青春ブタ野郎は灰色の果樹園の夢を見ない 作:たなとすさん
「忘却と仮初めの自分」
この世に数多の『不思議』はあれど、そこには『原因』があり『原理』がある。
火のないところに煙は立たない。
これが当てはまるのは、なにも噂話だけではない。
原因となりうる事象から、物理法則などの原理を経て結果に結びつく。
その『結果』だけを見れば、なるほど不思議だと思える事柄も多々あるだろう。
しかし、その結果には必ず至るための過程があり、それは世界の理に沿って起こっている。
まあつまり、何が言いたいのかというと。
どんなに不思議な現象にもきちんと理屈があり、魔法だの超能力だのと騒ぐのは小学生で卒業しておけ、ということだ。
「ここが、
最寄りの駅からタクシーで数十分。
高い塀に囲われた敷地の、唯一の出入り口である巨大な門扉の前に降ろされた。
「お、お兄ちゃん。到着したのですか? かえでは目を
僕の腕に、昔
「ああ、かえで。今転入先の学園に到着した。学生寮の部屋に着くまでもう少しだから頑張れ」
「は、はいです」
美浜学園のパンフレットを取り出し、載っている簡単な地図を頼りに僕らは学生寮を目指した。
「お邪魔しまーす」
「お、お邪魔しますです」
地図通りならば学生寮であるはずの建物に入る。
右手側には寮監室らしき窓口と、生徒が外出しているかどうか確認できる木製の名札がある。
その数は、五つ。
どうやら全員外出中のようだ。
「って、この時間なら普通に授業中か」
「はい。学生の本分は勉強ですから♪」
声のする方を向くと、そこにはレディーススーツを着た眼鏡の女性が笑顔でこちらを見ていた。
「どうもです。学園長」
「長旅ご苦労様です、
「これからお世話になります。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします……」
「ご丁寧にどうも。まずはあなた達の部屋へ案内しますね」
案内された部屋は、二階の角部屋。
「ここは寮で一番広い部屋です。と言っても、さすがに元々二人部屋だったわけではないので、多少手狭に感じるかも知れませんが」
「いえ、十分広いですよ」
「お部屋、広いです!」
かえではやっと部屋に入れたことで、水を得た魚のごとく部屋中を走り回っていた。
……やっぱり、まだ外は怖いか。
「それじゃあ咲太君。ちょっとお話があるので着いてきてくれる?」
「コーヒーでいいかしら?」
「はい。砂糖とミルクは要りません」
所変わって、ここは校舎内の学園長室。
かえでは、少し心配だが部屋に置いてきた。
「それで、話って何ですか?」
「率直に言うと、あなたの胸の傷について本人から話を聞きたいのよ」
胸の傷、と聞いた瞬間、僕の心は一気に冷えた。
この傷の原因となった事象をいろいろな人に説明した。
しかし、たった一人を除いた全ての人は、それを信じてくれなかった。
「あ、『どうせこの人も信じないんだろうな』って顔をしてますね。確かに情報だけ見れば信じがたい話です。でも、初めから疑ってかかってしまっては物事の本質を理解することはできません。だから私は当事者である咲太君に話を聞きたいんです。あなたの話を聞いて、私は信じるか否かを決めます。だから、話してくれない?」
「……妹、花楓はSNSでクラスメイトから誹謗中傷を受け、いじめられていました。気付くと、花楓の身体中が傷だらけになっていました。まるで心の傷がそのまま身体の傷になっているようでした。ここまでなら、精神的に不安定になった花楓が自傷行為をした結果だと思うでしょう。でも僕は見たんです。SNSで悪口が書き込まれるたびに傷ができる瞬間を。そしてある朝、花楓は記憶を失っていました。これに関しては医師には解離性障害だと診断されました。元の花楓とは何もかもが違っていました。それから数日後、朝起きると僕の胸には獣の爪痕のような傷ができていました。すぐさま救急車で病院に運ばれて処置を受けましたが、これも花楓と同じく自傷行為でできたものだと判断されました」
「……それが、あなた達が体験した現象」
「ええ、そしてこういった現象はネット上では『思春期症候群』と呼称され、都市伝説となっています」
思春期症候群。
他人の心の声が聞こえる、相手の未来が見える、誰かと誰かの意識が入れ替わるなど、思春期特有の妄想であるはずの事象。それが、誰が言い始めたかは知らないが『思春期症候群』と呼ばれるようになった。
「なるほどねぇ。でもその『思春期症候群』は誰も証明できていないから都市伝説なんでしょう? 状況証拠には辛うじてなりそうだけど、物的証拠は何も存在しない」
「……ええ、分かってます。正直、僕もかえでも嘘吐き呼ばわりされ続けて疲れてしまいました」
「……あなた達がこの学園に来た理由はよく分かりました。そしてごめんなさい。実際に話を聞くまで、私はあなたの狂言だと思っていました。でも話を聞いてみてあなたが嘘をついてなく、妄想に取り憑かれているわけでもないことを確信しました。
ーーーこれまで辛かったわね。大丈夫、あなたは嘘吐きではないわ」
「ありがとう、ございます……!」
口先だけかもしれない。裏があるかもしれない。
そんな疑念を抱くより先に、僕は感謝の言葉を口にしていた。
どうやら僕は、自分で思っているより参ってしまっていたようだ。
「さてと、落ち着いたかしら?」
「……お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。もう大丈夫です」
「恥ずかしいことなんてないわ。あなたはまだ子どもなんだから、甘えられる内は甘えるべきよ?」
「はは、善処します」
「まあいいわ。それでは今後の予定について説明するわね。咲太君は一年生として、花楓ちゃんは予科生として美浜学園に所属してもらうことになるわ。本来は二人とも教室に来てもらって他の子達と一緒に授業を受けてもらうべきなんだけど、花楓ちゃんには厳しいかしら」
「そうですね。かえではまだまだお家大好きっ子ですから、登校は難しいと思います。そこら辺のケアもしてくださるという話でしたが」
「ええ。咲太君と他の子達が教室で授業を受けている間は、私があなた達の部屋で花楓ちゃんの授業をします。こう見えて私、心理カウンセラーの資格も持ってるの。決して無理はさせないわ」
それならばまあ安心だな。
学園長なら病院からかえでと接する上での
「そういうことなら、授業中はよろしくお願いします」
「はい、任されました♪」
僕は軽く頭を下げ、学園長は緩く敬礼をした。
梓川 咲太
「救えなかった後悔」
心と同時に身体も傷つき続けていた妹・花楓が、記憶を失って『かえで』になった。花楓だった時に助けることができなかったことを今でも悔やんでいる。
『かえで』は花楓とは違う一個人として存在していることを他の誰よりも認めている。
梓川 かえで
「忘却と仮初めの自分」
花楓としての記憶を失い、自分は花楓の偽物なのだと思っていた。
兄・咲太だけが自分を『かえで』として認めてくれたため依存傾向にある。