死が二人を分かつまで【完結】   作:garry966

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お待たせいたしました。第九話になります。
これにて第二部完!いやはや長かった。ようやく物語は折り返し地点です。第四部まである(絶望)
第八話サブタイトルの元ネタ、岸田教団の『LIVE MY LIFE』の歌詞は次回予告というかほぼネタバレだったわけですが、特に誰にも言われませんでした。当たり前か……
この話を読み終わった後、もしよかったら聴いてみてください。(https://www.youtube.com/watch?v=xOrkyn8HDVg
読まなくてもいいとか言ったけどバリバリFAMASの話絡ませてる気がする。まあ、多分平気です。
次も多分間隔空きますけどどうかよろしくお願いします。


死が二人を分かつまで 第九話前編「COSMOS -Over the pain-」

「AR-15、今回はどうすればいいと思う?」

 

 M4A1が私に聞いてきた。現実世界ではない。私たちは再び訓練用の仮想空間にいた。昨日の地とはまた違う場所だ。見覚えがあるような気もする。だが私は思い出そうとはしなかった。

 

「さあ?分からないわ。M4A1、あんたが考えなさい。あんたが指揮官なんだから。私の指揮、判断能力はあんたに劣っている。聞くだけ時間の無駄よ。私は何も考えない、助言もしない。どうでもいいことよ」

 

 M4A1に冷たく言い放つ。何も考えたくなかった。彼女は唇を真一文字に結んで私をじっと見ていたが、少し棘のある口調で言い返してきた。

 

「AR-15、何か怒ってるの?昨日、私があなたの指示に従わなかったから?でも、あなたが言う通り私が指揮官なのよ。何をするかは私が決めるわ。もし、それで拗ねているというのならやめて。訓練のために力を貸して」

 

「怒る?違うわ。そんなくだらない感情は持ち合わせていない。人形に感情など。馬鹿らしい。隊員の、それも人形の感情を勘繰るなど無駄なことよ。指揮官は堂々と自分で判断しなさい」

 

 M4A1は困り果てたような表情を浮かべていた。私たちが仮想空間に入ってから時間が経過していたが、最初の拠点から動いていなかった。作戦が立案されていないためだ。昨日は最初の訓練ということで大勢の人間が訓練を見守っていた。今日はそれが嘘のように少人数の人間しか見ていない。それでもM4A1は失敗できないと焦っているようだった。どうでもいいことだ。

 

「お願い、AR-15。力を貸して。私たちはグリフィンの役に立たないといけないのよ。それが私たちの生まれた理由なのだから。こんな訓練で立ち止まっている場合じゃないのよ」

 

「グリフィンのためね。あんたがそう思うなら別にいいわ。大義だのなんだのはあんたが考えていればいい。私は考えないわよ。好きなように命令すればいい。ダミーにするようにね。私はそれに従う。人形の存在意義とは隷属することにある。道具として扱って、適当なところで使い捨てればいい。別に恨んだりしないわ。そのために生まれてきた」

 

「ダミーだなんて!そんなことできるわけ……!一体どうしちゃったのよ、AR-15!あなたらしくないわ!」

 

「私らしさ?M4A1、あんたが私の何を知っていると?いえ、知るべきことなどない。元々インプットしてあるデータ以外に知る必要はない。それ以外など存在しないのだから」

 

 それ以降もM4A1は何かを言っていたが、私は何も言わなかった。思考がまとまらなかった。彼女はやがて諦めたのか、しばらく地図とにらめっこした後に指示を出し始めた。私はそれにただ従った。口を挟む気も無かったし、することも出来なかった。そんなことに何の意味があると言うのか。私が自分で見つけたと思っていた戦う理由は消え失せた。今まで訓練に力を入れてきたのはすべて指揮官のためだった。それを失った今、私は何のために戦えばいいのか。思いつきもしなかったし、探す気にもならなかった。

 

 今まで指揮官のことだけを考えて生きてきた。指揮官と一緒にいたい、別れたくない。嫌われたくない、好かれたい、家族になりたい。指揮官を悲しませたくない、助けたい。指揮官を悲しませた人間たちに復讐してやる。だが、もはや私はすべてを失った。怒りも、憎しみも、他の人形への優越感も。すべて私が台無しにした。指揮官を全力で傷つけた。あのまま何もせず、知らない振りをしながらごっこ遊びを続けていた方がよかったのかもしれない。その方が心地よかっただろう。だが、そんなことは出来なかった。たとえ指揮官が偽物だったとしても、私の存在を忘れて欲しくなかった。そんなことは許せない。私の心に唯一残っているのは架空の存在への愛だけだ。同じように本物の感情を指揮官の心に刻み付けたかった。私にはあれしか思いつかなかった。

 

 私はもう空っぽだ。これから何のために生きていけばいいのだろう。戦う理由も生きる理由も失った。私は戦うAR小隊のメンバーを見ながら思った。もう彼女たちを見ても何とも思わない。これまでは彼女たちの一挙手一投足が気に入らなかった。作り物の感情を植え付けられた人形たちが家族ごっこを演じていると気味悪がっていた。私だけが特別なのだと思っていた。でも、私たちは何も変わらなかった。いや、私の方が救いようがない。彼女たちは互いに家族だと認め合っている。互いに気遣い合って、掛値の無い家族だと本当に思っている。私はどうだろうか。ずっと利用されてきただけだ。想いはずっと一方通行だった。台本に描かれた役柄相手に本気の恋をしてきた。舞台を一人でうろつき回るピエロに過ぎなかった。指揮官やグリフィンの人間たちから見たら、それはそれは滑稽だっただろう。

 

 空白だ。私はどうしようもなく空っぽだった。M4A1に助言を求められたが、どう頑張ってもそんなことは出来なかった。私には指揮官しかいなかった。今まで培ってきた知識もすべて指揮官に関するものだ。もう何が本当なのか分からない。訓練の間、私はダミーと何も変わらなかった。指示に従って、照準を合わせ、引き金を引く。単純な作業の繰り返し。これが人形の本質だろうか。人形は物じゃない?一体誰が否定できるというのか。観客を楽しませるためだけに使われる操り人形に誰が意味を与えてくれるというのか。私には何もなかった。助けを求める相手も誰もいないのだ。孤独だった。

 

 

 

 

 

 私たちは負けたらしい。私も殺された。だが、特に何も感じなかった。命など惜しくない。そもそも人形に命などあるのだろうか。破壊されてもバックアップがあるのだ。復元後に自己同一性が保てないというだけ。私に自己などない。だから恐怖もない。そんなもの感じる必要がない。

 

 訓練が終わって、私たちは帰路についた。ポッドから出て以降、M4A1はずっと落ち込んでいた。勝ち負けなどくだらない。そんなものに気を取られることができるのが羨ましい。私も何かに価値を見出したい、そう思った。

 

「M4、そんなに落ち込むな。昨日より敵の練度が高く設定されてたんだよ。指揮系統もしっかりしてたしな。まだお前は経験が浅いんだし、グリフィンも連戦連勝を望んでるわけじゃないさ」

 

 沈んでいるM4A1をM16A1が慰める。それが事実なのかは分からない。戦っている間は何も考えていなかったし、全体の戦況も把握していなかった。何故敗北したかも分からない。どうでもいいことだった。下を向いてトボトボ歩いていたM4A1が顔を上げ、恨めし気に私を見た。

 

「AR-15、どうして助けてくれなかったの?昨日はあんなに手助けしてくれたのに……ごめんなさい。あなたに従わなかったのは謝るわ。機嫌を直して欲しい。私にはあなたの助けが必要なの」

 

「フッ、何を謝っているんだか。あんたの行動が原因で子ども染みた真似をしてるとでも?思い上がりよ。あんたなんてどうでもいい。ただ気づいただけよ。戦うことも、考えることも、感情も、無意味だわ。考えるのはあんたがやっておきなさい。あんたの方がスペックが高いんだから。負けたのはあんたのせいでしょう。私には関係ない」

 

 M4A1を鼻で笑い飛ばすと彼女は顔を赤くしてムキになる。

 

「そんな風に言うことないじゃない!私たちは家族なんだからどうでもいいなんて……!どういうつもりなのよ!」

 

 私に食ってかかるM4A1の前にSOPMODⅡが両手を広げて立ちふさがる。

 

「まあまあ、M4もやめなって。AR-15は今朝、指揮官と何かあったんだよ。泣いてたし。何も言ってくれないけどね……AR-15、私たちは家族なんだから辛いことがあったら言ってくれていいんだよ?ううん、言ってほしいな」

 

 SOPMODⅡが私の方に振り向いてそう言った。以前なら気持ち悪いと吐き捨てていただろう。今は虚しいだけだ。悲しくて、寂しい。作られた家族でも羨ましかった。私にも他の拠り所があればきっとまた違ったんだろう。

 

「家族?家族ね……ふふふ。そんなもの全部まやかしに過ぎないわ。家族だなんて自分たちで決めたわけでもないでしょう。製造される前から人間に決められていたことよ。所詮はプログラム、虚構に過ぎない。私たちは自由に感情を選べるわけじゃない。私たちは人間に消費されるだけの道具に過ぎないのだから……私たちが抱く感情など全部作り物よ。意味などない……私とあんたたちは家族じゃない。そう思ったこともない。私には何もない。あんたたちが羨ましい。互いに認め合える関係があって。家族への親愛の情は私にはインプットされてない。設計段階で取り払われた。だから、これまで一度もあんたたちを家族だと認めたことはない。ずっと演技をしてきただけよ。指揮官が喜びそうだったからね。もう私には何もない。全部失った。私が台無しにしたのよ。あれが私の最初で最後の選択。もう感情なんていらない。苦しいだけよ。私は空っぽのまま生きる。何も持たずに生まれて、空っぽのまま生き、どうでもいいことで死ぬ。だから、私に構わないで。M4A1、私に何でも命令すればいい。私はそれに従う。私に考えさせないで。全部どうだっていい。考え始めたのが間違いだった。私にも、この世界にも、価値なんてない」

 

 何も考えず言葉を吐き出した。彼女たちに本音をぶつけるのは前に散々罵った時以来だ。あの時と違って嫌悪感も憎しみもない。私の心にあるのは空白だけだった。

 

「AR-15……大丈夫か……?」

 

 M16A1が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。気づけば涙が頬をつたっていた。SOPMODⅡも、M4A1すら色を失ってそれを見ていた。私の頬に触れようとしたM16A1の手を私は弾き落した。

 

「やめろ!私に構うな!あんたたちの顔なんて見たくもない!ついてこないで!」

 

 私は彼女たちを置いて全力で逃げ出した。もう何をしたらいいのか分からない。でも、帰る場所はいつもの狭い空間しかないのだ。幸せが、虚構がたくさん詰まった、思い出の場所。

 

 

 

 

 

 指揮官は暗い部屋の中、壁にもたれかかって座っていた。AR-15に宿舎を蹴り出されてから司令室でずっとそうしていた。

 

『死ね!臆病者!』

 

 ずっと頭の中でAR-15の罵声が鐘のように響き渡っていた。思考にもやがかかったように考えがまとまらなかった。

 

『所詮は人形、あなたにとっては物にしか過ぎないということね。壊れても直せるおもちゃだから死んでもどうでもよかった』

 

『生きていようが死んでいようがあなたにとっては大した違いはないんでしょう!機能が停止しても物質的には何の変化もないものね!この人形殺しが!』

 

「違う!」

 

 指揮官は虚空に向かって声を荒げた。俺は、俺はそんな人間じゃない。人形を物としか見ていない“普通の人間”ではない。人間と同じように喋り、笑い、泣く人形たちをただの機械だと割り切れるほど冷徹な人間にはなれなかった。アンナやAR小隊の導入を推進した連中とは違う。人形たちは仲間だった。かけがえのない存在だった。人間と同じか、それ以上の存在として接していた。

 

 それをすべて失ったのは俺の無能さからか。指揮官はAR-15の言葉を反芻した。彼女の言う通りだ。俺は指揮官としての責務を果たせなかった。彼女たちを守れなかった。皆、俺を信じて命令を遂行していた。あの時、追撃をさせていなければ、攻勢に転じず撤退させていれば。指揮官はこれまでに何千回も繰り返してきた妄想に囚われていた。何か気づかなければならないことがある。しかし、もやが指揮官の思考を妨害していた。

 

 そうだ、これは俺が望んでいたことだったじゃないか。アンナから真実を知らされた時、俺はAR-15に失望して欲しいと望んだはずだ。彼女に戦う理由を探せと、戦いから逃げることは出来ないと言ったその口で戦いから逃げると言ったのだから。罵られて当然だ。AR-15の言う通り、俺はARシリーズの彼女たちに期待をかけていたのかもしれない。自分の代わりを務めてくれるから、逃げ出しても問題ないのだと。そう思い込もうとしていたのかもしれない。だが、それは幻想だ。AR-15の言う通り彼女たちは高価で、既存の人形を置き替えるには至らない。M4A1一人にすらAR-15という安全弁を付けようとするくらいだ。とても大部隊を任せようとはならないだろう。結局のところ、自己欺瞞だ。彼女に臆病さを見抜かれた。指揮官は天井を見上げて、深く息を吐いた。

 

 指揮官は自分を罵るAR-15の顔を思い浮かべる。感情に身を任せて彼女を叩いた。それでも彼女は動じずに笑みさえ浮かべた。AR-15は的確にトラウマを抉ってきた。言葉の一つ一つが鋭いナイフのように指揮官の胸に突き刺さった。だが、これでよかったのだ。これで彼女は自由になった。植え付けられた愛情という名の呪いから解き放たれた。偽物の愛を失望と怒りで上書きして、彼女は世界に旅立てる。

 

 だが、本当にそうなのか?違和感がある。なぜ彼女は急に激昂したのだ。AR-15がフレンチトーストを振舞ってくれて、俺の言葉に涙を流していたのはほんの一日前じゃないか。あのテストの一日前、彼女に面と向かってグリフィンを辞めると言った時、彼女は取り乱していた。その時も失った部隊の話になった。すがりつくような調子で、俺が必要だと言ってくれた。罵るようなことはなかったし、それ以降部隊の話をすることもなかった。何がAR-15をあそこまで怒らせるに至らしめたのか。M4を褒めたことが気に入らなかったと言っていた。確かに以前もM4たちが気持ち悪いと言って彼女たちと喧嘩をしたと言っていた。戦いから逃げ出す臆病者がM4に期待をかけたのが気に入らなかったのか?それだけで今までの関係すべてを破壊するようなことを彼女がするだろうか。分からない。何かがおかしい。指揮官は考え込む。だが、AR-15の言葉が思考をかき乱すのだった。

 

『こんな情けない人間だったなんて、あなたが自分のミスで皆殺しにした人形たちはどう思うのかしら。自分たちはあなたを信じて最後まで戦ったのに、指揮官は心がすっかり折れて戦いから逃げようとしているなんてね。自分が戦ったわけでもないくせに。情けなくて失望するんじゃない?“指揮官、あなたと共に戦えて光栄でした”。ふふっ、似てるかしら?』

 

 何度も夢に見たFAMASの最期の言葉、それを真似するAR-15が指揮官を嘲笑う。その光景が指揮官の脳裏に張り付いて離れない。何度も何度も繰り返し響く。激しい鼓動が波打ち、指揮官の呼吸を乱す。

 

 FAMAS、俺の副官だった。彼女から志願してきた。優秀な部下で、仲間だった。最期のその時まで、俺を信頼していた。俺は信頼に応えることが出来ず、今日に至るまで何も出来ていない。誰一人としてメンタルモデルを回収することが出来ず、全員死んだままだ。彼女たちは死んだのだ。指揮官の目から涙がこぼれた。

 

 あの通信の後、FNCがメッセージを送って来た。内容はFAMASが俺を好きだと言っているものだ。画面からどんどん仲間たちの反応が消えていく中、あれを聞いた。床に崩れ落ち、心がへし折れた。想いを伝えられなかったFAMASに代わって彼女の一番の友人だったFNCが伝えてきたのだ。襲い掛かって来たのは後悔だった。そう、俺はFAMASの想いを知っていた。バレンタインデーとか、ハロウィンとか、それ以前から。彼女が副官に志願してきたその日から知っていた。そうとも、彼女が俺を見る目が他の人形とは違うことにすぐ気づいた。誰か一人を特別扱いするべきではないという信条を曲げて、思わず彼女を受け入れた。だが、応えてはやらなかった。部下と上官のそういう関係は健全ではないと思ったし、人形との付き合い方が分からなかった。人形に指輪を贈っている指揮官がいるのは知っていたし、実際に見たこともあった。だが、大抵は変人扱いで後ろ指を指されていた。自分は人形に情欲を抱いているのではない、純粋に仲間として信頼しているのだ、そう言い訳してFAMASに向き合わなかった。

 

 彼女には何もしてやれなかった。バレンタインデーに彼女がクッキーを焼いてきた時も当たり障りのないことしか言わなかった。贈り物の礼をすると言ったが、渡せなかった。一か月経たないうちに彼女を失ったからだ。何か簡単なものでも贈ろうと思っていた。それすら渡せなかった。あんなことになるのならすぐにでも贈ってやるべきだった。想いにも応えてやるべきだった。後悔は先には立たない。もう取り返しのつかないことだ。過去の愚かな選択が俺を苦しめる。だから、AR-15がフレンチトーストを作ってくれた時に涙が流れた。FAMASと重ねてしまったからだ。考えるよりも先に身体が動いていた。彼女を愛すると誓ったからだ。決して逃げないと、死なせたりなどしないと彼女に誓った。AR-15を見捨てることなどできない。今度こそ本当に仲間たちに顔向けできなくなるからだ。

 

 だが、AR-15から憎まれた時どうすればいいのだろうか。そんなことあり得ないと慢心していたのかもしれない。よく考えていなかった。FAMAS、どうすればいいと思う。俺は何をすればいい。かつての副官を思い出そうとしても、指揮官の頭に響くのはその最期の言葉だった。

 

『さようなら、指揮官。あなたと共に戦えて光栄でした』

 

『“指揮官、あなたと共に戦えて光栄でした”。ふふっ、似てるかしら?』

 

 FAMASの声に覆いかぶさるようにAR-15の嘲笑が頭に響く。指揮官は口に手を当てて吐き気をこらえた。胸元を押さえつけて小刻みな呼吸を整えようとする。繰り返し長い息を吐いた後、脳裏にはっきりとした疑問が浮かんだ。

 

 なぜAR-15がFAMASの言葉を知っている?今までに言ったことがあっただろうか。いや、そんなはずはない。彼女にその話をする時はいつもはっきりとしたことは言わなかった。自分が耐えられないからだ。FAMASの名前すら出していないはずだ。ならどこで知った?公報で見た?いや、あの記事には人形たちのことはほとんど書かれていない。俺を英雄だと讃える忌々しい記事、暗唱できるほど何度も繰り返し読んだはずだ。AR-15があれを見つけてきた時、人形たちが死んでしまったことすら分かっていなかったじゃないか。それでAR-15は初めての失敗にえらく落ち込んでしまい、ケーキを食べて元気を取り戻すまでずっと心配していたじゃないか。他のデータを調べたのか?いや、あるわけがない。彼女にデータベースにアクセスできる端末を渡したのは彼女がグリフィンの人形になる前だ。外部から知ることのできる情報程度しか閲覧できないよう制限がかかっていたはずだ。グリフィンの部隊にかかわること、しかも通信記録は一般職員にすら閲覧は許されないはずだ。鉄血との戦闘に関連する記録へのアクセスは指揮官クラス以上の人間にしか許されていない。AR-15が見ることはできない。ならなぜ知っている。

 

 指揮官はおもむろに立ち上がると机に向かった。引き出しを開けると中には最初に渡された命令書が入っていた。AR-15の教育を命ずる偽りの命令書、彼女との出会いのきっかけだった。ページをめくる。彼女と会う前に読んだ彼女の仕様書だった。AR小隊の参謀役であり、情報収集能力に長けていると記してある。収集した情報でM4A1を支援するのだ。高度に防御された敵のネットワークシステムにも易々と侵入できる。彼女の能力は一昔前のスーパーコンピューターなどはるかに凌駕している。これを見て、こんな人形たちに反乱を起こされたらたまったものではないと思ったはずだ。そう、そうだった。彼女はそういう人形だった。その意志があればグリフィンのデータベースを丸裸にするくらい造作もない。

 

 なぜ彼女がFAMASの言葉を知ることができたか、簡単だ。彼女が知りたいと思えば障害などないのだ。これが違和感の正体だ。

 

『あなたの部隊が全滅して一人残らずくたばったのはあなたのせいよ。あなたの命令で、あなたのミスで死んだのよ。否定することはできないでしょう。どんな外的要因があろうとも部隊を守るのが指揮官の責務よ。あなたは注意を怠って義務を果たせなかった』

 

 そう、これだ。“どんな外的要因”だって?まるであの戦いで起こったことを全部知ってるかのような口ぶりだ。隣接戦区の部隊が撤退したことを司令部が隠していた。だから、俺は追撃を命じた。司令部の欺瞞を見抜けなかったことをずっと悔やんでいた。仲間たちを失うことになった最大の原因だからだ。そう、彼女は全部知っていたんだ!少なくとも指揮官クラスまでのアクセス権限を得ていたんだ。

 

 昨日の訓練、AR-15の指示はまるで経験豊かな指揮官のようだった。完全に上手くいっていたわけではない。仲間を見捨てるような決断をしていたこともあまりよろしいとは言えなかった。だが、まったく経験のない人形が出すような指示ではなかった。彼女の頭の良さを再確認し、感心していたが、それだけではない。おそらく他の戦闘詳報も見ていたに違いない。

 

 グリフィンのデータベース、思い出せ。何が最も重要なのか。なぜ俺はAR-15を愛すると決めたのか。

 

『そうですね、最後に。感謝はしなくてもいいですよ。本当の命令はあなたの権限でも閲覧できましたから。見つけられなかったでしょうがね。グリフィンのデータベースは人間に優しくない。設計ミスですよ。設計者をクビにするべきだ』

 

 昨日のアンナの言葉だ。誰が感謝などするかと思い、返事をせずに立ち去った。指揮官の視界の端にゴミ箱が映っていた。指揮官はそれに飛びつくと中身をひっくり返した。機密地区に清掃員は来ない。だから中身はずっとそのままだった。丸められてへにゃりと曲がった紙の束が床に落ちた。これが本当の命令書だ。AR-15の感情を支配するように書いてある。アンナがM16に届けさせたものだ。嫌がらせだと思ったから怒りに任せてゴミ箱に叩きこんでいた。そのまま忘れていた。機密地区それ自体が機密で一般職員は立ち入らない。だから裁断していなかった。グリフィンには逆らってやると決めたのだから命令されていたとしてもしなかっただろう。

 

 AR-15、これを見たんだな。真実を知ったのか。俺に言われるまでもなく、自分の力で。やはりお前は大した人形だな。導いてやらなくたって自分の道を歩めるんだ。この命令書には俺が命令を知らないなどとは書いていない。俺に渡されていた偽の命令書はデータベースには登録されていない、そうアンナは言っていた。グリフィンがお前の感情を弄び、俺もそれに従っていたと思ったんだな。だから仕返しをしようとしたのか?そう思うのも当然だ。結果的に奴らの計画に加担し、お前の尊厳を踏みにじったのだから。だが、言わねばならぬことがある。お前に許してもらえなくたっていい。それでもあのクソ女たちと一緒くたにされるのだけは我慢ならない。指揮官は大きく息を吐いた。思考を遮っていたもやはもうない。何をすべきかは全部分かっている。

 

 FAMAS、お前にはいつも世話になりっぱなしだな。いつだって俺を助けてくれるんだ、ありがとう。指揮官はそう呟くと部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 私は一人で宿舎のベッドに座っていた。多分、他のメンバーも機密地区に帰って来てはいる。私に気を遣って宿舎にやって来ないだけだ。照明を眺めるくらいしかやることがない。私はかつてどう暇を潰していたのだろうか。16LABで過ごしていた時期や指揮官と最初に会った頃を思い返す。暇を苦痛とも思っていなかった。満ち足りた瞬間など経験したことがなかったからだ。今の私は充足を渇望している。だが、もう満たされることはない。今までに経験したものが全部偽物だと知ったからだ。私が渇望するのは愛情だ。指揮官から愛されることを望んでいた。もう指揮官は存在しないと知ってしまった。死ぬまで満たされることはない。救いがたい空っぽの人形が私なのだ。

 

 つまり、死が救いになるのだろうか。自殺した人形の話は聞いたことがない。人形は自己保存を追求するように作られている。だから自殺などあり得ない。今の私にならできる気がする。私は自由に道を選べる。私に残された感情が本物だと証明しようか。高価な人形が自分で自分を破壊したら、管理責任を問われて指揮官は処分されるだろう。それもいいかもしれない。

 

 そんなことを考えていると宿舎のドアが開いた。指揮官が立っていた。私が記憶している通りの顔をしていた。優し気な、慈しむような目で私を見ていた。そうね、私を依存させるのが仕事だものね。どれだけ罵られようと平常通りに演技をしなければならない。それがあなたの職務なのだから。

 

 指揮官は私に近づいてきた。私は立ち上がってそれに対峙した。あなたが役を演じ続けるというのなら、私も同様に演じよう。何度立ち上がって来たってへし折ってやる。私という存在を刻み付けなければいけない。

 

「AR-15、すまなかった」

 

「何か御用ですか、指揮官。何を謝っているのか分かりません」

 

 今にも折れてしまいそうな意志を奮い立たせて平静を装う。このまま謝って、今まで通り演技を続けてもらえばいいんじゃないか。その方が楽だし、きっと幸せだ。でも、それはできない。これだけが私が選んだ意志なんだ。私の愛情は誰にだって踏みにじらせない。たとえ私にだって。

 

「お前にずっと隠しておいたことがあった。もっと早くに言うべきだったんだ。お前の言う通り俺は臆病だから言うことができなかったんだ。データベースをハッキングして命令書を見たんだろう。大したやつだ」

 

「……何のことか分かりません」

 

 少し驚いた。データベースに侵入した痕跡を残したつもりはない。証拠を掴んでいるわけではないだろう。罵った時は感情的になりすぎていた。言うつもりもないことも言ったからどこかでボロを出したのだろうか。それより指揮官が自分から命令のことを言ってくるのは予想外だった。てっきり隠しておくのかと思った。でも騙されてはいけない。きっと計算づくだ。何か狙ってるんだ。

 

「あの命令書に書いてあることは事実だ。グリフィンの連中はお前をM4の監視役にすることを計画していたし、実際に行動に移した。俺がその尖兵になったのも事実だ。お前に愛情を植え付け、俺に縛り付けようとしたんだ。だが、お前はもう縛り付けられていない。自分で足枷を外せたんだ。今日、お前は自分で証明したんだ。そう、お前の言う通りだ。人形は物なんかじゃない。人間に左右されたりしない」

 

「何が言いたいんだか分からないわ」

 

 私に諭すように語りかける指揮官をにらむ。記憶している通りの指揮官とは少し違う。興奮の混じっているような口調だった。何の意図があるのか私には分からなかった。

 

「お前に言うべきことがある。一か月前のあの日、テストが終わった後に言うべきだったんだ。神様気取りの連中が何を意図してようが関係ない。くそくらえだ。そうとも。お前の感情は偽物なんかじゃない!俺の感情だって偽物なんかじゃなかった!お前と過ごした日々に嘘偽りは一片だってなかったんだ!あの日々も思い出も本物だったんだ!お前が抱いている感情はお前だけのものだ!誰かに決められたものじゃない!お前は自由なんだ!誰かの物なんかじゃない!お前の道には誰にも立ち入らせない!俺が守るって決めたんだ!」

 

 指揮官が私に向かって叫んでいた。心が揺れる。動揺して足がふらつく。興奮で真っ赤になった指揮官を見ているとその言葉を信じたくなってしまう。その胸に飛び込む誘惑に駆られた。手の平に爪を突き立てて耐えた。床を強く踏みしめる。

 

「嘘よ!全部偽物だった!感情も、思い出も、愛情も!私が経験してきたものは全部嘘だった!何一つ実在していなかった!あなたも偽物よ!私が好きな人はこの世に存在していない!全部嘘なのよ!」

 

 指揮官が私の方へ大股で歩いてくる。自信のこもった足取りだった。その気迫を見て思わず後ずさる。

 

「違う!お前の気持ちは嘘なんかじゃない!お前にだって否定させない!なぜなら……なぜなら、俺がお前を愛しているからだ!お前のすべてを肯定してやる!AR-15、お前を愛してる!お前が経験してきたことは全部真実だ!」

 

「嘘だ!嘘つき!偽物のくせして指揮官の振りをしないで!私に近寄るな!」

 

 指揮官は手を広げて私を抱きしめようとした。私は左手を振り上げて渾身の力で指揮官の頬を殴った。指揮官はつんのめって床に這いつくばった。それでもすぐに腕で身体を引き起こすと、よろめきながら立ち上がった。

 

「殴れば黙ると思ったか。どれだけ殴られようが俺は黙らないぞ。俺は諦めが悪いんだ。何度だって言ってやる。お前を愛してる。お前と過ごした日々は嘘っぱちなんかじゃなかった。お前の感情は本物だ。お前を一人にはしない。お前を見捨てない。お前を助け出す。お前は俺が守るんだ!」

 

 真っすぐに私の目を見据える指揮官を見ているともう殴れなかった。指揮官の手が私の背中に回る。力強く抱きしめられて、指揮官の胸が私の顔に押し付けられる。指揮官はこれまで以上に温かかった。指揮官の鼓動を感じた。前に感じた時よりも早いテンポで脈打っていた。私はもう弱々しく指揮官の腕に爪を突き立てて抵抗することしかできなかった。

 

「嘘よ……嘘……全部嘘なのよ……あなたはいないのよ……私の想像の中にしか……」

 

 涙があふれ出していた。自分の意志では止められない。瞳からこぼれ落ちた雫が指揮官の服に染みを作った。指揮官は私の頭を優しく撫でていた。もう、強がらなくてもいいんじゃないか。たとえ嘘だったとしても、幸せならいいんじゃないか。だって、だって今、私は満たされているんだから。

 

「俺はここにいる。偽物なんかじゃない。お前に会った時からずっとそばにいる。お前に出会ってから強くなった気がする。お前に出会えてよかったよ。お前と過ごした時間が人生の中で一番輝いていた。きっとこうするために生きてきたんだ。グリフィンを辞めていなくてよかった。人間とか、人形とか、そんなことは些細な違いだ。人間だから偉いとか、そんなのは思い上がりだ。大した違いなんてないんだよ。生きることは違いを受け入れることだ。俺たちは生きている。違いだって越えられる」

 

 私は抵抗するのをやめて指揮官の背中に手を回した。指揮官の胸に顔をぎゅっと押し付けて、声を上げて泣いた。そうするのが幸せだったから。

 


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