あれから2日経った今、私は美城プロダクションオフィスビルの30階にあるプロジェクトルーム内にて私物のノートPCを開いてあるサイトを閲覧していた。
あまりネットアイドルという言葉に聞き覚えが無かったが、確かにこれはこれで面白い試みであると私は考える。それにこの大百科等でわかりやすく纏められている点については、彼女がしっかりとファンに愛されていることの証明だと思う。
「プロデューサーさん!お邪魔してもいいですか?」
ふと目の前に人影が映りこんだ事に気がつき、視線を上にあげた。そこには先日プロジェクトに加入した島村卯月さんがこちらを覗き込むようにいつもの笑顔で語りかけていたのだ。
「すみません、少し調べ物をしていたもので気がつくのに遅れてしまいました」
「あっ、もしかしてお仕事邪魔してしまいましたか...?」
「いえ、少し気になる事を調べていただけですので仕事とは...あまり関係はありません」
不安そうに見つめてきた彼女の言葉を否定しつつ、先程まで付けていたぴにゃこら太柄のヘッドホンを外し、ノートPCを畳もうとする。
「そうなんですか!良かったぁ...所でプロデューサーさんは何を聞いてたんですか?」
彼女は安堵した後、疑問に思ったのかそう聞いてきた。
確かに私自身こうやってプロジェクトルームでPCを開くことは珍しいし、私物でヘッドホンを持っており音楽を嗜んでいるという訳でも無い。
「えぇ...その、プロジェクトメンバーの最後の1人候補と言いますか...その方の歌を聞いておりまして」
......少し考えたが特に誤魔化すこともない、本音を言えばスカウトしたい...いや、すべきだ と心の中では決まっていたが。
「えっ!新しい子も決まったんですか!」
「えぇ、はい...まだ彼女へアプローチを掛けてる最中ですので分かりませんが」
...実際の所先日の時点で交渉をするつもりではあったのだが、気がつくと彼女は全ての片付けを終えており、流れに任せてお金を渡した後に雨の止んだ夕暮れの街へ溶け込んでいったのだ。
つまり本人から名前を聞くこともなく見逃してしまった。
「そうなんですか!あのっ、私もその子の曲やお名前聞いてもいいですか?」
「そうですね...」
元より今日も時間がある為、あの出会った路地裏へと向かうつもりだった。
本来ならば私ひとりで行くつもりだったが...その時にある程度彼女の事をを知った島村さんも一緒だと何かと話がスムーズに進むかもしれない。彼女の笑顔にはそんな力がある。
「大丈夫です。あと、この後時間はありますか?」
「?...時間なら大丈夫ですけど...あっ、もしかしてその子に会えるんですか?」
「はい、これからその方のいらっしゃる場所に行きますので宜しければ御一緒にと」
「大丈夫ですっ!プロデューサーさん!」
時間は大丈夫なようだ、なら行くまでの途中自分のスマートフォン等で見せてあげれば大丈夫だろう。
時間は既に4時に近い。今からあの商店街に向かえばちょうどいい感じに出会えるだろう。
「ありがとうございます。では少しお待ちください、準備します」
「分かりました!島村卯月、頑張ります!」
○○○
私が見ていた件のサイトというのは、国内での大手動画サイト『ワクワク動画』という物で、投稿主が撮った動画や画像をアップロード、そこにサイトが広告を付ける事で再生数に応じて収入を得ることの出来る大規模なサイトであった。
そのサイトに辿り着いたのはほんの些細な理由である。
昨日の時点でどうにか彼女の情報を得ようと四苦八苦していた私だったが、事務員の千川さんが、私が口ずさんだあの歌から彼女が動画を投稿している事を教えてくれたのだ。
「へー!...名前はぼ、ぼーかろいど?さんですか?」
「いえ、どうやらそちらはグループ名の様でして、本名...もといハンドルネームは『初音ミク』さんらしいです」
千川さんの手助けもあり、その動画サイトから『VOC@LOID』という投稿主にたどり着いた私は、昨日からその投稿された曲に聞き入っていたのだ。
それらの曲はどれも素晴らしいあの歌声で紡がれており、なおかつバンドの演奏や恐らく打ち込み式の電子音のバランスもプロ顔負けの物であった。
歌と液晶の向こうに映し出された彼女はとても可憐で、いつまでも私の心の何処かに宿る様だった。
「ふわぁ〜!この『Yellow』って曲すっごくハッピーでいい曲ですねプロデューサーさん!」
「えぇ、とても前向きで心の底から暖かくなるいい曲だと思います」
そして何より凄いのがこれらの高クオリティの楽曲を全て個人で行い、なおかつ一月に2.3曲のペースで公開しているという点である。これはプロでも有り得ない数字であるし、そのどれもがサイト内で50万回も再生されているのには本当に驚かされた。
「今からそんな凄い人に会いに行くんですね...私、少し緊張します」
「大丈夫です、1度あった事はありますが悪い人ではありませんでした」
そして電車は例の商店街近くの駅に辿り着いた。
そろそろ夕暮れ時にかかり始めたくらいで、ポツポツと人々が商店街から吐き出されるのが見えた。
「所で島村さん、家の方々にご連絡は?」
「はいっ!大丈夫です!もしかしたらご飯も外で食べて帰るかもしれない点までRINEで連絡しました!」
彼女もワクワクとしているようで、全身から喜びが溢れ出るように見えた。
そのまま彼女と共に商店街へ入る。今日の天気予報は晴れ、多くの学生達が練り歩き店に入りまた出ていく。道端にはギター1つ抱えた人や、数人で集まったグループなどが屯している...端的に言うと非常に賑わっていた。昨日とは大違いだ。
「わぁ!いっぱい人がいますねっ」
「島村さんは、もしかしてこちらの商店街へ来たのは初めてですか?」
「はいっ!いつもお母さんとお買い物行く時はスーパーかショッピングモールなので」
人混みは更に強くなり、彼女を背後に庇いつつそれらを縫うように避けていく。
そろそろあの路地の筈だが...
「あっ、プロデューサーさん...もしかしてあの子じゃないですか?」
平均より高い身長を活かして上から路地を探していると、不意に後ろから袖を引かれた。
振り返ると島村さんがなにか見つけたらしい。言われてみると、後方にあの艶やかな緑色のツインテールが見えた気がした。
「確かに、恐らくアレが初音さんですね。ありがとうございます島村さん」
「えへへ...お役に立てて嬉しいですっ!」
少し道の端に寄り、人混みを避ける。
先程のは見間違いでも何でもなかったようで、あの綺麗なツインテールはフラフラと揺れつつこちらに近づいてくるのがしっかりと視界に写った。
顔が見える距離になると、彼女はハッとした表情を浮かべた後に曖昧な笑顔を浮かべながらこちらへ歩いてきた。
「こんにちは傘のお兄さん?もしかして娘さんとショッピングですか?」
「あぁ...あの、こちらは娘などではなく...」
「...へっ?い、いえ!えっとプロデューサーさんの子供とかじゃなくて...島村卯月、17歳です!アイドルとして頑張ってます!」
一瞬吃り、小声になりつつもいつも通り元気よく自己紹介をする島村さん。
彼女は「アイドル?」と一言呟くと首を捻りつつ悩ましげな、疑問に満ちた目をこちらに向けた。
「アイドル...もしかしてお兄さんはスカウトマンとかプロデューサーになりますか?」
「はい、私はこういう者でして」
サッと懐から準備していた名刺を取り出す。
彼女はそれを受け取るとしげしげと眺めた。
「美城...プロダクション?の武内さんですか」
「はい、今回は初音さんに我社のアイドルにならないかという打診...つまりスカウトを」
そこまで言うと彼女はこちらを再度疑問に満ちた瞳で見つめてきた。何か不手際があっただろうか?
「あの、自己紹介しましたっけ?」
「...あぁ、すみません...あの後歌を口ずさんでいたら知り合いから初音さんが投稿されている動画について教えてもらいまして」
「あぁ!それで...んっ、改めまして初音未来《ミク》、16歳です!」
「えっ!高校1年生なんですか?!」
「あっ、はい、一応高校1年生と同じ年齢です」
なるほど、16歳でしたか。想像より大分低い年齢であることには驚いたが彼女の言い方が少し喉に引っかかる。
「あー、その...立ち話も何ですしファミレスに入りませんか?」
「良いですねプロデューサーさん!さぁミクちゃんも行きましょう?」
「...あっ、はい、ならこの商店街にあるのでそこ行きますか?」
「3名で」
平日の夕方だからか比較的空いている店内へ入る。
3人分のドリンクバーと軽く摘めるポテトなどを注文すると、島村さんが話の本題へ切り出した。
「えっと、ミクちゃんはアイドルに興味なかったりしないですか?」
「アイドル...ですか?確かにそこそこ興味はありますよ?」
「そうなんですかー!なら一緒にアイドルしませんかっ!?」
彼女の持ち前の明るさで彼女へ詰め寄る。花咲く笑顔は否応もなしに殆どの人の心の扉を開くだろう。
「あの...いえ...」
「...?どうか、なされましたか?」
先程までは比較的穏やかな笑顔を見せていたが、その言葉を最後に静かになり顔を伏せる。
「その話...お断りさせてもらっても宜しいでしょうか?」
続いた