①《灰かぶり娘の意》
欧州の昔話の主人公。継母と義姉妹に虐待される少女が、仙女或いは魔女の助けで舞踏会に出かけ、ガラスの靴が縁で王子と結ばれる。グリムやペローの童話が有名。サンドリヨン。
②突然の幸運に恵まれた人のたとえ。シンデレラボーイ。
(コトバンク デジタル大辞泉より)
『心焉に在らざれば視れども見えず』
時刻は既に正午を過ぎ、事務所内の食堂で軽く腹を満たした後に午後の仕事に取り組む。
今日は朝からシンデレラプロジェクトの最後のメンバーである初音さんのボーカルとダンスレッスンが行われており、その後に宣材写真を撮影する予定となっていた。
私個人としてはそのレッスンの様子...と言うよりは初音さんの『現在の』実力がプロ目線でどの様な評価が下されるのかが少し気になり、また先日の時点ではあまり彼女と深く会話を出来なかった為に見学を行いたかった。
然しながら、今日の午前中に島村さんらに降って湧いた貴重な経験である城ヶ崎美嘉さんのソロライブのバックダンサーへの抜擢、それに向けたレッスンの都合等の時間調整があったが為にそれは実行出来なかったのだ。
「やぁ武内君、もう仕事に戻ってたのか...早いね」
「今西部長!すみません今お茶を...」
「いやいや、いいよ。自分で淹れるからそのまま仕事に取り組んでくれ」
ガチャリと音を立ててプロデューサールームの扉が開かれ、シンデレラプロジェクト以前からの上司である今西部長が何かの資料を携えて現れる。
普段から彼はニコニコと人の良さそうな笑顔を絶やさずにアイドル達や私にもアドバイスを行ってくれるのだが、今日に限って言えばその表情は少しばかり芳しくなさそうにも見えた。
「どうかされましたか?些か気分が良くなさそうに見えますが...」
「あぁ、いや...ちょっとね」
彼には言い難い事があったのか、緩慢な動作で備え付けの緑茶のティーバッグを湯呑みに入れてお湯を注ぎながらモゴモゴと口を動かした。
「武内君、その...シンデレラプロジェクトは順調かい?」
「...えぇ、特に今の所は今朝の件以外には問題は起きてません。メンバーの皆さんもトレーナーの指示の元、目標通りの練習をこなせていると連絡が来ています。」
少し様子がおかしい。今の部長はまるで幽霊か何かを見たか、或いは既存の価値観が打ち壊されたかのような心ここに在らずと言わんばかりな雰囲気を身に纏っているのだ。
今朝の件...島村さん達がバックダンサーに抜擢された件に関しても、彼女達が失敗したリスク云々について既に議論をし終え、それでも彼女らは成功すると自信を持ってお互いに納得がついていただけに今更それを蒸し返す今の姿は普段とは掛け離れていると言えた。
「今西部長、失礼を承知で申し上げますが些か体調が宜しくないのでは?持ち合わせの物でよければ幾つか市販薬がありますが...」
「いやいや、体調が悪い訳ではないんだ。ただ自分の中でも整理がついてない事があるだけでね...」
彼はそう言うとゆっくりと応接用のソファーに深く腰を掛け、目頭を軽く揉みつつ天を仰いだ。
整理がついてない...となると今の時期で言えばまさにシンデレラプロジェクト関係以外には有り得ない。だがそうなると一体なんの問題が発生したのだろうか?私にはまだその資料が送られていない以上、今日...いや、この数時間以内で起きた事なのだろう。
一旦スケジュールを纏める手を止めて、今西部長の向かい側のソファーに腰掛ける。すると彼は1口だけ熱い茶を口に含んで口を濡らし、言葉を続け始めた。
「...今朝の件の後まだ時間があったんでね、トレーニングルームに寄ってみたんだ。武内君が肝入りで推してた最後のメンバーを見たくてね」
「あぁ、初音さんの事ですか。もしかして何か問題が?」
そうなると自分自身も動かねばならない。まだ此方には連絡が届いて居ない上、今の所欠点らしい欠点が見えてない初音さんが起こした問題ならばそれ相応の重大な問題であることが伺えるからだ。
「あぁいや、広義の意味で問題がある訳じゃ無くてね...ただ単純に僕には受け入れられない『現実』をそこに見ただけなんだ」
「現実...ですか?」
「うん、もう現状把握の為のレッスンは終わっているんだけどね...これがその結果さ」
そう言うと、懐に抱えていた紙の束から1枚の資料をローテーブルの上に取り出した。
よく見てみればレッスンを行っていた初音さんの個人情報及びに、プロトレーナーさんが確認した彼女の能力を分かりやすくランク分けしたプリントだ。
そこに書かれていた文字は『規格外』を表すSの文字。確かに346プロダクション内部ではSランクアイドルとして所属する彼女達もそれらに振り分けられるVoiceやVisual、DanceのSの文字が評価表に乗せられている事がある。
然しながら、私自身も彼女がここまで完成しているとは思って無かったが『全てにおいてオールS』と言った評価は恐らくこのアイドル業界の歴史上で1人しか当てはまらないであろう文字通りの規格外を表していると言えた。
「劇物だよ、彼女は。『彼女は既に完成されている、自分の魅せ方も惹き付ける声の出し方も全て理解して既存のアイドルを超えているんだ。最早私達トレーナーが彼女に出来る仕事なんて小指の爪の先程も残っていない』...この紙を貰った時にボヤいていたよ。こんな人間を見るのは初めてだ、なんてね。」
「ですが彼女は...」
「あぁ、別に彼女を放流したい訳じゃないよ。彼女の驚異的な才能は貴重だ、けれど彼女が存在する事でこのプロジェクトの『意味』が変わってくる。それを君は理解出来ているかい?」
理解は出来る。言わば彼女が居ることで他のプロジェクトメンバーはただの『餌』へと成り下がり、1匹の飛龍を残して他は全て枯れ果てる...彼自身はその光景を夢想し、それでもなお会社を...否、このアイドル戦国時代とも称される今この時代において『第2のオーガ』を擁することが出来る、その利益を理解してそれでも良いと呑んでいるのだろう。しかし
「しかし、彼女に置いてはそういった事は有り得ません。」
「...ふむ、君が断言するなんて珍しいね?どうしてだい?」
「彼女は...」
『歌うのが、好きなんです』
『ちょっとだけ、やってみてもいいかなって』
「彼女は、元々アイドルになる気はありませんでした。それは私自身が彼女と話して確認したので間違いありません。」
「ですが、その後に島村さんと話した様で...再び顔を合わせた時には彼女が居るなら頑張る、頑張ってみようと言ってくれました。その時の彼女の目は覚悟と信頼で輝いていました。」
「なにより...彼女の歌には優しい心が現れていました。彼女はプロジェクトに必要不可欠な最後のピースなんです。間違いありません、彼女ならメンバー全員を纏め、伸ばし、共に高みを目指すことが出来ると確信しています...!」
...思わず立ち上がり熱弁していたようだ。小っ恥ずかしくなりながら、落ち着いてゆっくりと座り直す。
少し取り乱した姿が意外だったのだろうか?正面に座っていた今西部長は目を点にして此方を見ていたが、やがて両手で顔を覆うと共に喉の奥からクックッと低い笑い声を絞り出していた。
「あぁ、そうか...そうだったね。君はどうしようもなく人の輝きを信じて、強さを肯定する人間だったね。こんなつまらない事を問い掛けてた私が馬鹿だったよ、謝罪したいくらいだ。」
「い、いえ...それには及びません。部長も間違った事を言っている訳ではありませんので...それに私が我儘な事を言っているだけですし」
何かの琴線に触れたのだろうか?今西部長は普段はここまで開き直った様な人ではなく、むしろ本心を隠してある程度中立的な立場を取るような冷静な人物だったはずだ。
しかし目の前の人物は余程面白かったのか、ニコニコと本来の調子を取り戻したのか此方に笑いかけながら謝らなくていいと述べてきた、そして続けて
「いやいや...まぁ結論から言うとこの件に関してはもう言う事はないかな?最早口を出す必要は無いし、君の感性に関しては少しばかり興味があるからね」
「は、はぁ...」
「さて、随分長く話し込んでしまったね。そろそろ件の初音君の宣材写真を取り始める頃だろう。急ぎの仕事はもう無いんだろう?見に行ってあげるといいさ」
気分が乗ったので久々に投稿です