チートもすなる幻想郷入りといふものを、社畜もしてみむとてするなり 作:疲れた元社畜
ここは幻想郷。
忘れ去られた幻想達の楽園であり、今なお妖怪、神、妖精が息づく最後の秘境。
そんな幻想郷は、今日も変わらず続いていく――――。
夏も終わりに近づき残暑の続く日々が続いていた。セミの声も少しずつ勢いを失っていき、秋の予感が今か今かとにじり寄ってくるのを感じる。
森の彩る緑の天井から零れ落ちる陽の光は、暑いというよりも暖かい。逆に湿った空気の満たすここは、随分と涼しく感じられた。
そんなうららかなある日の事。
「…ここどこぉ?」
一人の男が、幻想郷に迷い込んでいた。
疲れ切った死んだ魚のような瞳。その下に作られた色濃いクマ。背丈は高いものの、肉が全くついていない、風が吹けば折れそうな肉体。
よれよれのスーツにぼろぼろのカバン。キャリーバッグには着替えその他お泊りセット。誰がどこからどう見ても、日本に住まふといふ社畜なる者であることを理解できるだろう。
そんな男が何故幻想郷なんぞに足を踏み入れる事になったのか。果たして、それは非常に単純明快な理由であった。
社畜イン隙間。歩いているとスポッとひ〇し君人形が如く地面に吸い込まれ、隙間を抜けたら幻想郷でした、をしていたのだ。
言わずもがな、あのBBAの仕業であった。寝ぼけていたのか何なのか、神にも近しとされる賢者の思惑など、誰も計り知れない事だろう。これは関係のない話だが、どこぞの妖怪が主の冬眠に向けてお布団の準備を始めていて、さらにその主は準備中の布団に顔を突っ込んで寝ぼけているのだとかいないのだとか。至極関係のない話だ。
しかし、そんなギャグのような背景があったなどつゆ知らぬ男にしてみればただの異常現象。恐怖に取り乱すかと思われた…が。
「…うーん、夢ですねこれは。はっ、夢なら働かなくともよいのでは…?やったー!夢ばんざーい!夢ばんざーい!」
狂喜乱舞していた。ここ最近続く増税に注ぐ増税。人手不足。賃金低下。そしてそれらを解決しようとすらせず外国人労働者を招き入れ低賃金のまま働かせようとするお偉いさん方のお花畑な頭の中。それらの悪影響を殆ど全て受けてきた男にとっては、夢の中であろうが現実逃避できるのならばそこは楽園であった。
とりあえず男は少年時代に戻ったような気持ちで探検を開始した。目に映るものすべてが美しく見える。やけに色鮮やかな木々の葉っぱ。風に揺らめいて美しく鳴り響く木々の歌。日差しは柔らかく、マイナスイオンを多分に含んでいそうな空気を肺いっぱいに吸い込んで淀んだ都会の空気を吐き出した。おいおい何なんだ、これは本当に夢なのか。まるで現実じゃあないか。夢サイコー。男はまだまだ気付かない。
その調子で歩いていると、向こう側に湖が見えた。慌てて行ってみると、そこでは信じられない光景が。
「あはははは!チルノちゃん、待てー!」
「大ちゃんこっちこっち!あはは!」
わーわー、と背中に羽を生やし宙を飛ぶ子供たち。タッチしたり追い掛け回したりしているのを見るに、鬼ごっこでもしているのだろうか。
妖精である。しかしそんな事知らぬ男は、夢って凄い、と漠然とした感動に震えながら彼女たちのスカートの中身を見つめていた。男の瞳が縞々になった。
「ん?」
「きゃっ!急に止まらないでよぅ…あれ、どうしたの、チルノちゃん?」
「あれ」
チルノは背中にダイブしてきた大ちゃんを受け止めて、不審な男に指をさした。眼下でこちらを見上げるノッポな影に、大ちゃんは目をぱちくりとさせた。
「あれ、誰だろ?」
「誰だろうが知ったこっちゃないわ!あたいの縄張りに何勝手に入ってきてんのよ!」
怒りのボルテージMax。男の方へと向かっていくのを、大ちゃん(ストッパー)は慌てて追いかける。
「おいお前!」
「…え?僕ですか?」
「お前以外に誰がいるのよ!ここがこのさいきょーのチルノ様の縄張りだと知っての狼藉かー!」
「はい?」
男は首をかしげて目の上のチルノを見上げる。そして首をかしげて瞼を数回開閉させる。
「チルノちゃん、やめようよー…」
勝気な表情を浮かべた水色の髪の少女と、おどおどと大人しい顔の緑色の髪の少女。
はて、何故自分は夢の住人に話しかけられているのだろう。それも、敵対的なようだ。
とりあえず沈黙はいけない。慌てて口を開いた。
「す、すみません、ここがチルノ様の縄張りだとはつゆ知らず…」
「…ふむ」
…今、こいつあたいの事を様付けしたわ…なんだ、悪い奴じゃないみたいね!
「チルノちゃん!?」
顔色を見て悟った大ちゃんは慌てた。不審者相手でもチルノは⑨であった。
「ふっふーん、あんた中々態度ってもんが分かってるようね。ま、勝手に縄張りに入ってきたのは許してあげるわ」
「はあ…はは、ありがとうございます」
「そのかわり、あんたあたいの子分になりなさい!」
男はその言葉に目を点にした。
子分。はて、子分とは一体何か。それは誰かの下に付く下っ端という意味である。社畜という社会の奴隷として扱きを受けてきた男としては、二階級特進と言っても過言ではない。
「喜んで子分にならせていただきます!」
「それじゃけっていね!あんた名前は?」
ずびし、と指をさすチルノ。男は笑顔で名乗った。
「前島俊(すぐる)と言います」
「じゃあスグル!これからは毎日あたいと遊ぶのよ!」
「はい!」
チルノはぴょーん、と飛んで男―――俊の肩に乗った。所謂肩車である。
「つめたっ!?」
これには男も驚愕である。何せ子どもが肩車してきたと思ったら氷のように冷たかったのだ。氷精故当然の結果であったが。
しかし、なんという事だろうか。頬に微かに当たる太もも。肩全体に感じられる少女らしい重み。そして首の後ろ側にくっつけられた絹生地の感触----冷たい。確かに冷たいが、しばらくすると奥から暖かさが感じられた。冷たいのは表面だけという、中々に個性的な体質であるようだ。
なるほど確かに奇特な体質だ。空を飛ぶことができるのだから、他人とは作りが違うのかもしれない。背中に生えた氷も無関係ではあるまい。
しかし現代社会は多様化する一方だ。個性を受け入れ、尊重しなければならない昨今において、肌の表面が氷のように冷たいことなどなんと没個性であることか。男はすぐに受け入れた。笑顔で、それも清々しい気持ちで。
決して、首筋に感じた柔らかみにほだされた訳ではないのである。
「ち、ち、チルノちゃん!初めて会った人に失礼だよぅ!」
大ちゃんが慌ててチルノを止めようとする。
そして俊に抱きかかえられて思考が固まった。
今の俊は肩にチルノを、そして前にお姫様抱っこのような形で大ちゃんを抱っこしている状態だ。大ちゃんはチルノよりも成長していて微かに重たいが、チルノとは違い体温も普通のようで両腕が幸せに感じられた。
何よりも、胸板に当たる大ちゃんの大ちゃんの感触のなんと甘美なことか。
夢、サイコー。この期に及んで犯罪を夢へと溶かし込んだ俊は、きりっとした顔で尋ねた。
「どこへ行きましょう」
チルノはそれに対して、これまたきりっとした顔で返す。
「どこへなりとも!」
「承知!」
こうして男はチルノと大ちゃんを伴って湖の縁を走り出したのだった。
「って、何がどうなってこうなったのー!」
至極まともな意見である。
―――――――――
「それじゃあ、タッチされたら固まったらいいのね!かんぜんにりかいしたわ!」
「僕が最初に鬼をするので、二人とも逃げてくださいね」
「はーい!」
大ちゃんの元気のいい返事に頬を緩めて頭を撫でて、そして男は目をつぶって10秒数えだす。
「…10!それじゃあ行きますよー!」
「きゃー!」
「にーげろー!」
走り出した俊から逃げるチルノと大ちゃん。時には木に隠れ、時にはあたふたと方向転換したりして俊の手から逃れ続ける。
しかし言い出しっぺの俊にしてみては、捕まえられないとプライドが許せないのである。幼少の頃、氷鬼マスターとして名を馳せたその実力を十数年ぶりに発揮する時が来たのだ。
俊はチルノにターゲットを絞り、背中を追う。小賢しくもターンしようとしたチルノだったが、予測していた俊の手がチルノの細い肩に乗せられた。
「捕まえた!」
「ぎゃー!」
「チルノちゃーん!」
くっくっく、と笑みを深める俊。たじぃぃぃ、と顔に影を落とす大ちゃん。
「鬼に捕まった人は、他の人に触れられるまで固まったままなのです…ふっふっふ、早く助けないといつまでも固まったまま…いつまでも、いつまでも…」
「ぎゃー!大ちゃん助けて―!」
「チルノちゃーん!」
肩をさする俊の言葉にいつまでもかちんこちんは嫌だと首を振るチルノ。
「さあて、次はあなたです、大ちゃんんん…」
「いやー!」
逃げ出す大ちゃん。それを追いかける俊。鬼から逃げる大ちゃんを、歯がゆい思いで見送るチルノ。
数分後、チルノは大ちゃんのお陰で解き放たれ、俊と白熱した氷鬼対決をすることになるのだが…この時のチルノはまだしらない。
そんな狂乱は日が沈むまで続いたのだった。
妖精とはいつの間にか湧くものである。
チルノと大ちゃんと俊の三人で遊んでいたら、いつの間にか人が増え、人数が4人、5人、6人と増えていき今では10人ほどの大所帯だ。
チルノ、大ちゃん、そしてリグルにルーミア。今日名前を覚えた4人組だ。ルーミアは鬼の時何故か執拗に俊を狙ったが、俊は懐いてくれたのかな?とのんきなものである。
それにしても何故か現れる子ども全員が女の子だったのには驚いた。男が俊一人しかいないのである。お陰でロリにロリロリと包まれて幸せな時間を過ごすことができたので俊にとっては是非もない展開だったが。
「もう日も暮れ始めたし、今日は解散にしましょうか」
「はーい!」
またねー、と手を振りあったりして空を行ったり友達と駆けていく羽の生えた子供たちを俊は手を振って見送った。
「…まだ目覚めないのか…」
ふとそのことに気が付いて、まあいっか、とすぐに切り捨てる。目が覚めないという事は仕事をしなくてもいいという事なのだ。つまり俊は勝ち組なのである。
「ねえねえ、俊さんはどこから来たの?」
大ちゃんが首をかしげて尋ねた。ちょっとだけ気になったのだ。何せ俊の恰好は大ちゃんからしてみれば…否、幻想郷の住人からしてみれば随分と珍妙な格好だったのだから。
「僕は…その、実はいつの間にかここにいまして」
「何だ、スグル迷子だったのね!仕方ない、あたいがお家まで送ってあげるわ!」
「いえ、そういう話ではなくて…」
「…もしかしてそれって」
大ちゃんは記憶の中からとある単語を引っ張り出した。
「俊さん、もしかしたら外来人なのかも…」
「…?外来人?」
「うん、幻想郷のお外から来た人たちの事。外来人だったら、神社に行った方がいいよ?ここから帰れなくなっちゃうかも…」
「神社?帰れなく…?」
「幻想郷の外?それってどんなところなのかー?」
おやおや?何かがおかしい。夢の中だというのに、やけにはっきりとした設定があるらしい。夢じゃないとそろそろ気付くのだろうか。
「…まあ、だったらここで暮らすのも一つの手かもしれませんね」
「ここで暮らすのかー?」
ルーミアの言葉に、俊は穏やかな顔で答えた。
「はい、まあ向こうはあまりいい所ではありませんでしたしね」
俊にとっては、日本は地獄だった。なので幻想郷に越す事に関して抵抗はない。そもそもそうでなくとも俊はここ1年、ずっとドイツ語の勉強をしていたのだ。ドイツに移住する気満々なのであった。
移住する場所が少しずれて、時期が早まっただけ。ただそれだけなのである。
チルノは、思案顔を浮かべる俊の裾を引いた。
「ほんとう?帰らない?」
「…ええ、帰りませんよ。僕はチルノ様の子分ですからね」
「…にひっ!そっか!」
喜色満面な笑みを浮かべるチルノの頭を撫でる俊。大ちゃんもどこか嬉しそうだ。しかしこの男、簡単に幻想郷に住むのを決意している辺り、日本の闇がいかに深いかを感じられる。
「しかし、住むにしても家がないと…」
問題はそこではない。
否、男にとってはそこだった。住むにしても家がなければ生きていけない。衣食住。衣に関してはキャリーバッグに入れてきているので問題ないかもしれないが、食住に関しては見通しが一つもない状態だ。
「そ、それじゃあ、神社じゃなくて慧音先生のところに行こうよ。慧音先生だったら、何とかしてくれるかも!」
慧音先生。その言葉に俊は首をかしげるも、しかしこのメンツで一番大人びた大ちゃんの言う事だ。素直にうなずいて、案内を頼むのであった。