間桐の☆フィアンセさまっ♪   作:ぱらさいと

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 夕暮れの校舎。
 ホームルームが終われば、運動部の僕は帰宅する。
 弓道部の活動は、ない。
 練習は早朝に集中させている。
 それで足りるわけもないけど、まぁ部長殿が決めたことだ。
 部員の大半も賛成している。
 わざわざ波風立てて、ヒールになるのも馬鹿らしい。
 いや、みんな分かっている。時間内に出来る事なんて知れている。
 そもそも朝と午後でまったく同じコトをするわけじゃない。
 基礎体力に始まり、一年は道具の手入れや道場の清掃、二年でも姿勢や作法の確認を疎かにさせない方針だ。
 三年は……まぁ、数えるほどしかいないけどさ。
 ともかく、朝の二時間弱だけでは限度がある。
 顧問の藤村タイガーだって、そんなこと百も承知。
 けど殺人に失踪、集団昏倒と物騒極まりない状況で、日が暮れるまで校内に残らせるのも問題になる。
 だから、これは仕方が無いこと。
 みんな不満はあるけどこのときだけは我慢して、いずれ今まで通りになるだろうと座して待つ。
 だから僕は家に帰る。
「悪い慎二、生徒会で頼まれ事があるんだ。今日は先に帰っててくれ」
 なのにコイツは、この馬鹿はどうだ。
 生徒会の頼まれ事。
 ああそう、衛宮は弓道部を辞めて生徒会に入ったワケ。
「おいおい、何言ってるんだよ。俺が弓道部を辞めたのは、ちゃんと伝えたじゃないか。忘れたのか?」
「そうやってゴマ摺って内申点を稼ぎたい気持ちは分かるけどさ。お前、この校内放送が聞こえてないの? 僕ら、さっさと帰れって言われてるんだけど」
「そうだな。けど一成も困ってるし――」
 ……生活費のためのバイト。
 たかがバイトで、とは言えない。
 衛宮は一人暮らし、親の仕送りもなければ遺産もない。
 裕福な実家でぬくぬくの僕がそれを言うのは筋違いもいいとこだ。
 実際、実生活と課外活動なら前者を取るのが普通だし?
 だから僕にしても、気持ち良く送ってやったつもりだ。
 けどどうだ、コイツはアルバイトどころか「友人で生徒会長のクラスメイトに頼まれたから、一銭の得にもならない奉仕活動」をするから居残るだって?
 それはお前、ねぇよ。
 いくらなんでもなさすぎる。
「衛宮、ハッキリ言わせてもらうぜ。筋金入りの朴念仁にも分かりやすく、丁寧に」
「誰が朴念仁だ。お前の冗談にしちゃあずいぶん下手じゃないか?」
「…………」
 今更ながら、僕もよくコイツと中学からやってこれたよ。
 どうやら間桐慎二ってヤツはそうとう慈悲深いらしい。
 仏ですら三度しか持たない顔を、観音だって指が足りなくなるほど保ってきたんだからね。
「いいかよく聞けこの大馬鹿野郎、帰宅部で時間も金も持てあましてるなら勝手にしろよ、僕も『物好きな馬鹿だな』で済ませてやるさ。けどね。お前、なんのために弓道部を辞めたのさ。生活費だよなァ? じゃあさっさと帰ってバイトして『また弓道部に戻れるくらい稼いでやる』くらい言えないのかよ」
「どうしたんだよ慎二……いや、これは俺が好きで――」
「柳洞には明日、僕から言っておく。今日はとっとと帰れよ」
 コイツに損得勘定がないのはとっくに知ってたさ。
 けど、それは自分一人の損に鈍感なだけだとばかり……なるほど、自分の『評判』とか、自分への『心証』も興味ないんだ。
 まったく、どこまでも馬鹿なヤツ。
「さっさと鞄取ってこいっての。待ってるから、ホラ」
「……明日にでも一成に謝らないとな」
 もし衛宮が頭を下げて一成が下げないなら、あの物臭坊主にも説教してやらないと。
 生徒会の仕事?
 上意下達のお役所仕事を練習する組織が笑わせる。
 腹筋のトレーニングにもってこいじゃないか。
 衛宮はやっとこっちの意図と剣幕が伝わったらしい。
 美綴は放っておけとか言ってたけど、僕はお前より衛宮と付き合いが長いからね。
 アイツへの接し方については、こっちで勝手にやらせてもらうよ。
 妙なところで奥ゆかしいヤツだ。
 まぁ、徹頭徹尾に図々しいよりずっといいさ。
 引っ込み思案とふてぶてしさが合わさったら、それはもう目も当てられない。
 ああ嫌だ嫌だ。
 なんで僕はこう、いつもいつも馬鹿に足並みあわせてるんだ?
 意外と世話焼きなの?
 僕が?
 いやいや、そりゃないね。
 衛宮くらいない。
「……ちょっと冷えるな」
 下足室前は風の通り道。
 いくら冬木が九州にあるたって、冬になれば寒い。
 一応マフラーは巻いているんだけど、やっぱり冷える。
 家まで耐えるか、それとも自販機でコーヒーでも買うか。
 家は遠いんだよね……けど缶コーヒーなんて、自販機で買うには味も量も割高すぎる。それに僕だけ飲むのも大人げない。
 衛宮には叩きつけるくらいしないと、普通に断るから。マジな話。
 桜は……別にいい。
 アイツにコーヒーの味なんて分かるのかよ、ブラックは苦い、ミルクで美味しい、そんなもんじゃないの?
 ってなんで僕は衛宮にコーヒーを奢る体で考えてるんだ!?
「悪い、待たせた。じゃあ帰ろうぜ。ここは寒すぎるな、こういう日はさっさと帰って暖まるに限る」
「ああそうだね」
 一発殴ってやろうか、お前。
 どうしてそう無自覚に喋れるのさ。
 ちょっと心配になるぜ、友人として。

 大した話題なんて互いに持っていない。
 試験はどうだとか、こないだの課題は多すぎだとか、そんな雑談。
 面白くもない。
 来年には受験生、話は自然そちらへ傾く。
「慎二は卒業したら、やっぱり大学に行くのか?」
「まあね。こんなド田舎じゃ、僕の才能は磨ききれないだろう?」
「俺もそう思う。何をやっても器用というか、要領よく結果を出してるからな。向こうでも上手くやれるさ」
「それ、僕が手抜き上手みたいに聞こえるんですけど」
「それは誤解だ。真面目に褒めてる」
 なぁ、そこは素直に褒めるんじゃなくてさ。
 ちょっと困った風に「少し寂しくなるな」とか、そういう感想を出すところなんだぜ衛宮。
「それに桜も寂しがるだろうな」
「ぬげふォあっ」
「おい大丈夫か!? 何に躓いたんだ!?」
 ずっこけるわそんなの!!
 アホかお前!! 桜が!? 僕がいなくなって!? 寂しがる!?
 そんなわけあるかよバァカ!! このバァカ!!
「は、はは。もしかしたら寝不足なのかもね」
「夜更かしは身体に毒だぞ慎二。ちゃんと早く寝ろよ?」
「ご忠告痛み入るよ……受験も終わってるし、少し休むのもいいかもね……」
「ああ、それがいい。何事も身体が資本だからな」
 お前といたら身が持たない。
 今日やっと確信したよ衛宮。
 ……けど、不思議とこういう馬鹿は世界を探しても冬木に一人しかいないんだろうな、なんて思ってしまう。
 一人でも十分すぎるってのにさ。
 僕まで馬鹿になったみたいじゃないか。
 服についた汚れをはたき落とす。
 衛宮は、そうか。桜と知り合ってもう随分経つんだっけ。
 けど、流石に間桐の事はよく知らないか。
「桜は知らないけど、アイツは間違いなく寂しがるんじゃないの?」
「じゃないのって、それはあんまりだろう。いくら慎二でも流石にそれはないと……いや、もはや『ない』。ないな、うん」
 うんうんと頷いてくれちゃって。
 世界で一番『ない』男殿堂入りの衛宮士郎に言われたら世も末だ。
 あんまりなのも、ないのも、全部お前だよ。
 頭のネジも含めて。
「いいんだ。っていうか、アイツ、本当に僕らの一個下かすら怪しいと思わない? どれだけ大目に見ても中学生じゃん」
「んー、俺にはそんな風には見えないけどなぁ。ああ、確かに体重はちょっと軽いかな」
「ちょっと待てよ。なんでお前が知ってるんだよ。そこはハッキリさせておこうぜ衛宮」
「なんでって、図書室でたまたま会って、そのときに上の棚の本を取ってくれって頼まれたんだよ。あの棚、一番上は踏み台使ってもちょっとキツかったろ?」
「……あ、ああそう。ならいいんだ。悪いね食いついちゃって」
 桜が言うには『ちょっと発育のいい中学一年生』らしいけど、それで僕に伝わると思ってるのが最高にムカつく。
 分かったら逆にヤバいよ。
 ……けど、アイツが衛宮にそんなこと頼むなんて。
 意外と言えば意外かな。
 他人に見せるような隙がある人間と思っていなかったから。
 それであっさり引き受けるコイツも色々不用心すぎる。
 見た目は中学生でも実年齢は一六歳。
 そんな異性を抱っこするって、児童相手にしてんじゃないんだからさ。
 内心で何十回と呟き呆れぼやき突っ込んでいたら、分かれ道だった。
 夕陽も水平線にほぼ消えつつある。
 紫がかった空に橙色の縁が滲んでいる。
「じゃあな慎二、また明日。夜更かしするなよ」
「うるさいよ衛宮。そういうお前こそ、足下には気をつけるがいいさ」
「俺は健康優良児だ。まだそんな歳じゃない」
「僕とお前は同い年だっつーの!! ああもう、ほんと疲れるヤツ!!」
 なんだアイツ!!??
 どういう捉え方でその答えになるんだよ!!??
 やっぱり下足室で一発ぶん殴っておけばよかった!!!!


1.PROLOGUE

「お帰りなさいシンジ! 夕飯までもう少しかかるから、良かったら手伝ってくれないかしら」

 僕の住まいは年中薄暗い。

 窓も何枚か割れて放置されている。

 小さい頃は父さんがいたから、それほど怖くはなかった。

 今も、このあちこちに影がある我が家は怖くない。

 けれど、コイツは――

「あら、膝のところ。少し色が変わっているわ。どこかでぶつけたの?」

「気にしなくていいよ。こんなのすぐ取れる」

 まさか許嫁の前で「友人の発言にずっこけた」なんて言えっこない。

 どんな馬鹿男だと思われるか。

 むしろ馬鹿男の方がマシだ。

 この華奢な童女は、よりにもよって本当のことを言えばころころと笑うだろう。

 それが正解だと分かって、正しいリアクションを実行する。

 つくづく機械みたいなチビだ。

 制服の膝についた汚れを手でサッと払う。

 マナカはそれであっさり引き下がった。

「それじゃあ手洗いうがいをして、台所に来て。私じゃ上の戸棚に手が届かないの」

「桜はどうしたんだよ」

「あの子は衛宮くんの家に行ったわ。お夕飯も、あちらで戴いてくるんですって」

「ふうん」

 間桐マナカ――漢字では『愛』に『歌』と書く。

 外見に相応しい名前だ。

 フリルたっぷりのロリータドレスの上から、愛用のエプロンを着て夕食の準備中の様子。

 この童女が僕の許嫁。

 同じ間桐姓だけど、血縁関係はない。コイツはただの養子。

 お爺様が何年も前に引き取って、後見人として僕らと一緒に面倒を見ている。

 だから、僕が独り立ちする頃に合わせて結婚させるつもりでいる。

 ……見た目には、恐怖すら感じさせないほどに無欠の黄金比だ。

 パーツの一つ一まで均整が取れ、顔なんて、そこらの西洋人形が恥じ入るあまりに自殺しかねない。

 チープかもしれないが、美少女だ。

 むしろ、愛歌の容姿が美少女という言葉の語彙と適合するからこそ、世間は美少女というものをありがたがっているという錯覚に陥りかねない。

 それほどに美しく可愛らしい。

 ただ、何度も言うが身体は童女だ。

 体重も軽く歩いているだけで浮き上がりそうなほど。

「悪い悪い、すぐ行くよ。キッチンで待ってな」

 はやくはやくと頬を膨らませて急かす様も、多分僕じゃなければ、ただそれだけで魂まで魅了されているだろう。

 鞄をリビングに置いて、言われるがままに手洗いうがいを済ませる。

 濡れた手を乾いたタオルで拭き、今や愛歌の城と化した間桐の厨房へ。

 チラホラと並ぶ最新の家電。 

 冷蔵庫にオーブントースター、電子レンジにフードプロセッサー。

 効率的に料理をするための道具をよく揃えている。

 中途半端な開いた戸棚を完全に開け放つ。

「どれを取るんだ」

「右から二番目、一番大きな白いボウルをお願い」

「ああこれか、そりゃ無理に取ったら割れちまうもんな」

 厚みのある陶器製のボウルを降ろす。

 これを背伸びして、片手で取ればまず落っことして割る。

 僕でも用心して両手を使った。

「これでいいのか?」

「ええ! ありがとうシンジ、おかげでマリネが作れるわ」

「そう。楽しみにしとくよ」

 口で期待していると言っても、内心は無感情だった。

 愛歌は食材、レシピに関わらずなんでも作る。

 卵焼きや煮物はシンプルなようで技術を要求される。

 外国料理だと、冬木でもあまり見かけない食材を使うこともある。

 それで出来映えが変わったことはない。

 あったとして、ただ不慣れだっただけのこと。

 二度目からは絶対の完成度で出してくる。

 たかがマリネ一つにしてもそう。

 味の保障は完璧で、分かっているから期待するだけ無駄もいいとこだ。

 ……そろそろ自分の部屋に行こう、ここにいても邪魔になる。

 手伝うようなことがあるとも思えない。

 包丁だって握ったことがないんだぜ、皿洗いも出来るか怪しい。

 宿題もある。やってなんになるって感じは拭えないけど、やらないよりはマシ。

 この歳で、たかが宿題一つで説教食らうなんて間抜けだ。

 いいサーモン使ってるなと、ぽつりと思った僕を、愛歌は呼び止める。

「あ、あのね。もし良ければなのだけど、もう少しの間、待っていて欲しいの」

「なんで」

 綺麗に整えた金髪で、顔が少し隠れる角度。

 軽く俯き赤くなった頬を視線から遮りつつ、恥じらう乙女の様子で。

「たまの機会だし……い、一緒に、お料理しましょう?」

「…………」

 断ろうか、正直迷った。

 僕は間桐愛歌が苦手だ。単純に怖い。

 なんでも完璧に把握していて、コイツの一挙手一投足は「最適」だ。

 僕だって天才に類するけれど。この小さな許嫁は全能。

 童女の形をした神に見えることすら少なくない。

 それで「ああ、いいぜ」と言ってしまう辺り、やはり僕は馬鹿だ。

 お人好しなんて生ぬるい。筋金入りの大馬鹿野郎。

 よくもまあ衛宮のヤツにあんな啖呵を切れたモンだよ。どの口が言うんだか、身の程って言葉を知らないアホなんだろうね。

 けれど男に二言はない。

 エプロンをかけ、シャツの袖をまくって愛歌の隣に立つ。

 それだけでもこんなに嬉しそうにすると、幼さが際立つ。

「今日は絶対に美味しくなるわ。ええ、間違いなく美味しいに決ってる! だって、シンジと私で作るんだもの!」

 そりゃあようござんした、と返してやろう。

 へその曲がった嗜虐的な回路を作動させる僕は、怯んだ。

 こちらに向けられた大輪の笑顔。

 僕からしてみれば見慣れているはずの、愛歌の得意な表情。

 それがこの至近距離で目に飛び込んでくる状況は初めてで。

 

 網膜を焼かれそうなほどの輝きに、気圧された。




 食後。
 自分でこねたハンバーグ生地は、可もなく不可もなく。
 愛歌の作ったソースがあって、ようやく及第点だった。
 デザートも胃に収め、片付けも済んだ。
 心地良い満腹感に包まれる。
 それから帰宅した桜も交え、明日の予定を少し話す。
 話すのはずっと愛歌と桜で、僕は聞き手。
 一番気楽な身分というわけだ。
「私はしばらく、学校をお休みします」
 当然、弓道部の朝練も。
 顧問と部長に伝えておけばいい。二人とも深入りしない。
 桜はおおよそ二~三日家に籠もる。
 その間の家事は、今日みたく愛歌と僕で分担。
 ほとんど力仕事になる。放課後は楽にしているし、面倒なだけだ。
 新都に誘おうにも、日没が早いから乗るヤツも少ない。
 重要なこと、というより僕に関係あることは一通り済んだ。
 関係無いことの方こそ間桐の本領。
 この世ならざる超常の力を駆使して暗躍する……そんな感じ。
 長男、それも間桐の血を引く唯一の人間だが、詳しいことは知らない。
 僕に素養がなかったからこそ、桜と愛歌がいる。
「セーハイセンソ-、だっけ? そこまで準備して臨むなんて、ずいぶんとご大層なイベントなんだろうねェ。いやぁ羨ましいよ、そんなに面白そうなことを見学も出来ないんだもんね僕は」
「……私も、別に……」
「おいおいおいおいおい……何言ってるんだよ桜、お前は主催者に選ばれたんじゃないか。たった七人の内の一人になったんだぜ。招待状を貰っておいて辞退するなんて、野暮ってもんだろ」
「聖杯戦争は、兄さんが思ってるようなものでは……」
「魔術師通しの殺し合い。そのくらい知ってるよ。桜は間桐の真の継承者だから、そのお祭り騒ぎに加わる資格を渡された。向いてないけどね。実際、ひいき目にみてもお前はどんくさいし優柔不断で他力本願なトロいヤツだ。けど、僕は長男のくせに参加すら出来ないんだぜ?」
「……………」
「それは本来なら僕が得るはずだったんだ。けど、才能がないんじゃ逆立ちしたって無理なんだよ。だから、僕としてはその参加権を大切にして欲しいと思うワケ」
 桜が家に来てもう十一年。
 いい加減に僕の言いたいことを、半分、いや一割でも理解しているはずだ。
 妙なところで頑固な上に、何かあるとすぐ逃げたがる。
 そのくせいざとなると立ち止まって固まったまま。
 こっちはお前よりお前のズルさを知ってるんだよ。
 それを知っててここまで言ってやってる僕の心情を、頼むから一滴でもいい、ちゃんと汲んでくれ。
 肉のついた唇が微かに震えた。
 何を言うのか、じっと待つ。
 文句か、ヒステリーか、なんでも良い。
 引き出せれば畳みかけてやる。
 心底に底意地の悪い笑みを浮かべてやれば、スイッチも入りやすいだろう。
 けれど。
 この程度で上手く行くなら、桜は十一年も間桐にいなかったわけで――

「おお……よくぞ申した慎二。まこと、マキリの男子たるに相応しく育ちおったことよ。じゃがそう卑下するでない、元を辿ればそなたの伯父がすべて鵺野に押しつけたことこそ根本。あれが出奔なぞせなんだら、斯様に苦労をかけずとも済んだものをのう……いやまこと、口惜しい限りじゃて」
 耳障りな蟲の羽音が全部ひっくり返していく。
 感情豊かな好々爺を演じる妖怪が笑んでいる。
 間桐臓睍……魔術師の一族『マキリ』の長であり、僕と桜と愛歌の、育ての親。
 表向き祖父としているが、年の差は数世紀に及ぶ。
 そんな怪物は濁った目で桜を見遣り、
「桜よ、兄の心情を汲んでやるのも妹の務めと心得よ」
「はい、お爺様」
「今宵に英霊召喚の儀式を執り行う。疾く身支度を済ませ蔵へ行け」
 命じられるがまま、桜は席を立つ。
 広々とした居間から姿が消えると、残ったのは場違いにのほほんとした愛歌の微笑みだけだ。
 あとはとにかく重苦しい。
「愛歌、そなたも蔵で桜の儀式を手伝うてやれ。アレ一人では陣を整えることすら叶わぬわ」
「はい、お爺様。おやすみなさい、シンジ。それじゃあ、私は向こうに行ってくるわね」
 小さな手をひらひらと振って、丁寧におやすみまで欠かさない。
 桜を追うようにてとてと出て行った愛歌。
 アイツも魔術師だ。祖父が言うには、桜以上の傑物だそうだ。
 面白くもない。
 妹ばかり進んでいってしまう。
 僕は蚊帳の外に放ったらかして。
「桜のヤツ、聖杯なんて望んでないぜ」
「それが悩みどころよな。ああも塞ぎ込むこともあるまいに。万能の願望器とあらば奮起すると踏んでおったが、案の定じゃったわ」
「その願望器、僕がぶんどって来ようか」
「哥哥哥、爺を喜ばせたいか。つくづくそなたは殊勝な孫よのう」
「冗談じゃないんだ。桜が召喚した英霊を、僕が従えてやればいい」
「他ならぬ孫の頼みとあっては儂も甘くなるわ。じゃがのう慎二、そなたはいずれ間桐の表を司る男となる。そのお主を危険に晒すのは、些か博打が過ぎるというもの。戯れ事であれば、儂も鬼となって弁えさせねばならんぞ?」
 聞いてくると思っていたさ。
 お爺様は、間桐らしい答えでなければ許さないだろう。
 陰湿で、ねじ曲がった、嫌らしい理由。
 そんなもの、いくらでも用意出来る。
 なんせ僕は間桐の長男。
 魔術師マキリ・ゾォルケンの血を引く、世界で唯一人の人間なんだぜ。
「あの遠坂も参加するんだろう? 前に学校で散々恥をかかされてね、一度痛い目に遭わせてやりたいと思ってたんだ」
「おお、あの小娘か。そうであろうな。あれは父親(てておや)に似て気位と根性ばかりの女子、そなたとは合わぬと思っておったわ」
 どういう意味だよそれは。
 その台詞を殺して、以前にこっぴどく振られたことを思い返す。
 僕は全然そんな意図じゃなかったってのに、何を勘違いしていやがる。
 自意識過剰なんだよあの女。お高く止まりやがって。
 そりゃお前は遠坂の頭領で、管理人の仕事に遺産のやりくりに多忙なのは百も承知さ。
 僕が大真面目にお前をナンパするわけないだろうが。
 魔術師でもなんでもない僕からすればな。
 いち同期でしかないお前から路傍の石みたいに扱われる覚えはないんだよ。八方美人の優等生気取るなら、その辺も徹底しろよクソが。
 どいつもこいつも、人の気持ちも知らず言いたいことばかり……。
 放課後の衛宮のことも火に油を注ぐ。
 返す返す馬鹿揃いだ。
 根が短気で陰湿な人間が腸を煮えくりかえらせれば、どうなるか。
 自分でもよく分かっている。
「アイツには間桐と遠坂、どっちが格上か思い知らせてやる良い機会だと思ってね。聖杯のついでに、遠坂の血と家も持って帰ってくるさ。あの思い上がった高慢女の鼻っ柱をへし折ってやる」
 祖父もこれで満足がいったらしい。
 どこまで見透かしていようが、偽らざる本音には違いない。
 前々からムカついていたんだ。
 人を魔術師みたいに言うくせ、魔導の素養がないと知っているアイツが。
 事実だから言って良いとか、そういうのじゃない。
『分かってないのね。見ているだけで可哀想だし、仕方がないから教えてあげる』
 そういう偉そうな態度、ナチュラルにこっちを見下した物言いがいけ好かないんだよ。
「まこと、大きくなったのう慎二。いや天晴れ。間桐の血を引く者に相応しゅうなった。良かろう、桜が召喚しようサーヴァント、お主にくれてやろうではないか」



 饐えた臭気がじくじくと肺を犯す。
 男と女、それぞれの精と血が混じり腐ったおぞましい悪臭。
 そして絶えず鼓膜を嬲る蟲共の羽音。
 重奏と言えば聞こえは良いが、目で見れば壁中の穴という穴から無数の蟲が溢れ、天井から床まで覆い尽くしているのが現実だ。
 醜悪の極地にあるこの地下室こそ、間桐八〇〇年の妄執の結晶。
 奇蹟を求め、縋り、追い続けた男の有様を、見事に体現して見せている。
 この場にいるのは愛歌と桜の二人だけ。
 冷たく湿った石材の床に描かれた円形の魔法陣。
 時空の遙か彼方から英霊をサーヴァントとして呼び寄せるためのもの。
 描き上げたのは愛歌である。
 桜はただ陣の中心に立って、涙を流している。
「兄さんは、やっぱり私を恨んでたんだ……私が間桐の跡継ぎだって、思ってるんだ……」
 十一年の間で、桜にとって慎二は『近づきがたい他人』から『気難しい兄さん』に変わっていた。。
 言い様こそ辛辣で陰湿だが、本心から悪意を向けているのではないと。
 最近ようやく気づいて、少し馴染めそうだと思った矢先のことだった。
 魔術師の家に生まれ、魔術師の常識を備える桜は涙した。
 自分は兄の怒りを買ってしまった。
 この家で、ようやく甘えても――表面上はさておき――怒らない人がいたと思えたのに。
 自分がワガママを言ったから鬱憤を爆発させてしまった。
 もう取り返しがつかないと、後悔と自責の念で泣きじゃくっていた。
 そんな義理の姉を、愛歌はそっと抱きしめる。
「ほら、泣かないで桜。あなたが泣いたら、私まで悲しくなるもの」
「でも、私兄さんを……!」
「桜は、まだ知らないのね。慎二はね、とっても頭が良いの。自分でも分かってて、だから色んな事に気づいちゃう。優しいから教えてあげたいけれど、自分は賢いって知ってるから。普通に言うのはかっこわるいと思っているだけ」
 同い年の少女でも、背丈は頭一つ以上の差。
 およそ一六歳には見えない色艶を帯びた桜に対し、愛歌の容姿はさらに十歳ほど幼く見える。
 そんな少女たちが、かたや薄く盛り上がった妹の胸に抱かれ、かたや大粒の涙を零す姉を抱擁する。
 血は繋がらずとも姉妹の絆は強固。
 生まれながらに妹であった桜に、かつて一時ばかり姉であった愛歌はそっと少年の秘密を囁く。
「慎二って、そうは見えないけれど、とても照れ屋なのよ? さっき桜へあんな風に言っていたのも、照れくさいから。桜が本当に嫌なら、無理せずに辞めていいよって。本当はそう言いたいの」
「ま、愛歌は……どうして、分かるのっ」
 嗚咽に語尾を振るわせながら尋ねる。
 目元を真っ赤に泣きはらした姉に、妹はにっこり微笑む。
「だって私、慎二のお嫁さんだもの!」
 少しばかり頬を赤らめる家族に、桜の涙もようやく止まる。
「いいなぁ愛歌。ちょっとだけ、羨ましい」
「ふふ、そうでしょう? さあ、涙を拭いて。真っ直ぐ立って。もうすぐお爺様もいらっしゃるわ」
 慈愛に満ちた微笑に促され、桜は立ち上がる。
 間桐の蟲に嬲り尽くされた身体。
 大魔術の行使に励起した魔術回路の作用で、衣服を穢すまいと裸身で望む召喚儀式。
 足下の蟲たちがざわめき波打ち始めたと同時。
 蟲蔵の扉が音を立てる。
 ぎいと軋んだ金属音。
 唯一の出入り口を見上げれば、
「に……兄さん?」
「なんでこんなところで服着てないんだよお前」
「もう、ダメよ慎二。家族だからって、女の子の裸を見つめちゃ」
「見つめてねぇよ。驚いただけっての……ああもう、こっちまで寒くなるから、これ羽織ってろ」
 修行用のローブを羽織り、右手に洋書を携えて慎二が蟲蔵の最下層に立つ。
 呆然とする桜に魔力逆流を防ぐローブを譲った。
 これで自然と胸は隠れ、桜もきもち楽になる。
 両手で秘部を隠したままだが、それでもだ。 
 一方、慎二は間桐の正体を目の当たりにしていた。
 そのおぞましさ、醜悪さ。桜の『修行』も、おおよそ見当がつく。
 遠坂への復讐心で埋め尽くされた胸中に、マキリへの嫌悪が生じた。
 右手に力を込めれば、臓睍より与えられた『偽臣の書』が、硬い感触を返す。
 臓睍も無言の内に参じ、儀式の用意は完了した。
 英霊を召喚するための聖遺物。
 現存する神秘の結晶は、アナトリアで出土した鏡。
 太古の神代、地母神信仰の芽生えし地に縁深い品だ。
 如何なる者が出でようと、慎二の覚悟は決っている。
 閉ざされた間桐の未来。
 切り拓くは我が腕。
 悲壮も過ぎれば滑稽に過ぎる。
 間桐慎二という、一門の零落を象徴する者は、秘蹟へ縋る他にない。

 「――告げる」

 紡ぐ声は覚悟に震える。
 背負えなかったものの重さに耐えかね、崩れそうになりながら。
 
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 得るべくして得る栄光を求め。
 彼は見捨てられようと立ち続ける。
 憐憫すら向けられずとも、誇りがあればこそ。
 だがしかし、この聖遺物で飛び出す英霊とは、果たして何者なりや――

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 真の主を庇うように。
 包むように。
 慈愛に満ちた光が桜を包み、間もなく爆ぜる。
 しばしの沈黙を経て、彼は目の当たりにする。

「これが……僕のサーヴァント……」

 その女は美しく、そして冷たい気を纏っていた。
 倒れ込んだ桜を抱く様は、獲物を捕らえた蛇そのもの。
 固く結ばれた口が開き、誰何の声が静かに響く。 

「問おう。貴方が私のマスターか?」
 
 気怠げな女の真意や如何に。
 だがその問いは、慎二の理性を一気に鎮める。
「ああそうさ。この僕が、お前のマスターだ」
 女はしばし沈黙。
 ややあって、状況を呑み込んだらしい。
 気負いも忠義もない、ダウナーな調子でゆったりと。
「サーヴァント、ライダー。召喚に応じ馳せ参じました。どうぞご自由にこの身をお使いください」
 その無気力さに眉根を潜める慎二。
 だが、臓睍の訓令ですぐに表情を変えた。

「よいなお主ら。絆の力こそ間桐の力、この言葉しかと胸に刻むがよい」

 どういう意図が図りかね、悪辣極まる冗談に長兄は私は渋面を作る
 末の妹はスカートの端を摘まみ、上品に一礼して応える。
 そして桜は――

「はい、お爺様」

 消耗故に声は掠れようとも。
 浮かべた笑顔の眩さは、状況を掴めず沈黙を選んだライダーの眼にしかと届いた。
 それが、桜が間桐邸で見せた最初の笑顔とも知らず。
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