようやく覚悟を決めた柊はノックしようと手を上げようとしてーー
「何やってんのよ、あんた」
ーー那須隊アタッカー、熊谷友子が声をかけた。いきなり声をかけられたことで飛び上がりそうになった柊だったが、なんとかギリギリ踏ん張れた。熊谷は気づいていない。もし踏ん張れなかったら後々までネタにされて恥ずかしい思いをするハメになっていただろう。柊は心の中で自分を褒めた。
「鍵は空いてたと思うけど……。まあいいや、とりあえず入りなよ」
「……お、お邪魔します」
熊谷に続いて柊も中に入る。扉の先は那須隊の作戦室。柊が作戦室に初めて入った記念すべき瞬間である。
「はい、あんたの分」
テーブルを挟んで座った2人。熊谷は柊に飲み物を渡し、柊も熊谷に感謝を伝える。飲み物は無難にお茶である。
「飲み物切らしてたのさっき気づいて急いで自販機に買いに行ってたのよ。部屋開けてたのは悪かったけど……結局扉の前で何やってたのよ」
「…………えっと、扉開けるのに、手間取ってました」
「建てつけは別に悪くなかったけど?私もさっき普通に開けたし」
「あー…………心の準備、です」
2人の間に沈黙が流れた。柊は気恥ずかしさから、熊谷は驚きからである。
「っあははは!なにそれ!心の準備ってあんたそんなキャラだったの!?」
先に沈黙を破ったのは熊谷。彼女はそれはもう盛大に笑った。今まで非友好的だったやつが知り合った途端に可愛らしくなったからだ。いわゆるギャップ萌えである。萌えてはいないが。
「……ボーダーに入ってから初めての作戦室ですし、そのチームは女性しかいないんですから、こうもなります」
確かに柊のいうことも一理あるかもしれない。それでも、熊谷が感じた彼の意外性の方がインパクトが強かった。
「あー笑った。今までで一番笑ったかも」
「そんなに……か」
熊谷の笑いが止むまでたっぷり時間を要した。自分がどれだけ恥ずかしいことをしていたか、熊谷の様子から察してしまった柊は凹んだ。やっと落ち着いてきた彼女は、なんとか立ち直った柊に本題を切り出す。
「じゃあまずは、今日は私の頼み聞いてくれてありがとうね」
「……いえ、自分にとってもプラスになると思いましたし」
「そう言ってもらえると助かるわ。じゃあこの前も言ったけど改めて言うわね」
そう言うと熊谷は一度姿勢を正し、自身の頼みを告げた。
「私に戦い方を教えて欲しい」
***
話もそこそこに、2人は模擬戦ルームに入った。熊谷が柊に持ちかけた申し出、もといお願い。それは孤月を使う熊谷が同じく孤月を使う柊に戦い方をレクチャーしてほしい、と言うものだった。
「俺は……誰かに何かを教えたこととか、全くないですよ?話を聞く限り、スタイルも全然違うようですし」
「大丈夫、言い出しっぺは私だしその辺は理解してるよ。それにアタッカー4位のあんたと戦うだけでも得られるものはあるだろうしね」
「……わかりました。とりあえず1本戦いましょう。細かいことはその後で」
「オーケー」
会話を切り上げて2人とも構える。柊は片手で孤月を握り、熊谷は両手で持って正面に構える。
「いきます……!」
柊が合図を出し、駆け出す。熊谷は孤月を構えて防御の姿勢をとり柊はを迎え撃つ。
一息で詰めた柊は深く踏み込んで孤月を振り下ろすが、熊谷がそれを孤月で受けた。鍔迫り合いになるも、それを制したのは両手持ちの熊谷ではなく片手持ちの柊。接近の勢いを利用して熊谷を押し込む。
このままでは体勢を崩されると判断した熊谷は孤月を傾けて切っ先を逸らした。しかし、それに反応した柊は勢いに逆らうことなく走り抜けて離脱。熊谷と距離をとる。
「はぁ!」
次に距離を詰めたのは熊谷。上段の振り下ろしが柊に迫るが、見切った柊は右に体をそらして回避。
そこから柊は孤月を構えて突きの体制をとる。放たれた高速の突きをなんとか孤月で防いだ熊谷だったが、弾かれたことで体制が崩される。
「やばっ!」
その隙を見逃す柊ではなかった。孤月を振り切って熊谷を斬り、トリオン体を破壊。柊の勝ちだ。
柊は彼女のトリオン体が再生するのを待ってから、熊谷に今後にすることを伝えた。
「……、とりあえず、今のログを見ながら話しましょう」
トリオン体が破壊されると、自身のトリオンが漏れ出してしまう。そのため、基本的には再びトリオン体を作るのに時間がかかってしまう。
しかしボーダー本部のランク戦ブースと各作戦室に設置された模擬戦ルームにおいてはその限りではない。その二ヶ所では、本部が供給するトリオンを使ってトリオン体を形成するので、一度壊されてもすぐに再生することができるのだ。
ものの数秒で復活した熊谷とともに柊は模擬戦ルームを出て、パソコンでログを確認する。1つしかない椅子は熊谷に譲り、彼はその隣に立つ。機械に弱いため、パソコンの操作も全て熊谷にお願いしている。
「はい、ログ出せたわ」
「ありがとうございます」
「にしても意外だったわ」
「……何がですか?」
「機械に弱かったこと。人付き合い以外は完璧だと勝手に思ってたから」
「…………皆さんから見た俺って一体」
熊谷がそう思うのも無理はない。何故なら今まで周りから見えていた近野柊は彼のほんの一部であり、その一部があまりに洗練されていたからだ。彼だって人間なのだから苦手なもの1つや2つあるものだが、今までのイメージからそう言った発想には至らなかった。
「えっと、その話は今は置いて、さっきのログを見ましょう」
「そうね」
2人は先ほどの戦いを、実際の感覚と擦り合わせながら見ていく。このように客観的に見ることによって、自分の良くない部分が見えてきやすいのである。
ログの映像が終わる。おさらい完了だ。
「……とりあえず俺の思ったことですが、いくつか言っていこうと思います」
「よろしく」
「まず……えっと、熊谷……さんは防御主体の戦い方ですよね」
「そうだけど、あんた名前呼ぶのでなんでそんなに……いや、今はいいわ。話折って悪かった。続けて」
熊谷は柊が名前を呼ぶのに詰まったのを見て追求しようとするが、それは今することではないと柊に先を促す。
「わ、わかりました。孤月の両手持ちなので防御も十分効果がありますが、その間は攻撃に移れません。武器を既に使ってしまっているからです」
「まあ、確かにそうね」
「その辺から考えても、必ずしも防御する必要はないと思いますが」
「私たちのチームは玲がエースだから、私が防いで玲が決めるってスタンスでやってきたの」
熊谷が防ぎ、那須がバックから射撃する。近距離中距離の戦いを、2人はこれで対応してきた。
「なるほど……、なら、孤月だけでなくシールドも使った方がいいと思います」
「孤月使ってるからフルガードはほとんどできないと思うんだけど」
「はい、なので……例えばそうですね、シールドで相手の攻撃を誘導するとか」
「どういうことよ」
「防ぐためにシールドするんじゃなくて、相手に攻撃させないためにシールドするんです。相手の狙いを制限させる。そこを孤月で防ぐとか」
「なるほどね……」
「反撃しやすい形に誘導できたらなお良しですね」
先ほどの戦いは2人とも孤月とシールドのみに限定して戦っていた。回避した柊はともかく、熊谷はシールドを使わずに孤月で防御していた。そのせいでどうしても攻撃に転じるのが一歩遅れてしまったり、孤月を弾かれたりして反撃できなくなってしまうのだ。そしてそれは、致命的な隙となる。
「他にも方法はあるかもしれませんが、すいません、今すぐには出てこないです」
「いや、これだけ言ってもらえたら十分よ。とりあえず今のを試してみたいからもう一回お願い」
「わかりました」
まずは今の反省を改善しようと、再び2人は模擬戦を始めた。
***
「なるほど、あそこは弾いた方が良かったのね」
「そうですね、そうしたらこっちも引かざるを得なくなりますし」
「その機動力を封じられたらあんたも人並みなのね」
「まあ、基本受けきってから反撃って戦い方してませんから。押さえ込まれない立ち回りか……」
あれからも、2人は戦闘、見直し、反省を繰り返した。柊が熊谷にアドバイスするという流れだったが、熊谷も柊に思ったことを言ったりして、お互いに有意義な時間を過ごすことができた。
「ありがとね、お陰で課題が良くわかったわ」
「いえ、これくらいなら1人でたどり着けたと思いますよ」
「けどやっぱ今知れたってのが大きいわね。私1人じゃ今すぐには無理だったし、ありがとう」
「…………はい」
「どれだけ慣れてないのよ」
柊が褒められてないのも浮き彫りになったが、そこは個人の問題というのもあって熊谷も深くは聞かなかった。その配慮が、柊にはありがたかった。
その時、扉をあけて誰かが入ってきた。隊長の那須である。事前に2人が特訓をすることを知っていた彼女は、熊谷に成果を訪ねる。
「くまちゃん、どうだった?」
「おかえり、バッチリよ玲。近野が色々言ってくれたおかげで目指すものが良く見えたわ。あとは修正あるのみね」
「良かったねくまちゃん。私からもお礼を言うわ、ありがとう近野くん」
「い、いえ……。そういえば、えっと、スナイパーの人とオペレーターの人は今日はいないんですか?」
「逃げたね」
「逃げたわね」
褒められ慣れてない柊は咄嗟に話題を変えたものの、2人にはその意図がバレバレであった。
「いや、あの……後の2人は?」
それでもなんとか話題をそらしたい柊は再度2人について尋ねる。那須と熊谷もそれを尊重して話を続ける。
「茜は学校の友達と約束があるって言ってたから、今日は来ないわよ」
「小夜ちゃんも休みの日は外に絶対出ないから」
2人とも今日は来ないらしい。チームだから四六時中一緒にいると考えていた柊だったが、実際はそんなわけはない。一緒にいることが多いだけで、常に揃って行動しているわけではないのだ。
「玲、検査の方はどうだった?」
「……検査?」
「問題なしよ、くまちゃん。近野くん、私が遅れたのは開発室に寄って検査を受けたの。トリオン体と生身の体の両方の調子を調べに」
それから那須は自分がボーダーに入った経緯を柊に説明した。以前は入退院を繰り返すほどに体が弱かったこと。そこでボーダーを勧められ、トリオン体と健康についての研究に協力していること。トリオン体で走り回れたことに感動したこと。柊は那須の体調について知っていただけだった。彼女にそんな過去があっただなんて考えたこともなかったため、とても驚いた。
「でも、良かったんですか?そんな大事なこと俺に話して」
「大丈夫よ。だって近野くん言いふらしたりしないじゃない?」
「まあ、そうですけど……」
それに、と那須は言葉を続ける。
「私たちは友達じゃない?私は友達には、全部とは言わないけどなるべく隠し事はしたくないの」
那須の言葉が、柊の心に染み渡る。自分を友達として言ってくれたことが、柊は何より嬉しかった。
「だから、いつか近野くんのことも話してほしいの。あなたにとってあまりいい話じゃないのは分かってるから、ゆっくり時間をかけて私たちを信じられるようになったら、話してほしい。私は、あなたの力になりたいから。もちろんくまちゃんも、茜ちゃんも、小夜ちゃんも、みんなそう思ってるわ」
「いつか話してよ、あんたの話。気長に待ってるからさ」
那須隊の4人は近野柊が何かを抱えていることに気づいていた。けれどそれが安易に触れてはならないデリケートな部分であるというのもわかっていた。だから2人は柊の覚悟が決まるまで待つと言ったのだ。
バレたと思った。自分の汚い部分のせいで、幻滅されてしまうのではないかと恐怖も感じた。けれど柊はそれ以上に2人の、那須隊の気遣いがとても嬉しかった。
熊谷は柊を頼って、また彼に助言もした。那須は自身の過去を話した。2人とも近野柊を友達と思って、信頼しているからこそだ。
「さて2人とも、いい時間だけどもうお昼は食べた?」
「ほんとだ、もうこんな時間だったんだ。意識したらお腹すいてきちゃった。近野は?」
「そうですね、俺も腹減ってきました。じゃあ2人とも、今日はこれで」
「じゃあ近野くん、一緒にお昼食べに行きましょう?」
「いいわね。行くよ近野」
解散にしましょ…………え?」
昼飯に合わせて解散するとばかり思っていた柊は2人に昼食に誘われたことに目を丸くするのだった。
本編補足
・近野柊
本人の話し方とかが変化しています。以前までは周りに関心がなかったため素っ気ない感じ。一方今回の彼は周りに合わせようとするものの、接し方を忘れてしまっているために手探りな状態です。
慣れない環境だけど頑張ってる、くらいで考えてもらっていいと思います。
何か疑問等ありましたら、遠慮なくお尋ねください。
これからも皆様に楽しんでいただけるよう頑張っていきます。
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