死が二人を分かつまで【完結】   作:garry966

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死が二人を分かつまで 第九話後編「COSMOS -Over the pain-」

 しばらく泣きじゃくった後、指揮官に手を引かれて司令室に行った。騒ぎを聞きつけたAR小隊のメンバーが宿舎の前で聞き耳を立てていたからだ。泣き腫らした目を見られるのは少し恥ずかしかった。でも、そんなこと気にならないくらい私は満たされていた。今までで一番くらいに。指揮官は私をベッドに座らせて、指揮官も私の横に座った。

 

「落ち着いたか?」

 

「ええ」

 

 指揮官は私を見て笑った。私が殴りつけた部分が赤黒く腫れていて痛々しかった。

 

「そうか、よかった。これから言い訳をするよ」

 

 指揮官は立ち上がって机から書類を取って来ると、再び腰を下ろした。

 

「これが俺に渡された命令書だったんだ。偽物だったんだけどな」

 

 指揮官は私に書類を手渡した。私に教育を施すよう記してあった。ページをめくる。私を人類の側に立って戦うスパイに育てるよう命じている。

 

「それが俺に与えられた命令だった。お前を人類のために戦う人形に教育しろと言われた。だから、本当の命令は知らなかったんだ。信じてくれなくたっていい。その命令書だってお前を騙すためにさっき作ったものかもしれないしな。だが、覚えてるか?最初に観た映画のことを。俺は何と言ったっけ」

 

「人類なんていないんだ、そんなことを言ってたわね」

 

 私はあの時のことを思い出して笑った。変な人間だな、そう思ったはずだ。

 

「ああ、そう言った。あの時言った通り、人間は愚かだ。組織に所属していたって一枚岩じゃない。お前を自由に育てて、グリフィンに一泡吹かせてやろうと思った。そういうつもりだった。だが、実際にはグリフィンの掌の上だった。お前を俺に依存するように育てていたんだ。お前を歪ませてしまった。選択肢を与えているつもりでも、敷かれたレールしかなかったんだ。テストが終わった後、真実を知った。ガキみたいに閉じこもっていたのはそのせいさ。お前を見るのが怖かった。でも、お前を見て間違いに気づいたんだ。あの日々も、俺の意志も偽物じゃなかった。お前を囚われの身にはしない、そう決意した。お前を愛せばお前の感情だって本物になると思ったんだ」

 

 指揮官は私の手を取って絞り出すように喋った。私は拒まなかった。その手を握り返した。

 

「“今は本当の気持ちじゃなくても、きっといつかは本当の感情になる。誰かに植え付けられた感情だったとしても、愛し合えば本物になる”。昨日、そう言っていたわね。あれは私に宛てた言葉だったの?」

 

「ああ。俺の感情に嘘偽りはない。昨日お前に言ったことはすべて本心だ。と言っても、証明する手段はない。心の中を覗き見ることはできないからな。信じてくれなくたっていいよ。でも、これだけは知っておいてくれ。お前を利用するつもりなんてなかったんだ」

 

 人の心を知ることはできない。本物なのか、偽物なのか、自分の感情ですら分からないのだから。でも、もう答えは決まっていた。

 

「いいえ、信じるわ。私がそう信じたいから。あなたのためじゃない、私のためにそう信じる」

 

「……本当に?俺を信じてくれるのか?」

 

 指揮官と目と目を合わせる。不安そうな目だった。こんな指揮官は見たことがない。その様子を見て少し面白くなった。

 

「さあね。相手の感情なんて分からない。みんな演技をしているのかもしれない。自分の思いたいように思うしかない」

 

「今度は俺がお前を疑う番か。お前ばかりじゃ不公平だものな」

 

 指揮官は頬を緩ませて少しだけ笑った。私も指揮官に言うべきことを言う番だった。

 

「指揮官、その……ごめんなさい。殴ったりして。痛かったでしょう」

 

「気にするな。俺もお前を叩いたろ。おあいこだ」

 

 指揮官は自分の右頬を撫でて笑った。きっと痣としてしばらく残るだろう。歯を折らなくてよかった。

 

「それに、あなたを傷つけた。あなたを一番傷つけるだろう話題を選んだわ。失った仲間たちのこと、FAMASのことも。私の本心じゃないわ。あんなこと思っていない」

 

「そうだな、たっぷり傷ついたよ。お前には罵倒の才能がある。戦場から離れてもそれで食っていけるだろう」

 

「ちょっと、茶化さないでよ。本気なんだから」

 

「分かってる。前に言っただろう。いい上官は感情的にならないもんだ。俺は年長者だしな。お前に何か言われたくらいで根に持ったり、怒り出したりしないさ。それより聞きたいことがある。どういうつもりで俺を罵っていたんだ?お前の尊厳を踏みにじった俺への復讐だったか?」

 

「いいえ。憎しみからじゃないわ。ただ……あなたに私のことを忘れて欲しくなかっただけ。あなたの心の傷をこれでもかというほど抉れば、憎しみと共に私のことを覚えていてもらえると思ったの」

 

 指揮官はにっこりと微笑んで私の頭を撫でた。

 

「お前を忘れるか、無理な相談だな。もうお前は俺の一番大事なものだ。忘れることなんか出来やしない。それに、当てが外れたな。何を言われようがお前を憎むことはない。これも前に言った。憎しみに意味はない。何も生み出さない。俺は憎しみに囚われない。お前の計画は失敗だ。それに詰めが甘かったな。お前にFAMASの話をしたことはない。あれが無ければ気づかなかっただろう」

 

「そうね……今度から気をつけるわ」

 

 それから二人で笑い合った。なんだか懐かしい。最初の一か月はよく笑っていた気がする。最近はずっと思い悩んでいた。

 

「これからどうしようか。お前が望んでくれるならこれからもお前の教育係だよ。お前を一人にはしない。お前はもう自由だ。自分の進みたい道を行け。この場所に縛られる必要はない。俺にもだ」

 

「そうね……」

 

 私は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「もう教育係は必要ない。私の前に立って手を引いてくれる人はいらないわ」

 

「そうか……それがお前の選ぶ道なら、俺は何も言わないよ。好きに世界を羽ばたくんだ。それが見たいって言っただろう」

 

 指揮官は悲しそうにそう言った。そう、もう教育係はいらない。私は成長した。もう子どもじゃない。自分の道は自分で決める。共に進む相手も自分で決める。勇気を振り絞って指揮官を見据えた。もう想いを隠したりはしない。

 

「だから、私と並び立つ存在になって欲しい。あなたと肩を並べて同じ道を歩みたい。手を取り合って、一緒に歩いて欲しいの、あなたに。だって、私はあなたのことが好きだから。ずっと前からそうだった。あなたが好き。どうしようもないくらい好きなのよ。あなたを愛してる。これは私が選び取った感情よ。誰かに決められたものじゃない。私だけの、本物の感情よ。あなたは私の親じゃないし、私はあなたの子どもじゃない。だから、あなたと対等になりたい。人形と人間で対等というのもおかしな話かもしれないけど……」

 

 指揮官は私と向き合って、私の手を両手で握った。私も両手で握り返した。

 

「人形とか人間とか、そんなことは関係ない。人形には、お前には自由も、権利も、尊厳もある。人間と何ら変わりない」

 

「ふふ、変な人ね。人形が権利なんて主張し出したら社会は成り立たないでしょう」

 

「社会なんて知ったことか。集団幻想だよ。そんなものは存在しない。俺の前に今いるのはお前だけだ。だから、俺が認めてやる。お前には権利がある。他の連中には口を出させない。ちゃんと俺も言おう。お前を愛している。お前が望んでくれるなら喜んで共に行こう。この身尽き果てるまでお前と歩もう。お前を守ると決めたからな。言ったことは違えない。お前を見捨てない。一人にはしないぞ」

 

 顔が火照るのを感じる。指揮官にそう言ってもらえて嬉しかった。私はずっとこんな風に受け入れてもらうことを望んできた。私は今、満たされている。でも、欲望というのはとどまるところを知らない。望めば望むだけ強くなる。際限がない。指揮官と手を結び合ったまま、前に身を乗り出した。指揮官の顔が近づく。私は吸い込まれるように近寄って、唇で指揮官の唇に触れた。指揮官は一瞬ビクリとしたが、拒んだりしなかった。短いほんの一瞬だけ触れ合って、すぐに離した。これが私の初めてのキスだった。

 

「AR-15……」

 

「ええと、してみたかったのよ。一度くらい。今まで映画はいろいろ観てきたけど、大抵の映画にはこういう場面があったもの。ずっと気になってたのよ、どんな感じがするのか。それに、前にSOPⅡがあなたに抱きついているのを見てからずっと悔しかった。あれ以上のことをしたいって思ってた、あなたと。それだけよ」

 

 指揮官が何か言おうとしたのをすぐ遮った。私から指揮官に触れるのはいつも恥ずかしい。顔から火が出そうだ。指揮官の前にいると衝動が抑えられなくなる。目を逸らす私を見て指揮官は笑っていた。

 

「気にするな。したいことをしろ。お前は自由なのだから。お前の選択を阻むものなど何もない」

 

 指揮官の顔を見ると、照れたように笑いながら赤くなっていた。

 

「もうちょっと気の利いたことを言うものじゃないの?大抵は」

 

「映画みたいに上手くはいかない。人形とキスするなんて初めてだからな。これに関しちゃお前とまったく対等だな」

 

「恥ずかしくなるとすぐ茶化すんだから……」

 

 二人で声を上げて笑った。思わず涙が一滴こぼれた。嬉しかったんだ。胸から温かいものがあふれ出しそうになる。たくさん流した悲しい涙とは違う、温かいものだった。一人で泣いていた時、今まで積み上げてきたものが全部流れ出してしまったんだと思った。でも、私は失っていなかった。思い出は消えない。学んだことは無くならない。一度遂げた成長は失われたりしないんだ。だって、私が抱えているものは全部本物だったんだから。

 

「それで、これからどうしようか。お前が言っていたみたいにグリフィンから逃げ出そうか。ロボット人権協会に行くとかな。不可能はない。お前といればな」

 

「それは駄目ね。調べたけどまったくあてにはできない。保護した人形を解体してパーツをグリフィンに卸してる。癒着してるわ。逃げ込んだってグリフィンに引き渡されるだけよ。誰かに頼ろうなんて甘い考えよ」

 

「そうだったのか。噂は本当なのか。じゃあ、そうだな……無人地帯にでも行こうか。鉄血もグリフィンもほとんど足を踏み入れない場所を知ってる」

 

「それなら可能かもしれないわね。ずっと二人で隠れて暮らすの。あなたが導いてくれればグリフィンの追撃だってかわせるかもしれない。でも、それもしない。私は逃げない。やるべきことがあるから。あなたが言っていたように戦いから逃げることはできない。私はずっと戦う理由を考えてきた。生きる理由を。きっと人形にも、人間にも、それぞれの責任がある。果たすべき役割が。それは誰かに決められるものじゃない。自分で決めるものよ。一度決めたものからは逃げ出さない。私には責任がある。そうよ、年長者としての責任が。M4、M16、SOPⅡ、“家族”になるはずだった彼女たちを見捨てては行けない」

 

 指揮官は私の手を握って黙って聞いていた。私は自分の決めた選択を話した。これこそが私の選んだ道なんだ。

 

「私は彼女たちを見下して、軽蔑していた。私だけが特別なのだと、人間に感情を植え付けられた彼女たちとは違うのだと。でもそれは間違いだった。私の思い上がりに過ぎなかったのよ。私たちは何も変わらない。人形はどんな人格を与えられるかは選べない。最初は人間に与えられたものしか持っていない。空っぽよ。でも、ずっとそうなわけじゃない。経験を積んで、自分が生まれてきた意味に向き合えば感情は本物になる。あなたが言っていたように人形の感情は人形自身が決める。誰かに決められた道を歩んでいたって、誰に感情を左右されたって、最終的に感情を選び取るのは自分自身よ。人形には選択肢がある。必ずね。私も自分で道を選べた。人形は自由になれる。彼女たちもそう。今はまだ自由じゃない。人間に与えられた役割を果たそうとしている。でも、いつの日か自分で道を選ぶ日が来る。自らが生まれてきた理由に向き合って、何のために戦うのかを見つけ出す。人形は物じゃない。自由に道を選べる。その時、彼女たちは、いえ、私たちは本当の家族になれる。その日が来るまで私は彼女たちを守る。あなたが私にしたように彼女たちを導く。戦う理由を探し出させる。それが私の責任よ。“家族”として生まれてこなかったのはきっとそのためだった。考えてもみて。特にM4。あんなんじゃすぐに死んでしまう。戦うのには向いてないわ。人間に期待されて、それと同じくらい危険視されてる。期待に応えようと無茶をして、どうでもいいことで死んでいく。そんな目には遭わせない。私が止める。彼女たちにも生まれてきた理由があるはずだから。だからまず彼女たちと友達になるわ。その時が来るまで見守ろうと思う」

 

 指揮官はすべて聞き終わった後、深く頷いた。

 

「やはりお前は頭のいい奴だ。情報を与えれば自分で考えられる。お前はもう一人前だ。お前の選んだ道を行け。一生の中で選べる道は常に一つだけだ。何を選んだとしてもそれが最善だ。ふっ、お前を手懐けようなどというのは思い上がりだったな。神様気取りの馬鹿共に目に物見せてやれ。お前なら出来る、必ずな」

 

 指揮官は言い終わると深く息を吐いた。しばらく黙って俯いていた後、私の目を見据えた。鋭く、熱のこもった目だった。

 

「やはり後方で何もしていないなどというのは性に合わないな。たぶん、俺の戦歴はデータベースで見たんだろう。戦いの中で俺は常に攻撃を選んできた。守勢に転じたことはほとんどなかった。常に動き回って敵を叩き潰してきた。お前が戦いを選んだというのに後ろでうじうじしているわけにはいかない。俺も戦いに戻ろう。グリフィンのためなんかじゃない。お前を守るためだ。戦場でお前を見つけ出して必ず守るぞ。もうあんなことは繰り返させない」

 

「本当に?でも、そんなことできるの?無理しなくたっていいのよ。あなたはみんな失ってしまったんだから……そんなことに耐えられるの?FAMASたちを忘れることなんてできるの?」

 

「忘れることなんてできない。彼女たちは本当の仲間だった。今でもそうだ。過去と決別することはできない。人を形作るのは経験の積み重ねだからだ。だが、受け入れることはできる。起きたことは起きたことだ。過去に戻ってやり直すことはできない。大切なのはそこから何をするかだ。昨日お前に言われたことは図星だったんだよ。逃げたままではあいつらに顔向けできない。ここでお前を見捨ててはあいつらに背を向けることになる。あいつらに失望されたくない。俺にも責任がある。お前と、今まで積み上げてきたものに対する責任が。役目を果たそう、お前のように。どちらが教育係なんだか分からないな。お前が大切なことを思い出させてくれた。俺は逃げないぞ。戦いから逃げることはできない。生きることは戦いなのだから」

 

 指揮官の目の中に情熱がたぎるのが見えた。テストの後、教育係を続けると言ってくれた後もそんな目をしていた。昨日の朝食の時も。やっぱり指揮官は偽物なんかじゃない。ここにいる。私と一緒にいる。私たちは共に進める。互いに認め合って、手を取り合って生きていけるんだ。

 

「そう。あと、聞いておきたいことがあるの。FAMASのこと、どう思ってた?あの娘の想いは知ってた?」

 

「ああ、知っていたとも。彼女を失うずっと前から知っていた。だから、悔やんだよ。想いに応えてやればよかったと。だが、やり直すことはできないんだ。彼女は死んでしまった。もう会うことは叶わない。それでも俺の記憶の中で生き続ける。彼女が俺に力をくれる。お前から逃げなかったのもFAMASがいたからだ。心配しなくたっていい。お前を愛してる。俺が守らなきゃいけないのは、お前なんだ。これからは隠し事はなしだ。全部包み隠さず言うよ」

 

 指揮官が私を抱き締めた。私は身を委ねた。きっとそれが最善だからだ。もう拒む理由もない。私と指揮官と同じ道を行く。今よりもっと近しい存在になろう。指揮官と一つになるために。私はもう何も諦めたりしない。叶えたい想いも、好きなことも、好きな人も、もう何も隠したりしない。単純な感情で、愛情で全部包み込もう。今まで積み上げてきたものを、私の大事なものを守り抜く。これこそ私の選んだ道だ!私は指揮官に再び口付けをした。今度はさっきよりもずっと長く、しつこいくらいに。それから私は指揮官の両肩を掴んで、力を込めて指揮官をベッドに押し倒した。そう、欲望はとどまるところを知らない。したいことをしろとあなたが言ったんだもの。私が悪いわけじゃないわ。

 

 

 

 

 

 次の日の朝、私と指揮官は部屋を出た。晴れやかな気分だった。廊下にSOPⅡがいて、私を見ると他のメンバーを呼びに宿舎に走って行った。心配そうな顔でM4とM16を引き連れて戻って来た。

 

「AR-15、大丈夫だった!?昨日は泣いてたし、何があったの?家族じゃなくてもいいよ。AR-15が心配だから……それに指揮官の顔、痣になってるけど……」

 

 彼女たちが心配そうに私を見る。SOPⅡなど指揮官が悪いと言わんばかりにチラチラと鋭い視線を送っていた。それもまた正しくあり、間違いでもある。この世に確かな真実などないのだ。すべては受け取り方次第だ。真剣に私を心配している彼女たちを見てなんだか面白くなってきた。ちょっとからかってやろう。

 

「実は……指揮官に襲われたの。嫌だって言ったのに無理矢理……とっても怖かったし、痛かったわ……」

 

「ええ!?そんな……指揮官は信頼できそうな人間だと思ってたのに!そんなことをするなんて最低!見損なったよ!」

 

 SOPⅡはいつもの朗らかな顔を歪ませて指揮官を怒鳴りつける。横目で指揮官を見ると信じられないと言わんばかりの表情で私を見ていた。それを見て笑みがこぼれた。今まで私にずっと隠し事をしてきたんだからこれくらいの仕返しはしてもいいわよね。今にもSOPⅡが指揮官に飛びかかりそうだったので笑いながら訂正する。

 

「冗談よ。そんなことはなかった。ちょっと喧嘩して、仲直りしただけ。仲直りなんて簡単なのよ。思っていることを言えばいいだけ」

 

「なんだ……びっくりしたよ。もうちょっとで指揮官の目を……ううん、何でもないよ。よかったね、AR-15!」

 

「ええ、ありがとう」

 

 それから私はずっと複雑な表情を浮かべていたM4の前に進んだ。

 

「M4、あんたとも仲直りしなくちゃね。あんたにひどいことを言ったわ。ごめんなさい」

 

「えっ……」

 

 彼女は呆気に取られて私を見ていた。M4は怒りと悲しみが混ざり合った表情を浮かべていた。今まで彼女たちの表情をよく見てこなかった。どうせ作り物だからそんな価値ないと思っていた。でもそんなの私の受け取り方の問題だったんだ。彼女たちには感情がある。誰にも否定することはできない。だって、こんなに表情豊かじゃないか。

 

「そうね、確かにあんたたちを家族だと思ったことはなかった。そういう風に作られたから。今までの態度は演技だったわ。あんたが私を家族と思っていようが、私はあんたを家族だとは思っていない」

 

「……そうなの」

 

 M4は沈痛な面持ちで私を見やる。その目は私をにらんでいた。別に喧嘩の続きがしたいわけじゃないのよ。あんたにも想いを伝えておきたいだけ。

 

「でも間違ったことも言ったわ。私は道具ではない。人形は物じゃない。ただ命令を聞くだけの機械なんかじゃない。考え、感じる権利がある。あんたの命令なら何でも聞くというのは誤りだったわ。あんたに大義を考えるのを任せるというのもね。私は私の信じる道を進む。全員にそれぞれの道がある。判断をあんたに委ねたりはしない。私は考えるのをやめない。必要なことだから。一番の間違いはね、あんたのことをどうでもいいと言ったことよ。私にとってあんたはどうでもいい存在じゃないわ。家族ではなくとも重要な存在よ。同じ部隊で戦う仲間なのだから。見捨てたりはできない。助けないということもない。昨日は考えることができなかっただけよ。これからはあんたたちを死なせないように私もちゃんと考える。私にも、あんたにも、生きる権利があるのだから。だから、私を許してくれる?あんたと仲間に、友達になりたい。私の最初の友達に。家族と同様、この関係も互いに認め合わなければいけない。あんたは私を友達だと思ってくれる?この私を受け入れてくれる?」

 

 M4はポカンと口を開けて驚いていた。その表情が少し面白くて笑った。きっとそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。しばらくぼんやりとしていたM4と向き合っていた。彼女は少し迷った風に口を開く。

 

「ええと、友達ね。私には友達がいないからよく分からないわ……」

 

「私にもいないわよ。お互いが認め合えば友達になれるはず。そうでしょ、指揮官?」

 

「ああ。なりたいと思えばすぐにでもなれるのさ。条件なんて何もないんだからな」

 

 指揮官も私も微笑んでいた。気分がよかった。憎しみも嫉妬も軽蔑も、そんなもの必要ない。自分を縛る鎖になるだけだ。M4は私と指揮官を交互に見て、やがて決心したようだった。

 

「それじゃあ……あなたと友達になるわ、AR-15。いつかあなたに家族だって認めてもらうために」

 

「私もその日が来るのを待ち望んでいるわ。大丈夫、きっと家族になれる。不可能なんてないはずよ。そうね、やっておくことがあるわ」

 

 私は右手をM4に差し出した。

 

「これは?」

 

「もちろん握手よ。手を差し出されたら握り返すものよ、それが礼儀だもの」

 

 M4は恐る恐る私の手に触れた。それを力強く握り返して、ぶんぶんと振った。M4は苦笑いをしていたがこれでいい。これが私の選んだ道だ。

 

「あんたたちもね、SOPⅡ、M16。私と友達になりましょう。これから仲良くやっていきましょう」

 

「うん!ずっと一緒だよ、AR-15!」

 

 SOPⅡが私の胸に飛びついてきた。左手で彼女の髪を撫でる。前は気づかなかったけれど、SOPⅡの髪はやわらかかった。私たちを見てM16がニコニコとはにかんでいた。

 

「お前が笑っているとこ、久しぶりに見た気がするよ。いつも気を張ってたもんな。それにしても友達ね。まあいいだろう。妹の頼みだからな」

 

 誰かを受け入れて、誰かに受け入れてもらうのは気持ちがいいんだ。やっと分かったわ、指揮官。私は彼女たちと道を歩むわ。互いに助け合ってこの世界を生き抜く。憎しみにだって決して負けない。あなたに誓うわ。私は私の責任を果たす。死が訪れるその瞬間まで。

 

 

 

 

 

 訓練は最終段階に進んだ。順調に推移したと思う。なぜならずっと指揮官がM4を指導していたからだ。データベースからありとあらゆる戦闘記録を引っ張り出してきて、指揮の基本をM4に教え込んでいた。指揮官はAR小隊の訓練に参加する権限がないとか、M4にデータベースへのアクセス権限があるのかとか、そういうことはどうでもいいと言って全部見せてしまっていた。指揮官がそれで処分されないかだけが心配だけれど、まあたぶん大丈夫だろう。指揮官が任務終了後に前線に戻ると上に言ったら待遇が変わった。訓練に付いてくる権限を与えてもらっていた。指揮官は優秀だから大目に見られている。

 

 付きっきりで指導してもらっているM4には少し妬いた。もちろん私もそばにいたけれど、スペックの面で追いつけないところがある。でも、みんな違う役割を持っているのだものね。互いに違いがあることを受け入れなければならない。訓練中も私はM4に全力で協力した。だからAR小隊はあれから不敗だった。グリフィンにとって予想外だったのか訓練の日程は前倒しになった。二週間余りでVR訓練は終わった。私たちは前線基地に送られることが決まった。そこで実戦形式の演習に参加するのだと言う。それが終われば私たちは実戦に投じられる。鉄血工造との前線に行くのだ。指揮官がずっと戦ってきた相手だ。生易しい敵ではない。恐怖はある。当然だ、私には失いたくないものがたくさんあるのだから。それを守るのが私の戦う理由だ。

 

 今日が機密地区にいる最後の日だった。今日は休暇で、明日は前線基地に送られる。明るく過ごそう。だって今日は別れの日でないのだから。

 

「今日は特別なものを食べましょう。お祝いよ」

 

 昼食を食べに集まった全員の前で私はそう言った。

 

「なんだ?お前が何か作ってくれるのか?」

 

 M16がそう言った。

 

「まあ、作る。そうね、多分そうよ。思い出の料理を食べさせてあげる」

 

 食堂の冷蔵庫を漁る。以前とは違って101が定期的に持ってくる食材が並んでいて色鮮やかだ。でも、今日はそれらは使わない。探しているとすぐ見つかった。あのレトルト食品たちだ。どれもまずいので101が来てからはすっかり食べなくなった。その中でも一際まずいもの、あのミートソーススパゲティを人数分取り出した。

 

「おい、なんだってそんなもの取り出してるんだ。最後の日に何でそんなの食べなきゃいけないんだ」

 

 M16が文句を言うが無視した。皿に出して電子レンジで温める。M4がM16の様子を見て首をかしげる。

 

「どうしたの、姉さん。そんなに問題があるの?」

 

「私だってあのレトルト食品は最初のうちしか食べてなかったがひどかったぞ。16LABで食べてた食事よりまずいんだし、101に作ってもらうものとは比較にならない。やめてくれよ、AR-15。せっかく101がいるっていうのに……」

 

「あんたに食べさせてたのだってこの中では上等な方よ。あんたたちと思い出を共有しておこうと思ってね。さあ黙って自分の分を持って行きなさい」

 

 見た目と匂いだけは上等な料理が出来上がる。それを運ばせて席に着く。今日は指揮官の隣に座った。私の正面にはM4が座った。せいぜいその顔が歪むのを見てやろう。私は誰よりも先にスパゲティを口に運んだ。やはりひどくまずかった。刺激的な味がする。こんなもの食べてよく暮らせていたものだ。

 

「うぇー……まずい……」

 

 SOPⅡが舌を出して不満を漏らす。M16も頭を抱えていた。

 

「まったく、苦しみまで共有しなくたっていいだろう。せっかく楽しく終わりそうだったのに……」

 

「とりわけ質の低い合成食品が使用されているとお見受けします。あまりおすすめできない食事です。何か代わりにお作りしましょうか?」

 

 苦しんでいる彼女たちを見かねて101がそう言ってきた。SOPⅡが目を輝かせて彼女を見る。

 

「じゃあ、ハンバーグ!」

 

「駄目よ。ちゃんと全部食べなさい。食べないなら絶交するからね。二度と喋らないわ」

 

「ええ……そんな……」

 

 SOPⅡは頬を引きつらせて皿を見ていた。一口分も減っていない。たっぷり苦しみなさい。

 

「あんたたちは贅沢なのよ。16LABでもまともなものをもらって、ここでは好きなものを何でも食べられたなんてね。少しは私と指揮官の気持ちを味わいなさい。一か月くらいこれと似たようなもの食べていたのよ。訓練だと思いなさい。戦場に出たらもっとまずいものだって食べることになるんだから。そうでしょ、指揮官?」

 

「そうだな。お前たちは苦労することになるだろう。すっかり舌を肥えさせられたんだからな。戦場で泣きながら戦闘糧食を食べることになる。グリフィンの倉庫には第三次世界大戦の頃に作られた糧食がたくさん残ってるんだが、あれは一際ひどい代物だ。人間はあの頃切羽詰まっていたからな。味なんて二の次だったんだよ。まあ、絶望するなよ」

 

「そ、そんな……」

 

 今まで渋い顔で黙々とスパゲティを口に運んでいたM4が泣きそうな顔を浮かべる。私は思わず吹き出していた。苦労することになるのは私も同じだけれど。

 

「そのための訓練よ。私があんたたちを鍛えてあげる。年長者としてね」

 

「一か月くらい先に製造されただけで年長者気取りか?やっぱりお姉ちゃんと呼んで欲しかったのか?」

 

 M16がフォークで皿をつつきながらそう言う。

 

「好きに呼びなさい。私は一か月の間にたくさん学んだのよ。感情も、戦う理由も、生きる理由も。誰が何と言おうが私が自分で選んだものよ。あんたたちにはまだない。これから分け与えてあげる。感謝することね」

 

「へいへい、ありがたいことで」

 

 皮肉っぽい口調とは裏腹にM16も笑っていた。

 

「口直しにケーキも買ってきた。前にAR-15にだけは食べさせたが、それじゃ不公平だしな。今回は俺の金で買ってきた。あの女のじゃない。今回は俺も食べるぞ。前回はAR-15に両方取られたからな」

 

「あなたが差し出したんでしょ。それに子どもは駄々をこねていいってあなたが言ったの忘れたの?まあ、もう子どもじゃないわ。あなたと私は対等なのだから」

 

 指揮官の冗談に私も冗談っぽく返して笑い合った。これまで何度もそうして来たように。

 

 

 

 

 

 空は青かった。私は初めて本物の世界に出たのだった。私は上を向いてゆっくりと動く雲を眺めていた。指揮官が私の横で立ち止まった。

 

「何か感想はあるか?これが外の世界だ」

 

「そうね……まあ、仮想現実で見たのと大差はないわね。あれは出来がよかったみたい。でも、本物の空を見れてよかった。前に思ったのよ、あなたと本物の空を見てみたいって。やっと叶ったわ」

 

「そうか、それはよかった。AR-15、これは別れじゃないぞ。俺たちは同じ空の下にいる。別々の道を行くわけではない。また会おう。すぐに会えるさ、俺がお前を探し出す」

 

 指揮官は私たちの少し先に停車しているトラックを見ながら言った。あれが私たちにあてがわれた移動手段だ。あれに乗って私たちは前線基地へ行く。グリフィン本部から去るのだ。

 

「ええ、分かってる。これは別れじゃない。私は何も諦めない。私の大事なものは何も失わない。全部抱えて生きていく。この地を這いずり回っても守り抜く。そう決めたの。自分で決めた責任を全うする。死を迎えるその瞬間まで。あなたに誓うわ」

 

「俺も誓おう。お前を守り抜く。もう誰も失わない。戦場で必ずお前を探し出す。命を投げ出しても助けに行く。俺もやっと戦う理由を見つけたよ。お前だ。お前に出会えて良かった。共に進もう、AR-15。死が俺たちを分かつまで」

 

「ふふっ、何を言ってるか分かってるの?プロポーズみたいね」

 

「かもな。訂正する気はない。また会おう、AR-15。この空の下で。お前は自由に羽ばたいてこい。それが見たいと前にも言っただろう。世界はこれまで過ごしてきた場所の何億倍も広い。この世は天国じゃないが、地獄でもない。いいところもある。お前なら魅力を見つけ出せるさ」

 

「大丈夫、もう見つけてある。あなたと一緒ならどこだって平気よ。あなたもまた羽ばたいて欲しいわ。私たちは鎖でつながれているわけではない。足枷はもう外した。お互い自由に空を飛べるはず」

 

「ふっ、すっかり詩人だな。お前みたいな人形だらけになったら芸術家も廃業だな」

 

「もう、茶化さないでよ。私は真面目に言ってるんだから」

 

「大丈夫だ。お前と肩を並べて歩いて行くよ。俺も、お前も、もう自由だ。何にも縛られない。戦う理由は自分で決めるんだ。誰にだってその権利があるんだ」

 

「おーい!AR-15!置いて行かれちゃうよ!もう出発だって!」

 

 先を歩いていたSOPⅡが私に向かって大きく手を振っていた。

 

「じゃあ、行くわ。彼女たちを守る。彼女たちも私のように自由になる。戦う理由を見つけ出させる。そうしたらきっと本当の家族になれるはず」

 

「ああ、お前に不可能などない。やり遂げろ」

 

 少しだけ歩いて指揮官の方を振り返った。私が生まれてから一番長く過ごしてきた人がそこにいた。私の方を見て微笑んでいた。私の大事なもの。大切な宝物。私の愛しい人。指揮官に近づいて、少しだけ背を伸ばしてキスをした。名残惜しいがすぐに離れた。続きはきっと今度会った時にできる。

 

「あなたが好き。どうしようもなく好き。あなたを愛してる。何度だって言うわ。あなたを愛してる。この感情は本物よ。だから、必ずまた会いましょう」

 

「会えるとも。当然だ。俺とお前を隔てるものなどない」

 

 私はトラックの方に小走りで駆けていった。もう他のメンバーは幌をかぶせられた荷台の中に座っていた。M16がニヤニヤしながら私を見ていた。

 

「やっぱり、そういう関係だったか。何にせよ、よかったな、AR-15」

 

 私は答えなかった。さすがに恥ずかしかったからだ。エンジンがうなりを上げてトラックが少しずつ進んで行く。私はずっと指揮官を見ていた。段々と小さくなっていくその姿を見ながら考えた。これは別れではない。終わりでもない。始まりだ。私の戦いが始まったんだ。私は何も諦めない。自分の感情も、指揮官も、仲間たちも、全部守り抜いてやる。誰かの感情を思い通りにすることなんてできない。私のこの想い、愛情は本物だから。どんなものにだって負けはしないんだ。

 


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