シャルロッ党のお姉さま   作:小雲八泉

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閑話7.5「貴女が例え白鳥の卵から生まれ出たのだとしても」

 鳥のさえずりと差し込む光で目が覚める。

 ぼんやりとした頭を起こして目をこすりながら階段を降りていくと、今日も彼女より早く目覚めた彼女の姉が窓際の揺り椅子に腰掛けていた。

 

 黄金色の豊かな髪を背中に流し、深い紫の瞳、最早見慣れたリボン付きのナイトキャップを被り、真っ白な細い手で本のページをめくる少女。

 

 日によっては眠り足りないように微睡み、又は眩しそうに外を見ていて、しかしいつも降りてきた彼女に気付いて嬉しそうな笑みを向けていた。「おはよう」と何気なく発した一言にも上向きな感情を溢れるように滲ませている。

 対して彼女は習慣付いた言葉をいつものように発した。

 

 彼女、シャルロット・デュノアにとって、ヴィオレットの存在は姉以外の一言では言い表せない存在だった。

 朝目覚めるように、深呼吸すれば肺が膨らむように、当然の如くそこにいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。物心ついた時には側にいた彼女の姿を見なかった日は一度として無かった。

 『原作』において一人っ子であり母という絶対者が味方であったシャルロットは、もう一人の姉によって絶対ではなくなり、同時に新しい家族を得た。

 

 そんなヴィオレットの行動は昔から一貫していて、悪く言えば単純な行動原理を貫いていた。すなわち、妹たるシャルロットのこと。

 利するか害するか、シャルロットの内面がどう捉えているかに関わらず、いつだって彼女の行動の基には妹がいた。

 

 それはシャルロット自身も薄々感じていて、それを擽ったくも疎ましくも感じていた。鬱陶しく思って突き放そうとしても、のらりくらりと躱されていつの間にか側にいる。初めは嬉しかったそれも日を追うごとに特別ではなくなっていた。

 

 人の心には精神の成長に欠かせない恣意的な機能、子供の頃の成長に特に必要な『飽きる』という感覚はシャルロットにも当然備わっていた。

 与えられたおもちゃに飽きたこともあるし、癇癪を起こしたこともあるし、変わり映えしない家から離れて学校の友人達とスリルを求めたことも無いとは言えない。

 今では心身ともに成長したシャルロットの小さな黒歴史とも言えるが、そんな経験が今の彼女を育て上げたとも言える。誰にでもある未熟な時期だ。

 

 優しい母と優しい姉に恵まれた彼女は、ある時期にその優しさから離れようとしたことがあった。まだ小学生相当の時期の出来事だったが、シャルロットはその日のことを今でも思い出せる。

 

 シャルロットは母と姉に連れられて買い物に出かけたことが何度かある。その日は値段の張る大型の電化製品を買うために栄えた街まで足を運んで、デパートの商品を見て回っていた。

 その時のシャルロットは、初めて見る景色の余りの色の多さに驚愕し、次いで歓喜していた。首を上向けてようやく天辺が見えるほど大きい建築物。先鋭的なファッションから硬派なスーツまで幅広い人混み。耳を休ませない喧騒。絶えず行き交う大量の車。

 シャルロットにとっては、田舎よりも発展した都会の景色は大層価値のある体験を齎してくれていた。

 同時に思う。私もこんな賑やかな場所で生まれていればと。

 

 そんな時、いつも自分の手を握って離さない姉が今日に限って見当たらなくなっていた。母の姿も無い。怪訝に思い周りを見渡しても見知った金髪は何処にも見当たらなかった。シャルロットは自身が迷子になっていることを違和感の差異から感じ取った。

 そうしていると、いつも手元にあるものが無いシャルロットは途端に不安に駆られた。汗ばむほど手を握って離さない姉と側にいるだけで安心する母の姿が無い。シャルロットは泣きそうになった。

 

 しかし、シャルロットは思い至る。今ならこの刺激を与えてくれる都会の中を、自分の行きたいところを好きに探検出来るのではないかと。

 溜まっていた言いようのない不満は、いつもより彼女を意地悪にしていた。暗く心地よい衝動に押され、シャルロットは家族を探すのをやめることにした。

 それにデパートを歩き回っていればいずれ二人にも会うことが出来るんだから、そう納得して一人で歩き始めた。

 

 そうして歩きだした彼女にとって、それはとても心躍る時間だった。お洒落なネックレス、綺麗な服、モダンな高層建築物の中を思った通りに歩き回り、いつまでも眩しい明かりがそれらをキラキラと輝かせている様はまるで母から聞いた御伽噺の品々のよう。

 これを着られたら、これを手に入れられたら、どんなに満足感を得られるだろう。そんなことを思いながら、貴金属の輝きに負けないくらいキラキラとした目でそれらを追っては眺めていた。

 

 そうしていると、デパート内に響き渡る音量で放送が流れていた。そこにシャルロットの名前が呼ばれていたことから、この年にして聡いシャルロットは家族が自分を探していることを漫然と察知した。

 しかし、合流してしまえばもうこの至福の時間は終わってしまう。シャルロットは人目を避けて移動し始めた。

 その時の気持ちはさながらかくれんぼに興じるときのドキドキした興奮で彩られていて、後で怒られるのも考えずにただ今を満喫していたかった。

 

 だが少し経つと似たような光景をまた目にするようになっていて、この場所を見切ってしまったようだった。そうなるともう目新しいものは無くなってくる。そうなってしまえば態々家族から離れている必要も無くなってしまう。

 

 しかしシャルロットに魔が差した。もう少し見回ってみよう。もっと広く歩けばもっとキラキラしたものが見えるはず。そう思って歩いた。

 そんな時間もそう長くは続かない。何せ当時のシャルロットは小学生に成り立ての頃である。更に迷子の放送も流れていて長く誤魔化せる訳もなかった。シャルロットは職員に見つかってしまった。

 

 

「見つけました───。……ほら、大丈夫だ。お母さんが待ってる」

 

「うぇ、あ、やだ……」

 

 

 そしてそれは両方にとって不運だった。その職員は顔が非常に悪いギャングの男のそれで、シャルロットは詰め寄ってくる職員がどうしても無害に見えなかったのだ。シャルロットに職員の制服が分かるわけもない、恐怖で目を見開いた彼女はそのまま踵を返して走りだした。

 無論職員が悪い訳ではない。男は真っ当な人間で、なるべく優しい声をかけようと努めていた。しかし齢二桁にもならない少女には関係が無い。

 

 息を切らすほどに走る。唐突に家族が恋しくなった。シャルロットの目を彩っていた好奇心は恐怖で上塗りされ、抑えられていた不安が膨れ上がっていた。

 母と姉の名前を呼びながら走る。いつしかデパートを出ていたシャルロットは、それに気付かぬまま周りが見えない状態で我武者羅に走っていた。

 

 そして─────。

 

 

「あっ────」

 

 

 交差点に飛び出たシャルロットの前に現れた一台の車。その余りにも遅れたブレーキは、最早間に合わない距離まで近付いている車のブレーキランプを照らした。

 頭が真っ白に染まり、迫り来る鉄塊を見るしか出来なかったシャルロットは、自分がどこにいるのかを漸く理解した。

 いつの間にか溢れていた涙も意識しないまま、呆然と迫る死を感じた。

 

 ────果たしてそれは幻聴だったのか。シャルは寸前のところで聞き慣れた声を聞いた気がした。

 

 己の視界が横からすり抜けるように現れた影で塞がれるのを止まった時の中でしかと感じ取った。自分より一回り大きな肢体にふわりと体全体を抱き留められる。

……それは朝出かけるときに見た、鬱陶しかった筈の姉の色だった。

 

 衝撃が来る。初めて感じる、しかし一切の高揚感も感じないそれは自身の体を抱え込んだ影と共に体を大きく揺らした。倒れ込んだシャルロットは痛くも痒くも無く、抱き込んだ腕が代わりに傷ついていた。

 目を瞑り体を硬くして止まった時間は「大丈夫!?しっかり!」と言う頭上から聞こえる姉の声によって動きだした。

 恐る恐る覗いた姉の顔は焦りと不安で瞳を揺らしていて、その綺麗な紫の瞳を塞ぐように垂れてきた赤い色が自分のやったことの結果だと、意味のない声を漏らしながら、自身に落ちて弾ける姉の血を見て思い知った。

 

 シャルロットは泣きじゃくってただただ謝り続けた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、泣きたいのは姉の筈なのに、自分なんかよりよっぽど痛かった筈なのに、姉はひしと抱きしめて自分の安否を気遣うのみだった。

 

 シャルロットは後で知ったのだが姉の傷は別に深くも何とも無かったようで、流れ出た血はシャルロットと共に倒れ込んだ時に頭を打ったためだった。

 

 一応ということで病院に行ったが結果は無事、後で仲良く母にこってりと怒られて、一波乱あった買い物の旅は終わりを告げた。

 

 その日は鮮烈にシャルロットの脳裏に焼き付いて、以降シャルロットは自分の行動をよく改めるようになった。

 頭に包帯を巻いた姉は変わらず世話を焼いてくる。母は和やかに微笑んで鍋を煮込んでいて、村は今日も穏やかで変わらない。

 しかし今まで知っていても感じていなかった確かな愛の形が今はひしひしと伝わってくる。そうして辺りを見渡せば、今まで見えていなかった確かな価値が彩り始めていた。

 シャルロットはそれを機にまた一つ成長したのだった。

 

 

 

 

 

 そんな過去を振り返りながら、病院の真っ白なベッドに眠っている姉の姿を眺める。姉はピクリとも動かず、血の気の失せた顔で瞼を閉じていた。この姉はまた命を投げ出そうとしたのだ。

 今回ではっきりと分かった。この姉は余りにも自分の命を軽視している。普段は大人しいのにこういう時だけそそっかしく、周りの気も知らぬとばかりに傷付いていく。シャルロットは人知れず奥歯を噛み締めた。

 

 自分の命はどうでもよくて、他人のことは何より大事だなんてそんなのただのエゴだ。全然褒められはしないし、置いていかれる方はどうすればいいのか分からなくなってしまう。

 抑圧し尽くされた精神。一方的な利他主義。

 何が彼女をそうさせるのか、シャルロットにはまだ分からない。

 

 元々何かを隠している気はしていた。姉は常に周りから一歩引いていて、その手を後ろに回して見せないようにしている何かがあると薄々思っていた。

 そして今日、姉は初めて自分に隠してきたものの一端を晒してくれた。

 摩訶不思議な隠し事に戸惑ったが、打ち明けてくれて嬉しかった。だが今日話していて改めて思った。

 姉はまだ人に言えないことがあるんじゃないかと。

 

 それは多分、姉にとっては大事で、自分にはとても言えないことで。

 こんなにボロボロになってまで通す何かが姉を縛っているのだとしたら。

 

 底から煮えたぎるナニカが瞳の中で揺れる。

 それは憤りでもあり、不満でもあり、怒りでもあり、愛でもあった。

 

 血の気を失った姉の寝顔は安らかとは言えず、苦しそうに眉をひそめて眠っている。

 姉はいつだって苦しいときや悲しいときはそれを全部自分の中に押し留めて自分だけで解決しようとするから、「大丈夫」なんてどこも当てにならない。

 

 もうこれ以上姉を傷付く姿を見たくないのに、自分の傷を肩代わりしていく姉。それは大事にされて嬉しい気持ちもあるが、それ以上に自分から傷付いていく姉が許せなかった。なにより姉が傷付いていくのを止められない自分が憎かった。

 もう家族がいなくなるのは嫌だ。姉までいなくなれば今度こそ涙が止まらなくなってどうにかなってしまう。

 

 

 ───強くなろう。姉が守ろうと思う気持ちも起こらないくらいに。そしていつか必ずお姉ちゃんの秘密を知ってやる。

 それで、全部赦して抱きしめて、うんと甘やかしてやろう。

 人の気も知らないで危ないことばっかりするんだから、それくらいの罰ゲームは許されるよね?

 

 

 暮れ始めた日の光が姉の寝顔を染め上げていくのを紫色の瞳で見つめ、自分の手と同じくらいか細い姉の手を握って額に寄せた。

 

 

「お姉ちゃんの、バカ」

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